「大蔵省には次のような採用形態があります」
山本さんがテレビ画面に三つの採用形態を示す。
① 大蔵省採用(キャリア採用)別名特急組。
② 国税庁採用(準キャリア採用)別名区間急行組。
③ 国税支局採用(ノンキャリア採用)別名各駅停車組。
「特急とか区間急行とか各駅停車組って何のこと?」
「読んで字のごとしじゃ。特急に乗れば数駅止まるが終点までいける。急行ではなく区間急行なのは意味深々じゃ。特急ほどではないが、ある駅までは急行並みに走る。じゃが終点は特急と比べると遙か手前じゃ。通称各停はひとつひとつの駅をていねいに停車して終点も近い」
ここで画面には田中さんの世界の近畿の私鉄京阪電車の路線図が表示される。その京阪の本線は大阪市内を起点として京都の清水、祇園を経て終着駅を出町柳とする路線だ。
大蔵省採用というのはこの特急に乗ることになる。大家さんや山本さんの説明が大雑把にな
るのは仕方がないが、田中さんにはわかりやすい。
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「京阪電車は大阪市内を起点に守口市、そして門真市、寝屋川市、枚方市、八幡市、宇治市、そして京都市内に向かいます。特急はこれらの駅に止まるだけで京都市内の清水、祇園を経て出町柳に到着します。終着駅出町柳は大蔵省の最高ポストの事務次官に相当します。その手前の祇園や清水は事務次官になる前の大蔵省の重要ポストや国税庁長官だと思ってください」
画面にそれぞれの駅がどのような税務署や国税支局に当たるのかを示す一覧表が現れる。
守口市 副署長がいない小さな税務署の署長
門真市 中規模の税務署の署長(必ず副署長がいる)
寝屋川市 大きな税務署の署長(副署長が複数いる)
枚方市 小さな国税支局の支局長(金沢や高松などの国税支局長)
八幡市 中規模の国税支局の支局長(広島や福岡などの国税支局長)
宇治市 大規模な国税支局の支局長(東京、大阪などの支局長)
清水、祇園 国税庁長官など大蔵省の重要ポスト
出町柳 大蔵省のトップ。つまり事務次官
***
大蔵省採用(キャリア組)が乗車する特急の最初の停車駅は門真市だ。山本さんが解説する。
「就職して省内で数年過酷な仕事を強いられます。そこで『一息ついてこい』と地方都市の税務署長に赴任させます。現場を見てこいと言うようなものではなく副署長に守られながら一年間ゆったりと暮らします」
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「そんな。現場をキチンと見るべきでは?」
「優秀な副署長にがっちり守られての遊学です」
次の停車駅は八幡市だ。
「大蔵省に戻って課長として仕事をしますが、やがて部長となり、いったん中堅クラスの国税支局長になります。支局の幹部は腫れ物に触るようにキャリア組の経歴に傷が付かないように大蔵省に返します」
「殿様扱いじゃ」
次の停車駅は宇治市だ。
「大規模な国税支局長ポストですが、箔をつけるためのポストです。ここでうまくこなせば、間引きから脱出して終着駅まで行けるのです」
「間引きか……」
「同期就職で事務次官まで上り詰めるのは0・5人です」
「0・5人?」
「事務次官の任期は余程のことがない限り二年だからです」
「そうか。でも僕だったら祇園で降りたいなあ」
「成程……とは言えんのう」
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***
大蔵省採用者に比べて国税庁採用者(準キャリア)は準急と言うよりは区間急行だ。どこが違うのかと言えば準急はあくまでも急行に準ずるから。急行よりは停車駅は多いが終着駅を目指す。しかし、区間急行は終着駅がかなり手前に設定される。枚方市が終着駅で最初の停車駅は守口市だ。
「若いうちに税務署長になる点では大蔵省採用者と遜色はありません。でもその先は各駅停車です」
「月とスポンの差があるという意味が分かりました」
「採用試験で出世が差別されるのなら、受け直すべきでしょう」
「なんとも言えないなあ。でも最後は小さな国税支局長になれるんでしょ」
「そうとも言えません。終着駅が枚方市であればいいのですが……」
「間引きがあるのじゃ」
「終着駅が寝屋川市や門真市と言うこともあるのですね。でもまあまあのポストじゃないですか。だって署長だから」
「先ほどの一覧表ではそう書かれていますが、中規模の税務署長は国税支局の課長職に、大規模な税務署長は同じく部長職に相当します。準キャリアは守口市を出ると国税支局の課長職を転々とするのです。そして一階級上がって同じく国税支局の部長職を転々とします。つまり門真市で下車すると言っても署長ではなく支局の課長、寝屋川市までたどり着いても支局の部長
で終えるのです」
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「確かに月とスッポンじゃ」
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「いよいよ一番数が多い国税支局採用のノンキャリア、つまり各停組の話に入ります」
「税務署員というと強面な感じがするけれど、これまでの話を聞いたせいか親近感を感じるなあ」
「ところで起点の大阪市内駅から守口市まで何駅あると思いますか」
「10駅」
田中さんの即答に山本さんが追加する。
「門真市は?」
「12」
「寝屋川市は?」
「16」
「枚方市は?」
「20」
「いずれも正解です」
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「田中さんが鉄道マニアだとは知らなかったのう」
山本さんも感心するが表情は明るくない。
「約九〇パーセントの税務署員は守口市までも行けないのです」
「えー!」
「しかも三つ目の駅で定年を迎える人がかなりいます」
「三つ!。まるで線路上を歩いているようなスピードだ。出町柳は41番目の駅。キャリア組とノンキャリアってそんなに差があるんだ」
「7番目の駅までは大阪市内の駅です」
「10番目の守口市駅、つまり小さな税務署長になれたら大出世じゃ」
「そこから二駅先の門真市(中規模の税務署の署長)まで到達する人もいますが……」
田中さんが大家さんや山本さんに反論する。
「まるで階級社会だ!」
しかし、山本さんが冷たく言葉を続ける。
「寝屋川市(大きな税務署の署長)やほんの一握りですが枚方市(小さな国税支局でその税収は都会の大規模税務署に及ばない本当に小さな国税支局の局長)まで出世する人もいます」
「上がりが41番目の出町柳に比べて半分以下の枚方市というのは余りにもひどい。でもそこまで行く人はよっぽど能力のある職員ですね」
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「もちろんそうですが、良い悪いは別として、どちらかというと要領のいい職員です」
「要領?」
「寝屋川市、枚方市まで出世した職員は国税支局長に就任したキャリア組を支えた職員です」
「ひどい人事ですね。現場で苦労する職員より自分の身を守ってくれた職員しか大事しないなんて。まるでノンキャリア組は非正規社員だ」
「そんなことはありません」
「どうして?僕は非正規社員ですが何年かかるかは別にして準チーフやチーフに昇進できるから三つ目の駅ぐらいまで進めます」
「でも彼らは安易に退職しません。なぜなら民間企業の正規社員より待遇がいいし、まず仕事が楽です」
「結構税務署の仕事はキツいのでは?」
「そんなことはありません。同業者はいませんから。つまり競争相手は内部にしかいません」
「成程!」
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