35 新しい指導者


「スミスの仕業に違いない」


 田中が断言する。


「そうだとしたら私の想像を超える大人脈を持っていることになるわ」


 田中、山本、両大家の目の前のテレビと同じものが中国の工場で量産される光景を興味深く見つめる。同じく立派な服の大家が同調する。


「どのようにしてキム・イーチの考えを知ったのか分からんが、中国の総書記にこのテレビの製造の話を持ちかけたのは恐らくスミスじゃ」


「しかし、中国政府はこのテレビの真の性能を知っているのかしら」


「どうだろう」
「じゃが、このテレビは田中さんがいなければ電源は入らんはずじゃ」
 ここでテレビから逆田の声がする。
「タイで量産したテレビもそうですが……残念ながら水没してしまいましたが、スティーブ・ゲイツが新たに設計したこのテレビは誰でも見ることができます。リモコンはついていませんがjフォン・オレがリモコンになります」


「と言うことはjフォン・オレやjタッパー・オレと連携するんだ」

 

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「そうです。さすが田中さんですね」


「jフォン・オレで撮った写真や動画がこのテレビに転送されて、しかも編集されてスライドショーや動画の鑑賞ができるんだ」


 田中が興奮すると逆田が制する。


「さて、どんなテレビか、後のお楽しみです。次のニュースをお伝えします」


 いきなり画面は橋本市長の会見に変わる。


「私が主催する『以心伝心の会』は政治空白を埋めるために国政選挙に打って出ることになりました。


『以心伝心八件伝』という政治理念に基づいて『政府が構築すべきボランティア活動一七項目』をマニフェストにしてすべての選挙区に候補者を立てます。そのとき私は市長を辞任いたします。市民の方々申し訳ありません。お許し下さい」
 ここで橋本はマイクを置くと立ち上がって腰を折り深く頭を下げる。そして正面を見すえるとマイクを取りあげてそのまま話を続ける。


「決して私のわがままで辞職し国政を目指すのではありません。ボランティア活動の対象を一市町村から国全体に拡大するだけです。本来、政治家、官僚、公務員はボランティアです。民間企業や個人企業でも、そこに勤めている人たちですら利益をかえりみずにボランティア活動をします。ましてや……」


 若い橋本の落ちついた態度に質素な服の大家が感心する。

 

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「こんなことがありました。ある区役所前で煙草の吸い殻やゴミを拾い集める人たちがいた。私はその人が区役所の職員だと思って『職員の意識も変わった』と感激した。ところがその人たちは区役所の隣の粗末な建物に入ったので驚いて声をかけました。なんとその人たちは区役所隣の零細企業の社長と従業員だったのです。会社の前だけではなく、両隣の建物の前まで清掃していたのです。それがこの会社の方針で休日は社長と奥さんが清掃している。区役所の職員じゃなくて隣の会社の人がゴミを拾っていた。区長に内緒で職員に尋ねると区役所前の清掃は自分たちの仕事ではないし、勤務時間前に出勤して清掃しても給料とは関係ない。清掃も仕事だというなら時間外手当をよこせという。私は絶句して公務員である前に人間であることを忘れるなと怒鳴ってしまいました。もちろん体罰は加えていません。よく怒鳴りちらすのでいつの間にかパワハラ市長というあだ名が付きました」


 落ちを付けると橋本は深々と頭を下げて座ると記者の質問を受ける。


「橋本さんの言うとおりじゃ。思えばギスギスした社会にしたのは政治じゃ。ふー」


 立派な服の大家がため息を漏らす。画面が消えて一瞬静寂に包まれる。それほど立派な服の大家のため息は強烈だった。


「孫が可愛いのはもちろんじゃが、息子たちが相続税対策に孫に贈与したほうがいいと言うので、毎年五人の孫に三百万円ずつ贈与している。ときの首相が母親から毎月何千万円も贈与されていたのとは桁が違うが……」


 質素な服の大家が瓜二つの立派な服の大家に首を振る。

 

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――こいつ、本当にわしの分身なのか。わしには孫はおらん


「いつの間にか孫たちは大学を卒業して社会人になった。さてあるとき孫から電話が掛かってきた。そういえば今まで贈与しても、もちろん幼いころは仕方がないが礼を言われたことがなかったので、ひょっとしてと期待したが、驚くなかれ、孫の言葉は『今年の振込はいつ?』というものだったのじゃ」


 立派な服の大家が涙ぐむ。


「前政権は年寄りが資産を持ったままお金を使わないから経済が活性化しないと言って、相続税を高くする一方で贈与税を優遇して年寄りから若者に贈与させてお金を使わせる政策を実行した。挙句の果てに教育費として孫に一千五百万円贈与しても無税とした。こんな大金を贈与する老人などほんの一握りで、これで儲けたのは信託銀行と私立大学だけじゃ。経済優先で親子や孫の道徳心、つまり人間性を無視したのじゃ。これじゃ日本という国が良くなるはずがない。教育や道徳や愛国心が大事だと声高にのたまうだけで、こんな税制を押しつける政府なんか潰れてしまえと思ったとたん、首相以下、政府の責任者は消えてしもうた」


 貧乏だった祖父母や両親を思い出して田中も涙ぐむ。質素な服の大家がそんな田中の気持ちをくみ取って立派な服の大家の言いたいことを引き継ぐ。


「気持ちの通った言葉なんてまったく政治家にはない。都合が悪くなるといつでも検討中だ。検討すると言うだけで永久に結果を出さない。だから永遠に信頼を失った」

 

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 立派な服の大家が質素な服の大家の手を握る。


「その点、橋本市長の意見は非常に分かりやすいし、しかもすぐ実行する。それに本音も吐露する。勇み足もあるが、修正も速い。市民全員を幸せにすることは不可能じゃが、痛みを分かち合って何とか不満を可能な限り減らそうという努力は高く評価されるべきじゃ。市政に住民の信頼感が戻って自由闊達な議論が高まったのは彼の最大の功績じゃ」


 立派な服の大家の意見に誰も口を挟まない。それは質素な服の大家も田中も山本も橋本市長のことを知らないからだ。


「是非、取材したいわ!」


 山本が感動して提案すると立派な服の大家が胸を叩く。


「わしに任せろ。橋本は後援会を造らない。市民全員が後援会だと豪語するが、それは特定の市民に肩入れしないためじゃ。しかし、彼も人の子。応援する市民を遠ざけることはない」


「大家さんはボランティア精神の塊みたいな人です」


 簡素な市長室で橋本市長がまず立派な服の大家を持ち上げる。


「大家さんの自宅の敷地から大量のレアメタルが発見されて採掘許可を市に申請されたとき、前例がないと断られましたね」


 橋本はインタビューしようとする山本を無視してなつかしむように談笑する。

 

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「あのとき市長は『これで日本一、金持ちの市になる』と叫んですぐ許可してくれました」


「ちょうど尖閣列島での事件で中国からレアメタルの輸入が制限されたときでしたから、タイミングが良かった」


「そうじゃった。でも市長は困っているメーカーに暴利を貪らない価格で供給するのならという条件を付けられた」


「覚えています。いえ、忘れもしません」


「わしは得体の知れないレアメタルが我が敷地から消え失せるのなら、ただでも良いと思っていたから、すぐ了承したのじゃ」


「それでも大金が入りましたね。大家さんは惜しげもなくその大半を市に寄付された。お陰で老朽化した病院や学校を建て替えたり修繕できました」


「そのあと市内の経済が活性化したので、わしの土地も値上がりして思いもしない大金を手に入れた。なにしろ土地の売却益に対する税金はいくら儲けても所得税と住民税合わせて二十パーセントで済むんじゃ」


「通常はたくさん稼ぐと五十パーセントですからね」


「安くなった三十パーセント分の税金に見合うお金を被災地に寄付しようと思ったが、我が街に寄付するのと違っていつ誰にどれだけ寄付金が渡るのかよく分からんので躊躇した。そのとき橋本市長が『我が市から被災地に寄付しましょう。全国市長会で討論してどの被災都市にどれだけ寄付をするの

 

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か議論して実行しましょう。逐一報告しますから安心してください』と提案されたのじゃ。わしはすぐ寄付した」


「地震で被災した地域は広範囲です。だから『復興予算をどこに投入するかは非常に困難だ』と政府は言うが、それはいい訳です。地方に、特に被災した地域には人材がいません。警察や消防はもちろん行政そのものが機能していません。職員が亡くなったり被災しているからです。自治体を奴隷のように扱うことなく本来国が対応しなければならないのになかなか動かない。それどころか被災した県知事や市長を恫喝する大臣もいた」


 橋本がうっすらと涙を流す。


「まるで被災地の自治体は田舎者扱いでしたね」


 やっと山本が口を挟むとすぐさま本論に入る。
「地震から一年経っても国会ではなにも決まらなかった。『あらゆる選択肢を排除せず迅速に対処するために忌憚のない意見を出していただくとともに精査検討してすみやかに被災地の復興に備えたい』と言うだけで、具体的にこれとあれをこうして即日実行するなんて聞いたことがありませんでした。その点、橋本市長の発言は明瞭で実行力があります」


「当たり前のことをしているだけです」


 橋本が視線を山本に移す。


「なぜ、この国は当たり前のことができないのでしょうか」

 

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「それはやらなければならないことを具体的に言うと批判する者が必ず現れるので、怖くて言えないからです。つまり利権です。過去のしがらみです」


「味方を作るより敵を作りたくないと言うことですか?」


「強い信念を持って国民や市民を引っぱるということは、イコール独裁という考えを持つ人がいる。戦前の日本の過ちやドイツやイタリアで登場した独裁者のイメージがトラウマになっている。時代が違うのに未だ百年近い古い出来事を持ち出して私にダブらす。でも私は大統領でも首相でもありません。一地方都市の市長です」


「確かに戦前、戦中の日本を含め同じ頃、ドイツやイタリアの指導者は軍備の増強を主張して自分の地位を強固なものにしようと邁進しました。でも市長が軍備を増強できるわけないのに」

 

 山本が大きく頷く。


「もちろん。今は弱者をどう救うのか。つまりどのようにして失業者を活用して経済を浮揚させるか。さらに余力がなくても海外で災害が起これば自国の利益を顧みることなく救援活動するにはどうしたらいいのか。このように当時とは事情がまったく違うのです。第一、市長の任期を二倍にしようなんて考えてもしません。任期を延ばすというのはまだ可愛い方で、独裁国家の指導者は終身制で交替という制度がありません。かといって首相や大統領の地位をたらい回しするのもダメです」


「この街の市民は生き生きとしていますね」


「大家さんは別格としてこの市の被災地への寄付金は総額でも一人当たりでも日本一です」

 

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「人情の厚い市ですね」


 市長が急に苦笑いする。


「ところで恥ずかしながら私は寄付していません」


「えー?」


「被災地のために寄付をと言いながら一円もしていません。無給で働いているからです。預金を食いつぶして妻や子の生活を支えています。こんな独裁者がどこにいますか」


「しかし、しっかり仕事をするという寄付を市民に、そして結果的には被災地に大きな寄付をしていることになるのじゃ」


 立派な服の大家がカバーする。山本は頷きながらインタビューを続ける。


「当時の首相は増税に際して公務員の給与を下げましたが、議員歳費の引き下げはおろか、定数削減もしませんでした。これについて無給の市長の考えは?」


「国民はとっくに気付いているのに、その国民を何とか敵にしないよう抽象的な発言に終始する。国民のためだと言うが自分を守っているようにしか見えない。そして地震が起きて津波と原発事故が起こると無策ぶりが露呈して、さらに海面が後退するという天変地異が起こると……その結果はすでにご存知のとおりです」


「敵前逃亡ですね」


「違憲判決が出されている選挙をしたって無効になるでしょう。ましてや選挙演説すれば玉子やトマ

 

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トを投げつけられるのが関の山でしょう。そして国政に打って出ようとする私を独裁者呼ばわりするのがせめてもの慰めなのでしょう」


「私のインタビューは無意味ですね。これほどはっきりと物事の道理を簡潔明瞭に説明していただいたんでは」


「そんなことはありません。それこそ簡潔明瞭にインタビューされたから、自然に言葉が出たのです。長々と何を聞きたいのか分からない取材ばかりですが、こんなに気持ちのいい取材は初めてです」


 山本が小膝を折って深々と橋本に頭を下げる。


「はつらつとした気持ちのいい市長ですね」


 まだインタビューの余韻に浸る山本が市役所前の歩道で晴れ渡った空を見上げる。その山本に立派な服の大家が水をさす。


「逃げ出した前政権与党も復帰を目指して国政に立候補するようじゃ」


「橋本が首相になれば日本は独裁国家になると中傷するでしょうね」


「それなら、あのとき逃げなければよかったんだ」


 田中が憤慨する。


「鈴木一佐は橋本市長より年上だが、彼も大した人物だ」


 質素な服の大家が久しぶりに発言する。

 

[381]

 

 

「前政権で影の総裁と言われた大沢も大沢チルドレンという若い議員をたくさん当選させた。若い政治家を育てることはいいことだ。ただし、わしは大沢が気に入らん」


「大沢と橋本市長では決定的に違うことがある!」


 田中が憤慨を興奮に変える。


「橋本は若い。大沢は年寄りじゃ。わしよりは若いが」


「そうですね。大沢は『当選したければわしの言うことを聞け』という感じでした。橋本市長は『みんなで知恵を出し合って一緒に頑張ろう』という感じですね」


「山本さんの言うとおりだ」


「それよりもっと大きな違いがある」


 今度は冷静に田中が問う。視線が再び田中に集まる。


「インターネットで調べると金に関するスキャンダルが橋本市長にはない」


「大沢の周りは金、金、金じゃ」


 大金を手にした立派な服の大家の発言には重みがある。


「億単位もの金を管理できないことを棚に上げて『自分の仕事は政治で金はすべて秘書に任せている』と言い訳しておるが、庶民を愚弄するにもほどがある。仮に無罪になっても許せん」


 質素な服の大家も同調すると田中が尋ねる。


「経理担当者に任しているから税金のことは知らないと言えば税務署は許してくれるんですか」

 

[382]

 

 

「あほ。そんなことはない。庶民感情からして許されるはずがない」


「大沢は官僚より政治家の方が庶民感覚をしっかりと持っていると言ってたが、ちゃんちゃらおかしい。多額の不正献金や賄賂を貰ったりする政治家や官僚は同じ穴の貉じゃ」


「そのとおり!むしろ下級官僚の方が庶民感覚を確実に持っているぞ」


「どうして?」


 山本の疑問に質素な服の大家がニヤッと笑う。


「下級官僚の不正の額はほとんどの場合、知れておるからだ」


 すぐさま立派な服の大家が付け加える。


「よくもこんな端金で一生を棒に振る何てというケースが多いじゃろ」


「なるほど、まったくそのとおりだわ」


「被災者は給料がカットされるし、いつ首になるかも分からない。そして二重ローンで苦しんでいる。金では買えないものがこの世の中にはあるということを、戦後の成長期を経験した者、特に年取った政治家は考え直さなければならん」


「そのとおりじゃ。戦後の苦しい時代は隣近所の機微に満ちた環境があった。でもそれが徐々に消滅したことを年寄りは目の当たりに体験したのに金に頼るとは何という浅ましいことじゃ!」


「政治家が率先してギスギスした世界に国民を誘導したのに、選挙を通じて是正できなかったのも確かだわ」

 

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「今や世紀の最悪の大事件が重なって、身の危険を感じたすべての大臣と高級官僚が揃って辞めてしまった」

 

 田中の言葉に全員納得する。


「さあ、アパートに戻りましょうか」


「逆田さんが首を長くしてテレビの中で待っているぞ」

 

[384]