54 目覚めた公務員


 給料やボーナスを減らされて退職金までもカットされた公務員がついに立ち上がった。政府の意に反して被災者側にたって復興予算をばらまく。被災地の地方公務員だけでなく、その活動と住民の熱烈な感激が、被災地以外の地方公務員まで動かす。


 補助金は適正、適切に、しかも迅速に被災者や本当に生活に困窮している住民に給付された。そして不正受給者を摘発して公平に執行される。これまでと違って行政が信じられないほど効率化した。歯車がかみ合って前に進みだすと事態は好転する一方で住民もポジティブに行動するようになった。そのような具体例が次々とテレビに映される。


「目覚し時計が鳴ってもなかなか起きなかったのに、時計が鳴る前に起きて今日もいい日にしようと頑張っているように見えませんか」


 山本の声がテレビから漏れると田中が応じる。


「公務員が本気になって仕事をすればすごいな。役所に勤めたら休まず遅れず働かず……何て言っていたから、適当な人が就職していたと思っていたけれど、本当は優秀な人が集まっていたんだ」


「この前も印鑑証明書を取りに行ったら『大家さんですね。今日も暑いですね』と声をかけられた。おもむろに身分証明書を出そうとすると『私は何度も大家さんにお会いしてます。本人

 

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確認は不要です。すぐ出しますから、しばらくお待ちください』なんていわれて恐縮したぞ」


「じゃが、銀行の窓口は相変わらず本人確認がきびしい」


 立派な服の大家が質素な服の大家に首を横に振る。すぐさま質素な服の大家が続ける。


「確かにそうだ。そのことを役所の窓口でいうと『私は大家さんの顔を見て本人確認済みと申請書類に書きこみます。すべての住民の顔と名前を覚えるのは不可能ですが、よく来られる方の顔と名前を覚えることは市役所の職員の義務です』と言われた」


「でも、申請書類に免許証のコピーを貼り付けておかないと、本人確認チェック担当官が文句を言うんじゃ?」


「そうではない」


 田中と立派な服の大家が首を傾げる。


「今はコンピュータの時代だ」


 意外なセリフに田中が目を丸くする。


「お待たせしました。三五番の札をお持ちの方、三番窓口にお越しください」


 質素な服の大家が立ち上がるとくたびれた鞄を持ってカウンターに向かう。


「質素な服の大家さんですね。お名前でお呼びしてもよかったのですが、差し障りがあるかもしれないと番号でお呼びしました」

 

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 カウンターの中で若い女性の職員が頭を下げると笑顔を上げる。


「印鑑証明書、一通ですね。一通五百円です。二通で千円」


「しまった!支払いは印紙だったのう。印紙を買ってくる」


「いえ。ここで現金でお支払いください」


「えーと」


 質素な服の大家がくたびれた鞄を開けて財布を取り出す。


「千円、千円。ないなあ。一万円札でお願いできるかな」


「分かりました」


 一万円札を受け取ったその事務員は右横の読取機にお札を入れると、出てきたお釣りの九枚の千円札を確認して手渡す。


「まるで銀行みたいだな」


「『ここで印鑑証明を手渡してあっちで支払え』というのが今までの市役所のやり方でした。市長が『市民をお客様だと思って事務をしろ』というので、このようになりました。


「最近、市長の評判は悪いが、やるべきことはキチンとやっているんだな」


「ありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」


「ちょっと待った」


 質素な服の大家は手続き待ちの人がいないか後ろを気にしながら尋ねる。

 

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「本人確認は?」


「質素な服の大家さんの場合、要りません」


「仕事の邪魔をして悪いが、なぜだ」


「前回の記録がコンピュータに残っています。請求に来られた年月日、時刻、対応窓口番号、応対職員名などです。前回も私でした。そのときに本人確認をしています。あとで本人確認をしたかどうか検査されても、前回の資料を今回の申請書に電子コピーしますので問題がないのです」


「電子コピー?まあ、いいか。とにかく市民の負担が減るし、効率的だな」


「いままで非常にご不便、ご迷惑をおかけしましたが、これからは違います。市役所の職員全員の意識は変わりました。今後も当市役所を徹底的にご利用くださいますようお願い申しあげます」

 

 その職員は立ち上がると深々と頭を下げる。


「むしろ気持ち悪かった」


 立派な服の大家がいったん言葉を切った質素な服の大家に疑いの視線を向ける。


「おまえ、騙されたんじゃ」


「そんなことはない。なんなら、今から印鑑証明書を取りに行けばいい」

 

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「冗談、冗談」


 立派な服の大家が詫びると質素な服の大家が気にせずに続ける。


「そのあと、わしはその印鑑証明書を持って銀行に行った」


「借金か」


 立派な服の大家の言葉に質素な服の大家がムッとするが、素直に頷く。


「ところが様々な手続きの中で必ず本人確認があるのだ。もちろん、席を立つ訳ではないから確認は一回だけだったが……」


「そりゃ、そうじゃろ」


「ところがだ。同じ担当者が振込の手続きでわしを窓口に連れて行ったとたん、そこで本人確認を求められた。当然クレームをつけた」


「銀行員は慇懃無礼だ。幸いわしは借金がないからいいようなもの、借金している者は大変じゃ。銀行員の一言で自殺した者をわしは何人も知っておる。一方、当の銀行員はシャーシャーとしておるのじゃ」


 質素な服の大家が立派な服の大家に頷きながらも手を上げて言葉を遮断する。


「だからその銀行員に市役所の職員の対応を披露した」


 田中が合いの手を入れる。


「それで」

 

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「こう、のたまいおった『彼らは気楽な公務員です。しかし、私どもは何かあったら財務省や金融庁からお叱りを受けます』と」


 いったん言葉を止めてから質素な服の大家が続ける。


「だったら、『お叱りを受けない対策をすればいいのでは』と提案したが、答えずにただ笑っていた」


 画面には変身した公務員の活躍と違和感ある民間会社の対応の様々な映像が流れる。


「意外だ」


 そして引き続きテレビには許認可が必要な業種、つまり銀行、証券会社、保険会社、電力やガス会社、マスコミ関係の会社……その類いの会社の様々な対応姿勢の映像が流れる。明らかに市役所の対応に比べて見劣りする。そして逆田の興奮した声が流れる。


「要はキチンと信頼関係が保たれていればルールは不要です。ギスギスした世の中になったから世知辛くなった。そのような環境を変えようとせずにチェック体制の強化ばかりに奔走した政府自体が人間関係を不安定化させた。その原因は政府の保身です。さらに政治不信がそれを加速させた。加速すると元に戻るどころかより厳しいルール作りに邁進した。この悪循環を断ち切ろうと選挙で新しい政権が誕生したが、その政権は悪循環を断ち切るチャンスを逃しただけではなく、こともあろうかこの悪しき循環を温存した。しかし、我が市の市長はこの悪循環を断ち切った」

 

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 政権を取られた元与党が政権に返り咲くと目先を変えたが本質は変わらない。いったん新たな政権に協力した高級官僚は復帰した与党との付き合いに神経を使う。しかし、そんな高級官僚を尻目に公務員、つまり下級官僚が立ち上がった。


その結果は冒頭のごとくだった。

 

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