11 生命永遠保持手術とトリプル・テン


 地球では巨大なノロの方舟が世界各国の「欲しいもの」集荷場を次々に訪れては手際よく積み込んだ。そして作業が終了するとノロの方舟は上昇してフッと消滅する。これを見た集荷場にいた者たちはただ驚くだけだった。


 ノロは各国の大統領や首相はもちろんのこと欲しいものを集めてくれた生物学者などに丁重に礼を尽くしたが、各国首脳たちが期待していた見返りはなかった。


 遺跡の下にはトリプル・テンが埋められていた。それはセンサーと通信機能を担うためにノロが苦心して板状に整形した特殊なトリプル・テンだったが、本来の特性を失ってはいない。ストーンヘンジではその一部露出していたから大問題を引き起こしたのだった。

 

 ノロの惑星の海辺や湖畔近くに特殊ないけすを造って地球の魚類や両生類を育てる実験が始まる。様々な工夫をして複数回の世代交替が確認されると順次いけすから海や川に放つ。壮大なノロの構想が実行に移された。


 ところでトリプル・テンは使い方によっては生物に永遠の命を与えることができる。すでにノロはその特性を利用してノロ本人はもちろんのことノロの惑星の人間は永遠の命を手に入れ

 

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ていた。恐るべきノロの応用能力がこれまで考えられなかったことを次々と現実化させる。しかし、重要な例外もあった。


 地球から持ち込んだ魚類もトリプル・テンの特性を利用して永遠に生きるようにすればいいのだが、そうはいかない。なぜなら永遠の命を得ると生殖機能が働かなくなるからだ。それに繁殖してもらわないと食糧が確保できない。


 だからと言ってノロは永遠の命を欲しがっていたわけではなかった。生命の誕生、進化を観察するにはどうしても長い視点が必要だった。それは神のように振る舞うためではなかった。自分ひとりが永遠の命を得てほかの人間を支配しようなどとは思っていなかった。


 猫に小判のごとく、他のことには目もくれずにまっしぐらにノロは真理を探究しようとする。

 

 無脊椎動物から脊椎動物への進化の飛躍が難しいのでノロはズルをした。つまり魚類を中心に一部の両生類を地球からノロの惑星に移植したのだ。


「私、科学音痴だからよく分からないけれど、うまくいっているの?」


「今のところは。でも先が読めない」


「とりあえず、マグロね。あの赤身、最高ね」


「果たして魚類から両生類、そしては虫類、鳥類、ほ乳類と地球のような進化が起こるのかなあ。植物環境が地球とは異なるし、この星のカブトムシはでかい」

 

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「ひょっとしたら、この星のマグロ、鯨ぐらいの大きさになるのかしら」


「メダカも鯉のように大きくなるかも」


「もういいわ。こんな話」


「でもカブトムシやクワガタを地球に輸出すればぼろ儲けできるかも」


 ついにイリのパンチがノロに飛ぶ。


「無理言って地球の動物を分けて貰ったのに」


「そうだった。反省する」


「だいたいノロは自分の夢ばかり追いかけて周りの人の気持ちを無視するのよね」


「反省してます」


「違うの。何も責めてないわ。いえ魅力一杯だわ。ただ……」


 急にイリの言葉から力が消えて瞳がうるむ。


「どうした?」


「ごめんね。夢を追いかけ続けるノロが好きなのに……」


 ついにイリの瞳から涙がこぼれる。ノロがあちこちのポケットに手を入れて何かを探すが見当たらない。


「イリ、ハンカチ持っているか?」


 涙ぐみながらもハンカチを手渡す。ノロはそのハンカチをイリに差し出す。

 

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「これで拭け」


「えー?」


 これからイリはノロの魅力を今まで以上に痛いほど知ることになる。

 

 イリがノロの研究室に入ってくる。


「進化を観察するなんて退屈な作業ね。こちらの方が退化してしまうわ」


 コーヒーが入った紙コップをノロに差しだそうとする。


「ノロ!」


 パソコンの前でノロが小さな目を白黒させて両足をバタバタさせている。大きな口には食パンが詰まっている。イリはその口から食パンを無理矢理引き抜くとコーヒーを飲ませる。


「あっちっち」


「ごめーん。水の方がよかったかしら」


 慌ててイリは水をコップに注いで戻る。水を飲んで落ち着きを取り戻したノロがため息をつく。


「早くハンバーグを食べたいな」


「ハンバーグは牛の肉よ。魚のすり身さえ手に入らないのに無理だわ」


「千年以上はかかるかな」

 

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「その程度で牛の肉が手に入るの?」


「魚類の繁殖がうまくいったら両生類とは虫類。また地球に行って鈴木たちに頼まなければ」

 

「何を言ってるの。あの世に行った人に何を頼むの?私たちだって生きているはずないじゃないの!」


「それがそうでもない。俺たち何歳になったんだ」


「そういえば波瀾万丈の毎日だから自分の歳を気にしたことないわ」


「俺たちいつの間にか不老不死の身体を手に入れている」


「えー?冗談でしょ」


 ノロの真剣な表情を見てイリが少しだけ頷く。


「実感はないけれど……でも確かに若々しいままだわ」


「トリプル・テンの影響だ。遺跡に残した特殊な形のトリプル・テンに目を付けた者がいる。俺とは違ったやり方で永遠の命を手に入れようと必死に研究している」


「誰なの」


「徳川という男だ」


「そこまで調べているの?忙しいのに」


「地球のグレーデッドの残党が掴んだ情報から分かったんだ。ただ彼のやり方では次元波を受けると元の身体に戻るという欠点がある」

 

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「何を言っているのか私には全然分からない」


「そのうち分かるときが来る」


 イリはノロの思考の深さに改めて驚く。

 

 ノロの予想通りストップ細胞を造りだした徳川が生命永遠保持手術の開発を水面下で進めていた。ストップ細胞というのは老化遺伝子の機能を文字通りストップさせる細胞で、この細胞を利用すれば寿命を延ばすことができる。


 徳川はトリプル・テンに注目した。トリプル・テンをストップ細胞に取り込んで全細胞の老化を抑えようという壮大な計画を立てた。しかしながら女性の生殖機能の退化まで想像が及ぶことはなかった。理屈からすると、永遠に生きることになれば子孫を必要としなくなるから当然と言えば当然なのだが。
 だが生命永遠保持手術の確立は困難の連続だった。トリプル・テンの確保がままならないからだ。もし大量のトリプル・テンが手に入ればノロのようにもっと簡単に永遠の命を手に入れることができたかもしれない。


 徳川はストップ細胞を造った実績をひっさげて全世界の富裕層にトリプル・テンの確保を訴えた。大国や大企業がなんとかトリプル・テンを手に入れようとしたが、ノロやグレーデッドの厳しい抵抗でうまくいかなかった。

 

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 やむを得ず地下深く処分された原子力発電所の敷地に研究施設を造って微量ながらもトリプル・テンを手に入れることに成功したが、その程度の量では臨床試験すらままならなかった。しかもトリプル・テン自体は放射能に汚染されることはないが、一緒に採取された汚染土壌が大きな障害となった。


 ところが、遺跡地下に板状のトリプル・テンが存在することを知った徳川は再び富裕層の脇をくすぐることにした。すでに徳川は生命永遠保持手術を完成させていた。あとはトリプル・テンをいかに確保するかにというところまで迫っていた。逆に富裕層、つまり独裁に近い統治国の首脳、巨大企業の社長など、金に糸目を付けない者たちが競って遺跡の発掘に奔走した。すでにストップ細胞の移植手術で寿命を延ばした富裕層は全面的に徳川に協力した。


 チェンや鈴木は強く反発したが、富裕層と結託した連邦各国のほとんどがふたりを罷免しようとした。このことを知ったノロはまず遺跡に埋め込んだ板状のトリプル・テンの処分に動く。

 

「なんと言うことだ。でも予想していた」


 ノロと鈴木の最後の通信が始まる。月の大統領府執務室で鈴木は地球連邦議会の様子をモニターで眺めながらハンドセットを耳にかけ直す。


「予想していた?」


「まあな。ともかく問題はふたつある」

 

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「ふたつ?」


「そうだ。ひとつは生々しい結果だ」


「手短く説明してくれないか。時間がない」


「つまり生命永遠保持手術を武器に徳川が独裁者となって地球を支配するということ。それは徳川の生命永遠保持手術には欠陥があるからだ」


 鈴木はノロの説明に驚くばかりで返事ができない。


「この手術を受けても必ず検診が必要だ。つまり手術を受けた者は徳川の奴隷になる」


 やっと鈴木が声を出す。


「徳川は神になる?」


「そうだ。俺もすでに永遠の命を別のやり方で手に入れた。でも検診不要なので神にはならない」


「?!」


「人間としてこの宇宙の神秘を探求するだけだ」


 時間を気にしながら鈴木がなんとか声を繰り出す。


「もうひとつの問題は?」


「子孫を残せなくなる」


 再び鈴木は理解不能に陥る。

 

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「性別の意味がなくなる。つまり男も女もお互いを必要としなくなる」


 そのときモニターにうなだれたチェンの姿がクローズアップされる。ハンドセットを外してモニターのボリュームをあげる。


「どうした?」


 ハンドセットからノロの声が漏れる。


「解任された。チェンも私も大統領を解任された」


 再びハンドセットを耳にかけた鈴木にノロの強い口調が届く。


「なぜだ!」


「強力な徳川のロビー活動が成功した。あっ!チェンが拘束された!」


 そのとき乱暴な音をたてて執務室のドアが開く。


「鈴木大統領。あなたを逮捕します」


 これまで鈴木に忠実に使えてきた補佐官が残念そうに鈴木を見つめる。


「大統領罷免決議がされてあなたを拘束しなければなりません」


 鈴木はゆっくりとハンドセットを外して机に置く。


「……」


 警備官が鈴木を取り囲むと手錠をかける。補佐官がハンドセットを手にすると警備官に手渡す。

 

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「誰と通話していたのか調べてくれ」


 しかし、ハンドセットは「パン」という音を立てて燃えあがる。

 

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