第三章 小猿


 根津甚八の鯨船で大坂に戻ると真眼寺で幸村や真田十勇士(茶臼山の戦いで一人欠けたから九勇士と言うべきかも知れない)が、住職を交えて今後のことを検討する。


 まず幸村が三太夫から聞いたことを話すと単刀直入に尋ねる。


「服部半蔵の腹ひとつということになると思うが?」


「半蔵にどれほどの才覚があるかは分からないが、家康の腹を上回ることは難しい」


「家康一族を知り尽くした服部一族が不用となれば即座に切り捨てるだろう」


「確かに優秀な影武者を配下に置いたことがすべて」


「半蔵もバカではない」


「春の陣とも言うべき茶臼山での戦い……つまり影武者同士の戦いが白日の下にさらけ出された。これまでは陰に籠籠もっていたが、これからは表舞台に登場するはず」


「と言うことはもはや影武者は不用となった」


「先に半蔵が動く」


「すでに家康が動いているかも」


「そう言う意味では家康も半蔵もお互い疑心暗鬼になっているはず」


「すでに影武者を使っての戦いは茶臼山で終わった」


「もしや半蔵はすでに家康らを片付けて徳川家を乗っ取ったのかも」


「それは時期尚早でしょう。いくら半蔵と言えども家康と入れ替わるのはそう簡単ではない」

 

[28]

 

 

「頭の隅に入れておく必要はあるな」


 住職が頷くと幸村の表情が緩む。


「ところでたわいもないことだが、先に秀吉様が半蔵を配下にしたなら家康を出し抜けたかも」


 住職が笑う。


「言いたいことは、秀吉たる御仁がなぜ半蔵を影武者にしなかったのか?」


 住職ではなく根津甚八が応える。


「半蔵は家康の影武者になれても秀吉の影武者にはなれない」


 誰もが甚八に視線を移す。


「秀吉が影武者を欲しても、さすがの半蔵でも無理だ」


「無理とは?小助に劣らない変身の術に長けた甚八が言うのだからそれなりの理由があるのだろ?」


 幸村が甚八を催促する。


「亡き秀吉様に失礼ですが、猿そっくりの秀吉様の影武者になるなど不可能」


 誰もが納得するが、猿飛佐助が部屋の隅にいる小猿を見つめる。


――小猿なら


「ところでこの少年は誰だ?」


 住職が佐助に尋ねる。

 

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「大猿から『役に立つかも知れない』と預かった。名前は『小猿』。小猿は捨て子……」


 小猿は猿一族のある「くノ一」が伊賀の里山で産み落とし捨てられた。毛深かったことが幸いしたのか赤子は猿に育てられた。そして行動を共にすることでたぐいまれな運動能力を持った。しかも情が深い。飢饉が伊賀の里を襲ったとき成長した小猿は里山から下りると、こともあろうか猿一族から食糧を盗み取って親と慕う猿や仲間に与えた。


 小猿の俊敏さに対抗できる忍者はいない。やっと猿大猿が罠を仕掛けて捕らえたが猿ではなく人間だった。大猿は小猿を我が子のように育てて人間性を取り戻させた。この件があったからこそ猿飛一族は名前どおり猿のような身軽さを持つ忍者集団となった。一族はその身軽さ故に分身の術を得意とする。


 一通りの説明を終えると佐助が幸村に直言する。


「小猿を影武者としての秀吉ではなく、秀吉の生まれ変わりにできないものか」


 部屋の隅で座っている小猿を幸村が見つめる。若い頃の秀吉だと言われれば否定できない雰囲気がある。しかし、幸村は却下する。


「それはならぬ」


 それは小猿を秀吉の子だと持ち上げれば、秀頼、そして秀頼を生んだ淀君の立場がなくなるからだ。何としても秀頼を擁立して、家康から天下を取り戻して秀吉が理想とした世界を実現しなければならない。春の陣、秋の陣を凌いだ豊臣家にはまだ機会がある。

 

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 若さ故の未熟さが幸村に瞬発力を注入し何とか家康を射程の範囲に収めた。これまでは家康を討つことだけを考えていた。何とかなりそうだという気持ちが幸村から自由奔放な考えを消し去ろうとしていることに本人は気付かない。だから簡単に却下した。


 こんなときに遙かに年上の真眼寺の住職が活を入れる。


「幸村殿。歳を召されたな。数々の戦を経れば当然と言えば当然だが」


 住職が懐から数珠ではなくふたつのサイコロを取り出すとポンと幸村の前に転がす。サイコロの目はふたつとも一目、つまり「・」だった。


「元がいいのう。一のぞろ目じゃ」


「住職とあろう者がサイコロ博打を」


「この世は博打じゃ」


 誰もが仏門に身を置く住職に驚く。


「何を驚いておる。超一流の忍者集団の真田十勇士が」


 住職は幸村ではなく佐助たちに厳しい視線を注ぐ。


***


「大坂城が築かれる随分前、そこは石山本願寺だった。その前は生國魂神社だった」いくだま 住職が歴史を語る。


「石山本願寺は寺と言うよりは城だった。その形は丸く堀も丸かった。それを信長が苦戦に苦戦を重ねて最後は大坂湾から強力な水軍で本願寺の坊主を追い出した。その後秀吉が大改造して大坂城を築城した」

 

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「住職が坊主という言葉を使うとは」


 三好清海入道が自分の坊主頭をペタペタと叩きながら笑う。住職も苦笑いしながら続ける。


「敢えて坊主と言ったのには訳がある」


 三好清海入道が膝を乗り出す。


「坊主の頭は丸い。坊主がモノを造ると丸くなる。団子もそうだろ」


 住職が高笑いすると三好清海入道も豪快に笑う。


「だが冗談ではなかった」


 住職は小坊主に指示する。


「信長はまず大軍を率いて石山本願寺を攻撃したが落ちない。どうやって凌いだのか」


「深い堀に守られているから」


「そうではない」


 誰もが住職を見つめる。


「信長軍の攻撃が始まると大僧侶を筆頭に石山本願寺に籠もった全僧侶が読経を始めた」


「仏を味方に付ける作戦か?」


 三好清海入道が突っ込む。

 

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「そうかもしれん」


 そのとき小坊主が掛け軸を住職に手渡す。住職がおもむろに掛け軸をスルスルと広げる。


「なんと!」


 驚いたのは間近にいた三好清海入道だけではない。その掛け軸にはよく見なければ分からない透明な球体に包まれた石山本願寺が空中に浮かぶ光景が描かれていた。


「まさしく神仏瞑想すれば城さえ浮かぶ」


「浮遊の術か。しかし、城を浮遊させるには余程のカラクリが必要」


「そこで信長も前代未聞の戦艦を五隻も建造して浮かぶ石山本願寺を巨大な大砲で攻撃した。


下からの攻撃で城の基礎を失った石山本願寺はそのまま落下したらしい」


「さすが信長。考えられない大胆な戦術だ」


 感心する幸村に住職が繰り返す。


「というより奇抜なのだ」


「相手が得意になっているときに考えられないような手を打つと言うことか」


「幸村殿もそのようにして家康を追い詰めてきた」


「いや、私の場合、運が良かっただけ。しかも真田十勇士に支えられてのこと」


「そうじゃない。佐助や才蔵たちには失礼だが幸村殿が彼らの忍術を極限まで引き出しておる」


 謙遜をやめて幸村は掛け軸の石山本願寺をじっと見つめる。

 

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「信長の戦艦のすごさは人づてに聞いていたが、石山本願寺が浮遊したとは」


 幸村が佐助と才蔵に視線を移す。


「我らには不可能な術です」


 ふたりとも首を横に振ると住職が尋ねる。


「あの浮遊の術で坊主どもは信長を容易く倒せると自信を持ったに違いない」


「その場に居合わせたら、腰を抜かしてしまう」


 三好清海入道がおどける。


「しかし、信長は狼狽えることなく手を打った」


 幸村は住職を見つめる。


「分からぬか?」


「?」


 捲きあげた掛け軸で幸村の肩を住職が叩く。


「活!」


 珍しく幸村が住職を睨み付ける。


「幸村殿。聞く耳を持つか?」


 自らのきつい視線に気付いた幸村が無言で頷く。


「幸村殿は亡き秀吉様へのご恩を秀頼殿に返そうとしている。しかし、よく考えてみるのだ」

 

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 住職が幸村の視線をがっちりと掴む。


「まず、秀頼殿は秀吉様と違って美男子だ」


 住職が掛け軸を小坊主に手渡す。


「それに身長六尺の立派な身体をお持ちだ」


「秀吉様の子ではないと言いたいのか!」


「落ち着け。そうではない」


 住職が軽くいなすがこの言葉とは裏腹になる。


「さらに秀頼殿は優しい」


 確かに住職の指摘どおりだ。秀吉は小柄で猿のような顔をしていた。それに癇癪持ちだった。ただ幸村には優しかった。


「秀吉様は本当に秀頼殿を幸村に託したのだろうか」


「当然だ」


 きっぱりと幸村が応える。


「そうかな」


「側室との子は別としてなかなか子宝に恵まれなかった秀吉様の執念を住職はご存じないのか」


「よくよく理解している。だが……」


 幸村は住職に憤りを感じるが何とか抑える。すぐさま住職が床に頭をこするつけるほど坊主頭を垂れる。

 

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「幸村殿。ここはこれまでの信念を捨てて秀吉様の本当の大望の道に進路を変更されてはいかがかな」


「その大望の道を秀吉様は涙ながら私に託されて亡くなった。秀頼を頼むと」


「それは本当の大望の道ではない!」


「私は確かに聞いたのだ」


「その場に居合わせていない私が言うのも何だが、『秀頼を頼む』という言葉には秀頼様が大人になるまで豊臣家を守って天下人の地位を引き継がせるようにと言うことだ。それは家康の腹の中を知り尽くした秀吉様の心配を石田三成だけに任せることができないと確信していたからだ」


 幸村が頷いたのを見て住職がたたみかける。


「石田三成は敗れた。まさしく天下分け目の戦いで」


「様子見や寝返りがあったからだ」


「違う。家康には人徳がない。かといって三成も同じ。それに秀頼は若すぎた。戦国大名が様子見の姿勢を取ったのは当然だ。そしてことごとく若すぎた秀頼を見限った」


 現実をなぞる住職の言葉はきつくはなかったが、幸村の反論を封じる。


「まあ過ぎ去ったことなどどうでもいい……」

 

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 ここでたまらず三好清海入道が割って入る。


「今や真田九勇士となったが、我らは幸村が家康を破ると確信している」


「幸村が天下を取るのか?そうじゃないだろう?」


「再び天下を取るのは豊臣秀頼様だ」


「無理だ。本物の家康か影武者の家康かは分からぬが、このままでは家康の天下が固定される」


 幸村がやっと住職に言葉を放つ。


「その混乱に乗じて家康と服部半蔵を討つ」


「家康一人を片付けるのも大変なのに服部半蔵まで闇に葬るには少数精鋭の真田十勇士に百地一族や猿一族を味方に付ても並大抵なことではない」


 幸村はこの真眼寺の住職の助けがあったからこそここまで来れたことに改めて気付く。近くにいた佐助が住職の視線を探る。


 住職が佐助の後ろでじっと座っていた小猿を指さす。上手に話を戻した住職に幸村は反発せずにポツンと漏らす。


「気が進まない」


「ならば聞くが、幸村殿に妙案は?」


「ない」


「相手が定まらぬ以上、突拍子もない方法を考えなければならない」

 

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「本物の家康を討ったところで影武者の家康が天下を取るかも知れないと言うことは分かる」


幸村が黙ると住職は席を立つ。もはやこれ以上話すことはない。幸村の決断を次第だから。

 

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