第十二章 他人事


「今回のテーマの『他人事』ってどういう意味なんだろう」


「『たにんごと』ではなく『ひとごと』と読むのじゃ」


「ひとごと?」


「組織には必ず必要な部署じゃ」


「それは『人事』のことでしょ。僕も正社員だったころ、転勤や配置転換でイヤな目に遭ったことがありました。でも今は非正規だから気が楽です」


「でも給料は安いし簡単に首を切られるぞ」


「ストレスがない方がいいのです」


「首になればストレスどころかその日暮らしになって大変じゃ」


「大家さんがいるから大丈夫です」


「アホか」


「ところで大家さんは資産家で滅茶苦茶儲けているのになぜ税理士を雇わないのですか」


「昔わしは国税解決所にいたから、結構税理士の友人が多いのじゃ」

 

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「大家さんの歳ならかなり高齢な税理士ですね」


「みんな悠々自適だから気軽に相談に応じてくれるが、なかなか結論が出ないのじゃ」


「悠々自適?」


「昔は定年退職して税理士を開業すると国税局や税務署が顧問先を斡旋してくれたのじゃ」


「退職すれば税理士になれるのですか。税理士試験は結構難しいんでしょ。定年の歳では試験に受かることは難しいのでは?」


「昔は税務署を辞めれば、誰でも税理士になれたのじゃ」


「成程。でもおかしいじゃないですか」


「今はそれなりの内部試験を受けないと税理士になれないらしい」


「それなりの内部試験ですか。何か怪しそうですね」


 田中さんの言うとおり内部試験は通常の税理士試験に比べて非常に易しいが、国税職員になること自体は結構難しい。


 話は逸れるが、採用試験のレベルは高い。この難関を突破して採用された国税職員は優秀だ。しかし、優秀な人材が多くいるからと言って必ずしも素晴らしい組織とは言えない。人数が多い組織は不思議だ。


 さらに話が脱線する。さて様々な組織論があるが、特に有名なのは「二〇パーセント理論」だ。どんなに優秀な人間を集めても八〇パーセントの人間は能力を発揮できずに埋もれてしまう。

 

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 一方、烏合の衆を組織化すれば不思議なことにその中の二〇パーセントほどの人間が組織を引っ張る。この理論が当てはまらないケースがある。その典型的なのが国税の組織だ。その原因は組織の二重構造にある。そのため八〇パーセントどころか九十九パーセン近い人材が埋もれてしまう。それは採用形態に問題があるからだ。この二重構造は民間企業ではほとんど存在しない。ただ創業者一族が支配するいわゆる同族会社は別だが。


 さてこの「二〇パーセント理論」の弊害をどのようにして民間企業は取り除くのか。多くの社長は現場を重視する。ある社長は「社長室は不要だ」と言って現場に向かう。なかに水戸黄門や遠山の金さんのように社長であることを隠して現場に赴くことさえする。なぜなら会社は社長のものではなく(株主のものでもなく)社員のものだから。社員の能力を引き出さなければ会社は路頭に迷う。現実、トンシバ電機、ショープ電器、ニッソン自動車、スベル工業やカンベ製鋼という上場会社を見ればよく分かる。


 ただ現場を把握するだけではない。多数を占める八〇パーセントの社員の心を鼓舞する。そうすることによって帰属意識を高め超一流企業を目指すのだ。ところが行政組織や許認可企業ではこのような努力をするトップはほとんどいない。先ほどの裸の長官も同じだ。現場を知らないから不満を耳にすることもない(むしろ側近が不満をすべて消し去る)。それゆえ優秀な税務署員のやる気と能力を低下させた。

 

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 山本さんがここで説明を打ち切る。


「国民にとって税務署との関わり合いは納税相談じゃが、まともな相談に応じてもらえない。納税は義務じゃが、きちんとした相談を受ける権利は実質ないに等しい。そうした現状を国税庁長官が把握していない。長官どころかいずれ長官就任レースに関わる国税支局長も同じじゃ。現場はすべて税務署長頼みで長官も支局長も現場で署員と話すことはないのじゃ」


「よくご存じですね」


「一方、税務署員は国税支局長の顔はもちろん名前すら知らずに一年を過ごすことがあるのじゃ。まず会うこともない」


「ちょっと待って」


 田中さんが異議を挟む。


「僕みたいな非正規社員でも社長の名前や顔は知っているよ。それに一対一じゃないけど一年に何回か会います。『現場を見ているんだなあ』と感じます」


「田中さんの勤めている会社は自動車会社ですね」


「そうです。従業員は国内だけでも五万人います。油まみれなのに握手を求められたこともあります。『手を洗ってきます』と言うと『その手と握手したいのだ』と言われて感激しました。『改善できることがあればどしどし提案してくれ。君たちの意見は宝の山だ。素晴らしい車を作るためのアイディアを眠らせるわけにはいかない』と……」

 

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 止まることのない田中さんの話を山本さんがまとめる。


「国税支局長は大概一年で交代します」


「たったの一年!なぜ!」


 大家さんが子供を諭すように応じる。


「現場を見に来たのではなく、次のステップに向かうために箔をつけるだけなんじゃ」


「ハク?」


「飾りじゃ」


「ええっ!国税支局長というのは重要なポストでしょ」


「だから箔が付く」


「?」


「傷が付かないように大蔵省に戻ってもらわなければならんのじゃ。そのために下級官僚の税務職員が国税支局長を裸の王様にするのじゃ」


「そんな。職員は納得してるんですか?少なくとも納税者は納得しない」


 山本さんが頷きながら結論する。


「だから納税相談がよい方向に向かうどころか劣悪な状況になるのです」


 田中さんは、山本さんが長官に突っ込み取材した意味を理解する。

 

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***


 今の納税相談は表面上親切だ。しかし、税務当局の本意は納税相談を充実させることではない。つまりネットタックス申告件数を稼ぐために納税相談会場を利用するのだ。


 まず納税相談会場を税務署ではなく何署かで不便な場所に会場を設営する。相談会場の数が減るから混み合うことになる。受付で待ち、親切な相談もなく、申告書作成コーナーで待たされ最後は勝手にネットタックス申告させられる。


 そうするとホームページを見て自分で何とか申告書を書いてネットタックスするようになるか、パソコンを扱えない納税者は(専門とは言えないスタッフが担当する)税金テレホンサービスを利用して相談会場のネットタックスコーナーに誘導させられる。


 まさしくネットタックス件数至上主義で納税者サービスは二の次だ。こう言う体勢を一〇年以上も続ければどうなるのか。


「まずテレホンサービスの実態を見てみましょう。実はテレホンサービスにはふたつあります」


「ふたつも?」


「ひとつは国税当局のテレホンサービスです。国税相談官という税務職員が受け答えします。確定申告に精通した職員は少しはいますが」


「えーっ。税務職員は税金のプロでしょ!」


「彼らは専門バカで、数ある一部の税法しか知りません。法人税の背番号を持った職員は法人税は得意ですが個人所得税はまったくの素人です」

 

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「背番号?」


「国税支局内では大まかにいって四つの背番号があります。この背番号で人事が行われます。その前に……」

 

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