06 宇宙ステーション


「何!あのサブマリン八〇八が復活しただと!」


 日頃、柔和な国連総長が驚いてチェンを見つめる。


「いえ、先ほども説明しましたが、八〇八ではなくサブマリン八八八です」


「どちらでもいい。しかも宇宙ステーションの建設に協力するだと?」


「そうです。各国のどんな優秀なロケットを使っても宇宙に資材を運ぶのには最低十数年は要するでしょう。

 

サブマリン八八八なら一年もかからない」


「空飛ぶ潜水艦……いや宇宙船か。しかし、そんなに短期間にしかも大量に資材を運べるのなら、宇宙ステーションの設備や部品の製造が間に合わんぞ」


「詳しいことは分かりませんが、太陽光を取り込んでそのエネルギーをマイクロウエーブに変換して地球に発射する装置自体はグレーデッドの工場で製造させるようです。しかも宇宙ステーションの設計もするようです。でも製造は先進各国に任せるとも」


「信じられん」


「すでにマイクロウエーブを受ける実証プラントを元尖閣列島……今や海面降下で広大な陸地となっていますが、そこにプラントの建設計画を日本政府に提案しています」

 

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 「中国が激怒するな」


 やっと事務総長が冷静さを取り戻すと今後のことに懸念を抱く。


「私が説得します」


 チェンが自信を持って応える。


「地球上で太陽光発電や風力発電、波動発電、地熱発電を効率的にやっても送電の問題がある。


宇宙ステーションから電力消費地に直接マイクロウエーブを送ることができれば送電の問題は一挙に解決する」


 ここで鈴木が発言する。


「そうです。人類は充電が必要ない強力な電池を手に入れることになります」


「この計画の実行はこの国連の絶対的な使命だ。私は退いてもいい。君たちふたりにすべてを任せる」


「私たちもそのつもりです」


「人間、死ぬ気になれば何でもできる」


 事務総長が立ち上がるとふたりを交互に抱擁する。

「これは驚いた」


 鈴木とチェンの目の前のテーブルには分厚い企画書が山積みされている。その後ろに数十人

 

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 の国連科学技術官が控える。みんな非常に若い。中には高校生もいる。ただし、ひとりだけひときわ大柄な年配者がいる。チーフだ。


「よくもこれだけの企画書をたったの一週間で理解したとは」


 チーフが鈴木とチェンに敬礼する。


「これは企画書ではありません。すぐ実行可能な仕様書です」


 にわかに天井が輝く。


「なんだ!」


 チェンが叫ぶ。


「これもクレーデッドが開発した大型モニターです」


 広い天井に大きな設計図が立体的に示される。


「こちらを見てください」


 チーフがチェンと鈴木を部屋の中央に促す。そこには二メートル四方の透明な立方体に見える箱のようなものが置かれている。その箱が鈍い光を発すると突然球体が現れる。


 もうチェンも鈴木も声を出さない。チーフの説明を聞き漏らすまいと全神経を集中させる。


「これが宇宙ステーションの完成立体図面です」


 それはふたりの想像を遙かに越えるものだった。ふたりはドーナツをスマートにしたような宇宙ステーションを想像していた。

 

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 「敢えて言えば、地球ごまの円形部分を四枚内蔵した球体と表現できます」


――こんな物を本当に一年で造ることができるのか


 まずチェンが無言で首を横に振る。次に鈴木が唸る。


――すぐ製造着手可能な図面まで作成して、しかも立体化している


「さて、チーフとは名ばかりで、私がこの仕様書のすべてを理解している訳ではありません。それではそれぞれの仕様書を理解した担当技官が説明します」


 チーフは謙遜するが、かなりの科学的力量を持った人物であることに鈴木が気付く。それぞれの技術官の解説が始まる。それはチェンと鈴木の科学的知識レベルを意識した完璧な説明だった。しかも説明する技術官の年齢は若い。どうしてこのようなことになったのか、鈴木はおろかチェンも気が付かない。なぜなら説明を理解するだけで精一杯だったからだ。


 企画書と銘打った仕様書、設計図、そして立体完成図。実はそのすべてをノロひとりが作成した。どんなカラクリがあるのかは今は邪推しない。


 ノロがこの作業を通じて得た「人間だけでなく、あらゆる生命に対して徹底的に配慮する」


という思考方法はその後、数々の発明に繋がることになる。

 鈴木やチェンはもちろん技官も多忙なので、代わって国連のプレゼンターが国連大使たちにノロの壮大な計画を説明した。意外にもそれぞれの国連大使が持ち帰った報告をほとんどの各

 

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 国首脳は非常に好意的に受け取った。そして紛争も確実に減少した。それはこのプロジェクトが成功すれば、ただ同然、しかも不自由なくエネルギーを手に入れることができるからだった。


 先進各国はこの計画に国連が発注する宇宙ステーションの設備や部品の開発製造に競って参加した。その原動力は国連が、いや、ノロが与えた夢のような素晴らしいアイディアであることは明らかだった。閉塞感に満ちていた全世界の人間が夢に向かって動きだした。


 やがて世界経済は歴史始まって以来の好景気となる。ノロの要求する規格は厳しいものだったが、すでにグローバル化した世界経済は先進国が引っぱる形で中進国や開発途上国にも及ぶとこれといった産業を持たない国々にも恩恵をもたらした。


 政策に「夢」を注入すれば簡単に景気が浮上するということ、これは当たり前のことだが、これを歴史上初めて全世界的規模で実践したのはノロが初めてだった。


 もちろんノロにはそのような意図はなかった。ということはプロを表明する政治家がいかに頼りないかを証明することにもなった。


 実現性を高めた夢と公正な競争ルールを与えれば物事がすべてうまくいく実例が、今まさに示されようとしている。


 ところが肝心のノロは姿を見せない。やがて世界中のあらゆる宗教団体が自分たちの都合のいいようにノロを神格化する。仏陀の、イエスキリストの、アラーの……再来、あるいは復活、あるいは降誕というようにノロが姿を見せないことをいいことに、様々な怪しげな説が飛び交

 

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 う。


 海面降下という前代未聞の異常事態についての各宗教の説明があやふやだったこと、それに国連のひたむきな広報と対応が宗教団体の流布合戦を押さえる。そして国連は共通の価値観の保持を促す。すなわち人間はすべての英知を結集して困難を克服するという価値観だ。その英知がついに宇宙ステーションを完成させた。

 国連の事務総長室に国連技官のチーフがノロを連れて現れる。


「あなたがノロさんか?」


「事務総長。ノロさんは止めていただきたい」


 挨拶抜きでノロが注文するとチーフが微笑む。


「呼び捨てでないと口をきいてくれません」


「しかし……」


 そのときチェンと鈴木が部屋に入ってくる。スミスからノロのことを聞いているとはいえ、ノロと対面するのは初めてだった。ふたりがノロに深々と頭を下げる。ハッとして事務総長も立ち上がるとノロに頭を下げる。ノロは臆することなく語りかける。


「偉いさんは頭など下げなくていい。もし頭を下げる相手がいるとしたら、それは戦争や原子力発電所の事故で犠牲になった人々にだ」

 

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 「グレーデッド……のことですね」


 ノロに圧倒されながらもなんとか鈴木が発言する。


「そうだ。グレーデッドの連中をねぎらって欲しい。過去は過去。今は今。彼らの活躍がなければ宇宙ステーションは完成しなかった。彼らを悪者扱いせずに最大の功労者として受け入れて欲しい」


「最大の功労者はノロさん、いやノロ、あなたです!」


「俺は御輿に乗っただけだ」


 国連総長はノロの懐の深さに気付くと手を差しだす。


「私も国連という御輿に乗っているだけなんですね。分かりました」


 ノロが総長の手を握るとニーッと口を広げて笑う。


「御輿の乗り方は俺の方がうまい。とにかく事務総長の考え方がよく分かった。じゃあ」


 ノロは手を離すとドアに向かう。


「えー!もう帰るんですか?」


「うん」


「国連で演説してもらえないでしょうか」


 事務総長が懇願するが、ノロではなく付き合いの深いチーフが首を横に振る。


「一秒でいいからとここにお招きしました。制限時間はとっくに過ぎています」

 

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 事務総長も鈴木もチェンも同じことを脳裏に描く。


――器の大きさがまったく違う!


 チーフがノロに追いつくとポンと肩を叩く。


――チーフはノロの心持ちを掴んでいる


 ドアの閉まる音で三人は夢から覚めたような眼差しをお互いに向ける。


「何という男だ」


 チェンが弱々しく一声上げる。


「見た目には背が低くきつい近眼のメガネを掛けた風采の上げらない人間に見えるが、中身はまったく違う」


 鈴木が同じく弱々しい言葉を積む。


「宗教団体が彼を担ごうとする意図がよく分かった」


事務総長がノロが消えたドアを見つめる。そして少し大きめの声で続ける。


「彼は御輿に乗って担がれるのが好きかと思ったが、本当はそうではないな」


 鈴木もチェンも理解に苦しむが、総長は自信を持って応える。


「真摯に前向きに生きようとする人の御輿には乗るが、そうでない場合は乗ることはない。それが彼のやり方だ」

 

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