第一章  服部半蔵


「よく分かった」


 真田十勇士という一人で百人力の忍者集団を擁して真田幸村は家康に何度も立ちはだかったが、これが最後の言葉だった。


「死体を確認せよ!」


 叫んだのは秀忠だった。そのとき倒れた幸村の身体から稲妻のような目も眩む光が大音響を伴って拡散する。


 秀忠はもちろんのこと徳川方の兵士の視力がもぎ取られる。堅く目を閉じても防げる光ではなかった。しかも聴覚もやられた。強烈な光があらゆる音を吸収したような静寂がこの付近を包む。やがて回復したのか馬のいななきに気付く。そして風と四天王寺の鐘の音が聞こえてくる。恐る恐る目を開くと真っ青な空と真っ白な雲と新緑の草木が見える。しかし、幸村や真田軍の姿はない。


「消えた?」


「探せ!近くに潜んでいるはずだ!」


 秀忠が大声をあげる。家康はへたり込んでブルブルと震えている。付近を探索するが、草が生えているだけ。


「確かに命中した」


 秀忠が馬から降りると家康に近づく。

 

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 「助かった!」


 秀忠が甲冑を脱ぐとその下は黒い忍者装束だ。彼は秀忠ではなく影武者だった。その影武者が家康の前で片膝をつく。


「半蔵様。どう思われます」


 秀忠は「家康」と呼ばず「半蔵」と呼んだ。家康も影武者だった。


「お前こそ、どう思う」


「幸村も影武者ではと」


「同感だ」


***


 この戦いの主役はすべて影武者だった。茶臼山まで追い詰められた家康が甲冑を身に着けずに立ち尽くす姿を見てすぐ幸村は気付いた。すなわち目の前の家康は影武者だと見抜いた。幸村も素早く真田十勇士の中で変身の術に長けた穴山小助と入れ替わり足軽に紛れて影武者の家康を取り囲む兵士の視線を注意深く観察した。視線の動向を追えばその方向に本物の家康が退却したと思ったからだ。しかし、そんな気配はなかった。案の定秀忠軍が現れたが撤退の準備はできていた。いずれにせよ影武者の家康を討っても意味はない。


 服部一族は伊賀の忍者で百地一族と比べると小集団だが、変身の術を得意とする。その術に磨きをかけて活路を影武者という職業に求めた。

 

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 影武者とは単なる偽者ではない。顔も体型も声も仕草もすべて本物に似ているだけではない。語り口や考え方、思想までがそっくりでなければならない。単なる他人のそら似では影武者は務まらない。


 忍者は影武者になるには問題がある。鍛え抜かれた身体は恰幅ある戦国武将と違って引き締まっている。とにかく味方も欺されるほど本物そっくりでなければならない。影武者同士も誰が誰の影武者になっているか分からない。名前が同じでも差し支えないから服部一族はすべて「服部半蔵」と名乗った。


 ある者の影武者になるには絶えずその対象者の近くにいる必要がある。武術や忍術の質をあげるよりその人間の持つ教養や素養や癖などを徹底的に観察し、理解し、会得し、顔、姿も本人そっくりでなければならない。


 何代目に当たるか定かではないが、ある代の服部半蔵は極めて特殊な変身の術を会得した。そして家康が天下を取ると読んだ半蔵は徳川一門にそっくりな影武者を養成した。その甲斐あって服部一族は家康に評価されて徳川の影武者軍団に組み込まれた。


 一方、幸村率いる真田十勇士もオリンピックの金メダリストを集めたような忍者集団だ。しかも金で雇われたのではなく幸村の心意気に賛同して集まった。つまり幸村を慕ってメンバーに加わった。


***

 

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 幸村の影武者穴山小助の身体に巻き付けられた爆発物から放たれた強力な光線のお陰で幸村たちは茶臼山を逃れ、かつて真田丸の一角を占めていた真眼寺の境内に姿を現す。この真眼寺は元々「心眼寺」と呼ばれていたが真田の一文字を取って「真眼寺」と改名した。住職に案内されて地下室に落ち着く。


「まず小助を弔いたい」


 住職が黙って小助の法要をする。線香が焚かれると煙が充満するが、やがて清廉な空気に入れ替わる。しばらくしてひょうきんな性格の三好清海入道が場の雰囲気を和ませようと数珠を懐に仕舞いながら幸村に尋ねる。


「あのとき小助はなぜ『よく分かった』と言ったんだ?」


 家康の影武者の語りとは言え深い影響を受けた幸村が応える。


「影武者のあの長い言葉が家康の本意かは別として、言いたいことが『よく分かった』ということ」


「?」


 誰もが幸村の言葉が理解できないのを察した住職が低い声を出す。


「家康本人になりきった影武者は『撃たれるかも知れない』という恐怖感からとっさに国のあり方を吐露したのじゃ」


 唖然として清海が住職を見つめると幸村が感心する。

 

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「さすが住職。現場を見ずとも真意を突いている」


「単なる憶測」


 謙遜する住職に幸村が頭を下げてから重い声を発する。


「家康の影武者はかなりの使い手。もちろん小助も決して引けを取らなかった。影武者同士の会話、次元を超えていた」


 住職が大きく頷く。


「小助は影武者の心を引き出した」


 幸村と住職の会話が続く。


「影武者とは言え、自分の命は大事じゃ」


「本物の家康なら即座に殺していた」


 ここで十勇士で最も忍術に長けた猿飛佐助が口を挟む。


「影武者同士の戦いと知らなかったら静観できなかったし、なぜ小助が家康を一発で仕留めなかったのか、よく分かった」


「小助は最後の最後まで本物の家康の心を影武者から引き出そうとした。やむを得ないとは言え自爆したのは残念だ」


「まだ、よく分からぬ」


 清海は納得しない。

 

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「平穏な世が必要。あの影武者が放った言葉は意味深い」


 佐助が清海の坊主頭に指を当ててからかう。


「まだ分からないのか?力は強いがここが弱い」


 しかし、清海は怒るどころか大笑いする。


「だから尋ねているのだ」


 この辺が真田十勇士の真骨頂だ。些細なことで喧嘩はしない。


「平穏な世になったら忍者は必要なくなる」


「なんと!」


 清海が驚いて佐助の腕を取ると幸村が割って入る。


「安心しろ。最後までお前たちの面倒は見る。それよりも平穏な世になる過程で服部半蔵一族が消滅する……あるいは服部一族が天下を統一する」


 誰もが驚く中で住職が言葉を繋ぐ。


「さすが幸村殿。服部半蔵は天下統一を目指さざるを得なくなる」


 幸村は笑みを浮かべて住職を見つめるが口を挟まない。住職が続ける。


「平和になると服部一族の役目、つまり影武者の仕事は終了する」


「忍者より影武者が先に失業するのか?」


 清海が安堵する。

 

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 「天下統一されれば、忠誠心が高いほど、その影武者を家康は疎んずるはず」


「幸村様ならそんなことはしない」


 住職が幸村に視線を移す。幸村は笑いながら愉快そうに応える。


「私の配下にはこの……」

 

 幸村は荼毘に付された自分の影武者の穴山小助の位牌に手を合わせる。


「……小助は一流だったが、家康の配下には小助を上回る服部一族という世にも希な優れた影武者集団がいる」


 佐助を筆頭に真田十勇士は大きく頷くが、一人清海だけが首を横に振る。


「影武者が本物となれば……」


 清海が両手で膝を叩く。


「やっと分かった!」


 家康が天下を完全に平定すれば影武者は邪魔になる。残念ながら天下人は常に疑心暗鬼。いつ後ろから撃たれるかも知れない。ましてや自分そっくりな影武者が本人と入れ替わって徳川一家を乗っ取るかも知れない。ましてや服部半蔵は始めからそれを狙って家康に近づいたのなら……。服部半蔵の影武者の術はそれほど優れていた。


 いつの間にか真剣な表情に戻った幸村が霧隠才蔵を見つめる。


「ここは百地三太夫の知恵を借りよう。頼めるか?」

 

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「よく、よく分かりました」

 

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