21 ピンハネ特殊法人


「放射性物質除染後の土や瓦礫の仮置き場の決定だけでも数年もかけて、なんとか除染作業に入ったと思ったら、その費用の予算額の二十パーセントが高級官僚の天下り先の特殊法人にピンハネされているなんて!」


 田中が憤慨する。


「しかも、除染作業の際に使用する線量計を鉛のケースに入れて放射線量を低く計測して、安全性をアピールするなんて許せないわ」


 珍しく山本が興奮する。そしてそのままの勢いで続ける。


「もっと許せないことがある。復興のためと震災特別増税をして税金を集めておきながら、被災地以外の都府県に復興予算を使っているのよ」


「まさか」


 例のテレビの画面がにわかに明るくなると音声が聞こえてくる。


「復興予算でなぜ沖縄県の道路整備ができるのでしょうか」


 画面には海辺の道路の護岸工事が行われている。その画面が消えると国土交通省のある担当課長が現れる。


「震災を教訓にして海辺の道路を大津波に耐えるよう補強工事するのは、そこで培われた技術

 

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が回り回って被災地の道路の建設に役立つからです」


「うまいことを言うな」


「中央官庁の役人は私たちとはここが違うの」


 山本が笑いながら頭を指す。田中は首をひねりながら異議を申し立てる。


「でも、どう考えてもおかしい。震災復興予算というのは被災した場所に直接投入すべきだ」


「その通りだわ」


 画面の某担当課長は悪びれるどころか、反論するならして見ろと薄ら笑いすら浮かべる。その課長に今し方の田中とまったく同じ質問が向けられる。しかし、軽く往なされる。

 

「この沖縄での工事で得られた貴重なデータが被災地の迅速かつ意義のある復興に繋がります。まさしく震災復興予算の趣旨に沿うものです」


 田中が感服すると、画面は勝ち誇ったように胸を張る課長から工事現場に戻る。それまで音声出演だった山本の背中が初めて現れる。田中は驚くがビデオだと勝手に納得する。


 この工事の責任者と思われるヘルメットをかぶった中年の男にマイクが向けられる。


「この工事が震災増税で賄われた震災復興予算で行われているのをご存知ですか」


「えー」


 山本が資料を責任者に手渡す。その資料と同じものが画面右半分に表示される。しばらくするとその責任者の日焼けした顔に深いシワが刻まれる。

 

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「この工事に予算を付けて頂いたことには感謝しますが、本来は東北の被災地に投入すべきでしょう」


 素直な返答に田中が頷く。


「正直な人だ」


 その責任者の言葉が続く。


「この工事の予算、一旦返上して、何年かかってもいいから通常の予算でお願いしたいものだ」


 山本が頷いて先ほどの某課長の意見を紹介すると、その責任者はすぐさま否定する。


「なるほどとすぐ納得できる話ではない。私は現場では偉そうなことも言うが、現場の苦労は知っている。本当にこの道路がいかにこの付近では大事な道かも理解している。でも震災で苦労している方々の予算を、理屈はともあれ、この道路には使いたくない」


 そしてその場で土下座する。


「被災者の皆さん、申し訳ありません」


 その映像を見た田中が思わず涙を流す。


「頭のいいヤツがどんなに理屈をこねようと、現場で汗を流して直接作業員の安全に気を配りながら働く人に感激した」


 画面には某課長と土下座した現場責任者の顔が左右に並べられる。そしてまず某課長のそれ

 

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までのセリフが流れる。そのあと同じく現場責任者のセリフが流れる。


「いくら頭がよくても思いやりはない。まるで屁理屈も理屈の区別もつかないなんて。こんな人ばかりが中央官庁の高級官僚だったら日本はどうしようもないわ」


「それに引き替え、この現場の責任者は人間味溢れるなあ。それこそこんな人が中央官庁の官僚になるべきだ」


 年甲斐もなく大家も感動の余り本来余り出ないはずの涙を絞りだす。


「わしの友人にシルバー人材センターに登録している者がいるが、そいつが仕事中にケガをしたんだ。不思議なことにケガの治療に健康保険も労災保険も使えんと言うのだ」


「じゃ治療費は全額自己負担になるんだ。酷な話だな」


「それはね。シルバー人材センターに雇われているんじゃないからなの。あるいは依頼された仕事だから、依頼した人に雇われているということもないの。それに仕事中のケガには健康保険は使えない」


 山本の言葉に田中が憤慨する。


「それこそ厚生労働省の保険の担当課長が屁理屈をこねてお年寄りを救済してあげればいいのに」


「そんなところでは正論しか言わないのよ。これがこの国の官僚の本質なの」


「そうか。その友人はこの間、そのケガが原因で亡くなった」

 

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 少し流しただけの涙がもう涸れてしまったのか、大家が気を取り直して総括する。


「どんどん新しい箱物を造る時代は終わった。そもそも日頃から不断なく危険な道路や橋や建物がないか点検してまずそこへ予算を投入すべきだ。日本の社会資本はかなり老朽化しておる。そんな大事なことを後回しにしておるから、いざ地震が起き、津波に襲われ、原発がやられて放射能に汚染されたというのに、大した除染作業もできずにもう五年も経った。未だ復興どころか復旧にもほど遠い状況だ。これじゃ、震災復興に名を借りた税金の横領だ」


***

 画面が大幅に変わる。画面には図式が映されている。どうやらこれまでのことは横道に逸れた話で本題に入る準備が始まる。さて除染作業の予算額五千億円から始まって一連の金の流れが示されている。概略を説明する音声が流れる。


「まず特殊法人放射能研究機構に五千億円が渡ります。そしてこの特殊法人が実際に除染作業を行う複数業者に四千億円を作業の進行に応じて支払うことになります。さて、残りの千億円については次のような説明があります」


 画面が変わって「取扱注意(極秘)」という文書が表示される。その文書の中でハイライトした文字が読み上げられる。


「……つまり、除染作業を確実に行えるかどうか、業者の財務の健全性、従業員の資質、組織としての技術力の調査などの業者の選定。選定された業者に対して作業地域の指定と開始時期、

 

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作業日時の地元との打ち合わせ方法及び作業方法の教育研修指導に留意すべき注意事項の周知。さらに業務の報告義務の周知とその報告様式の作成などの極めてきめ細かい業務に対して、千億円程度の経費が必要……」


 田中、大家そして山本が驚嘆するほどの特殊法人の言い分を簡潔(実際は複雑)明瞭(実際は難解)に現した文章だった。


 そして、だめ押しの言い訳も用意されていた。この文章の最後の方が読み上げられる。


「このような業務は本来政府の仕事だが、余りにも専門過ぎてしかも多忙な政府には過重な負担が掛かるので専門家集団の特殊法人が手助けすることが、国民の利益にかなっていることは説明するまでもない。しかも政府の中枢で実務経験を積みあげた官僚がもっともふさわしい能力を持っている。本来、もっと多額の費用が掛かるが、すでにそれなりの退職金を受け取った彼らは出来るだけコストの掛からない方法で、場合によっては無償で業務をこなすが、かといってまったくコストが掛からないというわけにはいかない。今回は除染作業だが、国民が納得できるように確実に実行するにはそれなりのコストが掛かる。なにとぞご理解のほどお願いしたい」


「迷文だ!感激した」


 田中が大げさに言うと山本が応じる。


「本業の詐欺師も脱帽ね」

 

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「詐欺師の先生が官僚だったんだ」


「詐欺は国の独占事業だ。誰も真似できん」


 大家が締めくくる。田中がキョトンとして大家を見つめる。


「振り込め詐欺は?」


「振り込め詐欺の被害者並びに関係者には心よりお見舞い申しあげるが、国の詐欺による被害に比べれば大したことはない。さらに問題なのは、国民がこのような非公開の文書の存在を知らないばかりか、国民の了解など関係なしに特殊法人が災害関連の予算を勝手に取り仕切っていることだ。さっきの震災予算とまったく同じだ」


 自信たっぷりの大家の言葉に田中はただ弱々しく首を横に振るだけでそのままうなだれる。大家の言葉が続く。


「先の大戦中、政府が国民にした巨大詐欺事件のことは、もちろん学校の授業で聞いているだろ?」


「いいえ」


 田中と山本が声を揃えて大家にぶつけてから、お互いの顔を見合わす。そして改めて親近感を共有する。


「今の教育はなっとらん。反省すべきは反省して、正論は正論として認識させることをまったく考えていない」

 

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「大家さんの言う戦争中の巨大詐欺のこと何とか理解しました。負けているのに『勝った、勝った』とウソの報道ばかりしたんでしょ」


「そのとおり!」


 大家が背伸びして田中の肩を叩く。


「そういう意味では被害者の心痛は別にして、詐欺の規模が違うわね」


「分かってくれたようだ」


「でも、そのような詐欺を政府ができないように選挙で議員を選んでいるんでしょ」


「制度上、それで歯止めをしていることにはなっている」


「違うんですか」


「三権分立という制度を知っておるか?」


「はい」


「それでは三権とは?」


「国会、行政、裁判所」


「建前はそうだ」


「建前?」


「国会。この構成員は国会議員だ。行政を構成しているのは公務員だ。言うまでもないが裁判官が裁判所を構成しておる」

 

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 田中と山本はいったい大家が何を言いたいのか分からず当惑する。しかし。大家の顔は輝いている。

 

「裁判所も問題はあるが、それはこっちに置いておいて、行政の最高意思決定機関を内閣というがこの内閣のメンバーである大臣というのは誰がなるのだ」


「総理大臣も含めて国会議員ですね。これを議院内閣制と言いますよね」


「そのとおり。さて総理大臣はあっちへ置いといて、大臣は本当に国会議員でないとなれんのか?」


「数は少ないけれど民間からの登用がありました。私、民間大臣の何人かを取材したことがあります。大臣は必ずしも国会議員だということはありませんね」


「さすが、山本さん。そのとおりだ。過半数が国会議員でなければならんというルールさえ守れば、あとは民間人でも構わん」


「でも、たいがい国会議員が大臣、つまりこういうことか。国会の構成員でありながら、行政の最高責任者にもなるんだ。国会議員は」


「それまで行政を批判していたのに、大臣になったとたん、その省の利益ばかりを守る発言をしますね。そのカラクリが今、理解できました」

 

「『末は博士か大臣か』と言われたことがあったぐらい大臣というのは偉いポストだ」


「そんな言葉、聞いたことがないわ」

 

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「でも、たとえば財務大臣だからといって、金融のプロが日本銀行の総裁になるように、財務のプロが財務大臣になるのではない。財務省の事務次官、いわゆる事務方である公務員の支えがなければ財務大臣の職責を果たすことは出来ん」


「大家さんよくご存知ですね。事務次官は各省庁のつまり行政の実質的なトップで、その省に関わる仕事の専門家だわ。だから大臣に人事権はないの」


「でも、任命したり、ときどき首にしたりするじゃないか」


「それはあきれるほどの不祥事を起こせば、かばいきれないからよ」


「名大臣として名前を後世に残そうとすれば、事務方の協力が必要だということか」


「実力者の事務次官は大臣のように後世に名を残すことはない」


 大家と田中の発言が一旦停止したのを確認してから山本が続ける。


「でも、事務次官を筆頭にいわゆる官僚、キャリアという人よりもノンキャリヤといわれる一般の公務員の方が現場をよく知っている。キャリヤ組は現場より自分の出世のみに目的を置いて仕事をするのが常です」


「いずれにしても大臣なんて、まるで飾り物か」


「名前が残る。だから大臣になりたいのだ。それほど政治家にとって魅力的なポストじゃ」


「それに大臣になれば自分の選挙区に金を落とすような施策が出来るわ。もちろん官僚の助言と協力があってのことですが」

 

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 ここで大家が会話に復帰する。


「官僚は大臣の要望を見逃さない。両者は魚心あれば水心の関係だ。官僚は大臣に貸しを作っていくのだ」


「行政の詐欺行為を監視するはずの選挙で選ばれた国会議員が国民を欺くかも知れない行政のトップになると言うことは、結局、国民は身内に裏切られるようなものね」


「なんか、大家さんと山本さんの話を聞いていると選挙に行く気がしなくなるなあ」


「こうなれば、自分たちの既得権を守るために両者は結束して国民をいかに騙そうかという詐欺の道を突き進むことになるのだ。バカバカしいからと選挙に行かなくなる人が多くなると、政府に都合のいい議員だけに票が集中するようになって、ますます好き勝手なことをするようになる。だから、選挙には行くべきだ」


 大家が田中を諭す。


「分かりました。選挙には行きます。ところで先ほどの特殊法人が二十パーセントピンハネするために詐術を使うということはよく分かりましたが、マスコミが許さないし、国民もそこまでバカではないんじゃ?」


 山本が目を閉じて解説を始める。


「私がいた放送局は行政の不正を追及するのが使命のような会社でした。たとえば今回の除染作業には恐らく今から説明するような方法でピンハネの正当性を弁明するでしょう」

 

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 山本は気付かないが、その筋書きをドラマ風に構成した映像がテレビに流れる。大家も田中も、そして山本も怒りをもってそのビデオを真剣に見つめる。


「なんと!」


 まず大家の顔が真っ赤になる。

 

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