第七章 動けぬ家康


 蘇った秀吉を一目見ようと連日大坂城に浪人や町民が押し寄せる。隠し子がいたとか、不老不死の薬で復活したとか、様々な噂が流れるが、秀頼は否定も肯定もせずに幸村とともに家康の反応を待つ。城下で徳川の隠密が情報収集しているが、真田十勇士や伊賀者は黙認した。しかも時折小猿を城下で遊ばせたりもした。遠巻きに警護するが、無垢な小猿は天真爛漫で庶民の人気を集める。下手な芝居など不要で年取った町民たちは喝采する。


「そっくりだ」


「まるで蘇ったようだ」


 大坂城下町は秀吉が造ったから親近感が強い。


「江戸の幕府などなんぼのもんや」


 関ヶ原の戦いで浪人となった西軍の元武士たちもきらびやかな衣装を身につけた小猿に声援を送る。中にはいつでも戦に参加すると誓う者さえ現れる。真田十勇士の心配をよそに小猿は街に溶け込む。地位が人を造ると言うが、まさしく小猿は自分を秀吉と思うようになる。


 幸村は小猿の自由にさせた。しかし、徳川の隠密は小猿を暗殺しようにもできなかった。それほど小猿の周りには慕う者が多かった。


***


「家康は動かないなあ」


 秀頼が自分より人気者になった小猿に嫉妬することもなく首をかしげる。

 

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「いや、家康は着々と準備しているはずです」


「淀君相手なら脅しも効こうが、小猿にはどうだろうかと思案しているのかも」


「然り。そろそろ次の仕掛けをする時期が来たようです」


「仕掛け?」


「戦いは先に動いた方が負けることが多い」


「と言うと今のままの方が良いのでは」


「そうではありません」


「いつでも幸村を信頼している。どうするのだ?」


「すでに隠密がどのような情報を家康に伝えているかは把握しています」


「どのような情報だ?」


「俗に言う『秀吉の生まれ変わりだ』とか、北政所様の『隠し子だ』とかというようなバカげた情報はありません」


「まともに情報収集をしているのか」


「そのようです。もちろん京で暴れまくっている盗賊も石川五右衛門でないと思っているようです」


「要するに秀吉や盗賊の正体を掴めていないということか」


「だから家康は表だって動かない」

 

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「石橋を叩いてもなかなか渡らない性格だからな」


***


 京から遠い江戸ではなく家康は駿府城に籠もるが、入ってくるのは奇妙な情報ばかりだった。


「秀吉、石川五右衛門……」


 家康は何度も呟く。


「しかも、元西軍の浪人どもが続々と集結しています」


 江戸から駿府に駆けつけた秀忠が心配するが家康は返事しない。


「父上。今すぐ大坂に攻め入りましょう」


 秀忠が手を叩くと直参旗本たちがうやうやしく部屋に入ってくる。遠巻きに座ると最長老の旗本が手を着いてから頭をあげる。


「お恐れながら申し上げます」


 家康ではなく秀忠が頷く。


「秀吉の再来などと言って戦意があげるとやっかいです。一刻の猶予も許されないと存じます」


 家康は返事の代わりに睨み付ける。そしておもむろに口を開く。


「その方は、その昔信長が石山本願寺での戦いを忘れたのでは?」


「忘れるものですか。それがしは援軍として参戦いたした。そして信長とともに石山本願寺を葬った」

 

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「本願寺は信じられないほど手強かった」


 他の旗本の発言に長老がハタと小膝を叩く。


「信長軍の鉄板で守られた戦艦が攻撃を仕掛けたとき、石山本願寺が宙に浮いた!」


 秀忠はそのとき生まれていなかった。


「そんなバカな!」


「確かに空高く舞い上がった」


 長老が急に興奮する。もちろん古い記憶は正確でない場合が多い。むしろ誇張される。


「何とか信長は勝利したが……」


 家康の眼光がにわかに強くなる。


「何のために大坂城の外堀を埋めようとしたのか、分かるか」


 秀忠が即答する。


「それは攻め入りやすくするため」


「大坂城は秀吉が全身全霊を込めて築城した城。それまでの城とはまったく違う」


 全員頷く。


「大坂城は石山本願寺と同じように宙に舞うことができる」


「石山本願寺を真似て築城したとでも」


「だから堀を埋めさせた」

 

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 感嘆の声があちこちから漏れる。確かに家康は秋の陣で勝利しその後の和睦で大坂城の外堀を埋めさせることに成功した。しかし、内堀も埋めさせようとしたが失敗した。


「内堀を埋めなければ大坂城を落とせない」


「秀吉亡き後、豊臣方に大坂城が宙に浮くことを知っている者はいるのか?」


 秀忠の問いかけに長老が応える。


「分かりません。石山本願寺が宙に浮いて信長軍を翻弄してからすでに四十年近くたっている。我が方もそうだが、豊臣方の有力大名も高齢だ。しかも実際に石山本願寺攻略に参加した者がいたとしてもわずかだろう」


 家康がその長老に頷く。


「城を宙に浮かすにはカラクリが必要。もし秀吉がそのカラクリを知っていたら誰かに伝えたはずだ」


 先ほどの長老が家康の視線を受け止める。


「石田三成ですな。そういえば関ヶ原の戦いで捕らえた三成を執拗に問いただしておられましたな」


「だが、知らぬか、知っていても絶対に言えないのか、延命を条件にしたが、三成は口を割らなかった」


 家康と長老の会話が続く。

 

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「秀吉が他にカラクリを伝えるとすれば……」


「真田幸村」


「茶臼山の戦で取り逃がしたあの幸村」


「今思えばお互い影武者で戦った奇妙な戦だった」


「秀吉以上の策略を練る強者だ」


「数百の軍勢で数千の我が軍勢と対等に戦う恐ろしいヤツ」


 家康は幾度も修羅場をくぐり抜けた名将だ。奢りはなく物事を冷静に見つめ、考え、判断する。その点二代目は甘い。


「父上。それなら今すぐ大坂城を攻撃しなければ手遅れになる」


 家康の視線が長老から秀忠に向かうと秀忠は狼狽える。それほど家康の眼光は鋭かった。秀忠が次の言葉を呑み込むのを確認してから家康は長老に視線を戻す。


「もし幸村が大坂城のカラクリを秀吉から伝授されていたとすれば、どう思う」


「幸村は素知らぬ顔をして我が軍勢が大坂城に攻め入るのを待つと思われます」


 家康が大きく頷く。


「隠密からの情報によれば、大坂は秀吉の再来だとお祭り気分に満ちあふれているようだ」


「素性は不明と聞いていますが、本当に秀吉そっくりの者がいるのでしょうか」


「分からない」

 

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「あり得ないことと思いますが」


「問題は……」


 家康の言葉に精細さが消える。


「幸村より手強い者がいる」


 長老がじれると言葉を発する。


「まさか、北政所」


 家康が席を立つ。


「しばらく静観する」


***


 家康が退席すると秀忠が誰に言うともなく叫ぶ。


「父上は北政所に甘すぎる!」


「そんなことはありません」


「聞けば若い頃の北政所は美人で器量がいい女だったと」


「それ以上のことは言わぬように」


 長老が釘を刺す。しかし、秀忠の言葉は止まらない。


「信長も惚れたと……」


 たまりかねたのは長老だけではなかった。

 

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「お言葉を慎みください」


「黙ってられるか。いい歳をして昔の恋人に現を抜かすとは、父上であっても許されるものではない」


 聞くに堪えないと旗本たちが席を外そうとする。


「座れ!会議は終わっていない」


 ある旗本が座ることなく発言する。


「北政所が三成から離れたから関ヶ原の戦いに勝てたのですぞ」


 別の旗本も歯に衣着せない。


「それに秀忠殿は真田昌幸に翻弄されて関ヶ原の戦いに遅刻したのう」


 この言葉がとどめになる。拳をブルブル震わせる秀忠の前から旗本たちが姿を消す。

 

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