第八十四章 体外離脱


【時】永久紀元前400年

【空】伊賀

【人】三太夫 四貫目 お松 当主

 

***

 

 時空間移動装置が消えると三太夫は屋敷に入る。そのすぐあとケンタが操縦する時空間移動装置が現れる。ドアが跳ね上がると目にも止まらぬ速さで四貫目とお松が屋敷の裏に消える。同時に時空間移動装置はフーッと音もなく消える。忍者屋敷でこれに気付いた者は誰もいない。

 

 三太夫は薄暗い部屋に入ると忍剣を目の前に置いて座禅を組む。数人の下忍が三太夫の周りに十本ほどのロウソクに火を付ける。ほんの少しだけ炎が揺らめくがすぐ静止する。下忍が部屋から姿を消すが雫の形をした炎が揺れることはない。この質素な狭い部屋の中で三太夫は黙々と両手で独特の紋を切るが、やはりロウソクの炎が揺れることはない。

 

「時とは刻むだけの存在ではない」

 

 三太夫は短い言葉を切り刻む紋に合わせて繰り出す。

 

「時、そのものが動く」

 

[176]

 

 

 三太夫は、脳裏に刻んだ四貫目、ミトの言葉を何回も繰り返す。

 

『自分の世界に一旦戻る。そこで何年過ごすか分からないが、その後この場所に来ることになる。三太夫の目にはすぐ戻ってきたように見えるはずだ』

 

「因果の乱れをいかにして抑え込むのじゃ」

 

 三太夫の思考はかなり進歩している。さすが伊賀者の頭領、しかも他の忍者集団を遙かに上回る最大の組織を擁する頭領だ。そして三太夫自身も、単なる組織のリーダーではない。絶えず修行を怠らない忍者の中の忍者でもあった。還暦を迎えても三太夫に対抗できる忍者は猿飛佐助の父親の猿飛大猿ぐらいだった。四貫目といえども術の精度では三太夫にはかなわない。

 

「時が動く。そうか、分かったぞ!」

 

 三太夫は頭の中で悟りを展開する。

 

「一歩前に出る。そして一歩後退する」

 

 三太夫は、自分自身を近くから観察するもうひとりの自分を頭の中で想像することができる、体外離脱というたぐいまれな術を心得ている。これは単なる「分身の術」ではない。

 

「一歩前に出たとき、確かに時間も前に出た。そのあと一歩後退した」

 

 三太夫の表情が異常なまでにゆがむ。

 

「このとき、時間も一歩後退する」

 

 低い声で笑う。

 

[177]

 

 

「横から見れば確かにこう見える」

 

 そのとき三太夫から一番遠いロウソクの炎が少しだけ揺らぐ。

 

「何者だ」

 

「さすが、三太夫」

 

「!」

 

 薄暗いが三太夫にはその声の主がはっきりと見える。

 

「本当に身体が分離したのか」

 

 三太夫の身体がわずかに動くと手裏剣が飛ぶ。乾いた金属音がすると手裏剣が畳に刺さる。

 

「見事な身の熟し。人間は究極の域に達するとすごいことをやってのける」

 

 三太夫はその声の主が自分ではないことを確信する。つまり体外離脱の術が破られたことを悟る。そして自分とまったく同じ姿の男が座っている前の忍剣を素速く掴む。刃が鞘から半分出たとき三太夫は前のめりになって畳に顔を付ける。

 

「大した人間だ。お前の本体をいただく」

 

 そう言うと三太夫と瓜二つの人間、いや人間ではない。戦闘用アンドロイドだ。そのアンドロイドが畳に顔を着けたまま気を失った三太夫を軽々と担いで部屋から出る。外では多少の騒ぎが起こるがすぐ何もなかったように静寂が屋敷全体を覆う。

 

 三太夫がいた部屋ではすべてのロウソクの炎が消えて煙とロウの臭いだけが残っている。その煙の一部が天井の一角に吸いこまれる。そこには四貫目が潜んでいた。

 

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――三太夫ほどの使い手がいとも簡単に誘拐された。もうひとりの三太夫が本物とは思えん。いずれにしてもそれがしに気付かなかった

 

 四貫目は音もたてずに天井裏から飛び下りると廊下に出る。そこには頭を砕かれた下忍たちの死体が転がっている。

 

――何という殺し方だ

 

 死体に触れないよう素速く玄関に向かいながら、お松に無言通信を送る。そしてケンタにも。

 

***

 

 ある空間で五次元の生命体が限界城について議論している。

 

「どこから攻められても防御可能な不思議な城。三太夫はこの城を限界城と名付けた」

 

「この時代の要塞としては完璧と言って差し支えない。しかし、なぜ限界城に興味を持つのですか」

 

「人間は不完全な生物だ。だが不完全がゆえ、ときとしてワレラの理論から導き出せない物を造り出すことがある」

 

「人間の矛盾については十分理解しております。人間は合理的には行動しません。不思議な生命体です」

 

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「しかし、ワレラは何度も痛い目にあった」

 

「ワレラが神と崇める無敵の巨大コンピュータが文字通り人間に息の根を止められた(第二編第五十一章「多次元エコー」)」

 

「ブラックシャークというたった一隻の宇宙戦艦にやられた」

 

「多次元エコー!恐ろしい兵器だ」

 

「人間を抹殺するのは簡単だと傍観していたが、逆に追いつめられた。もういい。思い出話は人間の特権だ。ワレラには有害なものだ。とにかく三太夫のアイデアを基本にこの世界に強力な防御力と攻撃力を兼ね備えた城を造る」

 

「しかし、多次元エコーを防ぐことができましょうか」

 

「三次元空間に五次元空間の特区を設ける。その特区に我ら五次元の生命体を結集して五次元の城、つまり限界城を建築すれば多次元エコーなど問題ではない」

 

「多次元エコーは無機質の物体に対して想像を絶する破壊力を持つ。しかし、有機質の、つまり五次元の生命体で構成される限界城には無力だと?」

 

「そのとおり」

 

「安心しました」

 

「三次元空間で限界城は不死身のがん細胞のような存在になるのだ」

 

「まさしく無敵だ」

 

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「限界城を形成せよ」

 

 三次元の世界から見れば一瞬にして薄気味悪い限界城が誕生した。

 

***

 

 ここはその限界城。数人の戦闘用アンドロイドの幹部が集まって会議を始める。

 

「三太夫の脳の摘出が終わりました」

 

「神経系統は?」

 

 隊長が確認する。

 

「すべて模倣しました。神経系統のデータの蓄積とその神経反応のシミュレーション結果もデータベース化しました」

 

「三太夫の脳は通常の人間の脳と比べて特殊です」

 

 部屋の中央上部に浮遊透過3Dスクリーンが現れると三太夫の脳の立体映像が映しだされる。

 

「前頭部に段差があります。このような脳を持つ人間は稀です。ゴリラの前頭部の脳と同じ形です。人間は新たな進化の過程に入ったのかもしれません」

 

 ゴリラの頭の投影図が映しだされると隊長が制する。

 

「待て。人間よりゴリラにこのような形の脳が多く見られるというのだな」

 

「説明します。この二段型の脳を進化させるには肉体に大変な負担がかかります。一部のゴリラは二段型の脳に進化しましたが、その後挫折したようです。しかし、人類はこの二段型の脳を放棄して地道に進化する方を選択しました」

 

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「その結果、人類はゴリラの追従を許さずに知的な思考を獲得したのだな」

 

「そうです。しかし、人類のほんの一部ですが、この二段型の脳の進化の遺伝子を受け継いだ者がいたのです」

 

「その数少ないひとりが三太夫か」

 

「はい」

 

「そういう脳を手に入れたということは既存の人類より更に進化して、新人類という新しい種族を形成したことになる。こう理解して間違いないか」

 

 ここで三太夫以上にがっちりとした忍者の画像が現れる。

 

「まだ、調査中ですが、この忍者は三太夫の従兄弟で猿飛大猿という忍者です。ところでなぜ『猿飛』あるいは『大猿』と、『猿』という文字を名前に入れるのかについては諸説があります。有力説では猿のように素速く動くからだと説明していますが、そうではありません。本当はゴリラの脳を進化させたから『猿』という文字を取り入れたのです。あっ!話が逸れてしまいました。申し訳ありません。さて大猿は忍者の歴史始まって以来の使い手ですが、存在は確認されていません。オリンピックで言えばすべての種目で金メダルを取るというほどの人物です。もちろんスーパーマンや鉄腕アトムには、かないませんが」

 

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 隊長が不快感を現す。これは戦闘用アンドロイドの感情表現としては非常に珍しい。

 

「三太夫を頂点とした猿飛一族はゴリラが諦めた進化を推し進めた新人類です。恐らく世界中を探しても新人類は猿飛一族だけのようです」

 

「新人類だという証拠はあるのか」

 

「たとえばこのような記録があります。通常の忍者の分身の術は四分身、優秀な者で八分身が限度らしい。しかし猿飛一族の分身の術は十六以上だという。なかでも猿飛大猿は二十四を数えたと」

 

「待て。理論上、分身の術は2の乗数になるはずだ。2分身、4分身、8分身、16分身、32分身となるはずでは」

 

「理屈が通じないのが人間です。ワレラも訓練次第で四分身程度までの術を体得した者がおりますが、三太夫は十六分身が限度です。ところが、猿飛大猿はなぜか二十四分身の術ができるらしい」

 

「四貫目は?」

 

 やがて外形だけではなく思考すら三太夫そのものになって伊賀の里に潜り込むアンドロイドが質問する。

 

「四貫目は猿飛一族ではありません。しかし、修行を重ねて三太夫と互角の十六分身の術ができるようになった。しかも科学的な思考能力を身につけた今の四貫目の能力は三太夫を上回っている可能性が高い」

 

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「分かった。四貫目を侮れない存在と認識した。今後の対応、人間に悟られてはならない」

 

「それに最終目的であるキャミの拉致を、人間に知られないように、特に四貫目に悟られないように実行しなければならない」

 

「まずホワイトシャークを片付けなければ」

 

「ホワイトシャークの船長より中央コンピュータが曲者だ」

 

「ブラックシャークの中央コンピュータに巨大コンピュータが敗退したように、ホワイトシャークの中央コンピュータをマークすべきだ」

 

「どちらも超小型の量子コンピュータです」

 

「つまり超小型の量子コンピュータに巨大コンピュータが敗北したという事実を忘れてはならない」

 

「当然!だからこそ、この限界城が鍵を握る。巨大コンピュータの敗北の教訓をすべてこの限界城に投入する。ワレラの力量を見せつけるのだ」

 

 浮遊透過3Dスクリーンに限界城の模式図が現れる。まるで多数のヒトデを複雑に組み合わせて五次元まで昇華させたような見るに堪えない姿をしている。様々なフォーメーションに展開可能な限界城を見つめるが、戦闘用アンドロイドでさえ吐き気を催す。そんな限界城を人間は直視することができるのか。あの脳の形をした薄気味悪い巨大コンピュータの姿など比ではない。

 

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 警報が響く。何とも言えない独特の警報だ。

 

「伊賀に四貫目がいます」

 

「ワタシが対処しよう」

 

 三太夫に変身した戦闘用アンドロイドが席を立つ。

 

 このあと四貫目は五次元の生命体が限界城を構築したことや三太夫に変身した戦闘用アンドロイドになんとか勝利したことを報告するためにホワイトシャークに戻ったことについては第八十二章「限界城」に記した。

 

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