第二章 忖度


 川沿いの満開の桜並木の道を大家さんと田中さんが散歩している。


「まだ春だというのに間違いなく今年の流行語大賞を取る言葉が国会で生まれたぞ」


「流行語大賞を取る言葉が国会から生まれるなんて議員もユーモアがあるんですね。どんな言葉ですか」

 

「忖度という言葉だ」


「そんたく? 」


「『他人の心の中を推しはかる』という意味じゃ。一言で言うと『推察』じゃ」

 

 大家さんが目を閉じると遠い昔話を始める。


「大昔、国税解決所の大阪支部に務めていたころ、この言葉に接したことがある」


 国税解決所というのは国の税金について納得できないことが起こった場合、納税者の文句を受けて審理する行政サービスを担う組織だ。三権分立で言う裁判所ではなく行政機関だ。大阪支部長の場合裁判官が任命される。


 その地位は国税庁の出先機関の大阪国税支局長と同列だ。大阪国税支局長は大蔵省のエリート官僚( キャリア組と言って税務署員がこの地位まで出世することはあり得ない)のポストだ。

 

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「今回この『忖度』という言葉を使ったのはその元大阪国税支局長でその後同じく大阪理財支局長にいたときに起こした学校用地の安売り事件が発端だったのじゃ」


「へー」


「ニュースを見取らんのか! 」


「あのテレビでニュースを見たら腹が立って腹が立って、腹が減る。だから見ていません」


「この事件も腹が立つ事件じゃ。要はある国有地を私立学校にバカ安で売却したことが問題になったのじゃ。理財局は国有財産を処分することができるが、入札もせずにこの土地が汚染されていると言って鑑定士も入れずに時価の二割程度で売ったのじゃ」


「八割引ですか! いいなあ。ところでその話と忖度との関わり合いは? 」


「この私立学校に総理大臣が絡んでいたにじゃ」


「それで安くなったのですね」


「つまり理財支局長が総理の心を忖度して安売りしたのじゃ」


「忖度じゃなく腹芸ですね」


「腹芸か。田中さん、うまいこと言うな。じゃがな、忖度は腹芸ではない。そもそも忖度という言葉は…… 」


* * *


 さて国税解決所は納税者の不満を聞いて税務署の処分が間違っていないか審理してもめ事を解決する行政機関だ。

 

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判決書ではなく解決書というものを作成するが、国税解決官が起案して支部長に決裁を仰ぐと、必ずと言っていいほど支部長自身が赤ペンで訂正して国税解決官に戻ってくる。ここが通常の行政機関と異なる。


 国税支局長が起案書に目を通して文書を書き直すことはない。じゃが国税解決所大阪支部長は元裁判官だからもめ事を文書にして当事者を納得させる仕事に関してはプロだ。不満を持つ納税者や処分をした税務署長たちに渡す文書のすべてに目を通すのは当然と言えば当然だ。もちろん時間的な制約はあるが、重要な事案で手を抜くことはない。


「そんな赤ペン添削に感心したことが多かったが、その中で印象深い言葉をふたつあげるとすれば…… 」


 田中さんは神妙な表情で次の言葉を待つ。


「裁判所用語というか、裁判官用語というか、裁判官の表現には独特のものが多い。印象深かったのは『縷々』とこの『忖度』じゃった」


「るる? 」


「縷々というのは『…… と縷々主張するが、納税者( あるいは税務署長) の主張には法令等に照らせば独自の見解で…… 』というように使う。つまり『事細かく色々主張するが、理屈が通っていない』というような感じで使われるのじゃ。当事者の一方の主張をすべて聞いたが、『全部戯言』だ。だからお前の言うことは筋が通っていないので認めるわけにはいかない。つまり強く否定するときに使われるのじゃ」

 

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「屁理屈ばかり並べてもダメですよ…… と言うことですね」


「忖度の場合はまったく異なる。『忖度するにやむを得ず…… 』とか『「行為自体は責められるべきだが、忖度するにそれなりの事情が…… 』と言うように使われる。罪を責めるが人を憎まずに寛大に裁く。つまり情を大事にするのが忖度じゃ」


「理財支局長は情を込めすぎたのですね。だから忖度が腹芸になった」


「まさしく! 悪意を持って罪を犯した者に強く対処する時に使う『縷々』という言葉と、寄り添って今後のことを考えさせる『忖度』という言葉。元裁判官の解決書に若い私は大いに感心したものじゃ」


「今回、忖度という言葉を政府は具体的な資料や経緯を示さずに単なる言い訳に使っている。保身のために『腹芸』と言えないので苦し紛れに『忖度』という言葉を持ち出した」


 頷く大家さんに田中さんが追加する。


「相手の陳情を諸般の事情に照らし合わせて総合勘案した結果、適正に判断した」


「そのとおりじゃ! どんな陳情でどのような諸般の事情が存在したのかを明らかにせずに、しかもどの点に注目し、どの点がダメだったのかに至る判断基準を法律に求めることもなく、しかも記録を残すこともせずに、さらに適正という基準すら示さずに悪しき行政サービスを行ったということじゃ」

 

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 大家さんの興奮に田中さんが「成程! 」と叫ぶと続ける。


「行政は全国民に公平にサービスを提供する機関でしょ。そのサービスを特定の者に行えばそれは国民に対する背任行為になる。慎重に政策を実行しなければならないのに馬鹿げた答弁を国会という場でした。しかもマスコミも余程呆れたのか、出した声は余りにも小さくて聞こえない。まるでマスコミが政府を忖度している」


「繰り返すが、忖度という言葉は裁判で判決を出す際に不利な者を納得させて再び同じ罪を犯さないような気持ちを込めて使われる。裁判官がひとりの人間としてその者に寄り添おうとするときに使う言葉じゃ」


「それをどう勘違いしたのか、政府は自分たち自身に寄り添うために使っている。そんな矛盾を国民は流行語大賞としてひねくろうとしているのですね」


「総理は日頃から国民に分かり易く説明すると言っているのになぜ難しい言葉に便乗するのか。最近では裁判官も使わない言葉じゃ。判決書をできるだけ平易な文章で書くよう努力しているので判決文も読みやすくなった。それなのに国会答弁でこのような言葉を使うから余計に疑惑を抱かれる。怪しさ満開。春にふさわしい言葉じゃ」


「桜に失礼じゃないですか」


「成程」

 

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