第九十五章 分身の術


【時】永久0297年5月

【空】ノロの星

【人】ホーリー サーチ ミリン ケンタ 住職 リンメイ Rv26

 

***

 

「今まで何をしていたんだ」

 

苛立つホーリーの疑問にノロの惑星の中央コンピュータの端末が答える。

 

「緊急アップデートです」

 

「緊急アップデート?」

 

「今回は五次元ウイルスの駆除ソフトをアップデートしていました」

 

「中央コンピュータはどこにいるんだ」

 

「それは秘密です」

 

「教えろ!」

 

「たとえホーリーでも教えることはできません」

 

 ホーリーがムキになるがサーチが制する。

 

[366]

 

 

「分かったわ。ホワイトシャークの中央コンピュータはこの本に頼っていたけれどデジタル化されていないの?」

 

「すべてデータライブラリーにある」

 

「えー!それなら同期を取りたい」

 

 いきなり端末化したホワイトシャークの中央コンピュータとノロの惑星の中央コンピュータの端末の両耳が赤く輝く。

 

「検索開始」

 

「ちょっと待った」

 

 ホーリーが胸ポケットからマーカーを取り出すと両端末の背中に回りこむ。そしてホワイトシャークの中央コンピュータの端末の背中に「W」と、続けてノロの惑星の中央コンピュータの端末の背中に「N」と書きこむ。素速く回りこむと胸にも「W」と「N」と書きこむ。

 

「何をするんですか!落書きは止めてください」

 

「くすぐったい!」

 

 両端末が声を揃えて抗議する。

 

「よし。いや、まだだ」

 

 今度はRv26に近づくと頭を掻きながらマーカーをしまう。それは背中に「Rv26」と印刷された服を着ていたからだ。サーチが手を叩いてはしゃぐ。

 

[367]

 

 

「これで三兄弟の区別がつくわね」

 

「さあ、ビートルタンクのことを聞こうか」

 

「待って」

 

 今度はミリンが制止する。

 

「見た目は区別できるけれど、Rv26はともかく、ふたりのチューちゃんをどう呼んだらいいの」

 

 すぐさまホワイトシャークの中央コンピュータの端末が発言する。

 

「元々『チューちゃん』なんて軽すぎる」

 

「だったらどんな風に呼ばれたいか言って?」

 

「えーと、あのー、急に言われても……」

 

「もうひとりの端末さんは?」

 

「えーと、そのー、急に言われても……」

 

「じゃあ、私が決めてもいい?」

 

 消極的な頷きがミリンに返る。

 

「まずノロの惑星の中央コンピュータの端末の呼び名は『ノロタン』、ホワイトシャークの中央コンピュータの端末の……」

 

 ミリンがそう言いかけてから急に涙を流す。

 

[368]

 

 

「ホワイトシャークの中央コンピュータはどうなったの」

 

 応えたのはノロタンだ。

 

「ホワイトシャークがヒトデにかじられて機能不全になる前に中央コンピュータのCPUに格納されていたOSやデータをすべて丸ごと切り取ってこの惑星の中央コンピュータに収納した。だからホワイトシャークの中央コンピュータは形を変えて存在しています」

 

「私、よく分からないけれど、ホワイトシャークの中央コンピュータは無事なのね」

 

「無事です。前にも説明したでしょ。今はノロの惑星の中央コンピュータに居候しています」

 

「あっ、そうだった。ヤドカリコンピュータだと言っていたわね。チューちゃん」

 

「えっ!ワタシはチューちゃんのままですか」

 

「本家の名前よ。ブラックシャークが戻ってきて、その中央コンピュータやノロやイリからクレームがついたら辞退すればいいじゃないの」

 

「暫定的な呼び名ですね。悲しいな」

 

 チューちゃんの目から涙が溢れると誰もが笑い出す。

 

「ちょっと待って」

 

 サーチが言葉を挟む。

 

「名前の件について文句はないわ。でも、なぜノロが造った中央コンピュータや端末は感情を持っているの!」

 

[369]

 

 

 住職が反応する。

 

「慣れっこになっていたが確かにそのとおりじゃ。アンドロイドもそうじゃが、中央コンピュータ、いや、あの巨大コンピュータもそうじゃったが、今やコンピュータは人間以上の感情を持っておる」

 

 住職の言葉にアンドロイドと端末を除く人間全員が頷く。そのときノロタンの明るい声がする。

 

「さてビートルタンクの驚くべき性能を披露しなければ。なあ、チューちゃん」

 

「そうでした。忘れていた」

 

***

 

「二次元エコーはある意味、多次元エコーを否定して生まれた兵器です」

 

「いや、そうではない」

 

 すぐさまノロタンがチューちゃんの説明を否定する。

 

「初めノロはなんとか高次元の物質を目に見える形で表現できないかと考えた」

 

 ノロタンの言葉にチューちゃんは聞き手に回る。ノロタンとチューちゃんでは格が違うようだ。

 

「ノロは四次元や五次元……それぞれの次元の世界が存在してそこに四次元の、五次元の生命体がいるはずだと考えた。だからその世界を自分の目で確かめたかった」

 

[370]

 

 

 ノロタンが口を横に大きく広げて「ニー」と笑う。

 

「まず自分自身が四次元の生物になろうと様々なことを考え、そして怪しげな装置を作って試したが、失敗の連続だった」

 

「どんな装置?」

 

 ミリンが尋ねる。

 

「その代表が時空間移動装置だ」

 

「?」

 

「異なる次元を経由して一気に時間の壁を破って瞬間的に別の時空間に移動することができればその移動中に四次元以上の身体に変身するのではと考えた」

 

「ぜんぜん怪しげな装置じゃないわ」

 

「ミリン!黙って聞くのよ」

 

 サーチがたしなめるがノロタンは意に介さない。

 

「時空間移動装置はそういう発想で発明された人類始まって以来の最強の移動装置だ。何も考えずに『時空間移動装置』と呼んでいるが、実際は一旦四次元空間に移動して三次元空間に戻るという方法で移動している。だから時間を遡ることができる」

 

 チューちゃんが補足する。

 

[371]

 

 

「時空間移動装置は成功例だが失敗作の方が多い。ここで失敗作品を披露したところでなんの参考にもならない。次にノロが考えたのは高次元の物体を見ることができる次元スコープの開発だった」

 

 ノロタンが少し曇ったメガネを外すとポケットから取り出したどどめ色のハンカチで拭き始める。メガネは透明度を増すどころかますます汚れる。構わずメガネを掛け直すと周りを見渡す。

 

「何だ!四次元の生物ばかりいる」

 

「!?」

 

 さすがのミリンも驚いたまま声も出せない。

 

「てなように、簡単に高次元の物体を見ることができるメガネなんて作れるはずがない」

 

 誰もが声に出さずに笑う。

 

「目玉をみっつにするとか、トンボの目のようなメガネを作っても四次元の世界を見ることはできない」

 

「ノロはトンボメガネまで作ったのか」

 

 たまらずホーリーが質問するとノロタンが両手でメガネの縁を押す。瞬間的にメガネがトンボの目のようになる。

 

「わああ!」

 

[372]

 

 

 すぐ元に戻るが、チューちゃんを覗く全員の顔はひきつったままだ。

 

「このアイデアも失敗だった」

 

 ノロタンはチューちゃんの横にある本を開くとその一ページを破りとる。そして丸める。

 

「円筒形だ」

 

 そして広げる。

 

「平面だ」

 

 再び丸める。

 

「三次元の世界だ」

 

 再び広げる。

 

「二次元の世界だ。分かるか?」

 

 ホーリーやサーチが頷くとミリンが目頭を押さえて笑う。

 

「変なゲーム」

 

「ゲームじゃない。確かに紙自体、わずかな厚みがあるから、完全な二次元の物体とは言えない」

 

 ノロタンはミリンの前で紙を直線に見えるようにする。

 

「これは一次元の世界だ」

 

「やっぱり変なゲームだわ」

 

[373]

 

 

「ミリン!」

 

 ついにサーチが怒り出す。

 

「ノロタンは一枚の紙を使って一次元、二次元、三次元の世界を表現しているのよ」

 

「そんなこと分かっているわ」

 

 ミリンがノロタンから紙を取りあげてクシャクシャにする。

 

「問題は紙で四次元の物質が表現できるかってことだわ」

 

 ホーリーが手を打つ。

 

「そのとおりだ。どう思う」

 

「できないわ」

 

 ミリンにノロタンが大きく頷く。

 

「この紙で、紙といっても数マイクロミリの厚み、つまり高さがあるから、縦横高を持つ三次元の物質であることは否定できないが、厚みを無視して縦横のふたつの構成要素を持つ二次元の物質と観念することはできる。そして縦か横を無視すれば一次元の物質と観念できる」

 

「ノロは四次元の世界でこの紙のようなものを使ったら、三次元、二次元の世界を想像できると考えた。そうでしょ」

 

 サーチが感心してミリンを見つめるが、ノロタンの応えは意外に冷たかった。

 

「ノロの結論は四次元の生命体は三次元と二次元の世界までしか想像することができないということ。つまり一次元の世界を四次元の世界の生命体は想像できないと結論した」

 

[374]

 

 

「えー?なぜ!」

 

 発言しようとするサーチの腕をホーリーが強く握ると低い声を出す。

 

「その疑問にはふたとおりの応え方がある」

 

 サーチではなくミリンが叫ぶ。

 

「ふたつも!」

 

「地味な考え方と派手な考え方があるんだ」

 

「派手……いえ、地味な方を選ぶわ」

 

 それまでまったく発言しなかったRv26が声を出す。

 

「いい方を選んだ」

 

 ミリンが笑顔を振りまく。

 

「二次元の世界の生命体が一次元の物質と仮定した細長い棒を持っている。端と端をくっつけて円を造る。二次元の世界だ。次に細長い棒を横からあるいは縦から見ると、線や点にしか見えない。つまり一次元の世界だ。さて……」

 

 ここでノロタンが言葉を止めてミリンを見つめる。しかし、ミリンにはその意味どころか、の次の展開がまったく読めない。ノロタンはミリンが持っているクシャクシャの紙を取りあげるとていねいに元の平たい紙に戻す。

 

[375]

 

 

「二次元のノロタンがクシャクシャになった棒を受け取ったとしたら、どうだろう」

 

「あっ!」

 

 声をあげたのはミリンひとりだ。もちろんRv26やチューちゃんは頷いている。

 

「棒に横や縦の概念がなければ、その棒をきっちり横から見れば点には見えず、つまり何も見えない。ゼロ次元の世界だ。さあ今度は一次元の世界の生物が……」

 

「ノロタン!ちょっと待って。二次元や一次元の世界に生命体はいるの?」

 

「肯定できない。だけど説明上存在してもらわないと困るんだ」

 

***

 

 トイレから戻ってくる者やカップラーメンに箸を刺して湯気を見つめている者や……。

 

「この部屋のどこにカップラーメンが?」

 

「それは二次元や一次元の世界に生命体が存在するのかどうかという質問に次ぐ難しい問題だ」

 

 やがて「ズルズル」という音が聞こえてくる。構わずノロタンが続ける。

 

「一次元の生命体が点にしか過ぎないゼロ次元の物質をくるっと回すと線が現れる。そう、それは一次元の世界だ。元に戻すとゼロ次元の物質に戻る。それをある視点から見ると奇妙なものが見える。そうマイナス一次元の世界だ。」

 

[376]

 

 

「何が言いたいの!」

 

 サーチが数本のラーメンの端を口から覗かせたままノロタンに詰問する。ニーッと口を広げながらノロタンが続ける。ここで解説を深めれば前に進まないと思ったのだ。

 

「次にゼロ元の生命体がマイナス一次元の物質を使ってゼロ次元、マイナス一次元、マイナス二次元の世界を披露する」

 

「もう十分だわ!何を言いたいの」

 

 サーチが「ズルッ」とラーメンを吸いこむ。

 

「要するにある次元の生命体は自分がいる世界の次元と、そのひとつ下の次元と、もうひとつ下の次元の世界しか観念することができない。我々三次元の世界の生命体は三次元、二次元、一次元の世界まで観念することができる。マイナス五次元の世界なんてどうやったら想像できるかと思えば当然だろ」

 

「ひとつ上の四次元の、みっつ下のゼロ次元の世界を想像することができないとを言いたいんだな」

 

 ノロタンがホーリーに口を大きく広げて頷く。

 

「自分のいる次元の下に存在するすべての次元を認識することはできない。四次元の世界の生命体が認識できる次元は、二次元、三次元、四次元のみっつの次元だけだ。つまりひとつ上の五次元とみっつ下の一次元の世界は認識できないのだ」

 

[377]

 

 

「そうすると五次元の世界の生命体は三次元、四次元、五次元の世界しか認識できない……」

 

 ホーリーが何かを感じとる。

 

「ビートルタンクは二次元や一次元の武器を持っているとすれば、五次元の世界の生命体はその攻撃に対処できないどころか、何が起こっているのかも認識できない!そうだろ!」

 

「さすが宇宙大学を首席で卒業しただけのことはある」

 

 ノロタンが感心してホーリーを見つめる。

 

「いや、実は首席じゃない。酒席だ」

 

「どういうこと!」

 

***

 

「呆れたわ」

 

「まあまあ」

 

 ノロタンがサーチをなだめると久しぶりにチューちゃんが発言する。

 

「戦闘用アンドロイドが五次元の世界の限界城に滞在し五次元の生命体と組むようになった過程は不明だが、四次元じゃなくて五次元だと言うことは、ある意味幸いだったかもしれない」

 

「そのとおりだ」

 

 ノロタンがチューちゃんと向き合う。胸や背中に「N」や「W」の文字がなければ、どちらがノロタンかチューちゃんか判別できない。

 

[378]

 

 

「彼らが手に入れた限界城が四次元の世界に存在していたら、ビートルタンクの持つ二次元エコーは意味がない。一次元エコーで戦わなければならない。それに五次元という世界は二次元の世界を認識できないばかりか、逆に我々には二次元の世界を認識できるから、我々の方が有利だ」

 

「もう何が何だか分からないわ」

 

 サーチは食べ終えたカップラーメンを床に置くとそのまま座りこむ。住職もリンメイもただ黙って聞くだけだ。

 

「あっ、そうか」

 

 ミリンは違う。隣にいるケンタを無視して議論に参戦する。

 

「こういうことかしら。たとえば7を2で割ると、小数点を無視すれば『35』だわ。7に5を掛けるとやはり『35』だわ。2で割るのも5を掛けるのも同じだわ」

 

 サーチはなんとか頭の中で電卓を叩くが、ホーリーは驚きの表情をミリンに向ける。

 

「さすが首席の、いや酒席の娘。感服した」

 

 ノロタンがホーリーを茶化すとチューちゃんが咳をする。

 

「咳をするときはマスクをしろ」

 

 ノロタンがたしなめるが、チューちゃんは無視して発言する。

 

[379]

 

 

「あのふたり……」

 

 急に場が固まる。

 

「瞬示と真美のことだ」

 

「六次元の生命体……3の倍数……偶数でもあり3の倍数の6」

 

「三次元の世界と六次元の世界は意外と親和性が高い」

 

「そうだろうか。高次元になると、時間の次元も上がる」

 

 周りを無視してノロタンとチューちゃんの会話だけが盛り上がる。

 

「三次元の世界には時間軸はひとつで時間は未来に向かって流れる。限定的だがノロが発明した時空間移動装置を使えば四次元空間を経由して過去に遡ることができる。これは四次元空間に瞬間的に次元移動することから生じた驚くべき大きなオマケだ」

 

「四次元の世界では時間軸はひとつだが時間は過去へも未来ヘも流れる」

 

「五次元の世界では時間軸はふたつある。未来過去だけでなく、右や左にも時間が流れる」

 

「そして六次元の世界では時間は立体的に流れる」

 

「さて、二次元の世界では?」

 

 誰も答えない。

 

「時間軸は存在しない。あるのは時間点のみ。つまり時間は流れない」

 

「一次元の世界では三次元の世界と同じように時間軸がひとつある。しかし、時間は過去へ流れるだけで未来ヘは流れない」

 

[380]

 

 

「ゼロ次元の世界では空間という概念はなく、時間だけが平面的に過去に向かって流れる。そしてマイナス一次元の世界では時間は立体的に過去の方向だけに流れる」

 

「もういいわ!」

 

 サーチが叫ぶとミリンがノロタンとチューちゃんに近づく。

 

「私、なんとなく次元と時間の関係が分かったような気がするわ」

 

 サーチが驚いてミリンを見つめる。ホーリーがそんなサーチを軽く抱いてからミリンを促す。

 

「私が理解したのは、なぜビートルタンクが二次元レベルの武器を持っているのか。あるいはノロがなぜ二次元エコーを搭載したビートルタンクを製造したのかと言うことなの」

 

「ミリン!正解です。六次元のアンドロイド、つまり巨大土偶には多次元エコーで対抗しましたが、五次元からの攻撃に対しては二次元エコーで対抗します」

 

「ノロはそこまで考えていたのか」

 

 チューちゃんが応える。

 

「多分、偶然に開発したんでしょう」

 

「違う!ノロはこの宇宙の仕組みを理解した上で開発した」

 

 ノロタンが反発するとチューちゃんが身を引く。

 

「この宇宙はマイナスからプラスまでの、ありとあらゆる次元の世界から構成されている。つまり様々な次元が協力してひとつの宇宙を構成している。ということは、その次元の世界がひ

とつでも欠けたらこの宇宙は崩壊する……」

 

[381]

 

 

 チューちゃんが手を打って割り込む。

 

「だからノロは六次元の世界に向かった。六次元の世界の崩壊を防ぐために!」

 

 いつの間にかノロタンを囲む輪ができる。

 

「そのとおり!」

 

 ノロタンの強い声を受けてミリンがきっぱりと言い放つ。

 

「五次元の世界からの攻撃から三次元の世界を守らなければならないわ。そうしないとこの宇宙が消滅する!」

 

 ホーリーが頼もしくミリンを見つめる。

 

「そのとおりだ。できれば戦闘用アンドロイドにこのことを理解させて侵略を思い留めさせることができれば一番いいのだが」

 

 サーチがホーリーから離れてミリンに、そしてノロタンに視線を移す。

 

「初めから、こういう風に解説してくれればいいものを。回りくどすぎるわ」

 

 ノロタンが恐縮する。

 

「ワタシたちは端末、つまりコンピュータだから仕方ないのです」

 

 Rv26が大きく頷く。

 

[382]

 

 

「俺はこのふたりの説明に感激した。非常に分かりやすかった」

 

 Rv26が右手をノロタンに、左手をチューちゃんに差しだして握手する。三人の両耳が初めて緑色に輝く。

 

[383]

 

 

[384]