34 領土拡大


 スティーブ・ゲイツの急死に落胆した田中、山本そして両大家の気持ちが落ちついたころ、一旦切れていたテレビに電源が入る。そしてかなり高いところから撮った映像が画面一杯に広がる。すぐ田中が反応する。


「日本?日本だ。こんなに広い国土を持つなんて」


 以前メタボになった日本列島を知っている四人が見てもこの画像に驚く。


「日本は世界一の資源大国になりました。速報値ですが、原油や石炭などの化石資源の埋蔵量は世界一位。レアメタルではこれまで全世界の九五パーセントを算出していた中国に匹敵する可能性が非常に高いでしょう」


「もう中国に脅かされずに済むぞ。それにレアメタルの入手に苦労していた国々を助けることもできるのう」


 質素な服の大家の顔がほころぶ。しかし、逆田の冷たい声が返ってくる。


「ところが、そうはいかないのです」


「すぐに採掘できないのか?」


 画面の画像に海が後退する前の日本列島の輪郭が赤い線で重ねられる。


「そうではありません」

 

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 逆田のじれったい応答に立派な服の大家が業を煮やす。


「自分の庭でレアメタルを掘り出すのに何が問題なんじゃ」


「中国政府によると、全部とは言わないが日本政府が自国の領土と主張するほとんどは元々公海上の海底で、そこから採掘された資源は全世界共有資源だと主張しています」


「なんと!」


 興奮する立派な服の大家を逆田がなだめる。


「海上なら中国海軍が活躍するでしょうが、中国本土から数千キロも離れた元太平洋の海底まで中国陸軍が進行するのは不可能です。しかもぬかるんでいて、ヒマラヤの頂上から降りるような急峻な下り道です」


「要はご託を並べて牽制しているだけじゃ」


 落ち着きを取り戻した立派な服の大家が安堵の息をもらす。


「ここで安心は禁物だ。日本とて同じじゃないか。レアメタルの採掘は簡単ではないぞ」


「ところで、ここに来て中国は世界中の反捕鯨国から、猛烈な批判を受けています」


「確か中国は捕鯨国家ではなかったはずじゃ」


「急に捕鯨国家になったんです」


 全員が顔を傾げる。


「タクラマカン海で捕鯨が始まったのです。元タクラマカン砂漠に海水はおろか魚や鯨まで現

 

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れたのです。鯨や魚を食べる習慣はなかったのですが、内陸部は食糧事情が悪かったのですぐにこれらを栄養源にしたのです」


「魚はともかく、どうやって鯨を捕ったのですか」


「その前にひとつ、おもしろい話があります」


 今度は全員ヒザを乗りだす。


「日本は反捕鯨国から抗議を受けることはなくなりました」


「?」


「なぜなら鯨を仕留めるキャッチャーボートが座礁して動けなくなって捕鯨どころではなくなったからです。つまり海面がどんどん低下したので急いで日本に戻ろうとしたのですが、途中で座礁してしまったのです」


「皮肉なことじゃ」


「キャッチャーボートの乗組員は?」


「何とか、航空自衛隊が救助に向かおうとしました」


「海上自衛隊では無理だなあ」


「ところが総理大臣はもちろん防衛大臣も、要はすべての大臣そして事務次官などの高官が海面急降下という異常事態を前にして逃げ出したので、自衛隊は迅速に対応できませんでした。もちろん救助すべき船舶が多かったため、キャッチャーボートの救援まで手が回らなかったの

 

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が実情です」


「例の情けない職場放棄の話か」


 質素な服の大家が憤る。


「さて皆さん。ここで中国空軍が登場します」


 質素な服の大家の顔が引き締まる。


「彼らは長距離大型ヘリコプターを大量動員して乗組員を救助するとキャッチャーボートも吊り下げて日本ではなくタクラマカン海までつれて行きました。そして乗組員を助けた見返りに鯨の仕留め方を教えるように要求したのです」


「なんと!」


 質素な服の大家が思わず叫ぶ。


「やり方が大胆というのか、日本の政治家や官僚にはまったく思いつかない発想じゃ」


「戦後の日本の政治家や官僚も結構ビックリするようなことをしていたのう」


 ふたりの大家が顔を見合わせて笑う。田中も山本も、そしていつの間にか姿を見せたテレビの中の逆田も、なにがおかしいのか分からず不思議そうに両大家を見つめる。


「確かに領土が増えたのは大変喜ばしいことだけれど、鈴木一佐が言っていたように広い国土を守るのは大変だ」

 

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「むしろ、砂漠が海になった中国の方が得をしたみたいに見えるわ」


 田中と山本に立派な服の大家が追従する。


「そうじゃな。反捕鯨団体もタクラマカン海に行って捕鯨の妨害はできんな」


「そのとおりね」


 山本が微笑む。


「でも、これからどうすればいいんだ」


「鈴木一佐は国連で忙しいし、とにかく日本には司令塔が不在だわ」


 テレビが明るく輝くと巨大なショベルカーやダンプカーが大きな音をたてて動き回る映像が飛びこんでくる。逆田の声だけの説明が始まる。


「すでに韓国と協力して大分県から元大陸棚の先端まで道路が開通しました。両国の土木建設関連の、そして鉱工業関連の企業が協力して資源の採掘活動に入りました。日本が無政府状態になったことが幸いして鈴木が韓国側からの提案を受け入れたのです」


 ヘリポートと滑走路の建設が進められている映像に変わる。


「どんな提案があったのかと言いますと、『地続きになったのも何かの縁。過去なんかどうでもいい。東に向かって希望を手に入れよう。つまり東方希手の精神で前進しよう』という提案です」


「誰の提案なのですか」

 

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 山本の質問に響く声がする。


「よくぞ聞いてくれました。サムシングの創業者キム・イーチです。かなり高齢ですが……」


 キム・イーチの記者会見の様子が映しだされる。質問するのは逆田だった。


「キム・イーチさん。私は……」


キム・イーチが逆田の言葉を遮る。


「あなたのことはよく存じあげております」


 逆田は驚いて一歩引く。マイクを持つ逆田の手を引くとキム・イーチが頭を下げる。


「真実を伝えることが使命だというあなたの考えに私は感激しました。オレンジ社のスティーブ・ゲイツの急死は悲しむべき大事件でした。私どもサムシングは彼のアイディアが詰まったテレビの製造に大きな期待を寄せていましたが、叶わぬ夢となりました。しかし、今、違った大きな夢が目の前に現れました」


 逆田の手が解放されると、逆田も深く頭を下げてから声を出す。


「閉塞感に満ちた後ろ向きのムードが漂うこの地球に明るい未来があるとおっしゃいますが、具体的には?」


「中国、ましてや北朝鮮にどう、こうということではありません。スティーブ・ゲイツが逆田さんの放送局の後押ししようとしたテレビの製造は中国がすればいい。むしろ、我々は開かれ

 

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た未来の象徴である海底資源の探索に切り込むべきです。宇宙開発も大事ですが、足元の海底、今や目の前に現れた元太平洋の海底に向かって我が国と日本は持てる技術をすべて投入して共に前進しましょう」


 周りから割れんばかりの拍手が上がる。拍手が鳴り止むと逆田はマイクを握り直しておもむろにキム・イーチに語りかける。


「それに、もうひとつ大きな期待があります」


「それに?」


 キム・イーチがにこやかな表情で逆田の言葉を待つ。


「地震のメカニズムが解明されるかも知れません」


 年老いたキム・イーチのどこに力があるのかと思わせるほど逆田を抱きしめる。


「そのとおりだよ!海底地震のメカニズムが分かれば、地震の予想も可能だし、場合によって地下にたまったエネルギーを事前に解放できるかも知れない。それどころかそのエネルギーを利用できるかも……ゴホ、ゴホ、ゴホ」


 ここでキム・イーチが興奮の余り咳きこんでしまう。慌てて逆田はマイクを床に放りだしてキム・イーチの背中をさする。


「大丈夫ですか」


 キム・イーチの付き添いが椅子を用意すると抱え込むようにして座らせる。そのひとりが水

 

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を入れたコップを差しだす。しかし、キム・イーチは弱々しく払い除けるとかれた声を出す。


「逆田さん。私の言いたいこと分かりますか?」


 逆田は腰を曲げて床のマイクを取り上げると頷く。


「地震が起こったら、なんとかそのエネルギーを取りこんで活用する」


 キム・イーチが大きく頷く。逆田が満面の笑みで続ける。


「災い転じて福となす」
 付き人の制止を振り切ってキム・イーチが立ち上がると鮮明な声を上げる。


「不肖の孫に死ぬ気になって働けと伝えなければ。中国に我がサムシングのテレビ製造技術のすべてを無償移転してスティーブ・ゲイツができなかった次世代テレビの製造を中国にさせるのだ」


 キム・イーチはそう言い終えると逆田にもたれ掛かる。


「キム会長!気を確かに」


「逆田さん……」


 キム・イーチの声が急のトーンダウンする。


「私は今からスティーブにこの計画を伝えに行く」


 マイクを放り投げると逆田はキム・イーチを抱える。


「会長!」

 

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「会長!」


 逆田はひざまずきながらキム・イーチを激しく揺さぶる。そして丁寧に仰向けにして渾身の力を込めて胸を押す。半分開いた口元はまるで笑っているように見えるが、空気の出入りはまったくなかった。

 

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