56 留保金課税


「留保金課税です」


「留保金課税?」


「随分前、実質的に廃止されました。税務職員でも知っている人は四十代後半以上でしょう」


「どういう制度だったのですか」


「主に同族会社に適用された制度で、儲けても配当しないと通常の法人税率に上乗せして課税するのです」


「?」


 元副署長の説明に誰もが疑問符で応える。


「同族会社の場合、利益が出てもほとんど配当しないのです。同族会社といえば中小企業、いえ零細企業でしょう。資金力がありませんから、儲けた金を貯め込もうとします」


 全員が「ふんふん」と頷くが、山本だけが違った。


「中小企業の株主は配当を欲しがらないのですか」


「それは欲しいでしょう」


 立派な服の大家が続く。


「なぜ配当しないのじゃ。同族会社の場合、たいがい社長自身が株主じゃ」

 

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「簡単に言うと配当は経費にはなりません。配当しても利益の額は変わりません。配当というのは利益の分配なのです」


「利益すべてを配当に回しても税金は安くならないということか」


「そうです。仮に利益、税法では課税所得といいますが、それが100だとしましょう」


 画面の中で元副署長が電子黒板に「100」と書きこむ。


「法人税率が20パーセントだとすると税金は20ですね」


 元副署長の横にいる山本も逆田も電子黒板を見つめたままだ。


「この利益の半分を配当に回したとしましょう。でも法人税は20のままです。100儲けても20の税金は納付しなければなりません」


 田中が思わず声に出す。


「それでは資金は30しか残らない。配当しなければ80残るのに」


「それに配当をもらった人には所得税がかかるわ」


「国はその配当にかかる税金も欲しいのです」


「それは国の勝手だ」


「そうです。税務署の勝手ではありません」


 間一髪、元副署長が言葉を挟む。


「政府に頼まれて財務省の職員が法律案を作成しますが、それを法律にするのは国会議員です。

 

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つまり選挙で選ばれた議員です」


 すかさず山本が横槍を入れる。


「その話はあとでお聞きするとして……」


 元副署長が山本を制する。


「始めに長々と公務員の人事について申し上げたのは訳あってのことなのです」


 山本は元副署長に身を乗りだすが逆田が止める。


「法律の原案を作るのはキャリア組ではありません。現場を知っているノン・キャリアが作ります」


「そういえば記者会見で法案の中身について質問すると、局長ではなく年配の方が、それでもうまく答弁できなければ四十歳前後の方が対応していたわ」


「現場を知らなければ何もできません。私はそれを言いたかったのです。日本の法律の根本はノン・キャリアが支えています」


「それじゃ、ノン・キャリアの税務職員が税法を作っていることになるぞ」


 質素な服の大家の迫力ある言葉が元副署長に向かう。


「そうではありません。少し誤解があったようです」


 元副署長が一息入れると続ける。


「人事の話の中で採用試験によって将来が決まってしまうとお話ししましたね」

 

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「はい。その試験で事務次官にまで上り詰める人と出世しても署長にしかなれない人に区別されると」


「ある事情で、たとえば学費が出せない恵まれない家庭で育った高校卒業生は上級試験を受けられません。そのような人は下級試験しか受けることができません。私のような盆暗で偶然採用試験に合格したのではなく、本来才能がある人が現場で経験を積めばすごい才能を発揮することがあるのです」


「よく分かりました。そういう元副署長もすごい才能をお持ちですね」


 しかし、元副署長は反応することなく話を元に戻す。


「さて留保金課税ですが、配当の場合と違って、しかも同族会社や中小企業のことではなく、すべての企業に、儲けても給料を上げなければ追加の課税をするというのが、私の提言です」


「追加課税されるぐらいだったら、従業員に喜ばれる給料アップの道を選ぶでしょうね」


「しかも上げた給料は経費になりますから、そのぶん法人税も安くなる」


 元副署長が電子黒板に書きこむ。


「先ほどの配当の場合と同じ数字で説明しましょう」


 田中が代表して画面の元副署長に声をかける。


「今度は配当の代わりに給料を上げるのですね」


「そうです。まず100の利益。法人税率は20パーセント。このままでは税金は20です。

 

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ここで給料を50上げた場合を考えてみます。利益は当然その分だけ減って50になります。そうすると税金は10に減ります」


「給料を上げなければ?」


「たとえば50上げるべき給料を上げずに、つまり留保したという前提で説明しましょう。この50にもう一度法人税率の20パーセントを課税するというペナルティーを課します」


「元々の20にプラス10。合計30。わあ!三倍にもなる」


「この20パーセントの追加課税の税率を、このケースで50のうち25については40パーセントにすればどうですか」


「25の40パーセントですから10。残りの25については20パーセントだから5。元々の税金が20ですから全部で35になりますね。給料を上げた場合の三・五倍か。ふー」


「ここで企業もやむを得ず25だけ給料を上げていたらどうでしょうか」


「利益は25減って75で、これに20パーセントかけると15ですね。それに給料に引き上げが25。つまり本来の引き上げ額の半分だから、25に……掛ける税率は40ではなく20パーセントでいいのですね」


「そのとおりです。半分義務を果たしたと考えます」


「すると5だから、合計20。それでも給料を50上げた場合の二倍」


「この留保金課税がない場合と同じ20です」

 

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 これまで黙っていた質素な服の大家が画面に向かって感想をもらす。


「給料を50上げるのは無理でも25上げようとするだろう」


 立派な服の大家が追従する。


「最低、高いペナルティーだけは避けようとするはずじゃ」


「そのとおりです。この給料に関する留保金課税は基本給の増加を対象とします。新入社員の場合はその年の基本給全額が対象です。要は一年前よりどれだけ月給が増えたかによってその増加がなかった場合と比べて課税する制度です。経営者は一年間の売上と経費を見越して、さらには将来をも見すえて給料の額を決める必要があります。あるいは新規採用も考えなければなりません。もちろん赤字なら留保金課税される余地はありません」


「経営者には厳しい判断を強いられるな」


「経営者であれば当然で漫然とした経営はできません。中小企業といえどもグローバル化した世界経済の中で生き残るには、むしろ人材をどう生かすかという意味で、意外とこの留保金課税制度が後押しをするかもしれません」


 山本が期待感を持って尋ねる。


「いつ、この留保金課税制度を提案されるのですか」


「明日ホームページで提案します。反応を待って政府には数日以内に直接提案するつもりです」

 

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「分かりました。私たちもその内容を検討して『なるほど』という感触を得れば大々的にキャンペーンを張りましょう」


「ありがとうございます。しかし……」


 山本が首を傾げる。


「今の政府のやり方は体のいい独裁的なやり方です」


「と言いますと?」


「言葉は柔らかいですが『法人税はまけてやる。復興特別税も免除してやる。だから給料を上げろ』というのは独裁政治に近い」


「おっしゃるとおりですね。気が付いたら何でも『要請』という名の命令で政治を動かそうとすれば危険ですね」


「そうです。きっちりと法案を練りあげて国会で審議して法律を作る。そして法律で政策を実行する。それが法治国家というものです。今も政府のやり方はソフトに見えますが、本来のルールを逸脱しています」

 

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