05 天気予報


 それでも大家は早朝に目覚める。テーブルではパンをかじりながら田中がノートパソコンを眺めている。


「おはようございます」


「おはよう。あのまま眠ってしまったのか」


「そうです。パンしかありませんが食べますか」


 田中は立ち上がるとコーヒーをカップに入れる。


「ありがとう。コーヒーだけでいい。ところで何を見てるんだ」


「各国のニュース番組です。日本の放送とは違って結構エゲツない映像が多いんです。と言うよりカメラが捉えた映像をそのまま流すんです」


 大家は田中からコーヒーカップを受け取るとモニターを見る。


「インターネットって便利なものなんだな」


 もちろん大家もパソコンを扱うが、家賃の入金や経費の一覧表をエクセルに入力したり、一太郎(ワープロ)で請求書を作る程度で、使いこなしているわけではない。


「ゲッ!ゴホンゴホン」


 急に咳きこんだ大家の背中を田中がさする。

 

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「大丈夫ですか」


 まだ咳きこんでいるが、一息してコーヒーを少し口に含んでから、大家は田中に軽く会釈するとタンが絡んだ声を出す。


「大丈夫だ」


 もう一息入れて、一回咳払いをしてからしゃべり出す。


「エゲツない映像だ」


「アメリカやヨーロッパの放送局は取材した映像をそのまま流します。日本のように編集したりカットしたりしません」


「知らなかった」


「事実をそのまま伝えるのです。もちろん、子供への配慮はしています」


「と言うと」


 そのとき例のテレビから聞き覚えのある声が流れて大津波に襲われた港町が現れる。倒壊した建物がまるでモノクロ写真のように映しだされているが、そのあと画面が広がる。


「さっきの海外の放送の画面と同じだ!」


 大家が叫ぶと逆田の声が画面そのものから聞こえてくる。


「中央部の映像は故意に周りをカットしたものですが、この映像の周辺ではこのような作業が行われています」

 

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 画面の周辺部では医師ががれきに引っかかった死体を検視したり、自衛隊員や地元の消防関係者が死体を担架に載せている様子が映っている。


「私たちは撮影したそのものをカットせずに報道する方針に変更しました」


 逆田の声のあと山本の声が流れると画面は天気予報に変わる。少し前に見た地味なスーツに身をまとった山本とは違って、明るいピンクのブラウスに水色のミニスカートをはいた化粧の濃い山本が画面中央に現れる。


「ここは新宿です。今は気持ちよく晴れ渡っています。気温は……」


 いかにも玩具のような寒暖計を手にして微笑む。


「……です。しかし前線の影響で昼前から……」


 と、言いながら右手に持った雨マークの札を向けてから左手で折りたたみ傘を持って笑顔のまま続ける。


「このような折りたたみ傘を持って出かけられた方がいいでしょう」


 山本の笑顔の画面が消えると逆田の声がする。


「このようなバカげた天気予報は放送予算の無駄遣いです」


 画面に全国の模式図が現れる。すぐに九州沖縄地方の画面に変わる。そして傘マークに×が付いた絵が各県の上に重ねて表示される。つまり傘は不要だということを示している。中国地方や四国も同じように傘マークに×が付いた絵が表示される。近畿地方になったとき、大阪、

 

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京都には折りたたみ傘マークが、奈良には長い傘マークと長靴が、そして和歌山には長い傘マークとレインコートと長靴のマークが付く。もちろん、それぞれのマークのそばには降水確率が表示されている。山本の声が流れる。


「大阪は……」


 大阪が拡大表示される。


「最高気温は三十度。二時半頃一番暑くなります」


「考えたな。非常に分かりやすい天気予報だ」


「でも、なぜ逆田や山本さんが出演しているんだ」


「今まで驚いてばかりで疑問に思わなかったが、この番組はどこの放送局が流しているんだ?」


「NHKでは……ないですよね」


「確かにコマーシャルはない。でも何か違う」


 画面が変わると、今まで見たことがない事故を起こした原子力発電所の鮮明な映像が流れる。


「さて、次は原発関連のニュースです。原子力保安院のオフレコのニュースを流したとたん取材ができなくなりました。記憶している方が多数いらっしゃるでしょう」


「官房長官の記者会見の内容に原子力不安院がクレーム付けた映像を放送したからだ」


「田中さん、不安院じゃなく、保安院だ。でも不安院の方がふさわしいな」

 

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「私どもは画面中央の映像だけを放送するのではなく、その周りの映像も流します。つまり取材元に遠慮することなく、編集せずに取材したままをお伝えします。映画やドラマでは画像を切り取ったり、つないだりして作品を完成させますが、報道番組は映画やドラマではありません。カットすることは真実を隠すことになります。そんな報道はニュースという名のドラマであって、報道そのものではありません」


「もっともだ。真実だと思ってニュースを見ている。それが適当に加工されたり、一部を隠されたりされたら、そんなニュースは見る価値もない」


「この映像は外国の偵察衛星が撮影したものです。もちろん日本の偵察衛星の映像もあるのですが、公表されません。公表すると偵察衛星の撮影能力を察知されるので拒んでいます。ところが海外では違います。有料ですが公開を拒みません。料金を取って、より性能の高い偵察衛星を打ち上げるのです」


「なるほど」


「この映像を購入するためにキャスターに衣装代を支払う制度を廃止して、その代わり安い制服にして、衣装代を含んだ給与の一部をカットしました」


「へー」


「更に容姿に拘ることなく実力本位にしました。単に原稿を読むだけなら誰にでもできます。キャスターは専門職です。視聴者を唸らせるぐらいの力量が必要です」

 

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 逆田の長い説明が切れると原発の鮮明な映像が消える。


「こんな映像をなぜもっと早く公表しないんだ」


「この画像を専門家が見たらメルトダウンしていることに気付いたのでは」


 逆田と山本が軽く頭を下げると真剣な表情で声を揃える。


「天気予報だけでなく、報道の本質を追究します。よろしくお願いします」


「このテレビは普段、画面中央の三〇インチ分しか映らないけれど、時としてその周りを映す五〇インチのテレビに変身する」


「つまり、カットしたり編集していない生の映像だな」


「しかも、未来の映像もあります」


 田中がコップ酒をチビチビと飲みながら赤ら顔で大家に解説する。


「田中さん。結構酒をたしなむんだな」


「いいえ、最近です。これまで飲めなかったのが、不思議なぐらい。お酒って案外美味しいものなんですね」


「いい肴があるともっと美味い」


「お造りとか」


「そうだ。わしはヒラメの薄造りが大好きだ。しかし、スーパーには余り置いていない。ハマ

 

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チやマグロが主役だ」


「こんなこと話していたら、料理番組か、グルメ番組を放送するのかな」


「たまには楽しめる番組を流して欲しいものだ」


「そうですね。未来の危機を知っても何もできないし」


「明るい未来の世界を報道してくれるんなら、歓迎する」


 突然、画面が明るくなる。


「地上デジタル放送になって時報がずれて困るという苦情が多く寄せられています」


「大幅にずれた時間を調整しました」


 逆田と山本の音声に全く関係のない競馬の映像が現れる。


「明日の競馬の放送か」


 田中が驚きもせずに画面右下の時計と部屋の時計を見比べる。その両時計の時刻は全く同じだ。


「ちょうど一日後の映像かも」


 田中の意見を否定するように逆田の声が画面から流れる。


「時間のズレを調整した結果、つまりタイムラグがなくなって、完全に時報が一致するようにしました」


「どういう意味なんだろう」

 

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 テレビの右下の時計の日付はまさに「今日」を表示している。フル画面モードになって日付まで表示する時計が左右にふたつ並ぶ。


「映像と実際の時間とに差があると不都合が生じます。どちらの時刻に時計を合わせるかという問題です」


 三〇インチの中央画面モードに戻ると再び競馬の放送に変わる。その画面の右側の外に山本が現れる。にこやかに笑いながら、まるで田中に向かってしゃべるようにまっすぐ前を見つめる。


「これからはこの競馬放送で儲けることはできません」


 そう言った後、山本を映していた右側の映像がスーッと消える。田中は驚いたままその消えた辺りを見つめ続ける。


「もう、未来の映像を放送しないという意味なんだろう。さっきの『報道の本質を追究します。よろしくお願いします』というのは現実を曲げたり隠したり脚色することなく、きっちりと伝えるという宣言かもしれない。そう、現実をだ。今までのように未来のことはもう流さないという宣言なんだろうか」


「なぜ、急に」


 競馬中継が継続している。


「このテレビの視聴者、つまり我々には未来の映像を活用できるどころか、何もできずに立ち

 

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つくすだけの存在だ。そのことに気付いた逆田や山本が現実を赤裸々に放送する方向に変更したんだ」  大家の説得ある言葉に田中は一旦納得するが、目を閉じて小さな声を出す。


「なんのためにこのテレビを買ったんだ?」

 

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