15 ビッグ・テロ


 テレビの電源が入ると逆田の声が流れる。


「リモコンの2番のボタンを押してください!」


 ノイズしか流れていなかった画面に地球が現れる。


「緊急ニュースをお伝えします。北極海のある地点で国籍不明の潜水艦からミサイルが発射され、ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワ、北京に向かっています」


 田中と大家が画面に近づく。お互いの顔が触れると気持ち悪そうにテレビの前で左右に分かれる。画面上ではゆっくりと回転する地球の北極のある地点に矢印が表れて、ミサイル発射地点とその目的地への推定軌跡がニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワ、北京の順に繰返し移動する。


「この映像は、アメリカの偵察衛星からのものではありません。もちろん、ユーロやロシアや中国のものでもありません。ましてや日本のものでもありません。グレーデッドと名乗る未確認組織の通信を我々が傍受したものです。すでにアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の主要メディアに配信しました」


「すぐにアメリカが反応してミサイル防衛システムを作動させました。私たちの配信に反応を差し控えていたイギリス、フランスもミサイル防衛システムを、その連絡を受けたドイツもシ

 

[134]

 

 

ステムを作動させました。ロシアと中国からは反応がありません」


 田中がパソコンを起動させる。大家はトランジスターラジオの電源を入れる。歌謡曲が流れている。少し遅れてパソコンのモニターにワンセグの画面が現れるが、大河ドラマが放映されている。ふたりは生唾を呑みこんで視線をテレビに戻す。


「アメリカはミサイルの迎撃に成功したようです」


「イギリスはロンドンに、フランスはパリに緊急避難命令を発令」


「アメリカはミサイル発射地点に一番近い空母に対して攻撃命令を発令しました。国内及び海外に展開するアメリカ軍はすべて超A級の防衛体制を敷きました」


「パリはドイツの迎撃ミサイルで難を逃れました」


「北京に向かっていたミサイルを日本海上空で海上自衛隊のイージス艦が迎撃しました。北京は無事です」


「モスクワから連絡はありません」


「ミサイル防衛システムがうまく作動しなかったイギリスは勇敢なパイロットを失いました。緊急発進した戦闘機がミサイルに体当たりしてロンドンを救いました」


 やっとNHKのテレビ、ラジオ放送局から、緊迫したニュースが流れる。そのとき田中と大家が見ていたテレビから再び逆田の声が流れる。


「リモコンの3番のボタンを押してください」

 

[135]

 

 

 田中がボタンを押すと叫び声が聞こえてくる。


「放送を止めろ!こんなことを流せばパニックになる」


「民放にも規制しろ。放送法第……」


「首相!原発事故と同じじゃないですか。あのときちゃんと国民に知らせるべきだとおっしゃったじゃないですか」


「次元が違う!」


 大家が画面の隅々をなめるように見ながら呟く。


「次元?どちらも極めて次元の高い事件だ!」


 田中が大家に頷きながら画面を指差す。


「これは首相官邸だ。官邸に盗聴マイク、いや盗撮カメラが仕掛けられているのか」


「そんなバカな!田中さん、よく考えてみろ。このテレビの放送局はどこにあるんだ。それにこの放送局の電波を受信できるテレビは何台あるんだ」


 混乱する首相官邸内を移動する首相に若い女の記者が突撃インタビューを敢行する。山本だ!


「グレーデッドという組織の潜水艦から、国連常任理事国の主要都市に向かってミサイルが発射されたという情報がありますが、政府の対応は?どのようにしてこの事実を国民に伝えるのですか?まさか隠そうとするんじゃないでしょうね。こんな大事件を」

 

[136]

 

 

「即刻、伝える。混乱の責任は私が取る」


「グレーデッドというのは何者なのですか」


「調査中だ」


「政府はグレーデッドの存在をいつ知ったのですか」


「たった今だ」


「今?メルトダウンした原発の沖合にもグレーデッドの潜水艦がいることも知らないのですか?」


「うっ!」


「どこから入ってきた!」


 やっとSPが山本と首相の間に割りこむ。


「緊急事態が発生している。邪魔をするな!」


 山本はSPに阻止されて引き離される。首相が背を向けると歩きはじめる。


「首相!待ってください!」


 山本があらん限りの大声をあげる。


「我が社がアメリカ以下五カ国に今回のミサイル事件の映像を配信しました。少し遅れて攻撃目標になっていない主要国のメディアにも配信しましたが、反応しなかったのは日本のみでした。かろうじてアメリカ軍から直接連絡のあったイージス艦「なでしこ」がミサイル防衛シス

 

[137]

 

 

テムを作動させて北京へ向かうミサイルを迎撃しました。すべての資料を政府に提供する用意があります」


 立ち止まると首相が背中で応える。


「官房長官に渡してください」


「何を寝ぼけたことをおっしゃるのですか。官房長官は危機管理中央本部で首相を待っておられます。このようなときに重要な情報は誰が収集するのですか。それともそんなルールはないとでも」


 振り向いた首相は黙ったまま、SPに囲まれて身動きできない山本を見つめる。山本が綺麗なえくぼを造って頭を下げるとそのまま背中を向ける。


「待ってください」


 そう叫んだのは首相だった。SPはただ首相と山本を見つめるだけで金縛りに遭ったように動ごけない。


 全世界にパニックが走る。しかし、その中で何カ国かが沈黙を守る。


「なぜ、一発ずつ、合計五発しかミサイルを発射しなかったんだろう」


「田中さんの言うとおり、潜水艦なら一度に十数発のミサイルを発射できたはずだ」


「しかも、正確に大都市を狙った。グレーデッドが高度な攻撃能力を持っていることは明らか

 

[138]

 

 

だ」


「それを誇示するためか」


「なにが目的なんだ」


 田中や大家が議論していることは全世界の反応そのものと同じだ。


「大地震や原発事故の報道が色あせて最近では忘れさられたように少なくなってしまった」


「それどころか、震災対策や原発の処理問題がなおざりにされている」


 ポツンと例のテレビに電源が入る。


「ほら、テレビが反応した」


 もう田中も大家も驚くことはない。それどころかこれから放送される内容まで予想できる。しかし、テレビからの第一声はふたりの予想を裏切る。


「政府はまだ発表していませんが、事故を起こした原子力発電所に近いところに住んでいた人たちが行方不明になっているというウワサがあります」


「なにを言いたい?」


 田中が素直な声を出すと逆田の声が返ってくる。


「つい最近分かったことですが、チェリノブイリでも原発事故のあと被曝したかなりの人々が行方不明になったということをロシア政府が明らかにしています」


 大家は唸ったままで、田中も感染したように黙ってしまう。

 

[139]

 

 

「チェリノブイリ被曝者行方不明事件の真相は情報が少ないので分析できません。しかし、日本の場合、明らかに事故を起こした原子力発電所の沖に現れた謎の潜水艦に被曝者が収容されています」


 何が映っているのか分かりづらい画面に変わる。すかさず逆田の解説が始まる。


「手前に丸いものが映っているのが分かりますか」


 粗い画像の一部に赤い矢印が現れる。


「コンピュータの画像処理でできるだけわかりやすいように加工していますが、深夜なのでこれが限界です」


 大家が目を細めて矢印付近を見つめる。声を出したのは田中だった。


「ゴムボートだ。十人ぐらい乗っている」


 矢印が移動してある一点を指し示す。今度は大家が自信たっぷりの声を出す。


「潜水艦のセイルだ」


「セイル?」


「艦橋のことだ」


 逆田が追加する。


「ゴムボートに乗った人々が国籍不明の潜水艦に乗りこんでいきます。分かりますか」


「確かに!」

 

[140]

 

 

 大家がテレビの音声に頷くと田中が叫ぶ。


「拉致されてるんだ!」


「いいえ。どうも自主的に乗艦しているようです。潜水艦の正体は分かっています」


「えっ!」


「私どもが入手した情報によれば、この潜水艦はグレーデッドの潜水艦です」


「えっ!」


 ノイズの多い画面が急に鮮明になる。


「この画面はコンピュータグラフィックス、CG処理したものです」


 田中と大家は口をポッカリ開けたまま、テレビを見つめる。しばらく沈黙が続いたあとやっと逆田の声が聞こえてくる。


「先ほどこの情報を直接首相に伝えようとしましたが、拒否されました」


「どうして!」


 まるでテレビ画面を挟んで田中と大家が逆田と会話しているように見える。


「どうも政府はこの事実を知らないか、無関心を装っています。この事実を確実に把握しているのは関東電力です。私どもは関東電力の関連子会社の社長を口説いて、ある記者を労働者として原子力発電所に潜入させました」


「そんな!」

 

[141]

 

 

「関東電力の人事管理はずさんです。原子力発電所で働きたいと希望すれば、外国人や思想的に問題がなければ、誰でもOKです。私たちの記者、名前は『横山』ということになっていますが、彼もふたつ返事で採用されました」


 画面が変わる。鮮明ではないものの荒れ果てた原発内での作業の様子が映っている。


「おい、もう被曝線量はとっくに限界を超えている」


 暗い部屋のなかで横になってウトウトとまどろんでいた横山に囁く者がいる。横山はさっと上半身を起こすと身構える。


「おまえ、ただ者じゃないな」


 横山はいきなりその男の上着の胸ぐらを正確に掴むと、その男が呟く。


「話を聞け。おれにはおまえがただ者かどうか関係ないことだ。それよりこういう話はどうだ」


 横山は腕の力を少しだけ抜いてその男と対峙する。


「おまえには家族がいるのか」


 横山は一呼吸置いてから頷く。


「いくら高額な給料を関東電力から貰っても、それは自分の命との引き替えに過ぎない」


 横山が反応しないのでその男はそのまま言葉を続ける。

 

[142]

 

 

「給料は派遣会社がピンハネして、おまえの家族に支払われるが、それぐらいの金で被曝した自分の命を破局から守ることはできない」


「何を言いたい」


 はじめて横山が低い声を出す。


「被曝した人間を健常者と同じような寿命まで生かす医療技術を持った組織がある。そこへ行かないか」


「まさか」


 横山は急に表情を変えると男がニタッと笑う。


「関東電力も黙認している。こう説明すれば分かり易いだろう。ここでの仕事に限界が、つまり被曝線量が限界を超えるまで働いたあとは、身の回り品を残さず、その組織に移動しろということだ」


「死んだことになる。が、その組織で生きながらえることになるというのか」


「察しがいい」


「考えさせてくれ」


「そうはいかない。賛成できないというのなら……」


 よく見ると周りに数人の男の気配がする。


「おまえ、新聞記者だろ」

 

[143]

 

 

 横山が無理を承知でその陣営から出ようとしたとき、ひとりの男が拳を上げる。
「待て」
 低い声がするとがっちりした体型の男がその拳を両手で抱え込む。
「連絡を取らせてやれ。こいつはスパイではない。むしろ俺たちの味方だ」
「なぜ、分かる」
 拳を納めた男が不満そうにもうひとりの男を睨みつける。
「こんなところまで潜入して取材する肝っ玉の太い記者なら俺たちのことを悪く書くはずはな
い」
 よく見るとこの男もただ者ではない雰囲気を持っている。屈強な体格で頭には毛がない。
「おまえも、うさんくさいな」
「俺は首になったおまわりだ」、、、、
 横山以外の全員が身構える。
「安心しろ。首になった警察官は拳銃も手錠も持っていない。それよりいい男が来てくれた」
 元警察官が横山の肩をポンと叩く。そして語りかける。ほかの誰もが黙ってふたりを見つめ
る。
「理不尽な政府、関東電力に憤慨していたとき、謎の潜水艦が現れた。現役を首になったが、
血が騒ぎ出して気が付いたらここにいた」

[144]

 

 

 ニヤッと笑うと言葉を続ける。


「殺人事件でも起これば俺の専門だ。しかし、今回は少し毛色が違う。名前は?」


「……」


「偽名でも何でもいい。俺は刑部。元警部だ。名乗らんと会話が進まん」


「某放送局の横山です」


「なあ、横山さん。逃げ出す訳じゃないが、俺は一旦戻る」


「なぜ」


「怖いのじゃない。原発の事故とここまでの情報を親しいマスコミの人間に伝えたいのだ」


 横山が身を乗りだす。


「親しい人の名は?」


「サカタ……」


 刑部の言葉を横山が遮る。


「逆田、私の上司です」


 今度は刑部が身を乗りだす。


「みなまで言うな」


 横山の顔が一瞬緩むが、刑部は表情を変えずに頷く。そのあと横山はメモリースティックを
刑部に渡す。誰も黙ったままふたりの握手を見つめ続ける。

[145]

 

 

 そのあと刑部ひとりを発電所に残して全員、数隻のゴムボートで沖に向かう。


「関東電力の事故を起こした原子力発電所の現場で働いている人々は様々です」


 逆田と山本が例のテレビに姿を見せるとすぐ年齢分布図に変わる。


「関東電力が資料を公表しないので正確ではありませんが、作業員の年齢の構成はこのような感じです。六十歳以上の年配者と二十歳代の若い人が多いことが分かります」


 逆田の説明が終わると、年齢分布図が画面一杯から縮小して左上に表示される。


「妻帯者の有無で年齢分布図を再構成し直したのが、この図です。妻帯者は数えるほどです」


 この図も小さくなって今度は右上に収まる。


「給料についてです。日雇いの労働者については月給に換算しています。この給料については関東電力は一切公表していません。政府も掴んでいないはずです」


「一番知られたくない情報でしょうね」


 山本が応じる。


「関東電力では個人情報は公表できないと言っていますが、労働者個人に迷惑を掛けないような公表の仕方はいくらでもあります。私どもが個人情報保護法に抵触しない方法がありますからと言っても、頑として拒否します。政府も関東電力の問題で関与すべき問題ではないと消極的です」

 

[146]

 

 

 山本が逆田に軽く反論する。


「そんな。厚生労働省はそうはいかないでしょう」


「確かに。一応暫定基準の被曝線量以下で働かせているのか、累積被曝線量が法律で定めた量を超えていないのかについては厳密に監視していると答弁しています」


「それなら、そのような危険な仕事をしている労働者にそれなりの手当が支払われているのかまで監督指導しているはずです。こんな危険な仕事をしている人の給料が未払いになっていたり、家族に振り込まれていなければ、安心して働けないでしょう。だから政府は給料の額を知っているはずですが、知らないと惚けているのでは?」


「前にもお伝えしたとおり、我が社では体育会系の屈強な記者を日雇い労務者として現場に派遣しました」


「それは余りにも……」


 山本を逆田が遮る。


「本人の希望だった。彼は辞表を出して職務の遂行に当たりました。ここに彼からの貴重な映像、画像、音声、記事があります。そして、この右端のCDROM化した資料。これが彼からの最後の資料です。その資料の終わりに彼の肉声が納められていました」


「それは?」


「『これからグレーデッドに潜入する』と」

 

[147]

 

 

「グレーデッドに潜入する?」


「原子力発電所内の作業で被曝した労働者のうちすでに数多くの人たちがグレーデッドの潜水艦に乗り込んでいます」


「えっ!どのような人か、分かるんですか」


「横山の情報からおぼろげながらですが、だいたい想像できます。まず、独身者、それに地震や津波で身寄りを失った人です。妻帯者でも同じで地震や津波で自分だけが生き残った人です。もともと、そういう人は我が身を省みず原子力発電所の復旧の仕事に邁進していました。もちろん、他の人もそうですが、彼らは人一倍よく働く。関東電力のためではなく、被災者の人のために、そして信念のために」


 山本が返答できずに涙ぐむ。しかし、逆田の声は冷たい。


「山本。この番組を降りなさい。あなたの涙は職場放棄と同じです」


 そんなふたりのやり取りを意識したのか、カメラが久しぶりにふたりだけを映しだす。山本が涙をためた顔をあげると逆田をキッと睨む。


「わかりました。現地に行って取材します。どうも日本の放送局はきれい事だけを取材して本当の現場を報道しません。いいえ、現場すら取材しようとしません。それにグレーデッドのことがすごく気になります」


 視線が音をたててぶつかる。先に視線を外したのは山本だった。

 

[148]

 

 

「逆田さん。色々お世話になりました。行って参ります」


「無理はしないでください。無理する前に取材したことはすべて報告してください」


「無理するなという無理を言いますね」


 山本が逆田に濡れた眼差しで微笑む。たまらず逆田が深く頭を下げる。


「原子力というものが、いかに恐ろしいものかということを忘れかけたときに、輪を掛けるように極めて衝動的な行動を起こしたグレーデッド。私はその正体を取材します」


 山本が画面から消えると逆田が正面を見すえて語る。


「お見苦しい場面を放送して申し訳ありませんでした」


 画面は事故を起こした原子力発電所沖の海を映す。


「この付近の海域にはアメリカやロシアの潜水艦が協力して警戒態勢に入っています。未だ日本の海上自衛隊の潜水艦は合流していないようです。我々は先んじてグレーデットのミサイル攻撃を察知しました。そしてその情報を関係国に配信しましたが、即座に受け入れたのは日本、中国、ロシア以外の国でした。その後中国とロシアが受け入れました。なんと情けないことでしょう。しかもグレーデッドは原子力発電所の復旧作業で被曝した人間を収容して治療しているようです。全く矛盾した行動をとるグレーデッド。つまり、いつでも主要都市にミサイルを撃ち込めるぞと全世界を脅迫した組織が、一方では被曝した人を救助する。これはいったいどういうことなのか」

 

[149]

 

 

 逆田の言葉に田中も大家も固唾を呑む。そして山本のことを案ずる。

 

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