第九章 真田秀吉


 倍以上の兵力で大敗を喫した家康はすぐ分析を始める。負けたとはいえ現場で指揮を取った家康は大坂城の現状と隠密からの情報が乖離していることに気付く。それ以上に今回参戦した大名や旗本が戦力にならないことに落胆する。関ヶ原の戦いで西軍の大名の領地を東軍の功労者に分け与えたが、新しい領地では情報収集能力が貧弱だったことも敗戦の原因と考えた。そして幸村の実力は衰えるどころか磨きがかかっていることに恐怖心さえ抱く。


 外堀が復活したといっても空堀だった。その空堀にたどり着くことさえできなかった。完敗だ。しかし、現場を確認できただけでも収穫だったと自らを慰める。


「豊臣秀吉。死んでも戦いよる」


 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。この三人は次の俳句からその性格がまったく違うことが分かる。


「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」織田信長


「鳴かぬなら鳴かせて見ようホトトギス」豊臣秀吉


「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」徳川家康


 しかし、三人には共通点がある。信長は宗教や迷信を信じないことで有名だが、有名すぎるため秀吉、家康が宗教などを信じたかといえば、そうではない。寺社を利用しただけで、ある意味信長以上に宗教や迷信を信じなかった。


 話を戻す。

 

[108]

 

 

「父上。秀吉は蘇ってはいません」


「分かっておる」


「ならば、なぜ豊臣秀吉を恐れるのですか?」


「恐れることは悪いことではない」


「?」


「よく知って恐れることこそ大事」


 まだ理解できない秀忠に諭す。


「いいか。大業を成し遂げた者は死んでも後世に影響を与える。ある者は信仰し、ある者は恐れる」


 秀忠が頷く。


「今回の戦いで確かに我が方は秀吉の亡霊に悩まされました。一方豊臣側は実力以上の攻撃力を見せつけました」


「そうではあるし、そうでもない」


 様々な修羅場をくぐり抜けてきた家康の言葉を理解できない。まして親子なら当然のこと。


「秀吉と幸村は親子ではない。幸村は秀吉の修羅場を目の当たりにしていた」


「私も」


「違う」

 

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 不満そうな秀忠を家康が睨み着ける。


「もし幸村が甘い攻撃をすれば秀吉は幸村を即座に切り捨てたはず」


「それは当然のこと」


「だったらお前はどうだ?」


 秀忠がハッとする。


「気付いたことを言って見よ」


「赤の他人だから厳しく接する。その意味で私は甘いということ」


 やっと気付いてくれたかと家康の表情が緩む。まさしく親子なのだ。


「信長に仕えた秀吉がなぜ天下を統一したのか」


「よく分かりません」


 秀忠の正直な返事に仕方なく家康は頷く。


「秀吉は血のつながりも地縁もない信長に必死に仕えた。必死になったからこそ大きな失敗もし切腹を命じられたこともあった。そんなことがあったから秀吉は太閤秀吉となった」


 家康が秀忠の表情から理解度を確認する。


「幸村はどうだ?」


「幸村も同じです。血のつながりがないのに秀吉に必死に仕えた。三成と違って彼には上昇志向がない。そうか、いつでも死ぬ覚悟ができているのか……」

 

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「だから幸村は現実を直視し現場を確認してあらゆる可能性を探る。そして最後は捨て身で戦いに臨む。まさしく幸村は秀吉とともに生きたし、親子の間ではできないことをしてきた」


 秀忠が家康の視線を避ける。


「親子の縁を切らなければ対抗できないと……」


 またもや秀忠の語尾が消える。ところが家康の視線が下がる。秀吉と違って家康は子宝に恵まれた。しかも孫も大勢いる。そう言う意味では徳川家は安泰だ。だが子孫が多いほど一族を守るのは至難の業だ。子孫の中で誰に引き継がせるのか。引き継げない者をどうするのか。武術に優れた者でないと統率できない。かといって力ではなく知恵がないと国を維持できない。家康は秀吉の経済力の使い方を再認識する。


――経済力がないとダメだ


 一方、秀忠は黙って家康を見つめるだけで、その心中を察することもできない。むしろ勘当されるのではという不安が頭を駆け巡る。家康はそんな息子の秀忠の心配をよそに思考を深める。

 

――何としてでも大坂城を、いや大坂を無傷で手中に収めなければ意味がない


 今までのやり方では先は見えていると結論するが、どうすればいいのかは見当が付かない。しかも誰にも相談できない。というより相談できる知恵者が周りにいない。よくよく考えれば側近を育てていなかった。ところが秀吉は幸村という気が置けない知恵者を手にしていた。歳を取るまで子宝に恵まれなかったことが幸いしたのかも知れない。

 

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 家康の複雑な表情に秀忠は声をかけることもできない。秀忠は関ヶ原に向かう前に幸村の父の居城、上田城の落城作戦に失敗したのがすべてだと後悔の念に陥る。親子共々悪循環の罠にはまる。


 見上げれば秀忠の目から涙が出ているのに気付いた家康の心が揺れる。間を置いてから声を出そうとするが痰が絡まって咳き込む。


「父上!」


 痰を吐き出さずに呑み込むと立ち上がる。


「秀吉は生きている!」


 秀忠はじっと見上げる。


「豊臣秀吉ではない。真田秀吉だ!」


***


 秀忠は江戸を活性化しようと努力するが、大坂が経済を牛耳っているのでどうしようもない。天皇を担ぎ出して江戸に遷都しようともしたが、天皇は京を出るつもりはなかった。つまり、江戸は田舎なのだ。歴史上数々の事件があったが、そして大坂の経済力の影響もあるが、なんといっても京は誇り高い都だ。


 天皇家も京の民も上手に世襲する。それは世襲する者を絞るという暗黙の了解があるからだ。

 

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例えば広い田畑を持つ百姓が子孫にその田畑を分け与えないのと同じだ。本家が代々田畑を保有すれば本家が倒れることはない。当然分家は生活が苦しくなる。もちろん本家は田植えや稲刈りの作業を分家に手伝わせて収穫物を分配するが、決して田畑は放さない。情に絆されて田ほだ畑を分け与えるのは人情かも知れないが決してそのようなことはしない。


 一族というものは必ず裾野が広がって血が薄くなる。本家の情はいつの間にか消滅する。田畑を分けるとやがて本家はもちろんのこと分家も消滅する。このような田畑の分配を「田分け」という。だからこのような愚行を行う者を「たわけ者」という。


 世襲制度を堅持した京は数々の災いを排除する。鎌倉幕府や室町幕府、そして戦国時代を経て徳川幕府となっても、京は京だ。石川五左衛門もそんな京を混乱させたが、今は活動していない。冬の陣が収まったので無用に混乱におとしめる必要がなくなったからだ。しかし、彼は大原や壬生といった京の北の方から二条城や伏見桃山城や淀城の動向を偵察してその情報を百地三太夫に報告していた。なんだかんだといっても石川五左衛門は伊賀忍者だ。指図は受けないが、かといって裏切るようなことはしない。


 徳川は主要な三城を押さえているとはいえ、京の、そしてその西に位置する大坂の情報量は知れていた。大坂に経済力が集中していること。京が文化の中心であること。このふたつが相まって大坂に情報が集まる。冬の陣でその力を見せつけた。


 家康は次の戦いに向けて準備にかかる。もっと気がかりなのは京や大坂ではなく大坂より西の地方だった。

 

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関ヶ原の戦いで豊臣方に付いた中国、四国、九州の大名の領地を徳川方について功労をあげた大名たちに分け与えたものの、関ヶ原以東と違って完全に統治できていない。中国地方でいえば長州、九州地方でいえば薩摩、そして四国の半分は家康から見ればボヤーとしていた


***。


 直参旗本や大名の発言を黙って聞いていた家康がおもむろに口を開く。


「まず、大坂以西を引き締める必要がある」


 家康が提案した課題に秀忠はもちろん誰も答を持ち合わせていない。やむを得ず家康が具体的な指示をする。


「中国、四国、九州というより瀬戸内海の完璧な制海権を手に入れる必要がある」


「水軍の強化ですな」


 ある旗本が念を押すと家康が頷く。すると秀忠が首を横に振る。


「にわかには無理です。それに紀伊国の雑賀水軍、それに以前ほどではないとはいえ毛利水軍といった強敵がいます」


 この返答に家康が激怒する。


「だから強化するのだ」


「それより前回の倍以上の兵力で大坂城を落とす方が得策なのでは」

 

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 この発言が秀忠でなければ叱責の言葉を家康は選択できたが、我が息子だけにさすがにがっかりする。しかし、特に旗本たちは秀忠を庇うかのように賛成の意見を繰り返す。


「城を落とすには敵の倍以上というが、相手は大坂城。さらにその倍の大軍で攻撃すればいいのではないか」


「それに冬を避けて攻撃すればいい」


 ここで家康が立ち上がって烈火のごとく怒る。


「黙れ!」


 しかし、よろけて倒れてしまう。


「父上!」


 秀忠が家康に近づき膝上にそっと抱き上げる。


「医者を呼べ!」


 老齢な家康の近くには日頃から医者が控えている。すぐ布団がひかれて家康を安置すると上半身を裸にし胸に耳を当てる。


「力を抜いてください。大丈夫です」


 侍女が冷水が入ったグラスと熱い水が入った器を医者の横に置く。


「会議は中止」


 秀忠の一言で直参旗本や有力大名が退室する。

 

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***


 家康は眠りに陥る。そしてうなされる。


――このままでは徳川は滅びる


 家康の脳裏に凜々しい秀頼の姿が現れる


――茶々に可愛がられて何不自由なく育ったと思っていたが、幸村が見事立派な青年に育てた 親子には情がある。しかし、赤の他人の情は親子以上に強くなることもある。


 容態は回復に向かう。医者も大丈夫と席を外して隣の部屋に控える。


――父上も歳を召された


 秀忠は若い。若ければ長期の大局観で戦略を練ればいいのに。一方、家康はその頃の平均寿命からいって長寿だった。寿命のことを気にするが、意外にもその大局を見る視点をかなり先に置いている。焦りを自戒する家康の癖なのかも知れない。


***


 一方、幸村は雑賀衆と連絡を密にする。家康と同じように中国、四国、九州より瀬戸内海を重視する。瀬戸内海を押さえなければ、これらの国々の大名たちが動員されて大坂城は保たない。瀬戸内海の制海権を制すれば西方からの攻撃を弱体化できる。冬の陣と同じように東からの攻撃に集中すればいい。


 幸村も家康も鍵は瀬戸内海だと考えた。しかし、この戦略を先に実行したのは幸村だった。

 

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すでに大坂城は秀頼と小猿の連係プレーで対処できる体制になっていた。空堀だった外堀に水が注ぎ込まれると大坂の経済もその水位とともに上昇する。


「大坂城が蘇った。幸村のお陰だ」


 秀頼が天守閣から城下を見渡す。


「私の力ではありません」


「小猿の力か。小猿はまるで秀吉そのものだが、まさしく豊臣秀吉ではなく真田秀吉だ」


「何を言う。真田は豊臣家の一家来に過ぎません」


「そんな幸村が好きだ」


「真田は豊臣と血の繋がりはありません。あるのは太閤秀吉様のご加護のみ。ところで……」


 幸村は瀬戸内海の制海権のことで雑賀衆と相談するため紀伊国へ行く承諾を求める。


「承諾など要らぬ。自由にしろ」


 幸村は真田十勇士を伴って紀伊国に向かう

 

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