第十一章 納税相談会場の仕組み


 申告は個人情報の塊だ。だからマイナンバーを申告書に記載して、かつ税務署員に本人確認をしてもらったうえで提出するのが原則だ。だがひどい例外がある。


 自ら確定申告しようにも税法は複雑で高齢者に優しいとは言えない。息子や娘が代理人となって申告をすればいいようなものだが問題がある。問題があるからマイナンバーを制度化した。


 親子関係が良好なら問題はないのかもしれないが現実は厳しい。

 

 政府はマイナンバー制度を縷々説明するが、認知症の高齢者に気遣った制度ではない。財産るる把握が目的でそのほかの甘い説明は単なる付録だ。住基ナンバー制度でもそうだった。もし誰もがすばらしいサービスを受けたのならこの住基ナンバー制度の廃止に反対したはずだ。散々税金を投入した制度だったが、何の説明もないまま、いつの間にかマイナンバー制度に代わった。


「親子といえども子が親のマイナンバーを勝手に使うことはできません」


「年老いてボケた親の確定申告を子がする場合でも?」


「申告するとき本人確認が必要です」

 

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 山本さんの歯切れの悪い言葉に田中さんが突っ込む。


「確定申告のことを『自主申告』と言いますよね。本人宛に郵送してきた申告書を提出すれば本人確認もくそもないでしょ」


「でも相談しないと高齢者の方は申告書を作成できないケースが多いのです。しかも『自主申告』ではなく『自書申告』なのです」


「そんなバカな!」


 田中さんは納税相談会場の映像を思い出す。


「受付で待たされ、相談で待たされ、申告書作成で待たされ、しかも会場の外は寒く、逆に会場内は熱気で暑い。まるで拷問じゃないか。それも毎年のように変わる相談会場にたどり着けた場合の話だ」


「老人は結構資産を持っているというが、日々の生活に苦労している方が多いのじゃ」


 この大家さんの意見に田中さんが驚く。


「大家さんのセリフとは思えない!でも現実はそうなんでしょうね」


「ところでじゃ、何の話をしていたのじゃ?」


「確定申告に介護申告制度を導入すべきで、それを阻むマイナンバー制度や本人確認制度の運用を見直すべきです」


 山本さんがテレビの中で結論めいた発言をする。

 

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「誰の助けも借りずに税務署員が自分ひとりでは確定申告できない高齢者の申告を手助けする仕組みが必要です。マイナンバーを子が悪用する可能性もあります。かといってその申告書提出者の本人確認も困難です」


「ちょっと待って。後見人制度を使えば何とかなるのでは?」


「別の機会に解説しますが『後見人制度』も無茶苦茶です」


***


「何とかパソコン入力してもらえる列に並ぶことができたとしましょう」


「でも入力する人はアルバイトなんでしょ」


「アルバイトとは言え公務員なので守秘義務があります。申告内容やマイナンバーを漏らしたり悪用してはなりません」


「税務署員ですら結構不祥事を起こすのにアルバイトなら……」


「深刻な問題があります。税務職員が全員がパソコンを扱えるとは限らないのです」


「何だって!それじゃ素人の納税者に『ネットタックスをしろ』というのは無理じゃないか」


「それに数年前から、納税相談会場でも自宅でもネットタックスで申告した人には次の年から申告書を送らないことにしたのです」


 大家さんが憤慨する。


「ネットタックスしていないのに送って来ないぞ」

 

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「もっと悪質なのはアルバイト経由でネットタックスしたその本人がネットタックス利用者としてカウントされます。これを見てください」


 テレビに「ネットタックス利用者数の推移」と題されたグラフが現れる。


「右肩上がりに増えている」


 そのグラフ横で国税庁長官が胸を張って得意げにしゃべる。


「画期的なネットタックスシステムを納税者が活用しています。まだ利用されていない納税者の皆さん!快適で便利なネットタックスを利用しましょう」


 そのときどこから現れたのか山本さんの突撃インタビューが始まる。


「長官。ネットタックス利用者の年齢別構成を教えてください」


「年齢別?」


「納税相談会場で半ば強制的にネットタックスをさせているようです」


「そのようなことはありません」


「現場を見られたことは?」


「何度も現場に足を運んでいる」


「だったら相談が済んだ後、パソコンコーナーに納税者が誘導されているのに気付きましたか?」


 やっと長官の側近が山本さんを制止しようとする。

 

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「痴漢!触らないでください!」


 側近がひるんだ間に山本さんが長官に迫る。


「誘導先には税務署員じゃなくてアルバイトが申告書の作成しています。情報管理をどうお考えですか?」


「アルバイトとは言え、国家公務員法が適用されますので、納税者の個人情報が漏れることはありません」


 そんなやりとりに田中さんが怒り出す。


「公務員法の適用があるから漏れないなんて随分乱暴な言い方だな。刑法さえあれば犯罪は起こらない言うのと同じだ!」


「成程。そのとおりじゃ」


 テレビの外からの田中さんと大家さんの応援を受けた山本さんが取材を続ける。


「年齢別のネットタックス利用者の数を教えてください。国税庁は数々の統計資料を公表していますが、注目を浴びるネットタックスの統計は少なすぎます」


「分かりました。すぐ集計して公表するようにしましょう」


「実はこういう資料を入手しました」


 山本さんに手渡された資料を見て長官が驚く。もちろんテレビにも映される。高齢者のネットタックス利用者が他の年齢層を凌駕している。

 

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「この資料の下にコメントがあります。読んでいただけますか?」


 冷静さを失った長官が不本意にも読み上げる。


「すでに高齢者のネットタックスの利用者は頭打ちです。税理士会への協力要請も限界です。


原因は税理士の老齢化です。もっと便利に、簡単にネットタックスシステムを改良しなければこれ以上の普及は困難です。また国税庁のホームページもサイバー攻撃をされている現状を公表して安全性をアピールしなければ重大な事態を招くことになります」


「ありがとうございます」


 読み終えた長官の顔色が青ざめる。


「相談会場に行った納税者には『マイナンバー』『本人確認』と厳しく対応するのに、なぜネットタックスで申告する場合、最後にマイナンバーの入力を省略して送信できようにしたのですか?いい加減じゃありませんか?」


 長官が黙り込むと山本さんがたたみかけるように発言する。


「ネットタックスの利用者を増やすためですか?」


 詰め寄られた長官が逃げるように会見場から姿を消す。その途中で側近に罵声を浴びせる長官の背中が映る。誰が撮影しているのか分からないが、田中さんと大家さんが見つめるテレビから長官の声が流れる。


「誰がネットタックスで申告するときにマイナンバー記入をパスさせたんだ!そこまでしろとは言っていないぞ」

 

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 長官の衣服が消えてパンツ一丁になる。


「裸の王様だ」


「違う。裸の長官じゃ」


「成程」


***


 この山本さんの突撃取材の結果、ネットタックスで申告する場合マイナンバーの記入を省略することになった。あれだけマイナンバー記入をうるさく言っていたのにだ。しかし、紙の申告を出す場合は「記入」を強要する。紙に書かれたマイナンバーは露出度が高い。つまり目に触れやすい。一方ネットタックスの場合ファイルサーバーに保管されているので露出度は低い。プライバシーの保護という点では紙で申告する場合こそマイナンバーの記入を省略させるべきでだ。


 なぜネットタックスの場合マイナンバー記入を省略するのかという理由は単純なことだ。政府は全国民のマイナンバーを知っている。知っているのなら照合すればいい。でも彼らにはひねた言い分がある。


 マイナンバーの記載がない紙の申告書を出されると人の手で照合作業しなければならない。ネットタックスで出された申告書の場合コンピュータが自動的に照合作業を行ってくれる。要は自分たちが楽をしたい。

 

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逆に納税者の利便性が損なわれてもかまわないと考えている。


「国税庁としては納税者の利便性を考えて……」と言うが、本当はこうだ。


「国税庁としては税務署員の利便性を考慮して……」


 このように読み替えれば国税庁や税務署の納税者向けの案内文書の内容が理解しやすくなるだろう。つまり、こうだ。


「税務署員が楽できるように数署の税務署が合同でブルースカイビルで納税相談することにしました。税務署では相談を受け付けません」


 納税者が税務署に何を求めているのかを聞くこともなく、国税庁は勝手なことばかりしている。

 

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