承前


 ここは四天王寺近くの茶臼山。山とは言うが小高い丘に過ぎない。


 ついに真田幸村が徳川家康を追い詰めた。しかも家康は裸同然。戦場で甲冑を身にまとわない武将などいるわけがないのに。


 幸村は馬上で短銃の照準を家康に合わせる。手薄になった家康の本陣に全速力で突入したが、幸村の、そして馬の呼吸に乱れはない。


「もはやこれまで!」


「待て!おぬしはわしを討ってその後どうするのじゃ?」


「言うまでもない」


 数々の武勲を重ねてきた幸村なのに、なぜか家康の会話に引きずり込まれる。有無を言わせず容赦なく相手を殺すのが戦争だ。ましてや少ない手勢で大軍の家康を追い詰めたから即座に射殺すべきだ。このような場面で手をこまねくなどそれまでの幸村から想像できない。


「わしを倒したところで秀吉亡き豊臣家に、もはや日本国を平定する力は残っておらぬ。それどころか再び全国が戦乱状態になる。ここはわしに任せて日本国を平和な国家にするのだ」


「たわけたことを!秀頼殿は有能な方だ。再び全国の武将がはせ参ずるはず」


「すでに関ヶ原の戦いで決着は着いておる」


 幸村は短銃を構えたまま。家康の取り巻きの武将も家康の前に立ちはだかろうともしない。幸村軍も誰一人として幸村を促さない。あり得ない異常な状態が続く。

 

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「病弊した民を見よ。誰もが平和を望んでおる」


「黙れ!」


 まるで議会で党首が討論するような状況が続く。


「よく分かった」


 幸村が引き金に力を込めたとき落馬した。大体乗馬したままじっと短銃を構え続けていたこと自体おかしい。さっさと馬から下りて家康に近づくべきだった。


 落馬した原因はバカ息子と呼ばれていた徳川秀忠が数百人の足軽とともに数十騎の兵を率いて幸村を射撃したからだ。数少ないとは言え武勇を誇る真田軍が秀忠軍接近にまったく気付かなかったとは!


 幸村はあえなく殺された。(注)


 こんなことがありうるのか。


 なぜ幸村は家康を追い詰めながらすぐ殺さずに家康の「平和」という言葉に惑わされたのか。その謎に迫る。


***


(注)大坂夏の陣で幸村は息絶えたと言われるが、新暦と旧暦に季節感の差があるとは言うものの、夏と言うより春だった。本書では「大坂夏の陣」のことを「大坂春の陣」と呼ぶ。


 以下、通説の各「陣」と本書の「陣」との関連を示す。

 

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通説 本書


冬の陣 春の陣


夏の陣 秋の陣


 としたうえで、本当の「冬の陣」、「夏の陣」がどのようなものであったかを描いてみる。


また、この物語は歴史の教科書ではなく、SF歴史小説なので年号は記載しない。また時代考証も極めてざっくばらんであることをお断りする。

 

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