第百章 憲法制定


【時】永久0297年5月
【空】大統領府宇宙戦艦
【人】ホーリー サーチ カーン・ツー Rv26


***


「皆さんの活躍でなんとか治安が回復した」


 大統領執務室でRv26とサーチ、ホーリーが面会する。


「宇宙戦艦の調達、ありがとうございました」


 サーチがていねいに頭を下げる。


「めっそうもない。頭を上げてくれないか」


 Rv26の応対はなんら人間と変わらないが、ノロそっくりなので言葉遣いが気になる。


「くつろいだら?」


 大きな口を一文字にしてニーッと笑いながらソファーに座るように指差す。


「今回の戦闘で人間もアンドロイドも結束したから俺の、じゃない私の話を市民が信じるようになった」

 

[452]

 

 

「それはよかった!」


 ホーリーも笑顔でソファーに腰を沈めると机の上に分厚い書類の山に気付く。


「あれは何だ?」


 Rv26がホーリーの視線を追う。


「あれね、あれは地球連邦の憲法改正草案です」


「えー?」


「まずアンドロイドの出産を認めます」


「本当に?」


 サーチが目を丸くする。


「MA60以外にも出産したアンドロイドがいるの?」


 サーチが興奮する。


「すでに百人ほど生まれた。妊娠中のアンドロイドの女性が一万人以上いる。急いで助産所を整備しているが、まだ懐疑的な人間やアンドロイドがいるから警備上、問題がある。だからアンドロイドの出産を憲法上基本権として認める改正が必要になる」


 サーチとホーリーは人間とアンドロイドの関係が様変わりしつつあることに驚く。


「さて用件は?」


「取りあえず礼を言いに来ただけだ。早々に立ち去る」

 

[453]

 

 

「新憲法制定で忙しいが、これからのこと、どう思っているのか聞かせて欲しい」


***


「なぜ電子文書にしないのだ」


「憲法には重みが必要。ペーパーにしないと存在感が希薄になる」


 Rv26の意見にホーリーがいなす。


「それは分かるが、今まで憲法なんか読んだことがない」


 サーチも追従する。


「私も憲法を気にしながら生活したことはないわ」


「それは憲法がキチンと機能しているからです」


「空気みたいなものか」


「人間とアンドロイドが共存する地球では新しい空気が必要だ。特に地球連邦政府発足当時の憲法は地球に人間しかいないときに制定されたものだ」


「Rv26の言うとおりだ。新しい憲法が必要だ。しかし、大変な作業になるな」


 Rv26が真剣な表情で頷くと珍しく困った表情を見せる。


「ところで『空気』なのですが、最近、酸素濃度が高くなっている」


「アンドロイドにとって問題だな」

 

[454]

 

 

「大問題だ」


 Rv26が袖をまくって腕を出すと赤いサビが浮いている。


「これはひどい」


「人工皮膚も役に立たない」


「原因は酸素か?」


「もちろん」


「対策は?」


「オイル風呂に入るしかない。サビ止めクリームもあまり効果はない」


「でも空気が汚れるよりは酸素が多い方がマシじゃ?」


「そんな生やさしいものではない」


 そのときサーチが頭を押さえる。


「どうした!」


 心配してサーチを見つめるが、同じ症状に襲われる。


「頭が重い。いや痛い」


「ホーリーやサーチは永遠生命保持手術を受けているから大丈夫だと思ってたが…人間にも大きな影響が出る」


「高酸素中毒症!」

 

[455]

 

 

 サーチが振り絞るように叫ぶ。


「人間はどうしている」


「酸素が少ない地域に避難している。避暑地ではなく避酸素地で暮らしている」


「と言うことは地球全体の酸素濃度が上がっている訳でもないのか?」


「局地的な現象だ。しかし、実態は不明」


「憲法改正している場合じゃないわ」


「そうかもしれないが憲法も大事だ。根本ルールを作らなければ民主的に対処できない」


「Rv26。失礼だが宇宙戦艦に戻る」


***


「よくよく考えれば、宇宙戦艦の中は酸素だけだ」


「これを見て!」


 サーチが宇宙戦艦内の工場室で分析器のモニターを指差す。それは大統領執務室の空気の分析データだった。


「このスペクトルを見て」


「うーん。俺には理解できない」


「横のスペクトルデータと比べて!これば従来の地球の大気のデータ」

 

[456]

 

 

「紫色の縞が極端に太い。いったい何を意味するんだ?」


「私は科学者じゃない。説明は室長に任せます」


 工場室長が首を横に振りながら、分析器横の透過キーボードをなぜる。何度も何度もなぜながらやっと言葉にする。


「分かりません」


 サーチもホーリーもがっかりする。


「推測ですが、この紫部分の物質をサンプルから抽出して拡大したものを透過スクリーンに投影します」


 天井に一メートル四方のスクリーンが現れると、中央に紫色のヒトデのようなものが現れる。説明を続けようとする室長を遮ってホーリーが叫ぶ。


「すぐこのデータをRv26に送れ!」


***


「この第九条の規定が問題です」


 防毒マスクで顔を被うカーン・ツーがRv26に告げる。


「アンドロイドの運命という表題が付いた条文のことだな」


 カーン・ツーが頷くと条文を読み上げる。

 

[457]

 

 

「アンドロイドに出産の権利を認める。ただし親アンドロイドの寿命は百歳を限度とする」


「アンドロイドは死を覚悟しているし、理屈抜きにこの寿命制限を受け入れるようだ」


「命を繋ぐことに執念を燃やしています」


「今までは旧式になると強制的に解体された。出産自体もすごいことですが、むしろ自然死を重要視するなんて理解しがたいことです」


「繰り返すが、問題はすでにいるアンドロイドにもこの規定が適用されるかだ」


「第二項を読み上げます。『年齢は出生の日を起点として計算する。ただし、出生せずに存在するアンドロイドについてはチップセットPC9821が組み込まれたマザーボード上で初めてソフトが起動した日とする』」


「俺の、いや私の場合、MA60にこのマザーボードが埋め込まれた日が起算点になるな」


 カーン・ツーが次の条文を読み上げる。


「義務教育の規定です。『第一〇条アンドロイドは出生後一歳を迎えた年の一月より小学校に入学する。六歳を迎えた人間と同席して教育を受ける権利を有する。ただし前条第二項但し書きのアンドロイドには適用しない』」


 Rv26は目を閉じて頷く。カーン・ツーは第九条が問題であることを忘れて第一一条を読み上げる。


「人間とアンドロイドの結婚については……」

 

[458]

 

 

「もういい。とにかく第九条だ。出産に関してはともかく問題は寿命だ」


「寿命制限規定が果たして良いのか悪いのかということですね」


「制限規定を入れなければ、アンドロイドは永遠に生きることができる」


「しかし、ノロは酸素でなんとかなると言っていました」


「俺はもっと深刻な問題を考えている。アンドロイドも永遠に生きたいという欲をいずれ持つかもしれない。仮に酸素で寿命を押さえられたとしても、かいくぐって永久に生きようとするかもしれない。一方、人間は手術で肉体を機械化するかもしれない」


「待ってください。人間には永遠生命保持手術があります」


「それは今や封印されている。施設もないし手術する技量を持った医師もいない」


「サーチやキャミやそれにリンメイがいる」


「彼女らは現場から離れているし、手術を拒否するだろう」


 カーン・ツーが納得する。


「そうすると人間のアンドロイド化ですね」


「脳だけを温存して肉体を放棄する。その脳に蓄積されたデータも高機能化したCPUに移行する。そして酸素に強い身体にCPUを埋め込む」


「現在の科学では無理でも可能性は十分ありますね」


「そんなに遠い未来ではない。今の技術でも不可能ではないかもしれない」

 

[459]

 

 

「ノロがいればでしょ?」


「いや。ノロがいなくても彼は重要な設計図を残した」


「?」


 人間であるカーン・ツーには理解できない。


「アンドロイドの出産をつぶさに研究すれば可能だ」


「そうか!今やアンドロイドと人間に違いを見出すことができなくなった。人間がアンドロイドの身体を手に入れれば、そして脳梗塞や脳血栓の危険がない高性能のCPUを手に入れれば区別すらつかなくなる。だから、キチンと憲法を制定しなければならないんだ」


 カーン・ツーが感激する。


「生命を繋ぐから生命体なのだ。わがままで永遠に命を永らえば悪しき慣例が幅をきかすことになるし、生まれてきた子孫は伝統で押し潰されてしまう」


「よい伝統は守り、悪しき慣習は葬らなければならない。この精神を憲法で明確化して、さらに憲法の改正要件も厳しくする必要がある」


「よく分かりました」


 カーン・ツーが大統領に脱帽する。

 

[460]