10 ノロの方舟


「遺跡の下に埋めれば見つからないと思ったが、さすが鈴木だな」


 感心するノロにイリがコーヒーカップを差し出す。


「何を埋めたの?」


「センサーだ」


「何のために?」


「あれ?話してなかったけ」


「聞いてないわ」


 イリはタッパーからチョコレートを取り出すとかじる。歯形が残ったチョコレートをそのタッパーに戻すと微笑む。そしてコーヒーを口に含むとチョコレートを溶かしながら呑みこむ。


「最高!」


 イリが幸せそうにフーと息を吐く。


「俺もそのチョコレートをくれ」


「へー珍しいわね。チョコレートをかじったら歯が疼くって言ってたのに」


「だって余りにも美味しそうに食べるんだもん」

 

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「甘いチョコレートでブラックコーヒーを飲むのは最高よ」


「やってみる」


 歯形のついたチョコレートを口に放り込むと吐き出す。


「甘い!」


 ノロは慌ててコーヒーを飲む。


「あっちっち」


 今度はコーヒーを吐き出すとイリのブラウスが薄茶色に染まる。


「いやあ!もう!」


「ごめん、ごめん」


「もったいないわ。この惑星ではコーヒーもチョコレートも貴重品なのよ」


 イリは口を尖んがらかしてハンカチで胸元を拭く。


「貴重品とならないように努力している」


「どういうこと?」


「だからセンサーを遺跡に埋め込んだんだ」


「話を逸らしてもだめよ」


「地球のどんな生物をこの惑星に持って来たらいいのか、探索してるんだ」


「なぜ遺跡なの。遺跡の周りはあまり生物はいないわ」

 

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 イリの突っ込みにノロは動じない。


「そんなことはない。アンコールワットの周りは野生動物の宝庫だ」


「そうね」


「確かにイリの言うとおり生物が少ない遺跡も多いが、大昔は結構植物や動物がいたはずだ。だから繁栄して遺跡を造るまで文明が発達したんだ」


 もうイリはコーヒーを吐き出されたことなど忘れてノロの話に引き込まれる。


「どのような生物と共生していたのか?遺跡の周りはそんな疑問に答える宝庫なんだ」


「すごいわ。それでどこまで分かったの」


「うーん、まあまあ……」


「勿体ぶらずに教えて」


「遺跡なら誰も暴かないと思っていたら、センサーが見つかってしまった」


「どこの遺跡?」


「ストーンヘンジ」


「イギリスね」


「今のところ一カ所だけど他の遺跡に波及するかもしれない」


「なぜ?」


「センサーはトリプル・テンを利用して造ったんだ」

 

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「人間はトリプル・テンを欲しがっているから、やりかねないわ」


「そろそろ潮時か……」

 

 鈴木が思ったような通信手段ではなく地球のあらゆる生物の現状を調べるために、ノロはセンサーとしてトリプル・テンを板状にしたものを発見されにくい遺跡に埋め込んでいた。この作業をしたのは未だ高度な科学力を維持するグレーデッドの残党、というよりはノロの信奉者だった。


 そのお陰でセンサーとしてのトリプル・テンが収集したデータが蓄積されるとその都度ノロの惑星に送信された。そのことを月にいた鈴木が偶然にも掴んだのだ。


 すでにノロの惑星では大規模な工場が建設されてノロのアイディアを具体化していた。時空間移動装置は高性能化され、機動力は時空間移動装置にまったく及ばないが、不可能とされて、いた時空間移動船も量産された。それはトリプル・テンの応用技術が生かされたからだ。それほどノロはトリプル・テンの特性を完璧に把握していた。


 しかも驚いたことにトリプル・テンが生命の誕生、そして進化にも関わっていたことをノロは理解していた。だから古代遺跡の地下にセンサーとしてトリプル・テンを埋め込んだのだ。

 


 ノロの惑星に鈴木のメッセージが届く。それは偶然だったが確実にノロに届いた。

 

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「ノロ!教えてくれ!」


 一方、治療を終えた鈴木は落胆しながら月の地球連邦政府に戻ると意外な報告が待っていた。


それはストーンヘンジから強力な電波が月に発射されたという報告だった。鈴木は通信室に直行する。


「これです。送信者名を除いて暗号化されています」


「送信者は?」


「ノロです」


「ノロ!」


「悪い冗談かもしれません」


「解読は?」


「懸命に解読作業をしていますが、難航しています」


 通信士が睨むモニターを鈴木も見つめる。しばらくすると結果が表示される。


「宛名しか解読できませんでした」


 鈴木はモニターを見て驚く。


「宛名は大統領です」


「鈴木という名前はいくらでも転がっている」


「『親展』と表示されています」

 

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「私に暗号など解けるわけがない」


「とにかく音声信号なので再生してみます」


 モニターのスピーカーから音声が流れる。


「親展。鈴木へ」


 その後は聞くに堪えない音が続く。


「ひどい雑音だ」


 通信士が耳を押さえる。しかし、鈴木は耳をそばだてる。


――どういうことだ!私にははっきりとノロの声が聞こえる。


 これはノロが発明した特殊暗号音声だった。つまり特定の人間にしか聞こえないようにした音声信号だ。自分以外の誰もが雑音にしか聞こえないのに鈴木にだけ明瞭に聞き取れる。


「メモリースティックに録音してくれ」


 首を傾げながらも通信士が応じる。


「了解!」


 通信士から受け取ったメモリースティックを持って鈴木は執務室に向かう。通信士がその後ろ姿を不思議そうに見つめる。

 


「久しぶりだな。板状のトリプル・テンを見つけられた以上、時間の猶予がなくなった。そこ

 

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で鈴木に頼みがある。これから俺がしたいことを伝えたい。ふたりだけで会える場所と時間を指定してほしい。返信方法を教える。いいかな」


 鈴木はふたりきりと言われてもどうすればいいのか分からない。ましてやノロの指定する通信方法がまったく理解できない。仕方がないので通信士に相談する。


「えー!あの暗号を解読できたのですか」


 通信士が驚いて鈴木がペーパーにした通信内容の後半を丹念に読む。


「理屈は分かりません。でも通信は可能です」


「そうか」


 鈴木は数字を並べたメモを通信士に手渡す。


「これを送信すればいいのですね」


「頼む」

 

 月の地球連邦政府近くの無人の倉庫で鈴木はじっとノロが現れるのを待つ。約束の時間キッカリに風を切る音がする。回転する時空間移動装置が現れると鈴木は倉庫の隅に向かう。やがて回転が止まるとドアが跳ね上がってノロが現れる。鈴木が駆け寄って握手を求める。


「元気そうで何よりだ。地球と同じような惑星を発見したのか!」


「もちろん!今改造中だ」

 

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「さすが。この宇宙にはやっぱり地球型の惑星が存在するんだ!どんな生物がいる?」


 興奮気味に尋ねるがノロは首を横に振る。


「そこなんだが、地球と同じ環境にするために協力してほしいことがあるんだ」


「何でも協力する。チェンも賛成するはずだ。何をすればいい?」


「ありがたい。こちらが要求する生物を一組ずつノロの惑星に持ち帰りたいのだ」


「まるでノアの方舟だ!」


「ノアではなくノロの方舟だ」


「そうか!でも一組ずつと言うが、ものすごい数になるぞ」


「心配いらない。超大型の宇宙輸送船を建造した」


「ノロと話しているとびっくりすることばかりだ」


「問題はどのように捕獲して輸送船に乗せるかだ。握り飯を盗むようなわけにはいかない」


「やっぱり犯人はノロだったのか。まあ、それはいいとしてノロの要求となると地球の人間たちはどのような反応するだろうか」


「そこを何とか調整してほしいのだ」


「うーん。確かに難問だ。チェンに相談してみよう」


 ここでノロはデータを手渡す。


「これは欲しいものリストが入ったメモリースティックだ。生物によっては一〇組以上、手に

 

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入れたい種もある」


「一度ノロの惑星に行ってみたいな」


「もちろん招待する」


「ありがとう!ちょっと質問してもいいかな」


「遠慮はいらない。それに協力してもらうのに何も教えないのは失礼だもんな」


「質問はひとつだけ。あらゆる生物をノロの惑星へ移植しても簡単に繁殖するんだろうか」


「至極重要な質問だ。それ以外の質問は枝葉にすぎない。でも答えは『やってみないと分からない』だ」


「そうか。ノロといえども非常に困難な作業になると言うことか」


 ノロは黙って頷く。

 

「むずかしい宿題だな」


 ノロが帰った後、鈴木とチェンは月の地球連邦政府の執務室で話し合う。ノロから受け取ったメモリースティックのデータがモニターに表示される。


「意外だ。地球上の全生物かと思ったら、細菌や植物はほとんどない。魚類が主体で両生類までのジャンルに絞られている」


「と言うことは昆虫などの動物がすでに存在している星を見つけたことになる」

 

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「もっと詳しく聞けばよかったな」


「通信は可能なんだろ?」


「通信手段は確保している。例のウサギがいた倉庫にノロから提供された通信設備を保管している。数日中にこの執務室に設置する」


「この部屋に設置できるほどコンパクトなのか?」


 チェンは遺跡の底に埋め込まれたトリプル・テンを通信装置だと理解していたのでかなり巨大な設備だと思った。


「あれは古代の遺跡周辺の生物の行動や進化を調べるための装置だ。そして収集したデータをノロの惑星に送るために装置が大型化したらしい。と言っても畳二枚分程度だが、ある程度の数が必要だったようだ」


「そうか。ところでノロの協力要請だが妙案はあるのか」


 鈴木はチェンに首を大きく横に振ると呟く。


「だから呼んだ」


「そうだった。どうも公表ははばかるな」


「いつも何でも公開すると言ってのと矛盾するぞ」


「事によっては事後報告になる」


「それじゃ私たちの信用はがた落ちだ」

 

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「でもノロに協力すると言っても誰が賛成してくれるんだ?」


「待てよ」


 鈴木の顔が急に明るくなる。


「『ノロは新しい惑星を発見して第二の地球に育てようとしている。そのために地球の生物を移植する』ときちんと説明して『人口が急増している地球の食糧事情の悪化に備えるためだ』と説得して賛同を得れば?」


「もちろん、そのとおりだが、果たしてうまくいくかどうか……」


「チェン。正面突破でいこう」


「分かった。そうしよう」

 

「夢みたいな物語が希望を与えたようだ」


 地球連邦政府で鈴木がチェンに笑顔を向ける。


「よく考えれば一部の権力者や大企業がトリプル・テンを巡ってノロを宇宙へ追いやったけれど、庶民から見ればノロのお陰で、永久的にしかもほとんどタダで電力を使えるようになったし、原発廃炉もきっちりしたし、核兵器もなくなった。そんなノロに協力しない方がおかしいんだ」


「結果がよければすべてよしだな」

 

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 モニターにはノロの欲しいものリストが映っている。ほとんどの項目にチェックが付けられている。


「各国の生物学者たちが、ノロの『欲しいもの』リストに従って動物を捕獲して引き渡す準備にかかっている」


「まるで競争だ」


「しかし、すべて集めるとすごい量になる」


「そろそろノロが現れるはずだ」


「時空間移動船で運搬すると言っていたが、どんな宇宙船なんだろう」


「楽しみだな」


「各国の『欲しいもの』集荷場に立ち寄って積み込むと言ってたな」


「半分、礼を兼ねてノロの方舟を披露するつもりなんだ」


 そのとき執務室の通信機にノロからの連絡が入る。


「こちらノロの方舟の船長ノロ。協力を感謝する」


「来たか?」


 腹に響くような重低音の音とも震動とも言えない圧力のようなものをチェンと鈴木が感じると窓際に駆け寄る。カーテンを開けると防弾ガラスがビリビリと震えている。窓越しに巨大な飛行船のようなものが浮かんでいる。

 

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「あれがノロの方舟か?」


 とにかく巨大だ。


「この付近には着地する広大な平地がない。時空間移動装置を差し向けるからそれでこちらに来てくれ」


 大統領府の庭に時空間移動装置が到着する。すぐさま警報が鳴ると警備員が取り囲む。


「まずい!鈴木、行くぞ!」


 ふたりは慌てて執務室を出ると庭に向かう。

 

 船内はドーム球場など比べようのないほど広い。整然とした棚が無限に並ぶ。チェンと鈴木はノロがいる部屋に案内される。満面の笑みを浮かべるノロがふたりに近寄ると握手を求める。


「全面的な協力に感謝する」


 頭を下げるノロらしくない態度とは逆に鈴木が砕けた言葉を発する。


「だだっ広い海辺に『欲しいもの』集荷場を設置しろと言った意味がよく分かった」


「この大きさが限界だ。これ以上大きくすると時空間移動できない」


「時空間移動とはどういう移動なんだ?」


「一言で言えば時空を移動すると言うことだ。空間移動だけしかできない空間移動装置とは格が違う」

 

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 ふたりは首をひねりながらノロを見つめる。


「と言うことはノロから譲り受けて量産した空間移動装置なんかオモチャだとでも?」


「そのとおり。あれは地球と月を往復するために造ったものだ。移動には二、三分ぐらいかかるだろ?」


 ふたりが同時に頷く。


「時空間移動装置なら瞬間だ。ノロの惑星と地球の移動は瞬間だ。何秒かかるかというのような問題は無意味だ」


「理解を超えている」


「それよりもまずアフリカの『欲しいもの』集荷場に向かう。連絡してくれ」


ノロがマイクをチェンに手渡す。


「任せてくれ」

 

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