第十章 納税相談会場


 年に一度の確定申告。申告書作成に慣れている国民はほとんどいない。いたとしても税法は毎年改正か改悪される。特に高齢者はついていけない。


 ところで最近、都会の税務署に相談会場がない。もちろん税務署の建物が縮むわけではない。以前はどこの税務署でも相談会場があった。その税務署は意外と不便なところにあるが都会の税務署の管轄は広くないので地元の人なら迷わず行ける。


 ところが管轄の狭い税務署が何署か集まって「合同納税相談会場」を開設して税務署では納税相談に応じないことになった。管轄が狭いと言っても数署がひとつの会場でしか納税相談に応じないとなれば地下鉄やバスを使わなければ会場に行けない。その地下鉄は文字通り深い地下にプラットホームがあるし、バスの昼間の運行本数はわずかだ。しかもその会場自体が不便な場所なら高齢者はタクシーで行かざるを得ない。もちろんこの交通費は経費にはならない。


「税務署はいったい何を考えとるのじゃ!」


 大家さんが興奮するが田中さんにはよく分からない。


「税務署に行ったら納税相談をしていないとぬかすのじゃ」


「えー、そんなバカな!税務署が納税相談してくれないなんて、お金を下ろそうと銀行に行ったら『お金がありません』と断れるようなものじゃないですか」

 

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「今年の合同納税相談会場はブルースカイビルだとぬかして、そこへ行けというのじゃ」


「超高層ビルだから、どこからでも見えますが、最寄りの地下鉄の駅から一〇分はかかりますよ」


「『せっかく来たから相談にのってくれ』と言ってもまったく応じんのじゃ」


「ひどい話ですね。地図で見れば近そうに見えますが、まっすぐには行けませんね。人通りの多い地下街に降りては地上に戻って歩道橋を渡って……それに信号も多いし、その信号も車優先ですからやたらと待たされる。目の前にブルースカイビルが見えていてもなかなかたどり着けませんよ。僕の足でもここからでは二〇分はかかるでしょう。階段を降りたり上ったり、それに地下街は混雑しています」


「税務署に行って相談できないと言われただけでも腹が立つ。たまたま他の税務署の近くに行くことがあったので訪れたのじゃが、『所轄の税務署で』と拒否された。それがじゃ納税相談となると『合同会場で』とぬかす。国民をバカにするにもほどがある!」


 大家さんの興奮が最高潮に達する。


「でも大家さんほどの高額納税者なら税務署からお知らせがあるのでは?」


「さっきも言っただろ!以前は申告書と一緒にお知らせなるチラシも送ってきた。じゃが、申告書すら送ってこない」

 

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「そんな。高額高齢納税者にはそれぐらいのサービスをすればいいのに」


「ネットタックスで申告しろと言って、送ってこんのじゃ」


「大家さんには無理ですね」


***


「自分でパソコンを使って申告できる高齢者ってどれぐらいいるんでしょうね」


「ごく少数じゃ。だから納税相談会場が混むのじゃ。せっかく来ても受付が終了している場合もある。それに税務署員に相談したいというニーズもある。残念ながら相談会場では税理士が相談に応じるが不親切じゃ。彼らにもいいわけがある」


「どんな?」


「税務署から対面相談ではなく『肩越し相談』するよう指導されているというのじゃ」


「肩越し相談?」


「一対一の対面を避けて適当にあしらえという相談体制じゃ。それに税理士自身、この時期は書き入れ時だから納税相談をしたくないらしいのじゃ」


「会社の場合三月決算とか、八月決算とかで自由に申告時期を選べるんでしょう?」


「三月決算が多いと聞くが、ほかの月に決算をする会社も多いらしい」


「じゃあ、個人も自由に申告時期を選べば混雑を避けることができるのでは?そうすれば別会場を設けなくても税務署で相談できるし、税務署としても経費が助かるのでは?」

 

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「成程。会社のように『私は九月に申告する』という届け出をすればいいのか。いいアイディアじゃ。国税庁は国民に提案すべきじゃのう」


「納税者は神様です」


 最近都会の個人納税者が増える傾向にある。タワーマンションを筆頭に人口回帰が著しい。個人事業者は減っているが、医療費控除や元気な高齢者はそれなりの仕事をして給料と年金の両方をもらっているとかで還付申告が多い。申告件数の七~八〇パーセントが還付申告だと言われている。しかし、国税庁は儲からない還付申告に人手を取られることを嫌う。税金を返して欲しいのならネットタックスをしろと強要する。「納税者の利便性を考えて云々」と言うが詭弁だ。


 要は還付申告件数を減らすシステムと考えればいいのになおざりにして行政サービスを低下させているのだ。もともと取り過ぎているから多額の還付が発生する。適正に天引き(源泉徴収)すれば還付金もわずかになるから納税者もゆっくり対応するだろうし、還付申告には三月一五日なる申告期限はない(五年以内にすればいい)。取り過ぎないような税制にすれば税務署も納税者も無駄な労力と時間を節約できる。やる気になればできるはずだが、取りあえず徴収しておくという姿勢は変わらないし、還付申告を失念してくれれば儲けになる。


 いずれにしても高齢者にパソコン申告は無理。パソコンを使う高齢者も増えているが、相談や助言を受けて申告したい人は必ずいるし、税理士より税務署員に相談した方が安心だ。一時コンピュータ武装した許認可企業の代表の銀行(今や装置企業の代表業種と言われているが)でも窓口対応を重視している。

 

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共働きや独身でも若い人は時間がないからコンピュータを駆使するが、高齢者はそうは行かない。ネット・タックス至上主義。いわゆる弱者への配慮に欠けている。


「なんとかならんのかのう。申告時期は一年で最も寒い季節じゃ。特にわしら年寄りにはつらい」


「現場で頑張っているのは税務署員ですよね。彼らは国税支局や国税庁に改善策を提言しないのでしょうか」


「公務員にそんな意欲はないわい」


「でも世間では介護、介護と大変なことになっています。税務署員も人の子だからわかっているはず。ネットタックスもいいけど介護申告制度が必要なのでは?」


 そのとき例のテレビの電源が勝手に入って画面に山本さんが現れる。


「そんな発想はありませんね」


 画面には納税相談会場の入り口の様子が映し出される。


「うわあ!すごい人が順番待ちしている。


「これは去年の納税相談会場の受付です」


 カメラが会場に入っていく。

 

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「なかも大混雑だ」


 田中さんが壁際に並んでいる列に気付く。


「相談待ち?」


「いえ、あの列は申告書作成の順番待ちしているのです」


「じゃあ一応相談は済んだんだ。でも、また順番待ちか」


 カメラはその順番待ちをしている列の一番先に向かう。


「パソコンが一〇台近くある。でも列に並んでいる人は高齢者が多いなあ。パソコンを打てるのかなあ?」


「よく見てください」


「若い人がキーボードを叩いている」


「そうです。この人たちはアルバイトです」


「アルバイト?」


「税理士でないと申告書を作成できないはずじゃ」


 大家さんが首をひねると山本さんが応える。


「単なるアルバイトじゃありません」


「介護税務職員?ボランティア?」


「いいえ」

 

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 山本さんのファンである田中さんがいらだつ。


「山本さん!意地悪せずにどういう仕組みか、教えてよ!」

 

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