20 リングラング


「金持ちになると、品が悪くなるのね」


「わしはならんと、思っていたが。もうひとりの自分を見てがっかりした」


「取りあえず、この高級車を何とかしなければ。このままだとまた駐車違反になってしまう」


 田中がドアを開けて運転席に座る。


「すごい!」


「でも、運転の仕方は安物でも高級車でも同じでしょ」


 山本が助手席に、大家が後部座席に落ちつく。


「確かにすごいクルマだ。しかし、こんなクルマ車で町内を回って家賃の集金をしていたのか。もしそうならこんな豪勢なクルマは経費に落とすことはできないはずだ」


「どこへ行きます?」


「周りの状況がこんなに変わっては、元地主といえども今いる場所がよく分からん」


 田中がゆっくりと車を発進させる。しばらく走ると「大家駐車場」という看板を見つける。敷地に入ると車止めの後ろに「大家」というプレートが貼ってある場所を見つける。そして慎重にバックして止める。そして車のキーを差しこんだままにして残りの何本かのキーがくっついているホルダーを外してポケットにしまう。

 

[212]

 

 

「この世界のわしの家はどこだ」


「だいたい、大金持ちの駐車場が平地の月極駐車場の一角にあるなんておかしいわ」


 車を降りると、水着と見間違えるような真っ赤なワンピースを着たグラマーな若い女が近づいてくる。その横には黒いスーツに身を固めたサングラスに大きな白いマスクをしたがっちりした男がいる。


「パパ~」


「パパ?」


 田中と山本が同時に大家と女を見る。人目もはばからずに女は大家に抱きついておでこにキスをする。


「パパ~。今日の服装、軽いわね」


 山本は今にも笑い転げそうになるが、実直な田中はすぐさま質問する。


「大金持ちの大家さんが、なぜこんなところに駐車するんだ?」


 答えたのは大柄な男だった。身体に似合わない、しかもマスクを通しても細くて高い声が返ってくる。


「オーナーはビルの地下駐車場が苦手なのです」


 その男はそう言うと車に乗り込む。恐らく地下駐車場に移動させるのだろう。一方で大家がなんとか女から離れる。

 

[213]

 

 

「パパ~。どうしたの?それにこの人たちは誰?」


 その女は田中には目もくれずに山本を睨み付ける。大家が咄嗟に応える。


「テレビ局の人だ」


「テレビ局の!」


 その女は田中をテレビ局の人間だと解釈したのか山本ではなく田中に近づく。きつい香水の匂いが田中を尻込みさせる。男がなぜマスクをしていたのか、勝手に悟る。


「ぼ、僕はテレビ局の人間ではありません」


 女はがっかりするが、すぐ気を取り直して山本に近づく。


「どこの放送局なの」


 それまでと違ってその女の表情が一転して厳しくなる。


「取材中なので明かすことは出来ません」


「おかしいわね。取材するときは必ず身分を明らかにするのが礼儀よ」


 この言葉に山本はたじろぐだけで声を出せない。化粧や着ている服から軽薄な印象を受けるが、内実はまったく反対かも知れないと一歩引く。


「わしを差し置いて何を言っている」


 大家は注意深く言葉を選んで女の注意をそらす。


「パパ~。ごめんなさい。あたし、どうしたら、いいの~」

 

[214]

 

 

「このふたりをわしの部屋に案内しなさい」


「わかったわ。パパ~」


 直通高速エレベーターで百階建ての最上階に到着すると田中と山本は案内された部屋に驚く。しかし、大家は狼狽えることなく例の女に所払いを命ずる。


「パパ~。今日は妙に冷たいわね。どうしたの?パパ~」


 なんとか凌いできた大家もこのセリフに対処する術を失う。もうひとりの自分とこの女との関係に当惑しながら男としてこの女から逃れる方法を模索し続けることに限界を覚える。こんな場合のセリフはひとつしかない。


「うるさい!。出ていけ!」


 即、女の目から涙が流れる。


「あとでちゃんと涙を拭いてやるから、そのまま隣の部屋にいろ」


 女は驚きながらも最も美しい後ろ姿で部屋を出る。見送る大家に山本が感動しながら低い声で呟く。


「女の急所を心得たすごいセリフだわ。大家さん、結構、女遍歴していたんですね」


「あほ」


 豆鉄砲を食らったような山本に大家が言葉を続ける。

 

[215]

 

 

「経験も何もない。必死になって毒蛾を払い除けた。だが、もうひとりのわしは助平の道を選んでいた。信じられん!」


「男は女に弱いわ」


 山本の言葉に大家はフーッと息を吐く。


「金だ。金が男も女も狂わせる。金が介入しないときの男と女の関係は純粋なのに、いずれ、金という現実が揺るぎない愛に介入して粉砕する」


 場違いな大家の言葉に田中と山本は頷きながらも困惑する。もうひとりの大家はこの豪勢な部屋で金に任せて年齢を超越した愛の契りを結んだのかも知れない。


「さあ、これからどうするんですか」


「この世界のわしの生活ぶりを徹底的に調査する」


「自分で自分のことを調べるなんて……」


「田中さん。山本さん。改めて尋ねるが、自分自身のことを百パーセント分かっているかな」


 ふたりともキョトンとしてから首を捻る。


「以外と自分のことを知らないのかも」


「そうね。大家さんの言うとおりだわ」


 大家が立派な机の引出を開けようとする。


「鍵が掛かっている。わしは邪魔くさがりやだから鍵を掛けない。大金持ちになったこの世界

 

[216]

 

 

のわしは用心しているのかも」


 田中がポケットからキーホルダーを出すと大家に渡す。大家は早速次々とキーを引出の鍵穴に差しこんでいく。


「これか!」


 引出を引くと立派な鍵を見つける。大家は他人のものを勝手に覗いているような後ろめたい気持ちになる。


「あの壁に埋めこまれた大きな金庫の鍵では?」


「そうかも知れん。この鍵には番号が書かれた荷札のような紙が付いている」


 大家が金庫に近づいて鍵を差し込む。そして紙の数字を見ながらおもむろにダイアルを回し始める。分厚いドアが開くと全員生唾を呑みこむ。眩しい光が視線に染みこむ。


「金塊だらけだ」
 触れることもなく大家はドアを閉めるとため息をついて机に戻る。その大家の背中に田中が
声をかける。


「手帳か日記帳でもないかなあ」


「日記はないはずだ。わしは日記を付けたことがない。でも家賃の集金帳は小まめに付けていた。手帳には予定表や簡単な出来事を書きこんでいた」


「これは?」

 

[217]

 

 

 山本が引出から大型の手帳を取り出す。


「わしはこんな大きなノートのような手帳を使ったことはない」


「ぎっしり書きこまれているわ。大家さんの字って読みやすいわ」


 そしてページを繰ると壁のカレンダーを確認する。


「これは去年の手帳だわ」


 山本が手帳を取り出した引出から田中が他の手帳を取り出す。


「この引出は手帳をしまっておくところらしい」


 三人は手分けして手帳に書かれた内容を確認する。そのとき、あの女が部屋に入ってくる。


「パパ~。新しい通帳は?」


 大家はソファーに置いた使い古した鞄を手に取る。


「その鞄どうしたの。いつもの鞄じゃないわ。パパ!パパは本当にパパなの?」


「何を言ってる」


「瓜二つだけれど、パパじゃないわ。私には分かるの」


 大家はもちろん田中も山本も狼狽える。ここをどう凌ぐのか。三人ともそろって冷や汗をかく。女は自信を持って別のドアに向かって大声を発射する。


「佐々木!」


 あの体格のいい大柄な男が入ってくる。

 

[218]

 

 

「警察に連絡して」


「待て!」


 田中が佐々木と呼ばれた大男を睨む。そして大見得を切る歌舞伎役者のようにマユを吊り上げて大きく一歩踏みこむ。取りあえず啖呵を切ったまではよかったのだが、次のセリフが出ない。


「えーと」


 一方的に佐々木が田中との距離を詰める。


「パパをどうしたの!」


 女の悲鳴が部屋中に響きわたる。そのとき部屋の一角からボーッとした光が浮かびあがると、四角いモノが現れてその中心部から大家の声が流れる。


「このテレビは!」


 山本、田中、大家の順で叫び声が上がる。


「なぜここに、あのテレビが!」


 今度は田中、大家、山本の順に声が上がる。テレビの映像が全員の感情を一旦停止させた上でリセットして再起動させる。


「おーい」

 

[219]

 

 

 田中や山本に付き添われた大家ではなく、立派なスーツを身にまとった大家がテレビ画面から呼びかける。


「今、わしはスミス財団が運営するニューヨークのスミス博物館におる。誤解のないように。スミソニアン博物館ではなく、ここはスミス博物館じゃ」


「パパ~。本物のパパだわ!」


「この博物館には過去の近代戦争で使用された様々な武器が展示されておる。そのなかで一番気に入った戦闘機がある。わしは日本人だからして、通常なら零戦や隼を選ぶと思うかもしれんが、もっとも気に入ったのはイギリスのスピットファイアーじゃ」


 画面には戦闘機とは思えない美しい飛行機の画像が表示される。


「この戦闘機は美しいだけではないのじゃ。ドイツの攻撃で瀕死に落ちいったイギリスを救ったのじゃ」


「佐々木!私、ニューヨークに行くわ。手配して!」


 気が付けば田中のすぐそばに迫っていた佐々木が田中に背を向けると、胸のポケットからスマートフォンを取り出しながら女に近づく。


「分かりました」


 田中がフーッと息を出すと山本が部屋から出ようとする女と佐々木に声をかける。


「名前を教えてください」

 

[220]

 

 

「リングラング」


「変わった名前だわ。生まれは?」


「生まれはアジア。私はアジア人です」


「アジア人?」


「私はパパと一緒にアジアの平和的な統一、精神的な共有民族としてのアジア民族の結束を目指しています」


 男をたぶらかす尻軽女のような印象を持っていた田中や山本や大家の目にはリングラングがまったく別人のように見え出す。人の印象がこれほど変化することに全員、戸惑うとともに彼女に親近感をさえ覚える。しかし、山本はぶっきらぼうに言い放つ。


「じゃあ、ここでお別れね」


「ここはパパの家よ。出ていって!」


 再び緊張した会話に戻る。


「わしが本物の大家だ」


「違うわ」


「どちらも本物です。違うのはテレビの外にいるか、内にいるかの違いだけです」


「どういう意味?」


 部屋を出ようとしていたリングラングが戻ってくる。

 

[221]

 

 

「そのテレビが原因です。よく見て!」


 リングラングは山本からスピットファイアーを映しだしたままのテレビに近づく。おもむろに山本がバッグから奇妙なカメラを取り出してリングラングに向けてシャッターを押す。「パパ~」と呼ばれるもうひとりの大家のときと同じようにリングラングはカメラのレンズに吸いこまれる。それを見た佐々木が山本からカメラを取りあげると床に投げつけて踏みつぶす。


「あっ!」


 テレビ画面にリングラングが現れたとたん、大家共々苦しそうに倒れると画面から消える。それを見た佐々木が慌てて部屋から出て行く。


 山本がポケットからテレビのリモコンを取り出してボタンを押すと、大家のたどってきた記録映像が流れる。


「ビデオ?」


「過去の映像を放送しているだけです。どうももうひとりの大家さんの記録映像のようです」


「個人情報の漏洩だ。訴えてやる。しかし、なんでこんな映像が」


 三人ともしばらくの間、黙ってテレビを見つめる。そして映像が切れて真っ暗な画面になる。


「経緯がよくわかった」


「大家さんって、助平だったんですね」

 

[222]

 

 

「わしはそうじゃない。あの大家が助平だっただけだ」

 

「でも同一人物だわ」


「ぜんぜん身に覚えがない経験をしておる。わしにはとうてい同一人物には思えん」


「ニューヨークにいる大家さんは大丈夫かなあ。リングラングも」


 田中が粉々になったカメラを見つめる。


「カメラが壊されたのと大家さんたちが倒れたのが同時だったけど、このカメラにどんな仕掛けがあるんだ」


 山本が黙ったまま中途半端な頷き方をする。


「要は、仕掛けがないと言えばウソになると言うことか」


 仕方なく山本が首を縦に振る。


「私はこのテレビやカメラのことをよく知りません。このテレビとカメラとそして報道する者が一組になっていることだけは確かです。しかも単なるペアになってるのではなく、組み合わせによってフォーメーションも変化するようです」


「カメラが壊れたからといって、たとえば、その中に映像として人が閉じ込められていても、その人がこの世から消滅することはないんだな?」


 珍しく田中が鋭く迫る。山本は田中の分析に驚きながら頷いて見せる。


「大家さん。これからどうします」

 

[223]

 

 

「この世界の大家が消えてしまった以上、わしもどこかに行ってしまうのかな。いや、わしはわしだ。わしはわしが何をしてきたのか、じっくりと観察してみたい」


「銀行員や支店長は違和感なしに、しかも本人確認することなく、大家に通帳を渡したわね」


「身分証明証の提示を求められたら、どうなっていたんだろう」


「取りあえず、この部屋を拠点に現状を把握しましょう」


「所詮、限られたところに偶然あったレアメタルだから、埋蔵量は知れている」


「でも、レアメタルはその名のとおり、少なくても貴重な金属よ」


 田中は山本に頷くが話題を変える。


「ところで、このテレビ、アパートにあったテレビと同じものか」


「アパートにテレビがなかったとしても、これがあのテレビと同じものだと断言できないわね」


「それに何の放送もない」


「以前ならテレビの前で催促すると勝手に電源が入って反応してくれたのになあ」


 すると電源が入る。


「素直なテレビね。まるで田中さんみたい」


 と言いながら、「逆田が現れるかも知れない」という山本の期待は裏切られる。画面上部に

 

[224]

 

 

「メニュー」という文字が表示されると、その下に項目が現れる。


「一、除染費用の二割が特殊法人に」


「二、中国レアメタル大幅値引き」


「三、新種の昆虫発見。その名はアリギリス」


「四、……」

 

[225]