第一章 「成程3」を書くに当たって


 「成程シリーズ」は田中さんのテレビを通じて世の中の出来事を斜めから見つめる物語だ。この特殊なテレビには普通映らない周辺まで見ることができる。(「成程1 」を参照)


 例えば首相の国会答弁では机の上や周りは映らない。タブレットパソコンを操作するのと同じ方法で映像を横にずらすと居眠りする大臣や緊張しながら待機する事務次官や担当課長の姿が見える。このように撮影者の意図やカメラの性能に関係なくすべてを見ることができる。大臣のいびきも聞こえるし首相がおならをしてもその匂いすら画面から漏れる。また首相の前の机上を少し強く押すとメモ用紙が現れて一字一字はっきりと読むことができる。


 そんな強力な映像が田中さんのテレビで見ることができる。


 映像が編集されようとされまいとまったく関係ない。例えば国有地売却で答弁に困った大臣が事務次官とひそひそ話をしたってすべて筒抜けになる。リモコンのボタンを押せば流れた冷や汗の量やその成分まで画面に現れる。


 制約は報道番組に限られることだ。その報道番組とは? これはテレビに聞いてみなければ分からない。


 いずれにしてもこんなテレビを手に入れた田中さんと大家さんの物語が「成程1 」「成程2 」だった。

 

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 私、照伝光はしがない物書きだ。超長編S F 小説の「C ・O S ・M ・O S 」の最終編「第五編♪ 」を脱稿したので、しばらく筆を折っていた「成程シリーズ」の続編を書こうと読み直したが、余りにもとりとめのない物語に我ながら呆れた。


* * *


 冒頭で述べたように、田中さんのテレビで世の中を観察すると現実はかなり違う。


 民主主義はこれまでのなかで一番マシな制度だ。社会的動物である人間はルールを造って生活するしかない。しかし「ルールは破られるために存在する」ので安心して暮らすことができない。ルールに強制力を持たせる必要がある。


 そのために発明されたのが政府という行政機関だ。行政機関の構成員の公務員が集団の僕として公正に仕事をすれば問題はないが、人間というものは権力を握ると必ず暴走する。この暴走を止めるためのチェック機関が必要となる。


 監視機関として生まれたのが選ばれた議員で構成される議会だ。ところが例えば議院内閣制、つまり議員の一部が行政機関を担うという制度では、いつの間にか一体化して暴走する。癒着だ。癒着は民衆主義の癌だ。癌は早期発見で治ると言われている。しかし、暴走を早期発見するのは難しい。かといって放置していいという問題ではない。癒着から隔離されたチェック機関が必要となる。裁判所だ。

 

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 さらに…… と筆を進めるのはやめる。


 要は制度というものは思わぬ方向に一人歩きするものだ。まるで徘徊だ。英知を集めて造った制度も時代が変わっても伝統化する。前例主義という悪しき伝統は時間が経過するほど怪物化する。怪物を退治するには制度を造るより何十倍ものエネルギーが必要だ。革命が大爆発だと言われる所以はここにある。


 何とかならないものかと思い「成程」という小説を書き始めたが、一旦思考を停止すると続編を書くのはなかなか困難だ。そこで連続性を無視して「成程3 」を書くことにした。


 余りテレビを見ないが、ニュースはなるべく見ることにしている。一番気になるのが画面の狭さとキャスターの事なかれ解説と専門家の浅い突っ込みだ。一番気になると言いながらみっつも並べたが、このみっつは金、銀、銅( どれが金か銀か銅かは別として) で視聴者にとって重要なことであることはまず間違いない。


 さて水戸黄門にしても遠山の金さんにしても、なぜワンパターンのドラマなのに長続きしたのか? 報道番組しか見ないと言っている割にはドラマも見ているじゃないかと言われそうだが言い訳をする。この長寿ドラマに関する評論を本で読んだから知っているだけだ。


 というわけで長編小説「C ・O S ・M ・O S 」や「トリプル・テン」とは違いショートに徹してこの世の中で「おかしい」と思うことを「成程」と思ってもらえるような、文字通り小さな小説としてこの「成程3 」を書くことにした。

 

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 この小説の舞台は我々が住む世界と似ているが全く別世界でもない。現実に引きずり込まれないように、あるいは現実から逃れないようにする間合いを置くために存在する不思議な世界だ。


 できるだけ短く書いたが「成程! 」と感心しなくても「納得できない」と感じていただければ本望である。

 

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