18 子供部屋


「テレビやゲーム機やパソコンなどのハードの普及。そしてそのハードを使った残酷なシーンや現実離れしたリアリティでバーチャルな物語のソフトがまたたく間に普及しました」


「確かにしっかりしたハードがないと、ここまでソフトが普及することはなかったかもしれませんね」


「しかし、ハードの性能の向上とそれに便乗するソフトの開発がすべてではありません」


「このふたつの相乗的な強烈な影響で若い者が人命を軽んじて、殺人事件が多発するようになったというのが、刑部さんの分析結果ですね」


 刑部が強く首を横に振る。


「もちろん、殺人事件多発の大きな原因のひとつに違いありません」


「ここからが核心部分ですね」


「そうです。表現の自由を私は百パーセント支持しませんが、どんなビックリするような、あるいはエゲツない映像でも、見方によっては重みがあります。たとえば家族で一緒に見るのであれば、よい教材になる場合もあります」


 広島に原爆を落とす瞬間のアメリカ空軍の爆撃機の映像が現れる。すぐさま巨大なキノコ雲が天をも貫く画面に変わる。カラー画面からモノクロ画面に変わると無残な死体や泣き叫ぶ子

 

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供……とても正視できない映像が続く。


「これは現実に起きた事件の映像です」


 次にゲームソフトでの執拗に繰り返される暴力シーンが続いたあと、力尽きて全身から血を噴きだしながら倒れた男の死体がアップされる。


「意外です。映像としては広島の原爆の方がむごい。ゲームの映像は軽く見えます」


「なぜなら、広島の映像は事実です。そして歴史です。ゲームの映像とは重みが違うのです。それにゲームの映像は家族で議論するには次元が低すぎます。家族の数だけ、様々な意見や感想が生まれることはないでしょう。広島の映像はむごすぎますが、前向きな意見が交わされる格好の教材になります。そして平和の尊さを教えます」


 映像が消えて、画面には元警部の刑部と逆田が並んで立つ画面に戻る。


「おっしゃる意味は十分理解しました。このふたつの映像の『次元』の高さ、低さという解説も理解できます。教えていただきたいのは次元の高低、つまり『次元の差』というものはいったいどういうことなんですか」


「鋭い質問ですね」


「でも、予め答えを用意されているのでは?余裕がありますね」


「さすが、逆田さんはプロですね。今まで何度か他の放送局の番組に出演しましたが、事前の打ち合わせや、本番で使う脚本の制作の手伝いとか、放送に至るまで様々な準備を強要されま

 

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した。それだけではありません」


「そのほかに何があるのですか。あっ!そうか。横槍が入るのですね」


「横槍一本だけなら我慢もします。縦槍、斜め槍、何でもありです」


「お招きしている方の自由な発言なり意見を規制するのですか。もしそうなら無礼にもほどがありますね」


「私は放送に関しては素人ですが、自分がしてきた仕事には自信があります。もちろん発言にも責任を持ちます」


「放送局の独断で、これは言うな。これは控えめに。こういうことですね」


「そうです。しかし、この放送局はそんな規制をしない」


「当たり前です。事実を伝えるだけで、番組を見た人が判断すべき材料に脚色はしません。安心してください。その代わり、スマートな放送はできません。映像や画像はギクシャクするし字幕は誤字脱字が多いなど見るに堪えないことも多々あります。それにスタジオの設備は最低です。なぜなら、芝居をする必要がないので、華美な設備が不要だからです」


 刑部が大きく頷く。


「だから、私の方から出演を申込みました」


「ありがとうございます。ところで話を元に戻します。ぶっつけ本番なのでこんな脱線は日常茶飯事です。誠に申し訳ありません」

 

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「『次元の差』を説明してくれ、ということでしたね」


「はい。広島に落とされた原爆の悲惨な映像と、ゲームの残酷な映像との乖離、それを『次元の差』という言葉で表現されました。その意味もお尋ねしました。更にもう一歩踏みこんだ説明を!」


「一言で言えば、悲惨な、あるいは正視できない映像や画像を共有し、議論して、何とか結論を、もちろん、絶対的な結論ではないにしろ、自分の生きざまとしてひとつの解答を得たいと模索する。そういう場の提供が出来る映像ではなく、アニメの残酷な映像を誰と口論するわけでもなく、自室に閉じこもって見つめるだけで、しかもそれが習慣になって、そのまま大人へと成長してしまう。この過程が問題なのです」


「恐ろしいことですね」


「この成長は、個室という密室性が生み出した歪な成長なのです」


「もう少しかみ砕いた説明をお願いできますか」


「申し訳ありませんでした。興奮気味だったことをお詫びします」


「続けましょう」


「我が国では元々プライバシーなどという概念はありませんでした」


「ここで『プライバシー』という言葉のおさらいをしましょう」


「そうですね」

 

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「その間に気持ちを落ちつかせてください」


「ありがとうございます」


 刑部は音をたててペットボトルの水を飲む。画面には戦後のある統計が映しだされる。逆田がその統計を解説する。


「家父主義、父親がすべてを取り仕切るという制度から、平等主義、平たく言うと家族はみんな公平だという考え方に変わりました。それまでの価値観が戦勝国であるアメリカを中心とした西洋文明によって破壊されたのです。もちろん、悪い慣習もあったし、逆に欧米の慣習にもすばらしいものがある。それはさておき、とにかく緊急輸入的な価値観を押しつけられたのは事実です。消化不良のまま、自由だとか、平等だとかという表面的な概念だけが日本中を駆け巡りました。どうも日本人は耳障りのいい言葉を聞くと中身を確かめもせずに突っ走るようです」


 ここで逆田がいったん言葉を切る。少し横に顔を傾ける。山本が心配そうに逆田を見つめるが、逆田は頭を下げて続ける。


「ごめんなさい。少し言いすぎたかもしれません。訂正します。終戦前までの統制社会に辟易していた国民にとっては西欧の価値観は聞き心地がよかったということです。さて一方では新しい制度のもと、コネや賄賂ではなく、平等主義のもとで実力さえあれば、公平にそれなりの職場に就職できるようになって、そのためにはいい大学に入学……みなさん、誤解しないでく

 

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ださい。結果は同じかも知れませんが、いい大学を卒業というのではなく、いい大学に入学なのです。という訳で受験戦争が勃発したのです。それは武器を使う戦争とは違って平和な戦争でした」


 よどみない逆田の言葉に緊張していた刑部の顔が緩むと一息ついてから引き継ぐ。


「しかし、この戦争に勝つためには、我が子に作戦司令室を提供しなければならなかった。つまり、勉強部屋、個室です。戦後二十年ほど経つと、先を見越した親はそろって子供のために個室を提供します」


「それまでも、子供部屋というのがあったそうですね」


「ありました。しかし、障子や襖に仕切られた空間で、密室ではなかった。つまり、鍵の掛けようがない空間でした。ところで逆田さんはお酒を嗜まれますか」


「同僚と居酒屋へ行く程度です」


「座敷がある少しコマセな居酒屋でこんな経験はありませんか。座ると隣が見えなくなる程度の安物の屏風でもあると、何か個室で飲んでいるような気分になる」


 逆田は刑部のいう情景を想像しながら耳を傾ける。


「そのような空間は隣の空間と連携して存在します。ところが鍵が掛かる個室は密室です。高級料亭の個室は密談の場所となり……」


 逆田が刑部の言葉を遮る。

 

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「政治家や高級官僚や大会社の社長が好んで使う部屋のことですね」
刑部が少し不満そうな表情を浮かべながら言葉を続ける。
「家庭での個室は非行の温床になります」
逆田の目が詫びるような視線に変わる。
「親の目が届かない密室ということですか」
「親の監視を飛び越えて外部の世界と直接インターネットで繋がります。個室にいる世間知ら
ずの子供に様々な誘惑が舞い込みます。もはや、その空間は個室ではありません。バリアーも
何もない無防備で丸裸な状態で、親の造った防衛ラインをあざ笑うかのように犯罪のワナが子
供に襲いかかります。障子の部屋なら親は子供を助けることが出来ますが、同じ家の中にいる
子供を助けることが出来ない不思議な部屋が家の中にあるのです。その部屋から出てきた子供
はすでに何十種類ものウイルスに侵されています。そういう子供が学校に、卒業すると社会に
ウイルスを撒き散らして感染させます」
表情が険しくなる刑部に驚いて逆田が言葉を挟む。
「よく分かりました。要はプライバシーという名の下で歪な環境が広がって社会全体を蝕む
いびつ
ということですね」
「そう!でも、このように結論をまとめて貰ったんじゃ、私の立場がない」
刑部は笑いながら逆田に脱帽する。逆田は恐縮して頭を深々と下げる。

 

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「大変、失礼しました」


「西洋社会でのプライバシーというのは、社会に役立つ方法を自分なりに熟考するために誰からも邪魔されない精神的な空間を意味します。密室で自分に都合のいいことだけを考えるための空間ではありません」


「悟りを開くための具体的な空間として、個室というものがあるということなんですね」


「そう、悟りです。悟りというのは自分自身のためのようで実は違う。それは最終的には他人のための悟りなのです。日本にはそういう空間があります。『茶室』です。完全な個室ではないのに人はそこで思索にふけって、真実を極めようとします。ところが受験戦争に備えるべく子供に与えられた部屋は秘密基地となって、司令官である親を無視して怪しげな世界に進軍します」


「そして自由をはき違える若い兵士が味方の老兵の命令を聞かないばかりか、理解できない行進を繰り返す」


 打ち合わせもしていないのに、刑部と逆田の呼吸はピタリと合う。


「『何をしようと私たちの勝手でしょ』『それで何か起こってもいい』『そのときは思いっきり笑ってください』このような言葉が定型化しました」


「一人で生きてはいけないのに、それまで様々な人の世話があって何とか生きてきたのに、狭い部屋でたどり着いた考え方は、絵にたとえれば独りよがりで勝手な自画像のようなもので

 

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す」


「この辺で一息入れませんか。おーい、スタジオの空気を入れ換えてくれ。それにコーヒーも」


「個室を与えられた結果、集団生活が出来なくなりました。集団生活というと合宿を思い浮かべるでしょうが、そういうレベルではなくて、もっと大事なことがあります」


 刑部がまだコーヒーをすすっている逆田に尋ねる。


「就職したときの初任者研修でよく行われる社員研修は仲間意識を高めるための合宿ではないのですか」


「残念ながら、その合宿は個室生活に慣れて集団生活を知らない若者に、集団というものを教えるために行う訓練です」


「でも学校で集団生活を体験しているのでは?」


「いいえ、今の学校は集団生活の場ではありません。集団生活というのは和を保つと同時に集団内で競争を促す世界です。競争の方が欠けた集団生活はあまり意味がない。たとえば運動会で徒競走をすると全員が1等賞です。競争させないのです。一方家庭ではどうでしょうか」


「学校が集団生活の場でないとすれば家庭は当然集団生活の場ではありません」


「両親が共働きでひとりっ子の家庭を想像してください。そしてその子供には個室があります。

 

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両親が休みの日で家に居ても子供は自分の部屋でゲームをします」


「そんなのは家庭ではありませんね。刑部さん」


 逆田が刑部を促す。


「まわりを見て下さい。ひとりっ子の家族が多いでしょ」


「確かに」


「子供が二人以上いれば、仮に両親が共働きでも、兄弟がいるので最低単位の社会を構成します。この環境が大事なのです。下の子は生まれるとすぐ集団という組織を所与の事実として受け入れます。集団というのは少し大袈裟かも知れませんが、単独ではなく複数と表現した方がいいのでしょうが、この複数という概念は非常に重要です。英語にたとえるなら名詞たる単語の末尾には必ず『S』をくっつけて明瞭に区別します。さて遅まきながら上の子も環境の変化を察知して同じように集団という概念を理解します。つまり最小の社会構成に組み入れられたことになります」


 逆田が刑部の言葉を引き継ぐ。


「感受性の高い時期、幼少のころから十七、八になるまでの十数年間に兄、姉、弟、妹との同性、あるいは異性間での様々な赤裸々な関係は、そういう環境にない子と比べて、豊かな情感を持つでしょうね」


「大昔、子供が十人もいる家庭はざらでした。それに祖父母も同居していれば、家族は最小単

 

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位の集団というよりも、小さな会社に匹敵するほどの集団だったわけです」


「そんな家庭で育った子はたくましいでしょうね」


「そのとおりです!」


 刑部が逆田の肩を強く叩く。


「痛い!」


「すいません。つい興奮して力が入りました」


「よく理解できました。でも、昔は戦争に備えて人口を増やすという国策がありました。一方医療水準が低く、衛生状態も悪かったので子供の死亡率が非常に高かった」


「何がいいのか、悪いのか?子をたくさん造って、集団生活を当たり前のように教えこめといっているのでもなく、食糧事情や温暖化を防ぐには少子化がいいといっているのでもありません。目の前の状況、なぜこのようになったのかという原因の解明、そして今後起こりうる事態に備えて、ライフスタイルを再構築する必要があります」


 いきなり画面に虎が映しだされる。そしてコウノトリが、海亀が、マグロが、コオロギが……それぞれが子孫を残すために苦闘する姿の映像が続く。わずか十数分に編集された映像だが、子を産み、育て、独り立ちする様子が感動的に迫ってくる。


 この時間を利用して逆田と刑部が一息入れたのか、表情が柔らかくなっている。

 

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「当たり前だと思っていることを、見つめ直すと案外おかしなことをしている場合が多い。そういうことですね」


「そうです」


 刑部の返事も先ほどまでと違って力強い。


「未成年者の殺人事件から思わぬ方向に議論が広がりました。統計がいい加減であったり、統計が一人歩きしたり、一部の事件に報道が集中したりします。そして重複して量が増えるだけの情報に翻弄されて本質を忘れて表面的な解説に終始する専門家が幅をきかせます。私もそのひとりかも知れません」


 改めて逆田と刑部が並んで画面に登場する。その逆田にヘッドセットを装着したままのスタッフが近づく。


「緊急ニュースをお伝えします。太平洋のイースター島付近で国連軍とグレーデッドが対峙していましたが、戦闘状態に突入しました。繰り返します……」


 テレビの前で田中と大家は緊急ニュースの意味が呑みこめないまま、顔を見合わす。そして先に視線を外して画面右上の年月日を見た田中が驚く。


「大家さん!」


 直感的に田中が言いたいことを悟った大家は田中の部屋から外へ出る。


「夜か?変だ」

 

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 夜の繁華街のような目映いばかりの光のシャワーを浴びながら、アパートの錆びた階段を下りて地面にたどり着く。改めて周りを見上げると首が痛くなるほどの多数の高層マンションが真っ黒な雲に覆われた空に向かってそびえ建っている。二階建ての建物はこのアパートだけだ。煌々と輝くマンションの窓からの明かりで、曇っているのにもかかわらず晴天のように足元が明るい。


「大家さん」


 先ほどとは違って田中の声は小さくて低い。


「僕の部屋は竜宮城だったんだ」


「乙姫はいなかったぞ」


「乙姫も鯛やヒラメもいない、安物の竜宮城だったんだ」


 大家はその言葉に怒るどころか小さく頷く。そして田中の顔をしげしげと見て尋ねる。


「歳をとっているか?」


「えっ?」


「田中さんは変わっていない。わしは?」


「あっ!浦島太郎のことですね」


「わしは?」


「変わりはないですよ。でも、もともと年寄りじゃないですか」

 

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「待てよ」


 大家がある方向に走りだす。田中がその跡を追うが、大家の足は意外と速い。やがてある場所に近づくと大家のヒザがガクッと落ちて両手を地面について涙声を出す。


「わしの家がない」


 田中が前方を見つめる。そこにはスカイツリーに匹敵するマンションが建っていた。ふたりは後ずさりしてアパートに戻る。

 

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