* サブマリン八〇八*
「すごい空洞だ」
「消えた海水はどこへ行ったんだ。高度を下げろ」
急にサブマリン八〇八が大きく揺れる。シートベルトが身体に食いこむぐらい艦内が激しく揺れる。
「突風が吹いているんだ」
「地底の台風か」
「本艦のセンサーでは外の様子が分からない」
「暗視カメラには何も映っていません」
「聴音機には激しい風の音しか聞こえません」
「操船不能!」
「本艦はトリプル・テンに守られている。心配するな」
「しかし、手の打ちようがない」
「とにかく、衝撃に備えろ。この地底に大海原が広がっているはずだ」
「艦長!風の音の中に波のような音が聞こえます!」
[132]
「空間でも懸垂体勢を採れるか」
「やってみます」
しばらくしてから揺れが収まると小刻みな震動が起きる。水準器の泡が中央部で震えている。
「なんとか水平体制を維持しました」
「ゆっくりと降下しろ。対ショック体勢は継続」
「波の音がはっきりと聞こえます」
「暗視カメラは?」
「海を確認。荒れています」
着水したサブマリン八〇八が大きく揺れて、まともに立つことができずに悲鳴だけが広がる。
「潜航!急速潜航!」
激しい揺れがしばらく続いたあと、信じられないほど静かになる。
「潜水に成功」
「やっぱり、海中が落ち着くな」
「潜望鏡深度まで浮上」
再び艦内が大きく揺れ始める。
「潜望鏡深度に達しました」
「潜望鏡を上げろ」
[133]
艦長が潜望鏡を覗く。
「嵐というもんじゃない。シュノーケルの弁を開け。空気を採取しろ」
「採取完了」
「海底の状況を調べる。取りあえず深度五〇まで潜航」
「採取した空気にはメタンガスが混じっています」
「浄化できるか」
「多分無理です」
「火気厳禁!全員に徹底しろ」
「方角は分かるか」
「ほぼ西に向かっています」
「潮流はどうだ」
「かなり早く流れています。信じられません。三〇ノットぐらいです」
「危険だ。本艦の移動速度を一〇ノット以下の速度に調整しろ」
「了解」
「まるでジェット海流だな」
「どこに向かって流れているんだろう」
「現在位置を推定しよう」
[134]
ノロは航海士の横の席に座ると端末のキーボードを叩き始める。
「マリアナ海溝の下にいるようだ」
「メキシコ湾の最深部の深度は四千数百メートルだから、更に八千メートルぐらい深い位置にいることになる」
「やがて、日本列島の東側の下あたりを通過することになる」
「地震の巣があるところか」
「この海の深さを調べよう。深々度潜航!」
「急速潜航開始します」
「深度一〇〇…一一〇…一三〇…」
すぐに五〇〇を越え千に近づく。
「間もなく海底です。この海の深さは千メートル前後です」
「浅いな」
「よし、潜航やめい」
「地表の太平洋はもはや大海ではないが、その下に地下太平洋が存在している」
「海底でも同じ方向にほぼ三〇ノットで流れています」
「あっ!スクリュー音が!潜水艦です!こちらに向かってきます」
「位置を確認!データを保存しろ」
[135]
「メキシコ湾の穴に吸い込まれた潜水艦か」
「相手からはこちらの位置は分からないはずだ」
「これだけの海流に逆らって航行できるのは原子力潜水艦だけだ」
「衝突の可能性は?」
「ありません」
「すれ違います。本艦の真横を通り過ぎます」
その潜水艦のスクリュー音が直に聞こえる。
「すれ違いました」
そのとき謎の潜水艦のセイルの水平舵が折れる。
「異常音発生!何かが向かってきます」
「この海流の中では魚雷はミサイルみたいに速いぞ」
「魚雷ではありません」
「いったい何だ。とにかく海流に逆らわずに、流れに任せて航行しろ」
「わあ、当たります!」
ガンガンという音が艦内に響く。
「慌てるな。魚雷が当たっても本艦は大丈夫だ」
「あっ、魚雷の発射音複数あり」
[136]
「急速浮上!衝突音に反応したな」
「潜水艦がこちらに近づいてきます」
「事故ったな。強烈な海流に逆らって航行していたから、水平舵か垂直舵が折れたのかもしれない」
「大変なことになるぞ」
ノロに肩を叩かれた艦長が迷惑そうにノロを見る。
「何が」
「忙しいのは分かるが、原子力潜水艦ならやっかいなことになる」
「浮上中止!」
「この海が砂漠に通じているのなら、ここで原子力潜水艦に万が一のことが起こると……」
「航海士、操舵士!本艦の浮遊能力であの潜水艦を包み込めるか?!」
「艦長!ノロの言うとおりなら、やるしかありません」
「原因を作ったのがトリプル・テンなら、この困難を救うのもトリプル・テンかもしれない」
「そのとおり!メキシコ湾から吸い込まれた海水が地球上の大砂漠に噴出しているのなら、謎の原子力潜水艦が粉々になったら世界中に放射性物質が拡散する」
「そうだとすれば、魚や鯨はもちろんのこと、急速に広がる湖周辺の緑地帯が放射線を浴びることになる。捕獲を急げ」
[137]
軽い衝撃が伝わる。
「なんとか捕まえました」
「捕まえたといっても縄で縛っているわけではない。離れないように用心しろ」
「大丈夫です。磁石のように完全に本艦と密着しています」
「それなら海流の流れに乗って速度を上げろ」
「加速します。四十、五十、六十」
艦内が小刻みに震える。
「すごい加速だ。百に達したらその速度を維持しろ」
「捕まえた潜水艦は大丈夫でしょうか」
「相手は原子力潜水艦だ。我々のようなポンコツ潜水艦ではない。しかもメキシコ湾の底を潜航していたんだ。最新鋭の潜水艦に違いない」
「コントロールできません。海流は五十ノットを超えています」
「推定現在位置は?」
「日本海の下あたり?いや、中国に達しているかもしれません」
「現在速度は?」
「分かりません。速度計がデジタルでなければ、針が振り切れているでしょう」
速度計には「8」の文字だけが並んでいる。
[138]
「二百ノット以上かもしれない」
「新幹線並だ」
「深度は?」
「深度計が正しいとしたら、六百メートルです」
「上昇しているな」
誰もが黙ってしまう。ノロが大きな口を広げて周りを見渡す。
「心配するな。然るべきところへ行くだけだ」
「然るべきところ?」
「タクラマカン湖か、アラビア湖か、サハラ湖、いや、ほかの元砂漠地帯かもしれない。それを確かめるためにメキシコ湾の穴に跳び込んだことを思い出せ。どこに出るのか賭けでもしないか」
「わたしはタクラマカン湖に賭けるわ」
イリがはしゃぐ。
「なんと、はしたないことを!」
長老がたしなめる。そのとき、全員、上昇圧力を感じる。
「おかしい」
「深度三百、二百!」
[139]
「海流も上昇してます」
「速度を制御できないのか」
「努力してます」
「着席!シートベルト!ショックに備えろ」
艦長自身は着席せずに潜望鏡にしがみつく。
「長老!何をしている。早く椅子に座ってシートベルトを」
ノロが長老の腕を引っ張って座らせるとシートベルトを締める。そして長老にしがみつく。
全員深度計を注視する。
「上昇速度が!」
強い衝撃がしたあとサブマリン八〇八は海面から高く舞い上がる。そして震動が収まり艦内が落ち着く。モニターに外部の状況が映し出される。
「例の潜水艦は?」
「本艦にピッタリとくっついています」
「タクラマカン湖だわ」
「現状を把握しろ」
「高度三〇〇メートル。急上昇中です」
モニターに謎の潜水艦が映し出されると艦長が叫ぶ。
[140]
「これは!グレーデッドの潜水艦だ!切り離しは可能か」
「どうすれば切り離せるのか、分かりません」
「聴音機のボリュームを上げろ」
* グレーデッド*
「磁気核ミサイルの発射準備」
「一番、二番。発射管を開きます」
「安全装置解除。時限装置作動開始」
「艦長!セイルのカメラの映像を見てください。やけに外が明るい。これは……」
「空中に浮いている!どういうことだ!」
「現在地は!」
「不明です」
「カメラだけでは何も分からん」
「セイルに出てみよう」
グレーデッドの司令所で立っている乗組員の足が床から浮く。
「急に降下、いや、落下しているぞ!」
何かにしがみつこうにも、浮き上がった身体が天井に貼り付いてどうしようもない。そのとき、大きなショックが全員を襲う。水面にぶつかったのだ。しかし、数百メートルほどの高さ
[141]
から落下したから、頑丈に造られているとはいえ、艦体の真ん中で折れてV字となり艦首と艦尾が一瞬水面に漂うがその後渦を巻いて沈没する。
上空からその様子の一部始終見届けたノロや艦長たちは今さらながら驚く。
「グレーデッドはあのイースター島海戦で全滅したんじゃなかったんだ。大変なことを発見したぞ。核テロ集団が生き延びている!」
「グレーデッドの存在を全世界に伝えなければ!」
「それよりあの潜水艦の原子炉が心配だ」
「潜って艦尾を回収しよう」
「先にわたしの村に行って!」
「そうじゃ。村人にグレーデッドのことを中国政府に報告させるのじゃ」
「艦長!本艦にミサイルが二本くっついています!」
「何!どこに!」
「艦底です」
「磁気魚雷か磁気ミサイルだ」
「離れたとたん爆発するか、時限装置がタイムアウトになったとき爆発します」
「グレーデッドの磁気ミサイルなら核弾頭を装備している」
「回収作戦中止。急速上昇!」
[142]
「ノロ!」
「俺に任せろ!イリ、村に帰るのはあとにする」
イリが頷くのと同時に艦長が大声をあげる。
「急速上昇!ノロ、そのあとは」
「大気圏外に出たら、降下する」
「降下!」
艦内の温度が急激に下がる。
「寒いわ」
「我慢しろ。しばらくしたら『暑い、暑い』と文句を言う状態になる」
「高度四万!?。降下します」
「大気圏に突入します」
「艦内温度、上昇!」
艦内のあちらこちらから白い煙が立ち込め息苦しくなるほど暑くなる。汗が噴き出し、操縦する者以外は衣服を脱ぎ出す。
「冷房強化!」
トリプル・テンに包まれたサブマリン八〇八はほのかに赤味を帯びるが、艦底にピッタリとくっついていた二本の磁気核ミサイルは真っ赤に輝くと燃え尽きる。
[143]
「下降停止。上昇しろ。宇宙へ出て艦を冷やすんだ」
「なんとか、凌げた」
「ノロ、大したものだ。感服した」
艦長がノロの手を握る。ノロは艦長ではなく下着姿のイリを見つめる。
* 国連*
「タクラマカンのイリ村からの報告によると、グレーデッドが態勢を立て直したらしい」
チェンの報告に議場が騒然とする。
「ご静粛に!いずれにしてもサブマリン八〇八がグレーデッドの核ミサイルの爆発を防いだようです」
鈴木が言葉を引き継ぐ。
「戦闘機や偵察衛星の映像や画像には映っていなかったが、完璧なステルス機能を身につけたサブマリン八〇八の仕業です。それ以外に考えられません」
チェンが鈴木の言葉に頷くと、背を伸ばしてふたりの説明を細大漏らさず聞く態勢になった議場を見渡す。
「私はウソを言ったり隠し事をする中国人ではありません。ほとんどの中国人は私と同じです。
なぜグレーデッドの核ミサイルの爆発を防げたのか、もちろん推測ですが、私の見解を披露します」
[144]
すでに断片的ではあるが、チェンや鈴木はサブマリン八〇八やトリプル・テンの存在を臭わせてはきた。しかし、チェンの体系的な報告が各国大使に一体感を与える。そして彼らは本国のトップよりも国連の事務総長と今や同時に国連実務総長に就任した若いチェンと鈴木を信任することが人類の選択すべき道だと改めて再認識した。
状況を本国に打診した各国大使の中には解職された者もいたが、事務総長は国連大使会を発足させて解職された者を含むすべての大使を事務総長の補佐人として国連の仕事に専念するよう指示すると全大使が事務総長の元に結束した。チェンも鈴木も感動して国連に身を捧げることを改めて約束する。事務総長はそんなふたりに近づいて厳しい表情を向ける。
「海面が下がった今、なぜ、グレーデッドが復活したんだ。不気味だ。それにサブマリン八〇八と連絡が取れないのはなぜだ」
チェンと鈴木が見あわせると声を合わせて応える。
「一方通行が原因です」
[145]