第十一章 スミス


* ニューヨーク*

「スミスさん。教えてください」


 ニューヨークの超高層ビルの最上階で鈴木とチェンが立派な部屋に通されると、大きな窓から外を眺めるスミスの背中に声をかける。逆光ではっきりとその姿を見ることはできない。


「ご質問は?」


「トリプル・テン、ノロという男そしてサブマリン八〇八のこと」


「もちろん、聞く覚悟はできておられるのでしょうな」


「はい」


 スミスは振り向きもせずに背中で応える。


「まず、サブマリン八〇八のことから、お話しますかな」


 ふたりは立ったまま、ゴクリとツバを呑み込む。


「あの潜水艦の歴史は省略します。すでにご存知でしょう」


 スミスがかかとを床から少し上げる。


「私は武器商人ではありませんが、兵器マニアです。私にとってサブマリン八〇八は非常にノスタルジックな潜水艦です。グレーデッドとのイースター島海戦を最後に退役したサブマリン


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八〇八を日本政府から払い下げてもらいました。失業した艦長は非常に喜んでくれて、興味深い話とあるモノをプレゼントしてくれました。それはトリプル・テンでした」

 

「えっ!」


 ふたりは踏み止まって驚きの一声だけを発する。


「艦長の話によればサブマリン八〇八の潜航能力は数千メートルに達するという。最新の涙滴型の原子力潜水艦ならともかく、シップ型のしかも旧式の潜水艦なのに原子力潜水艦を上回る潜航能力を持っている。私と元艦長はサブマリン八〇八の外部、内部を問わず、ありとあらゆるところを調査しようと決心したとき、仰天しました」


 スミスはまだ外を眺めている。


「私がなぜ君たちのところに歩み寄らずにこの窓際で立っているのか、分かりますか?」


「分かりません」


「私がはっきりと見えますか?」


「見えません」


「あのときのサブマリン八〇八もボヤーッとしか見えない鉄の塊でした。ちょうど君たちが私をはっきりと見ることができないように」


 スミスは振り向くことなく、話を続ける。


「サブマリン八〇八の外壁には厚さ一ミリにも満たないトリプル・テンがくまなく貼り付いて


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いました。しかし、その表面はダイヤモンドより硬かったが、不思議なことにわずかながら弾力性がありました。艦長からもらったモノと全く同じモノだと気付くのにそれほど時間はかかりませんでした。しかし、トリプル・テンの正体は分からず仕舞いで、お手上げの状態がしばらく続きました。そのとき、私が学長を務めるスミスキンバリー大学に北京大学を優秀な成績で卒業したノロという男が講師に雇って欲しいとやって来たのです。私は何か引っかかるような気持ちがしたので直接面接しました。今でもはっきりと覚えています。彼の第一声はサブマリン八〇八のことでした」

 

* サブマリン八〇八*

「艦長、ひとつだけ教えて欲しいことがある」


 背の低いノロが艦長に近づいて真下から睨む。


「最、初、、どこでトリプル・テンを手に入れた?」


「その質問はひとつではない。複数の答えを求めている」


「ずーっと我慢してきた質問だ。スミスに尋ねたが、『知らない』と惚けていた」


「そうか」


「要は、トリプル・テンがどのようにしてサブマリン八〇八に付着したのかを知りたいのだ」


「それはメキシコ湾で体験したとおりだ」


「違う!」


[168]

 

 

「知っているのか」


「うっすらと。そう、サブマリン八〇八はメキシコ湾に向かう以前から、トリプル・テンにうっすらと包み込まれていた」


「なぜ、そう考える?」


「月でトリプル・テンを回収したときに気付いた」


 ノロは口を横に大きく広げて艦長に催促する。


「元々本艦はトリプル・テンをコーティングしていた。もちろん私がしたのではない。あるとき偶然にコーティングされた」


 ノロは口元を引き絞めて更に催促する。


「そのときの状況を詳しく教えてくれ」


「グレーデッド。核兵器を欲しがる国々を味方にして、核保有国を脅迫した過激な組織。随分前にイースター島海戦で全滅したと誰しも思っていたが……。あのイースター島海域での人類史上最悪の核戦争……実はサブマリン八〇八も戦闘に参加した。もちろん、国連軍として」

 

* イースター島海戦*

「なぜ、こんなオンボロ艦を派遣するんですかね」


「数合わせだ」


「それに放射線防御システムを装備していない」


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「そのとおり。逆に本艦が沈没しても原子力潜水艦ではないから、放射性物質を撒き散らす心配はない」


「間もなく、一週間前に核魚雷が爆発した真上を通過します」


「なぜ、こんなところを航海するんですか」


「かなり汚染されているな。しかし『こんなところ』というのがミソだ」


「ソナーに反応あり。国連軍ではありません」


「総員、戦闘態勢!方位は」


 緊張感が司令所に張り詰める。


「全速前進。深度二〇〇まで潜航」


「この海域は浅い。海底の深度は?」


「四〇〇です」


「相手は核兵器を持っている」


「核魚雷で攻撃してくるのでしょうか」


「アメリカ軍やロシア軍、それにユーロ軍の空母を撃沈するのが最大のショーになるから、雑魚の潜水艦には使わないはずだ」


「こっちは旧式の潜水艦だから、通常魚雷でお願いしたいものだ」


「敵艦も気付いた模様。深度一二〇で接近中」


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「面舵一杯。艦首を上げろ。仰角一二。全魚雷発射管開け」


「距離三〇〇〇」


「取り舵。深度一五〇まで浮上」


「敵艦深度一〇〇。ロックします」


「なぜだ!深度を上げている」


「敵艦の魚雷発射管が開きました」


「全魚雷発射!タンクブロー。深度一〇〇まで浮上」


 軽い震動とともに六本の魚雷が敵艦に向かう。


「深度一二〇」


「敵艦の発射音補足。魚雷確認。雷数五本以上」


「海上にスクリュー音!四軸です。多分……」


「空母だ。魚雷は本艦に向かっているのか」


「一分後、本艦の上を通過します」


 そのとき、振動が伝わる。


「魚雷命中!」


 艦内に歓声が沸く。


「うるさい!敵潜水艦の魚雷進路は?潜望鏡深度まで浮上!」


[171]

 

 

 艦長は待ちきれず、潜望鏡を上げようとする。


「まさか」


「艦長!敵艦魚雷の予想到達先は先ほどの……」


 潜望鏡を回すと一点で固定する。


「空母だ。偶然か。初めから狙っていたのか」


 潜望鏡を下げると怒鳴る。


「急速潜航。進路六四。全速前進!魚雷が核魚雷だと大変なことになるぞ」


「深度八〇、一一〇、一四〇……」


「速度一二、一三、十五……」


「対ショック体勢!」


 核魚雷が空母に命中する。大きな揺れと小刻みな震動が同時にサブマリン八〇八を襲う。


「深度二五〇」


「速度二〇。最高速度に達しました」


「浸水に備えろ」


「深度三〇〇」


 ミシミシという音が周りでする。


「機関室、浸水」


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「電源室冠水。バッテリーから塩素ガス発生」


「隔壁閉鎖」


「海底までは?」


「強烈な振動音でよく分かりませんが、八〇ぐらいです」


「タンクブロー!」


「浸水が止まりません。海水に放射性物質が含まれています!」


「濡れないようにしろ」


「無理です」


「間もなく海底に達します」


「ショックに備えろ」


 サブマリン八〇八はなおも降下する。至るところから噴水のように海水が漏れる。


「どうした。底割れしたのか」


「深度四〇〇。まだ降下します」


「ひょっとして、一週間前の核爆発で海底にクレーターでもできて……」


 思いがけない軽い衝撃がしたあと海底に到着する。


「何か柔らかいものに衝突したような感じがする」


 艦長の感覚を全員が共有する。


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「排水急げ。浮上しろ」


「浮上しても、この海域は放射性物質で汚染されています」


「艦長、浮上できません」


「何か泥沼に入ったような感じです」


「浸水が止まりません」


「これは!」


 ビー玉のような真っ黒い固まりが海水に混じって艦内に侵入してくる。


「触れるな!」


「放射線のレベルが急速に低下します」


 ショックが走る。


「浮上!タンクブロー!全速前進!電池が切れるまでフル出力でモーターを回せ」


 その命令の直後、停電する。停電しているのに感電死する者が続出する。サブマリン八〇八が大きく傾く。

 

* サブマリン八〇八*

「その後、サブマリン八〇八では不思議なことばかり起こった」


 艦長の手には小さなガラスビンが握られている。ノロは大きく息を吐いてビンを見つめる。


「サブマリン八〇八はごく薄いトリプル・テンに覆われていた。トリプル・テンが放射線を遮

 


[174]

 

 

蔽したようで私は命拾いした。このビンの黒いものはそのとき手に入れたトリプル・テンだ」


「核爆発で深海のトリプル・テンが舞い上がって、サブマリン八〇八がそのトリプル・テンに遭遇した。艦内に流れ込んだトリプル・テンに船外のトリプル・テンが呼応してサブマリン八〇八に貼り付いた。量が少なかったのか、とても薄かった」


「トリプル・テンには友呼びする性質がある」


「友呼び?」


「イースター島海戦でトリプル・テンが薄く貼り付いたから、メキシコ湾でトリプル・テンを更に分厚くメッキできた。そして完全に透明化された」


「ということは、本艦はトリプル・テンというコートを羽織ったことになる」


「ノロの言うとおりだ」


「労せず月のトリプル・テンを地球に移送できるな」

 

* ニューヨーク*

 スミスが振り向く。やはり逆光気味でその顔がよく見えない。


「ノロは実に無邪気な男です。サブマリン八〇八に貼り付いた薄いが硬い、そして弾力性を持った物質について奇想天外なことをしゃべり出しました。そのあと手渡したトリプル・テンのサンプルを分析すると比重が金の一〇倍で硬度一〇のダイヤモンドより硬いことからトリプル・テンのことをノロは『テンテン』と呼びました」


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 窓際でじっと立ったままのスミスに鈴木とチェンが我慢できずに二、三歩近づくと、スミスは背中を向けたまま左手を上げて応接セットに戻るように促す。


「そして流動性比率が一〇であることから『テンテンテン』、つまり『トリプル・テン』と改名しました。というのが表向きの命名理由です。しかし、ノロはトリプル・テンが様々なモードを取ると予言しました。そのモードが何種類あるかまでは言及しませんでしたが、仮に一〇モードあるとすれば……いや、モードの数はどうでもいいことだ」


 ふたりが腰かけるとスミスがゆっくりと振り返る。


「そのモードのひとつに生命の誕生を促すモードがあります。そのモードによって地球に生命が誕生しました」


 鈴木とチェンは振り向いたスミスの首の上に頭がないことに目を見張る。


「もっと驚くべきモードがあります」


 ふたりは黙ってスミスの声を呑みこむ。


「説明するまでもないようですな」


 何とか鈴木が立ち上がって叫ぶ。


「榊司郎もか!」


 スミスが大きく頷く。

* サブマリン八〇八*


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「思っていたとおりだ。トリプル・テンのモード⑧の効果だ。しかし、永遠にというわけにはいかない」


「今度はノロの説明を聞きたい。そのために告白したのだ」


「それはまたの機会にしよう」


「残念だ。しかし、モード⑧に興味はないのか」


「もちろん興味はある。だがモード⑧には副作用がある。しまった!言わないでおこうと思っていたのに」


 ノロは手で口を覆う。


「やはりそうか。副作用があるのか。どんな……」


 ノロは覆った手を下ろして艦長の言葉を遮る。


「今回の事件で大国も自力で存続し得ないことが、イヤというほど分かったはずだ。言いつくされた古い言葉だが『地球はひとつ』だ。そして『地球は人間だけのものではない』」


 艦長は話題変更にガッカリするが、その気持ちを打ち消すように大きく頷く。


「メキシコ湾の穴をどうするんだ」


「そのままにしておく。折角新しい海水の循環系統ができたんだ!」


「!?」


「全生命の代表者、人類は責任を持ってこの地球を改造するんだ。この環境の激変であらゆる


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生命体が大きな影響を受ける。ある生命体は存亡の危機に瀕するし、逆に多大な恩恵を受ける生命体もある。新しい環境下で生命体の幅広い共存を目指すんだ」


 ノロが興奮する。


「具体的には」


「そろそろ、スミスから連絡が入ってもいい時期じゃないかな」


「私もスミスの何らかの連絡を期待している。決してその連絡を隠したりするつもりはない」

 

* ニューヨーク*

「ノロが鍵を握っています。彼のトリプル・テンに関して研究したデータがこのスティックメモリーに入っています。私も科学者の端くれだが、ほとんど理解不能だ。しかし、彼の崇高な考えには大賛成です」


「崇高な考えとは?」


「人類の無茶苦茶な環境汚染で自浄能力を失いつつある地球を救うという目標に向かってノロはトリプル・テンを利用しようとしている」


「壮大すぎる話だ。にわかに信じがたい」


「しかし、トリプル・テンとノロは存在している」


「スミスさん。私達を招いた理由は」


「国連は若い君たちに未来を託しました」


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「若者ではありません。すでに四〇を超えています」


「人類の未来を背負うには理想的な年齢です」


 恐縮することなくチェンが口を開く。


「このデータを分析して国連が一丸となってノロに協力します」


「ミスタースミス!」


 天井のスピーカーから悲痛な音声が響く。


「国連がグレーデッドに占拠されました!」


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