「大統領が辞任した今の地球連邦政府は次期大統領選挙で混乱しているわ」
「当面、廃炉はできない。どうする?」
加藤が随分前から床に大の字で寝ているノロを見つめる。しかし、微動だりしない。
「核兵器を積み込んで原子力空母や潜水艦を太陽に飛ばすようにはいかないぞ」
加藤がノロの発言を引きだそうと刺激するが反応はない。
「何もこんなところで寝そべらなくてもいいのに」
イリは総統席を立ってノロに近づくが声はかけない。すでにノロとは長い付き合いだ。真剣に考えいるのか、居眠りしているのかを確かめると席に戻る。
「加藤。次期大統領に就任する可能性が高いのは誰なの?」
「チェン、と言いたいところだが、彼は立候補を辞退した」
「えー!」
「中国政府はカンカンです。彼の国籍を剥奪したうえで入国を認めないと宣言しました」
「そうすると最有力候補は鈴木?」
加藤に代わって情報担当の幹部が応える。
[133]
「確かに鈴木が有力ですが、中国は日本人の鈴木以外なら誰でもいいと牽制しています」
「面子を潰されたのね。アメリカやユーロは?」
「彼らは冷静に鈴木を支持しています」
「ロシアは?」
「チェンが降りたので鈴木を支持しています」
「他の国々は?」
「どちらでもいいというのではありませんが、チェンか鈴木が適任だという意見が多い」
「常識的な判断だわ」
このとき床のノロがかすかに頷く。
*
ついにイリがひざまずいてノロの耳元で囁く。
「原子力発電所の建屋の下にロケットエンジンを付けて宇宙に飛ばすことはできないの?」
「それは……」
加藤があまりにも乱暴なイリの意見に言葉をはさもうとするが、イリはお構いなしににっこり笑って囁きを追加する。
「返事がなければ賛成とみなして実行しようかしら」
ノロの右目と口が開く。
[134]
「百メートルも上昇しないうちに空中分解するだろうな」
そして左目を開ける。イリも片目をつぶってから両目を開ける。
「いいアイディアだが、逆だ」
ノロは立ち上がると加藤に尋ねる。
「サブマリン八八八はどこに係留されているんだ?」
「秘密基地です」
「そうか。まず加藤が所長をしていた日本の関東電力の福島原子力発電所、そう、あのメルトダウンした原子炉の廃炉作業にかかる」
「どうするの」
イリがノロと加藤の間に割りこむとノロは電子黒板に向かう。
「こうする」
ノロが電子ペンを持つと絵を描き始める。イリはもちろん加藤以下幹部がノロの言葉を待つ。
「地下深くに通じる長いトンネルを造る」
「その丸いモノは?」
「トンネルを造る装置だ。直径は十メートルほど」
「どうやって掘るの?」
「掘るんじゃない。造るんだ」
[135]
ここで加藤が興奮気味に発言する。
「ひょっとしてトリプル・テンを球体化してトンネルを造るんじゃ!」
「さすが、加藤」
ノロが胸を張る。
「しかし、直径十メートルのトリプル・テンの球体なんて何百トン、いや何千トン、いや……」
ある幹部が驚きの余り腰を抜かす。
「それより、そんな重いトリプル・テンを福島までどうやって運ぶの!」
「それよりトリプル・テンの球体をどうやって造るんだ!」
「それより、大量のトリプル・テンがどこにあるんだ!」
疑問が噴出するがノロは意に介さない。
「心配無用。問題はタイミングだ」
ノロがみんなの疑問を払拭するための説明を始める。
「『案ずるより産むが易し』だ。トリプル・テンは十分確保してある。重力の低い場所ならトリプル・テンの保管は困難ではない。球体化は原子力発電所のすぐそばで行う。やり方はこうだ」
ノロが電子黒板に驚くような速さで図面や数式を書き出す。驚きの声が消えてやがて誰もが黙りこむ。
[136]
*
「地球連邦政府の大統領に鈴木が就任しました。しかし……」
「何を言ってるの!あなたの報告はいつでもすっきりしない」
奥歯にモノが挟まったような報告に総統のイリがスカートをまくり上げてその担当者に近づくと拳を上げる。
「はしたないですぞ」
今までまったく発言しなかった長老が制する。
「長老!いつここに?」
「始めからいる。今まで我慢していたのじゃ」
「その我慢を続けるように」
イリは視線を長老から報告担当者に戻す。
「大統領に就任した鈴木はすぐ辞任してチェンを大統領に指名しました」
「えー?」
*
大統領就任演説をするために演台に立った鈴木が挨拶する。
「皆さん。ありがとうございます。たった今、地球連邦政府の大統領に就任した鈴木です」
深く礼をするとすぐさまチェンを指差す。
[137]
「チェンを副大統領に指名したいと思いますが、いかがでしょうか」
すぐさま中国以外の首脳が割れんばかりの拍手が送る。鈴木が手招きするとチェンが立ち上がってゆっくりと演台に向かう。
「大統領としての最初の提案に賛成していただいてありがとうございます。さて二番目の提案、というより最初の大統領令を発効します。皆さんには提案だと受け取っていただいても結構です」
ここで鈴木が一呼吸置く。チェンはにこやかに鈴木を見つめる。
「チェン副大統領。君を大統領に任命する」
笑みは消えてチェンの顔が強ばると、少し間を置いて議場から驚きの声が上げる。しばらくするとチェンが鈴木を睨み付けてまくし立てるようにしゃべるが、混乱した議場では何を言っているのかまったく聞こえない。あの仲のいいふたりが身振りを交えて口論している。やがてその会話を聞こうと議場がピタッと静まる。
渋々チェンがマイクを取ると鈴木に代わって演台に立つ。
「まず、私は鈴木に代わって大統領職を引き継ぐことにしました」
すぐさま議場から驚きの声が上げるとチェンが両腕を広げる。
「ただ今のやり取りを説明しますから静粛に願います」
再びピタリとざわめきが止まる。
[138]
「さて、グレーデッドが全世界の原子力発電所の廃炉を要求していることはご存知ですね」
反応を確認することなくチェンが続ける。
「先ほどグレーデッドの総統イリからメルトダウンした福島原発の廃炉を実行する旨の通知がありました」
低い唸るような声が起こるが、チェンの言葉を遮るほどの大きさではなかった。そのとき日本の首相が発言を求める。
「私は聞いていない。当事国を無視している!」
鈴木が議場の奥の警備員を指差すとチェンが応じる。
「例外的に認める。ドアを開けなさい」
ドアが開くと日本の外務大臣がまっしぐらに首相に向かう。
「首相!」
首相が振り返ったときにはすでに外務大臣がそばまで来ていた。チェンはその光景を無視してしゃべりだす。
「日本の意思は尊重するがメルトダウンした原子炉を放置することはできない。日本も好んで放置している訳ではないが、廃炉作業が足踏みしていることは確かだ。かといって我々の技術ではどうしようもない」
外務大臣とともに日本の首相は自分の席に座り直してチェンに頭を下げるが、チェンは応ず
[139]
ることなく言葉を続ける。
「グレーデッドは作業開始から一ヶ月以内に福島原発の原子炉を完全にしかも安全に廃炉する
と言ってきた」
チェンが確認の目線を送ると首相は大きく頷いてみせる。
「グレーデッドの提案を日本政府は受けるのですね」
「それは本国に持ち帰って……」
「あなたは首相でしょ。それに受けるか否か、迷うような問題ではない」
チェンが首相に向けていた視線を外す。
「地球連邦政府としてグレーデッドの提案を受けます」
すると首相が立ち上がって精一杯の声を張りあげる。
「誰が受けたのですか!チェンですか?鈴木ですか?誰が地球連邦政府の大統領なのですか」
「受けたのは私の前任者、鈴木大統領です。あなたの国の英雄です」
チェンの横の鈴木が頷くと首相がへなへなと崩れて座りこむ。
「さて、始めに申し上げましたが、グレーデッドが地球上のすべての原子力発電所の廃炉を求めています。グレーデッドと申し上げましたが、実際に廃炉作業の指揮を執るのはあのノロです」
ノロに会ったことはなくても各国首脳はそれなりにノロに関する情報を持っている。
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「ところでノロの国籍はご存知ですか」
さすが首脳会議だ。首を傾げる者はいない。
「そう、私と同じ日本人です」
応えたのは鈴木だった。いつの間にかマイクを持っている。
「ノロがメルトダウンした原子炉を何とかしようと手を差し延べている。私は一緒にその仕事をしたい。同じ日本人として」
チェンが演台を譲る。
「そしてその技術を全世界に広げてすべての原子炉を廃炉にする」
隣に立ったチェンが拍手をすると感染したように議場に拍手が広がる。拍手が鳴り止むまでの時間を利用してふたりはマイクを切って耳打ちしながら手応えを確認する。
やがて拍手はふたりに説明を要求する手拍子に変わると鈴木が応じる。
「もうひとつ考えたことがあります。グレーデッドの総統はイリです。イリは中国の少数民族の女王です。そんなイリをチェンは分け隔てなく援助した。中国政府は一時チェンを迫害したこともあったが、逆にチェンの人気を利用しようと地球連邦政府の大統領に推挙した。しかし、その意図が露骨だったのでほとんどの国の反発もあって私が大統領に選出されました。これ以上の説明は不要でしょう」
鈴木が演台をチェンに譲ってそのまま議場から消える。地球連邦政府の大統領に選出されな
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がら鈴木はその地球連邦政府から日本の福島に向かう。
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