ノロの部屋にイリが現れる。
「本当に宇宙に飛びだすの?」
「当たり前だ。今忙しいから……」
「いつも忙しいのね」
「瀬戸際にいる。今頑張らなければ」
「ねえ、ノロ」
ノロは返事をせずにモニターを見つめながらキーボードをはじき回す。イリはそんなノロに近づくと耳元で囁く。
「私のこと……」
ノロが驚いて手を止めるとイリを見つめる。
「……そんなこと考えたこともなかった」
「どんどん私から離れていく……」
「いつも一緒にいるじゃないか。イリがいるから……」
「分かったわ。邪魔をして……」
[183]
そのとき警報が鳴る。同時にイリの非常用携帯通信機からチェンの声がする。
「大変なことになりました」
「どうしたの」
「グレーデッドの秘密基地を中国軍が包囲した」
イリは受話器に耳をつけたままノロに伝える。ノロは黙って部屋を出ると宇宙戦艦の造船工場に向かう。
――急いだが、急ぎすぎじゃなかった。むしろ遅かったか
ノロが携帯通信機を手にすると加藤を呼びだす。
「秘密基地を中国軍が包囲したようだ」
「まさか!」
「今、何をやってるんだ?」
「ハヤブサで飛行訓練をしている」
「そうか。そのまま地球に向かって訓練を続行しろ」
「えー!」
「実戦訓練だ」
「無茶苦茶なことを言うな!」
滅多に大声を上げたり興奮しない加藤の声がノロの耳を突きさす。
[184]
「俺は宇宙戦艦で一足先に地球に向かう」
ノロが一方的に通信を切ると工場内に入る。
*
「試運転する」
「えー!気でも狂ったんですか!」
「まだ完成していません。擬装工事も始まったばかりです」
「地球のグレーデッドの秘密基地が間もなく攻撃を受ける」
「敵は?」
「すぐ出航する。何をすべきか、一人ひとり考えろ!」
一瞬の沈黙のあと作業員は一目散に持ち場に散る。ノロはあらゆる可能性を想像しながら宇宙戦艦に向かう。
「ここが勝負所だ!なんとかこれを乗り越えれば……」
ノロが大きな声を上げたとき、イリが造船工場に入ってくる。
「ノロ!」
ノロに追いつくと宇宙戦艦の艦底にたどり着く。そして急勾配の艦底ハッチを上ると艦橋に向かう。艦橋にたどり着くと艦長席でノロが左拳を高く上げる。
「地球のグレーデッドの秘密基地へ空間移動!」
[185]
すぐさま力強い返事がする。
「了解!」
「秘密基地の空間座標を確認しろ」
「確認できませんが、何とかします」
たまらずノロが叫ぶ。
「確認せずにだと!」
「あとでします。シートベルト着用。空間移動開始」
操縦士が叫ぶ。その横で副操縦士が造船工場内に警告を発する。
「シェルターが壊れるかもしれない。全員退避!」
もう何もかもが無茶苦茶だ。実行あるのみだ。全員がノロの指示を共有している。しかし、宇宙戦艦自体が大きく震えてあちこちから物が落下すると悲鳴が上がる。そして艦内の温度が急上昇するともはや誰もが覚悟を決める。しかも艦内は真っ暗になる。
「空間移動体勢に入りました!」
操縦士の声だけが明瞭な言葉を発するが他の者は低い悲鳴を上げる。
「空間移動完了!」
しかし、艦橋は暗いままで、計器類が発する赤い光だけの世界になる。
「周りを確認しろ」
[186]
誰もがお互いを、そして艦橋内を視線でたどろうとする。
「何も見えません」
「違う!外の様子だ」
ノロが叫ぶと浮遊透過スクリーンが艦橋天井に現れる。しかし画面は真っ白だ。停電しているにもかかわらずノロは画面の光ですぐ側に歪んだ赤い輝きを発見する。
「ノロ……」
顔面が血だらけのイリの弱々しい声にノロは思わず絶句する。イリは着席するときに頭を打ったようだ。
「大丈夫か!」
シートベルトを外してイリに近づいたとき、浮遊透過スクリーンにペンギンの大きな顔が現れる。先ほどまでの白い画面は実は南極の氷原だった。
「誰が南極に移動しろと言ったんだ!」
ノロが操縦席に向かう。
「手動に変えろ。イリを医務室へ!」
「医務室はありません」
完成半ばで試運転したから当然と言えば当然だ。
「イリ、すまない」
[187]
「大丈夫。それより作戦を実行して!」
ノロが操縦士に今後の方針を事細かく伝える。そして艦橋の出入口に向かいながら自分自身に言い聞かせるように言葉を発する。
「あとを頼む。この船は未完成だ。一度空間移動するとしばらく空間移動できない」
「どこへ行くの?」
女性の乗務員の応急処置に身を任せていたイリが立ち上がる。
「時空間移動装置があるはずの格納室だ」
「私も行く」
「イリは総統だ。残って指揮を取ってくれ」
「私に宇宙戦艦の指揮を?」
「いずれイリは宇宙最強の戦艦の艦長になる。この戦艦の命運はイリにかかっている」
「そんな……」
*
ノロは時空間移動装置に乗り込むとすぐさま加藤に連絡を取る。
「加藤!現在位置は?」
「間もなく大気圏に突入する」
「ふー。間に合ったか。いいかよく聞くんだ」
[188]
「了解」
「大気圏に突入したらすぐエンジンを切れ」
「エンジンを切ったら地球の引力で猛烈に加速する」
「そのとおり!宇宙戦闘機といえども燃え尽きてしまう」
「どうするんだ」
「主砲を拡散側にシフトして発射するんだ」
「主砲?何を言ってるんだ。ハヤブサは戦闘機だぞ!」
「機首の四十インチレーザー砲のことだ」
「えっ!戦闘機にそんなものを装備しているのか」
「発射装置の真上にレバーがある。それを最後まで押しだすように移動させると拡散発射になる」
加藤はノロの言ったとおりに操作する。
「操作方法は理解したが、その効果は?」
「前方の大気が破壊される」
「大気が破壊される?」
「要は空気が破壊されて真空状態になるのだ」
「!」
[189]
「ハヤブサの主砲は単に宇宙戦艦を撃破するためだけのものではない。応用範囲は無限と言ってもいい」
「実行する」
加藤はノロの講釈を無視して率いる部下に主砲の拡散発射を説明してから号令する。
「撃てい!」
宇宙戦闘機はこれまでの常識を覆して速度を落とすことなく地表に到達する。
宇宙から地球に戻るときは逆噴射して十分速度を落としてから最後はできるだけ柔らかい砂漠にパラシュートで着地するか、海か湖に着水する方法を取る。宇宙に向かうときの勇姿とはまったくかけ離れた地味な帰還だ。
高速を維持したまま地表に近づくハヤブサを迎撃できるミサイルはない。宇宙からの侵入者に対して地上から発射されるミサイルは重力に逆らうのでスピードはしれている。しかもハヤブサが水平飛行していてもミサイルのスピードでは追いつくことさえできない。
加藤が率いる戦闘隊、つまり加藤ハヤブサ戦闘隊はまず中国空軍に遭遇する。
「攻撃態勢を取れ」
わずかな訓練しか受けていないが、加藤の指示がいいのか、にわかパイロットの呑みこみがいいのか、一糸乱れぬ編隊飛行を継続する。
「おかしい。攻撃してこない」
[190]
「加藤隊長!」
「モニター上では四機一組、四編隊、一六機が整然と飛行していますが、肉眼では僚友機を確認できません」
編隊の先頭にいる加藤には何のことか分からなかったが、すぐ理解する。
「サブマリン八八八と同じだ!ハヤブサにトリプル・テンが塗布されている」
その旨を伝えると攻撃を控えるよう命令する。
「このまま秘密基地に向かう」
そのとき秘密基地から上昇する物体がモニター上に表示される。すぐその横に「SUB888」と表示された吹き出しが現れる。
「サブマリン八八八か!」
しかし、目を凝らしても何も見えない。
「敵に見えないのはいいが、味方にも見えないのでは確認のしようがない」
そのとき加藤に通信が入る。
「こちらサブマリン八八八の艦長榊だ。加藤、応答しろ」
「加藤だ。秘密基地上空にいる。ノロの命令で救援に来た」
「分かっている。ほとんどのトリプル・テンは回収して本艦に積み込んだ。グレーデッドの人間も全員、本艦やグレーデッドの潜水艦に収容した」
[191]
「ノロの指示だな」
「そうだ。このまま月基地に向かう。加藤はあの秘密基地を破壊してくれ」
「基地には誰もいないのだな?」
「何人かいるが、すべてトリプル・テンを盗もうとする中国やそのほかの国籍を持つスパイだ」
「たとえわずかでもトリプル・テンが大国の手に渡れば大変なことになるらしい。ノロがそう言っていた」
「そのとおり。国の大小は関係ない。トリプル・テンはウランどころかダイアモンドより貴重な物質だと気付いた各国の首脳……首脳ばかりではない。金になると見た大企業、一攫千金を狙う強者、すべてが雪崩を打ったように秘密基地に群がっている」
「なぜ秘密基地の場所がばれたのだ」
「中国領内にあったので、まず中国が我々の基地の存在を知ったようだ。世界一の人口を誇るがそれ故に情報の漏れはひどい」
加藤はすべてを理解するとこれからの任務を絞る。すぐさま地球連邦政府大統領チェンに連絡を取る。
「申し訳ない。祖国の暴挙に……」
チェンの弱々しい声がする。
「気を確かに。今から我々の基地を完全に破壊する。すぐさま中国空軍の戦闘機を秘密基地上
[192]
空から待避させるようにと中国政府に指示してくれ」
「少し前に榊から同じ連絡があった。私はサブマリン八八八が肉眼では見えないことを知っている。そのことも含めて忠告したが、中国政府に一蹴された」
加藤は基地に近づいて攻撃態勢に入るが、退避しない欲深い人間のことを考えて敢えてチェンとの会話を引き伸ばす。
「なんとか説得でいないか」
「できるだけのことはした」
「チェン!今どこにいる?」
「地球連邦政府直轄の香港基地にいる」
そのときノロからの通信が入る。
「加藤。聞こえるか」
「ノロ!宇宙戦艦はどこにいる?」
「ペンギン大統領の表敬訪問を受けている」
「ペンギン大統領?」
「平和を愛する大統領だ」
「冗談は……」
「俺は表敬訪問を無視して時空間移動装置で秘密基地に向かった。今は……」
[193]
「と言うことはサブマリン八八八にいるのか」
「そうだ」
「なぜ連絡してくれなかったのだ」
珍しく加藤が不快感をあらわにするとチェンの興奮した通信が割りこんでくる。
「オーストラリア政府が巨大な飛行物体を発見。厳戒態勢に入った」
今度はノロがチェンに通信する。
「ノロだ。秘密基地の遙か上空で待機するサブマリン八八八にいる。聞こえるか?」
「チェンだ。鮮明に聞こえる!」
「オーストラリア政府の放送映像によれば、その飛行物体は俺たちの宇宙戦艦だ。オーストラリアに迷惑はかけない。チェン、安心しろと伝えてくれ。もしオーストラリア空軍がスクランブルすれば全滅する」
「私も今、確認した。ノロの言うとおり伝える」
ノロがマイクを口から離すと榊を見つめる。
「オーストラリア政府は地球連邦政府を支える理性的な国だ。自重するはずだ。問題は中国だ」
榊が黙って頷く。そのときレーダー士が大声を上げる。
「香港の空軍基地からかなりの数の戦闘機が離陸!」
「監視しろ!」
[194]
榊が檄を飛ばす。同時にチェンから報告が入る。
「確認は取れないが、かなりの数の中国空軍の戦闘機がオーストラリアに向かうという情報を入手した。あっ!オーストラリア政府から入電。すぐ内容を伝える」
「おもしろくなってきた」
ノロが手を握りしめるとボキボキと音を立てる。
「加藤、聞こえるか?」
「ノロ……」
「コントロールパネルで擬装を透明からブラックに変更しろ」
「そんなことしたら敵から丸見えになる。せめてブルーモードにしたほうが……」
「敵戦闘機と入り交じって戦闘することになる。透明なままだと味方同士が衝突する可能性がある。だが心配するな。ハヤブサは最強の宇宙戦闘機だ」
「しかし、敵機の数が多すぎる」
「だから敢えて身をさらすのだ」
「了解」
*
「ノロ!オーストラリア政府から、宇宙戦艦を護衛するとの連絡が入りました」
チェンからの連絡にノロがすぐさま応える。
[195]
「余計なお世話だと、断れ!」
榊が大きく頷くと加藤に連絡する。
「面倒なことになった。すぐに中国空軍を叩け!」
一方ノロが宇宙戦艦の艦長イリを呼びだす。
「イリ。元気かあ」
「頭を包帯でぐるぐる巻きにされて美貌が台無しだわ」
「よかった」
「何がよかったなのよ」
「秘密基地まであとどれぐらいかかる?」
「二時間」
「ところでその宇宙戦艦は宇宙戦艦であって宇宙戦艦じゃない」
「どういうこと?」
「武器が一切搭載されていない」
「えー。丸腰なの?」
「急いでいたのと今回の作戦では必要なかったからだ。それにイリも『兵器や武器の搭載はまかりならぬ』と言ってたじゃないか」
そのとき加藤からの連絡が入る。
[196]
「擬装を可視化したら、全中国戦闘機がこちらに向かって来た」
続いてチェンからも連絡が入る。
「中国は国内の戦闘機すべてに出動命令を出した!」
「何と言うことだ!」
榊が叫ぶとノロがチェンに指示する。
「オーストラリア空軍に宇宙戦艦の護衛を要請してくれ」
「さっき断ったばかりだ」
「そこを何とか」
「分かった」
ノロは続けて加藤に命令を下す。
「敵の戦闘機隊が編隊を崩す前に機首四十インチレーザー砲で攻撃せよ」
「了解」
「注意点がひとつある。拡散側にシフトして発射しろ。攻撃は加藤機、一機だけでいい」
「すべて了解!」
*
「縦列体勢を取れ」
一六機からなる加藤ハヤブサ戦闘隊が一列に並ぶ。
[197]
「私が攻撃に失敗したら、二番機が攻撃しろ。二番機も失敗したら、かなり距離が詰まるから接近戦になる。圧倒的に敵の数が多いから相打ちの可能性は低いが、冷静に対処しろ。以上だ」
各編隊長から「了解」と言う声を確認すると加藤はフーッと息を吐いてから操縦桿を握る。
「増槽タンクのエネルギーを四十インチレーザー砲に充填」
戦闘機内に「ヒュー」という音が響く。
「増槽切り離し」
空っぽになった流線型の増槽が回転しながら落下する。加藤は目の前の測敵透過モニターを注視する。一千機は下らない。まるでイナゴの大群のように見える。
「発射!」
ハヤブサの機首が真っ白に輝くと四,五十度に広がったレーザー光線が勢いよく中国空軍機に向かう。一瞬にしてすべて消滅する。
「なんと!」
加藤は驚くと共に心に痛みを感じる。そんな加藤の気持ちを察したのか、ノロの声が加藤の飛行戦闘機用のヘルメットに響く。
「今度は合わせて一万機近い戦闘機が向かっている。そんな数の戦闘機がまとまってくることはない」
加藤は返事をしない。
[198]
「そのうちの一部がオーストラリア方面に向かった。航続距離からして無茶苦茶なことをしようとしている。宇宙戦艦には今の場所に留まるように指示した」
ノロは宇宙戦艦に向かった中国空軍機の航続距離から、万が一攻撃を受けても十分オーストラリア空軍が対処できると踏んだ。しかし、加藤からの返事はない。
「加藤」
「次の作戦は?……」
「加藤。相手は職業軍人で民間人ではない。同じ人間だが、躊躇したり感傷的になっていたら、こちらがやられるぞ」
軍人ではない加藤は福島原発での孤軍奮戦したことを思い出すと大きな声を上げる。
「千機程度では同じ作戦で対処できるが、一万機単位となると作戦を変更しなければ」
「そのとおり。だがそれぐらいの数になるとキチンと編隊を組んで組織的に向かってくることはない。波状攻撃を仕掛ける」
「了解。二番機、三番機、四番機に四十インチレーザー砲攻撃をさせます」
「正解だ。しかし、そのあとが問題だ。四十インチレーザー砲の攻撃で相手の緊張度が最高に達する。それでも指揮命令系統がしっかりしていれば問題ないが、烏合の衆になれば攻撃が難しくなる」
「時間がありません。あとは任せてください」
[199]
「任せる」
ノロは加藤が精神的にさらに成長したと確信する。
*
「二番機、三番機、四番機、攻撃目標、確認しろ」
「確認しました」
「第四編隊、敵の後ろに回りこんだか?」
「完了しました」
「高度は?」
「地上すれすれの位置を確保」
「第二、第三編隊は左右に移動しろ」
「移動完了」
加藤は数分で次の攻撃態勢を見事に整えた。
「ミサイルを発射してきました」
「射程距離に達していないのに。敵は焦っている」
余裕が生まれるが加藤は気を緩めない。
「攻撃開始!」
再び距離を開けた三機から四十インチレーザー砲が発射される。小さな戦闘機から、これま
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でどんな巨大な戦艦も発射し得ない強力な破壊光線が一万機近い戦闘機をまるでカトンボを掃除するように蒸発させる。
全滅に近かったが、それでも数百機が無事だった。残った中国軍の戦闘機が健気にも加藤ハヤブサ戦闘隊に向かってくる。それは逃げて帰れば粛正が待っているからだった。遠い昔、日本軍も総力戦や玉砕を強要して前線の兵士がすべて命を失った。時代が変わっても権力者の命令は進化するどころか、かたくなに伝統を守っている。
数百機といってもハヤブサ戦闘隊の二〇倍以上はいる。しかし、勝負にならない。ハヤブサは二十ミリレーザー機関砲で撃墜と言うよりは次々と破壊していく。ハヤブサにとって戦闘機はまるで小鳥のような存在でしかなかった。
「逃げて帰還すればいいものを」
やがて数が激減した中国空軍はついに退散した。わずか十六機のハヤブサ戦闘隊は一万機以上の戦闘機を壊滅させた。恐るべき宇宙戦闘機だ。
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