「大した男だ」
ダブルの紺色のスーツに身を包んだスミスがノロに握手を求める。
「しかし、でかい船だな。いや失礼。立派な宇宙戦艦だな」
「スミスもますます立派な体型になったな」
「ほっほっほっ」
巨体を揺さぶりながらスミスはイリの前に立つと片ひざを着いて頭を下げる。
「イリ総統閣下。お久しぶりでございます」
「頭を上げてください。スミスさんには色々お世話になりました」
「私は世話好きではない」
イリが握手を求めるとスミスが小さな手を握る。
「お願いがあるのだが……ほっほっほっ」
「どのようなことですか」
「月まで宇宙旅行をしたい」
「じゃあ、今から行こう」
[213]
そう言ってからノロがスミスを見上げる。
「ここまでどうやって来たんだ?」
「ゼロ戦だ」
「えー!ゼロ戦!」
「ハヤブサもいいがゼロ戦もすごいぞ」
ノロが大声を出す。
「戦闘機格納室!ゼロ戦の映像を艦橋の浮遊透過スクリーンに!」
深緑色のプロペラ機が現れるとノロが狂喜する。
「本物だ!今から見に行く」
「ちょっと待ってくれ」
スミスが制する。
「月に行く間に見学させてくれ。操縦士!月に向かえ!」
艦橋を出ようとするノロの背中にスミスが繰り返す。
「ちょっと待ってくれ」
ノロが振り返るとスミスが軽く頭を下げる。
「月へは時空間移動でお願いしたい」
「それが……」
[214]
ノロが口ごもる。
「一度時空間移動すると続けて時空間移動できないのか?」
スミスの核心を突いた疑問にノロの視線が固まる。
「知っているのか」
「ほっほっほっ」
「短距離空間移動ならできる」
ノロが操縦士に命令すると近くの座席に近づく。
「月へ短距離空間移動する。全員着席してシートベルトをしろ!」
スミスが近くの座席に向かう。
「スミスの言うとおり今は長距離空間移動、つまり時空間移動はできない」
「未完成なのか?」
「そのとおり。それより早く座ってシートベルトをしろ」
ノロがシートベルトを締めながらスミスを促す。慌ててスミスが座席にどっかと腰かけるがシートベルトが締められない。腹が大きすぎてベルトが届かないのだ。
ノロがシートベルトを外すとイリに近づく。
「痛い!」
ノロはお構いなしにイリの顔をぐるぐる巻きにしている包帯を剥がす。
[215]
「止めて!」
今度はスミスの腹回りをその包帯でぐるぐる巻きにする。
「間に合ったか!」
ノロが着席してシートベルトを締めようとしたとき宇宙戦艦が月へ時空間移動する。
*
「移動完了!」
「もう少し余裕を持って時空間移動すべきだったな」
床に倒れているノロを起こしながらスミスが浮遊透過スクリーンを見上げると、荒涼とした砂漠のような景色が広がっている。
「地球の大砂漠はすべて湖になった。ということはここは月……」
「ノロ!大丈夫?」
「うーん」
イリは表情を崩してスミスを見上げる。
「あっ!ごめんなさい。服が……」
スーツに包帯が巻き付いて汚れている。
「宇宙服で来なかったわしが悪いのだ。ほっほっほっ」
そのとき艦橋に大きな歓声が沸く。閉鎖されていた窓が開放されると地球の出が見えたから
[216]
だ。スミスの笑いが感嘆に変わる。
「この男、何でも可能にする」
いつの間にかノロがスミスの横に立って同じように眺める。
「あんなに美しい星なのに人間は醜いことばかりしている」
スミスが黙って頷く。
*
大きな透明なドーム型のシェルターの天井が開くと宇宙戦艦が降下する。そして閉まると今度は数棟の建物が点在するシェルターの天井が開く。どういう仕掛けがあるのか、恐らくトリプル・テンを使って重力を制御しているのだろう。内側のシェルターから空気が外側に漏れることはない。宇宙戦艦はさらに速度を落としてドックに着底する。
「すごい物を造ったな」
さすがのスミスも驚嘆する。
「前総統の暴走でグレーデッドは目の敵にされたから秘密基地が見つかるのは時間の問題だった」
「しかし、月に新しい基地を建設するとはな」
「宇宙ステーションの建設技術を応用しただけだ」
「そうかな」
[217]
スミスが声を出さずにニタリと笑う。
「月に基地を建設するために宇宙ステーションを二四基も造ったんじゃないのか」
「当たり!」
「時空間移動装置や宇宙戦闘機、宇宙戦艦も造った。次は?」
「すべて未完成だ。もっと進化させてすごい宇宙戦艦を造ってみせる」
「それは単なる改良だ。新作品は?」
「俺が応えなくても薄々分かっているんじゃ?」
「ほっほっほっ」
スミスが巨体をゆすって大笑いするとスーツのボタンが何個か千切れ飛ぶ。そして大声を出す。
「人間に近いアンドロイド!」
「またもや大当たり!」
急にスミスが真剣な眼差しをノロに向ける。
「その先は?」
「どう思う?」
「分からん」
さすがのスミスも白旗を揚げる。
[218]
「第二の地球を造る」
「造る?」
「そうだ」
「宇宙戦艦やアンドロイドを造って地球に近い星を探すのじゃないのか」
「もちろんそうだが、そこに地球から同じ植物や動物を移植してまったく地球と同じ星を造るんだ」
スミスは大げさに驚くと頭を抱える。
「ベッドはないか」
「診療室にはベッドがない。慌てて地球に向かったのでベッドはおろか医療設備や医療器具を積み込む時間がなかったのだ」
「そうか。じゃあ、このまま倒れこんで気絶するぞ!」
「まあ、焦るな。基地にはスミスが載っても潰れない頑丈なベッドがある」
*
ここは月の秘密基地の総統室。イリに案内されてスミスが意外に簡素な椅子に着席する。
「そんなことまで考えているのか?」
同じく質素なテーブルを挟んでノロが座っている。
「だからトリプル・テンを手に入れたのだ。スミスには感謝している」
[219]
「そのトリプル・テンのことだが……」
「まだトリプル・テンのすべてを理解していない」
「そうだろう。いくらノロが天才だと言っても無理だ。それよりトリプル・テンは希少物質だと思っていたが、どうもそうではないらしい」
ノロが大きく息を吸い込むとフーッと吐きだす。
「いくらでもある」
「やっぱりそうか!」
ノロとスミスを取り囲んでいたイリや加藤はもちろん誰もが驚く。
「この宇宙のすべてのエネルギーのほとんどがダークエネルギーとダークマターであるということを知っているか」
「なんだ?ダークエネルギー?」
「ダークマター?」
「残念ながら一部を除いて俺たちにはその存在すら確認できない不思議なものだ」
総統室の天井が輝いて浮遊透過スクリーンが現れるとノロは目の前の透過キーボードを操る。
「この円グラフを見てくれ」
「これは宇宙のエネルギー成分の内訳を示すグラフだな」
[220]
すぐさまスミスが反応する。
「そのとおり」
一番大きな成分はダークエネルギーでなんと宇宙の成分の七三パーセントを占める。次に二三パーセントを占めるのがダークマター。
「そして俺たちの知っている惑星、太陽を含むすべての銀河を寄せ集めた物をバリオンと言うが、それはわずか四パーセントにしかすぎない」
「えー!そんなに少ないの」
「光り輝く恒星や光を取り込んで離さないブラックホール、それに全大銀河を寄せ集めたバリオンはわずか四パーセントしかない。目には見えないけれどダークエネルギーやダークマターが九六パーセントを占めているのだ」
「そのダーク何やらの正体は?」
イリが尋ねるとノロが大きな口を真一文字にする。
「説明しようか?」
イリがひるむと首を横に振る。
「俺はすごいことを発見した。是非聞いてもらいたい」
ノロが迫る。
「簡略に……そう一分程度で簡単に説明して」
[221]
「えっ!苦労してダークエネルギーやダークマター、つまりダーク物質の本質を解明したのに」
「まあ、いいじゃないの」
仕方なくノロはズボンのポケットから小さな小さなビンを取り出してテーブルに置く。
「トリプル・テンだ」
キチンと置かなかったのでビンが横に倒れる。普通なら丸いビンは多少転がるはずなのに微動だりせずに留まる。わずかな量でもその重さは金の一〇倍以上ある。まるでテーブルの表面に磁石で吸い付けられるようにピタッと静止する。
「そうか。そうだったのか」
スミスがひとり納得顔でビンを見つめる。
「本来、ダーク物質は目に見えない」
「確かに。だから透明になる」
「なぜ、気付かなかったのか」
「目の前のことを先入観に捕らわれずに経験も捨て素直に見つめれば、すぐ分かることだ」
スミスはノロのメガネの奥の小さな目を見つめる。
*
「この宇宙の根本物質か」
「宇宙原理を構成する最重要物質だ」
[222]
スミスが総統室天井の浮遊透過スクリーンに映る月から見える地球に視線を移す。
「母なるダーク物質も汚れゆくあの美しい星を助けることはできない」
スミスは振り返ると真剣にノロを見つめる。
「残念なことに旧列強国はもちろん新興国までトリプル・テンを狙っている」
一呼吸置いてから続ける。
「グローバル化した巨大企業も……狙っている。分かるか?」
ノロが頷く。
「だから俺は宇宙を目指す」
「賢明だ。彼らが狙っているのはトリプル・テンと言うよりはノロだ」
「どういうこと?」
イリが口を挟む。
「仮にトリプル・テンを手に入れても、せいぜい透明人間を造るのが関の山だろう」
「透明の戦闘艦や究極のステルス戦闘機も造れるわ。先にそんな兵器を開発した者が地球を征服することができる」
ここで加藤が残念そうに発言する。
「原爆や水爆を競って開発したときと同じことが起こるのか」
「そうではない」
[223]
スミスが否定する。
「原爆を使った戦争が始まれば人間だけでなくすべての生命体が死滅する恐れがあった。危険なオモチャだったが、結局は抑止力に留まった」
「確かに原爆はそうだったが、原子力発電所の相次ぐ事故で甚大な被害を受けた」
加藤はあくまでも原爆より原発に拘るが、スミスは話を元に戻す。
「ノロ。宇宙がおまえを待っておる。グレーデッドの人間も引きつれて地球を脱出するのだ」
「俺もそう思って月に仮設基地を移した」
「ちょっと待って。こんな立派な基地が仮説基地なの?」
ノロはイリの質問に応えることなくスミスをじっと見つめる。
「トリプル・テンを使って原子力空母や潜水艦はもちろんのこと核ミサイルも処分した。さらに原発もだ。処分ばかりしていた訳ではない。宇宙ステーションを建設して完全にクリーンなエネルギーも手に入るようにした。遅々と進まなかった自動車も排気ガス一切出さないエアカーも造った……」
「電力会社や原子力関連会社はすべて倒産したわね。それに自動車メーカーも不況だわ」
ノロは少し不愉快そうにイリを見つめる。
「地球のためにとやったことが、既得権者にとっては迷惑なんだ。それよりもっと重大な問題がある」
[224]
イリが首を傾げる。応えたのはスミスだった。
「欲望だ。このままでは地球が大変だと言うが、自分が生きている間は大丈夫だろうと、危機が過ぎれば贅沢な生活に戻る」
加藤がわざわざ手を上げて発言する。
「贅沢しなければ太陽光発電、水力発電、風力発電など自然エネルギーを利用すればなんとかなるのに、欲望を満たすために原子力発電を考え出した。先進国がまず我が世の春を謳歌したが、元の生活に戻すことはできない。そして新興国は同じような生活レベルを目指して一挙に追いつこうとする。すでに既成の技術力ではどうにもならないほどに環境汚染が進んでいるのに……情けないことだ」
スミスが加藤の肩を叩いてからノロに近づく。
「ノロは十分、地球のために働いた。しかも無償だ。もちろん地位を求めることもなくだ。これ以上の奉仕は人間、いや地球のためによくない」
「そうだな。堕落しきっているな。人間は。でもチェンや鈴木のことが気になる」
「今や地球連邦政府は機能していない。グレーデッドの攻撃を受けて必死に抵抗した国連がなつかしい。その教訓を生かすために連邦政府を造ったのに」
ノロはスミスを遮って言葉を続ける。
「忠告を受ける。ところでスミスはどうするんだ」
[225]
久しぶりにスミスが例の笑い声を上げる。
「ほっほっほっ。私は生きている限り地球の行く末を見つめる。本当はノロに付いていきたいが……」
ノロはスミスの笑い声を否定するような鋭い視線を向ける。
[226]