「こんなバカげた話、信じられない」
地球連邦政府の会議室のモニターには例のウサギが映っている。
「専門家の調査報告によれば、このウサギの耳に埋めこまれたアンテナは想像を絶する性能を備えているという」
「別にウサギの耳に埋めこまなくても、キチンとしたアンテナを設置すればいいじゃないか」
「ノロ独特のジョークだ」
「冗談にしては度が過ぎている」
「冗談と言うよりはバカにしている」
チェンが新調された木槌で机上を叩く。
「静粛に」
全員の視線を確認してからおもむろに口を開く。
「先ほどの報告の続きだが、同じ性能を持つアンテナを製作するのは我々の技術力では不可能らしい」
「だからウサギを月に残したのか」
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「地球は大気に覆われている」
チェンの言葉にはぐらかされたと思ったのか、ある国の代表者が異議を唱える。
「私はなぜ月にウサギを残したのかを尋ねているのだ」
「説明には順序がある。それとも本国に問題があって早く帰りたいのかな」
確かにその国の内情は劣悪だ。学生が民主化を求めて政府中枢部の建物を占拠していた。
「ここに居る方が気が休まるのでは」
「私を侮辱するのか」
チェンが発言者を睨みながら一気にしゃべる。
「重大な事を伝え、今後の方針を検討するためにこの会議を開催した。冗談を聞いてもらうためではなく、これから地球をどうするのかということで集まっていただいた。それぞれの国の事情はそれぞれの国が解決すべきこと。私は現場を大事にする。月での出来事を通じてこれから地球連邦政府として何をすべきかを提案して実行に移したい。このやり方に異議のある代表者は退出していただいて結構。ただし私は独裁者になるつもりはない。地球人として地球の未来を何とかしたいだけだ」
これまでのチェンではない。自分が何をすべきか、完全に自覚している。もはや中国人ではない。あらゆる呪縛から解放されて地球連邦政府の大統領というよりは人間として行動している。人間はその地位や立場が上がると、あるいは高度な専門的知識で庶民を圧倒すればするほ
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ど謙虚さを失って横暴になる。極論すれば人間であることを忘れてしまう。チェンと各国代表者の応酬が続くなか鈴木は目を閉じて過去を振り返る。
一方、鈴木も首相にはなったが、自ら望んだわけではなかった。大臣や事務次官には「大臣や次官である前に人間であれ」と口酸っぱく指示した。医師会に出席したときも同じだった。
「医者である前に人間であれ」と。この考え方はチェンとまったく同じだからふたりは固い友情で結ばれている。
「大統領のいうとおりだ。人間としてどうするかだ」
鈴木が大統領を支える発言を始める。かたくなだった連邦各国代表者の態度が軟化する。
「節度ある生活をしても夢や希望があればその生き方は潤い満ちた充実したものになるはずだ」
これまでのやりとりを黙って聞いていたブータン国王が挙手する。大概の国が代表者を代理出席させるにこの国は国王自身が出席している。
「どうぞ」
立ち上がろうとするのをチェンが制する。
「座ったままで結構です」
手を合わせて礼をしてから口を開く。
「幸福とはいったいなんでしょう?」
急に議場が静かになる。
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「便利な電化製品に囲まれて高級車を乗り回すことでしょうか?プール付きの邸宅に住むことでしょうか?」
ブータン国王は周りを伺うことなくチェンだけを見すえて発言を続ける。
「数字で幸福度を測れば我が国は最貧国でしょう。でも国民は幸せに暮らしています。月にウサギがいるということを知ったとき、全国民が月に思いをはせました。ある少女から『もし月のウサギがオスなら結婚させたい美人のウサギがいる』という手紙を受け取りました」
「!」
チェンが驚く。ノロが禅問答のようなことを言っていた意味が解けたからだ。
――ウサギのアンテナを増やすにはウサギ同士を結婚させろと言うことなのか……
一方この代表者の発言に鈴木も驚く。
――批判的な話の時はチェンを見すえて、そうでない気軽な話の時は全員に顔を向ける。計算され尽くした見事な演説だチェンも同じことを感じる。
――とても真似できない。見習わなければ
「もし叶うなら、私は少女とそのウサギといっしょに月へ行って見合いをさせたい」
ブータン国王が深々と頭を下げてそのまま言葉をつなぐ。
「この会議は冗談を聞くためではないという大統領に陳謝しなければなりません」
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チェンが慌てて応える。
「私には冗談とは思えない。続けてください」
「いえ、私の発言は以上です。つまらない話をして申し訳ありませんでした」
「つまらない?どこが!」
しかし、その代表者は再び手を合わせてチェンを見つめるだけだった。
「結論が出たようだ」
チェンが大きな声を出すと議場が少し揺れる。
「力を合わせて月へ向かう高速宇宙船の開発にかかる。各国に協力を要請する。目的は月のウサギと地球のウサギの結婚だ」
真っ先に鈴木が拍手する。それでも各国代表者は動かない。やっとひとりの代表者が声をあげる。
「そんなことをして何になるんだ?」
チェンが即答する。
「月に結婚式場を建設するためだ」
「バカな」
他の代表者が立ち上がる。そのとき鈴木が挙手して発言する。
「全地球人がウサギを祝福するのがなぜバカなことなんだ。日本はこのプロジェクトに参加す
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る」
「アメリカもだ」
「ウサギではなく犬だったらという思いはあるが、我が国も参加する」
初めて犬を宇宙に送り出した国の代表者が笑顔で応じるとチェンが立ち上がる。
「誰でも月で結婚式を挙げられるように壮大な結婚式場を造るんだ。ここでいったん休憩!」
*
チェンがブータン国王に近づくと謝意を述べる。
「すごいアイディアでした」
「私は美人のウサギがいるといっただけです」
「幸福な国に住んでいる人の感覚がよく分かりました」
ブータン国王が微笑みながら首を横に振る。
「大統領こそ素晴らしい発想をお持ちだ。感激しました。でも我が国は高速宇宙船や結婚式場の建設に協力するお金や技術はありません。残念です」
今度はチェンが首を横に振ると微笑む。
「アイディアだけで十分です。またいいアイディアが浮かんだらすぐ教えてください」
チェンの横にいた鈴木が握手を求める。
「お金や技術ではありません。大上段に構えた意見より何気ないヒントが大事なのです」
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「ありがとうございます。国民に伝えます。おふたりは忙しいでしょうから、私はここで……」
軽く頭を下げたブータン国王が会場をあとにしようとすると連邦各国の代表者が取り囲む。
「是非このプロジェクトリーダーになっていただきたい」
「私には科学的な素養がありません」
「その謙虚さこそ我々に欠けていたものだ」
すぐさま鈴木がチェンに向かって提案する。
「大統領!休憩を止めてブータン国王を結婚式場建設計画のリーダーに任命する決議を!」
割れんばかりの拍手が起こる。チェンが感激して涙を流す。しばらく続いた拍手がピタッと止まる。チェンに提案の決議を求めているのだ。再びブータン国王に近づくと手を握る。そして大きな声を上げる。
「すでに決議は終わった。この方がプロジェクトリーダーだ」
握った手をそのまま上げると前よりも大きな拍手が巻き起こる。あ然として周りを見つめるブータン国王が何とか声を出す。
「分かりました」
次の言葉を聞こうと拍手が止まる。
「しかし、私は建築家ではありません。補佐してくれる方が何百人も必要になります」
すぐさまチェンが後押しする。
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「ここにいる全員があなたの補佐をする。何も心配することはありません」
誰かが叫ぶ。
「大統領の言うとおりだ。今、地球はひとつになった!」
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