質素だが充実した設備を持つ地球連邦政府の月面大統領府が建設された。その基礎工事をしていたとき、地下深くに小さな金属製の箱が見つかった。トリプル・テンが入っているのではという期待が高まったが、その箱は予想に反して軽かった。鍵が掛かっていなかったので容易に開けることができた。中にはスティックメモリーがあった。
電子ファイルを開くと何やら複雑な図面が現れる。それは空間移動装置の設計図だった。時、空間移動装置と比べれば移動範囲はしれているが、それでも地球と月をほぼ瞬間的に移動するという驚異的な性能を持っている。ただし定員は三名だった。
月面大統領府が完成した頃、地球、いや日本の豊臣自動車工業という会社が各国と連携して空間移動装置の生産を開始した。何回かの試運転が成功すると量産体制を整えた。すぐに一万基ほどの空間移動装置が製造された。
チェンはそのうち数千基ほどを連邦各国の首脳たちに割り当てて、残りの空間移動装置で月の大統領府に様々な人間を招待した。もちろん抽選だったがその当選率はどんな宝くじより高かった。
月の大統領府に招待された人々は地球が上るのを見て感激すると、改めて地球を大事にしな
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ければという雰囲気が広がる。ブータン国王の言ったとおりだった。
*
一方、いつの間にかノロ、つまり宇宙海賊の略奪がなくなった。それに気づいたチェンが鈴木に連絡を取る。
「久しぶりだな。チェン」
「空間移動装置の製造の件では迷惑をかけた」
「自国で製造したいというわがままを言う国の中で最後まで中国が譲らなかったな」
「しかし、設計図がすべて漢字で書かれていたのにはびっくりした」
「ノロのジョークには参ったな」
「ひらがなが入っていたから日本に製造させることになったが、中国の抗議は激しかった」
「チェンのお陰だ」
「もう私は中国人ではない。前にも言っただろ?私は地球人だ」
「空間移動装置で月に行った人が増えれば増えるほど地球は結束する可能性が高い。チェンの作戦に貢献できてよかった」
「ありがとう。でもこの作戦は私のではなくブータン国王が立てたものだ」
「そうだったな」
「でも鈴木の協力があったからこそ、ここまで来た」
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「ところで何か困ったことでも?」
「いや、そうじゃない。ノロのことだ」
「ノロのこと?」
「最近宇宙海賊の略奪はあったか?」
「そういえば……」
「他国はどうだ?」
「逆に連邦政府への報告は?」
「まったくない。どう思う?」
「そう言われても……」
鈴木がいったん言葉を切るがすぐ続ける。
「ふたつの見方があるな」
チェンからの返事はない。鈴木の見解を待っているのだ。
「ひとつはこうだ。もう盗む必要がなくなった。要は自前で食糧はもちろんのこと、何でも生産、製造できるようになった」
チェンは沈黙を守り続ける。
「もう一つは、何らかの事情で略奪できなくなった……」
「何らかとは?」
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「チェン。ポジティブな見解を選択しようじゃないか」
「ノロが新しい惑星を見つけたのはまず間違いない」
「そのとおり!」
「そこで何を考え、これから何をしようとしているのだろうか?」
「ウサギが死んだからどうしようもない」
「そうだろうか?ノロが地球との関わりを絶ったと思うか」
「チェン!今から月に行く。不謹慎だが酒を持っていく」
「待っている」
*
空間移動装置のドアが跳ね上がると鈴木が降りる。周りを見渡すと出迎えのチェンを見つける。
「話には聞いていたがとても大統領府と思えないほど質素だな」
鈴木の第一印象にチェンが応じる。
「噴水と花壇を造ろうと提案したが却下された」
鈴木が荷物を置くとチェンと抱き合う。
「さぞかし残念だったろう」
ふたりは笑いながら大統領府に入ると執務室へ向かう。ドアを開けて真新しい部屋に入るや
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早速鈴木が荷物を解く。そしてチェンに酒瓶を手渡す。
「酒か!ありがたい」
「それじゃ、これもいるな」
鈴木が干物を出す。
「最高だ!なにしろここにはコンビニがないからな」
チェンはそう言ってから、ささやくようなトーンに下げる。
「ノロがおにぎりを盗む気持ち、わからんでもないな」
「そこがポイントだ」
「第二の地球の……」
「いやノロの惑星の基礎固めができたら次は何をすると思う?」
「同じことを言おうと思ったのに」
ふたりは笑いながらグラスを重ねる。
「燗をする器具がない、それに徳利もお猪口もない。冷やで我慢してくれ」
「旧交で暖めればいい」
酒を口に含むとゆっくりとのどに流し込む。
「うまい」
グラスをテーブルに置くと鈴木が先に発言する。
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「ノロの惑星はどんな環境なんだろう」
「食糧事情は悪いはずだ」
「しかし、略奪は終わった」
「ということはなんとか賄えるようになったのか」
「多分な」
「多分か……」
「でも田畑を開墾するのは大変なことだ」
「いかにノロといえども宇宙ステーションや空間移動装置を造るのとは勝手が違うはずだ」
ふたりは干物を咬みながら考える。いつの間にかグラスは空になっている。鈴木がチェンのグラスに、そして自分のグラスに注ぐ。
「なぜアンテナをプレゼントしようとしたんだろうか」
「『人間が地球のために結束すれば褒美としてトリプル・テンを与えるために、その確認手段として高性能なアンテナをプレゼントしようとした』という勝手な説が流布しているが、そうではないだろう」
「鈴木の意見に賛成だ。でも他に『なぜアンテナを……』という疑問の答えはあるのだろうか?」
「分からない」
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「通信は確保したいという思惑がノロにあるような気がする」
「そこだ!チェン!」
「?」
鈴木が膝を乗り出す。
「あながち巷で流布している説が間違いだと断定できないのでは」
チェンが鈴木をせかす。
「こう考えられないか?褒美にトリプル・テンを与えるが、対価を要求しようとしたんじゃ?」
「対価?食糧か?それならこれまでどおり盗めば済むじゃないか」
「そんなことをいつまでもするなんてノロらしくない」
「確かに。ノロの惑星は海賊のアジト化するだけだ。自分で食糧を確保できなければ第二の地球とは言えないな」
「今のところ略奪した食糧の備蓄に頼っているか、あるいは粗末だが当面の食糧を確保している状況だとすれば、何らかの手立てが必要なんじゃ?」
*
「昆虫って意外と美味しいのね」
「タンパク質が豊富で栄養価も高い」
「でもこの米はパサパサね」
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ノロの惑星のある施設で食事をしながらイリとノロが話し合う。
「品種改良には時間が掛かる」
「それにこのオレンジ、苦いわ」
「キノコはまあまあだろ?」
「松茸は食い放題ね。でも飽きたわ。それにパサパサの米の松茸ご飯なんて食べる気にもなれない」
「ウニはどうだ」
「美味しいわ。でもナマコは美味しくない」
「コノワタなんか最高の酒の肴なのに」
「でもその酒が造れないわ。ああ、日本酒が飲みたい!」
「チョコの次は酒か。相変わらずワガママだなあ」
「ノロの気持ちを代弁しただけなのに」
「俺は酒が苦手だ」
「ところでこの星の生物が進化して魚が誕生するのはいつなの?」
「俺の計算によると一〇〇〇万年はかかるだろうな」
「そんなに待てないわ」
「酒もないし、質素な食事をしている方がメタボにならなくて済む」
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「そうかしら」
「みんな贅肉がとれてスマートになっているじゃないか」
「それは一所懸命働いているからだわ。もちろん食事のせいもあるけれど」
イリがナプキン、といっても粗末なわら半紙のような紙で口元をぬぐう。
「私が言いたいのはノロの体型は元のままのメタボだということ。どんな粗食でもその体型を維持できる秘訣は何なの?」
「どんな環境でも対応できる身体と精神力を持っているからだ」
ノロがニーッと笑うとゴキブリの唐揚げをほおばる。
「うまい」
イリはやれやれという表情をしてから改めて質問する。
「ところで『ノロの方舟』という大型輸送時空間移動船が完成してずいぶん時間がたったけれ ど、いつ地球に向かわせるの?」
「あっ、忘れていた」
「えー」
「地球に行ってすべての動物のつがいを方舟に乗せてこの惑星で放つ作戦だったな」
「そうよ」
「これは大がかりなプロジェクトだ」
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「それなのに忘れていたなんて」
「返事が来ないから忘れていた」
「返事?」
「この作戦は今までのような略奪作戦と違うんだ」
「どこが?」
「この星で子孫を増やす有能な動物を選定しなければならないのだ」
「そんなことわかりきっているわ」
「そうかな」
「念を押されると困るわ」
「そうだろう。ふっふっふ」
上目遣いでイリを見つめるノロにイリは思わず叫ぶ。
「私、ノロが好きだけれどその目つきだけは大嫌い!」
「そうかな。俺の得意な表情なんだが」
「やめて」
「さっきも言ったが、どんな環境でも対応できる身体と精神力を持つ動物を一組ずつ方舟に収容するのは大変な作業になる」
イリは頷くだけで黙る。
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「そのためには略奪作戦はとれない。俺の目的を地球人に理解させて俺のような環境対応型の動物を集める必要があるんだ」
イリは唖然とするがすぐ理解する。
「分かったわ。でもこんな大事なことをなぜ忘れていたの」
「忘れてたんじゃない。返事を待っているんだ」
「提案したの?」
「していない」
「提案していないのなら返事はないわ」
「提案するためには通信手段がいる。地球のヤツラは通信機器を破壊してしまった」
「ちょっと待って。ウサギのアンテナのことを言っているの?」
「そうだ!」
*
「なんとかノロとの通信を再開できないものかなあ」
鈴木にチェンは首を横に振る。
「仮に再開できてもノロの意図が読めないぞ」
「いいじゃないか。ウサギを死なせてしまったのはこちらの責任だ。コンタクトの方法を考えよう」
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「というと?」
チェンが膝を乗り出すと鈴木は冗談気味に応える。
「あまりいい方法じゃないが……嘘でもいいから地球では誰もが仲良く暮らしていると伝えておびき寄せる」
「おびき寄せる方法は?」
「通信できないからといってノロが縁を切るとことはないと思う。そう思わないか?」
「そうか。これまでの行動を見ればノロはいつも地球のことを心配していたな」
「そのとおり。表向きはアンテナをプレゼントして『コンタクトしてやる』と言う態度を取ったが、地球が気になるんだ」
「性分だな」
チェンはそう言ってから提案する。
「逆に地球が大変な状況になったとしたら、彼はどう反応するのだろう」
「それは禁じ手だ」
すぐさま鈴木が否定する。
「それがいやになって宇宙に飛び出したんだ」
チェンが鈴木に軽く頭を下げる。
「浅はかだった」
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「おびき寄せ作戦はやめて正攻法でノロとの接触を模索しよう」
「鈴木の方が大人だな」
「疲れているんだ、チェンは。少し休めば?」
「その間誰が連邦政府の大統領の代行をするんだ?」
「わかった。戻って私の後継者を探す」
「鈴木!」
「チェンには迷惑かけたな」
「大統領移譲事件のことか。気にしていない」
「一緒にがんばろう」
ふたりは力強い握手を繰り返す。
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