気が付けば遺跡の周りからすべてのトリプル・テンが消えていた。監視カメラのレンズは割れて機能が失われていた。もちろんトリプル・テンが地面に現れて空に舞い上がるところまでは撮影されていた。
混乱が収まってかなりの時間が経った。徳川は辞任を申し出る大統領を慰留する一方、壊れた監視カメラに残っていた映像を遺跡から集めさせた。
地球連邦政府内の通信局が修復された後、徳川は映像を確認するために再び連邦政府に赴く。生き残った通信局のスタッフの説明を聞きながらモニターを見つめる。
スタッフが徳川にサングラスと耳栓を手渡す。サングラスを掛けて耳栓をしようとしたとき、同じくサングラスを掛けたスタッフが声をかける。
「再生します」
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畳一枚分の大きさのトリプル・テンが整然と並んでいる。しばらくするとゆっくりと浮かびあがる。面積は倍になり、つまり畳二枚分の大きさとなって数十メートルの高さまで上昇する。ここで事態が急変する。トリプル・テンは鋭い音と光線を発してお互いぶつかるように空中で乱舞する。やがて様々な形に変形して小さくなるが音と光線はますます激しくなる。そして見るに堪えないぐらい眩くなる。たまらず徳川が目を閉じたとき映像が途絶えて周りが暗くなる。
「ここまでです」
「スローモーションで再生できないのか」
「了解。耳栓を今まで以上に強く押して見てください」
耳栓に指を押しあてて徳川が首を縦に振る。地上からトリプル・テンが上昇したところから再生が始まる。スローモーションなので「キーン」という音ではなく重低音に変わる。音量が落とされているにもかかわらず腹に響くような震動音がする。
先ほどの映像ではトリプル・テンが激しくぶつかり合っているように見えたが、そうではなかった。四辺がカミソリのようなトリプル・テンが自らも切られながら相手を切り離していくという凄まじい光景が生々しくモニターに映しだされる。鋼のカミソリが紙を切るのではなはがねい。ダイアモンドの十倍以上の硬さを持つトリプル・テン同士が斬り合っている。鋭い光が発せられるのは摩擦とそのときに生じる熱が原因だ。徳川は遺跡周辺にいた発掘隊員が死亡したのは熱風が原因ではないかと推測するが、言葉にすることなくモニターを見続ける。
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トリプル・テンはさらに細断される。様々な形となってどんどん小さくなる。もう人間の目では確認できないほど小さくなったトリプル・テンもあるはずだ。しかし、ここで画面が停止する。
徳川は顔全体から噴き出る汗を手の甲で拭う。
*
「トリプル・テンが消えたあとの遺跡付近の空中の状況は調査したか?」
「それが……」
「何をしていたんだ!」
「重傷者の搬送です」
徳川は少し間を置いて無愛想に応じる。
「それで」
「強烈な熱波で瞬間的に大やけどを負ったような……まるで原子爆弾で被曝したように顔の皮膚がずれていました」
モニターには監視カメラではなく救助隊が手持ちのデジカメで撮影した画面に変わる。死亡した者や意識のない者を救助隊が担架に載せて救急車に運んでいる。
「ほかに遺跡付近を映した映像は?」
徳川の発言にスタッフが違和感を感じながら画像を変える。
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「何だこれは?」
「ストーンヘンジの表面の画像です」
「そんなものより……」
スタッフのひとりが徳川の言葉を無視して説明を続ける。
「画面右は従来の岩の表面。左はこの事件後に撮影された岩の表面です」
左の岩の表面には流紋がはっきりと見える。つまり高温にさらされたことを物語っている。しかし、徳川は興味を示さない。画面はストーンヘンジの全体を映したものに変わる。
「不思議なことに巨石はひとつたりとも落下していません」
「もういい。それより遺跡の周りの環境は?」
「ですから、熱波による影響を除いて何も変わっていません」
「返事になっていない。トリプル・テンの欠片とか痕跡は残っていないのか」
「そこまでは……」
「さっさと調査しろ!」
*
あれだけ互いに細断を繰り返したのだから遺跡の周りには必ずトリプル・テンの欠片が残っているはずだと徳川は確信していた。珍しく日本に帰らずに通信局に留まった。それほど徳川は自信を持っていた。
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昼の地域にある遺跡もあれば夜の地域にある遺跡もある。日が落ちると温度が氷点下になる遺跡もある。激しい雨にたたずむ遺跡もある。
再調査の命令を受けた現場のスタッフの大半が死亡していたので残ったスタッフは応援隊に調査を引き継ぐために待機していたが、徳川の命令で持ち場を離れて休息を取ることもできない。
ある夜、遺跡ではスタッフがウトウトしていたときトラックが到着して大型の投光器が設置される。投光器が強力な光を発すると細かい浮遊物が漂っている。それはもちろん、トリプル・テンの欠片ではない。どんなに小さな欠片でもトリプル・テンであれば浮遊しているはずがない。それほどトリプル・テンは重い。
しかし、徳川から「必ずトリプル・テンの欠片があるはずだ」と聞かされていたのでスタッフはそれをトリプル・テンではないかと必死で採取した。
一方晴れた昼間は空中のチリが目に見えないので、夜勤のスタッフと違ってまともな調査をする。欠片であってもトリプル・テンは重いはずだと地表の土を集める。
現地に分析装置がないので遺跡がある国の大学や研究機関に採取した浮遊物や土が運び込まれる。そういう施設がない国では近くの国の施設に分析を依頼することになる。
しかし、徳川の期待に添う報告は全くなかった。
「もっと詳細に調べろ!」
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誰も徳川に意見を言う者はいない。それどころか取り乱す徳川の執念に後ずさりする者がほとんどだった。ここでチェン、あるいは鈴木に仕えたことがある数人のスタッフが黙って部屋を出ようとする。
「職場放棄するのか!」
ここで勇気あるスタッフのひとりが毅然とした言葉を発する。
「もう二日以上も睡眠を取っていません。食事もしていません。徳川さんは医者でしょ」
ここで徳川はグッと唇を咬む。そして頭を軽く下げてからおもむろに切りだす。
「すまなかった。だが何としてもトリプル・テンを手に入れなければならない。人類の未来がかかっているのだ」
一瞬、沈黙が部屋を支配する。
このとき徳川は初めてノロと比べて自分の非力さに気づいた。慌てて調査したところでトリプル・テンを入手する可能性は極めて低い。それよりも、ここにいる連中を上手に使う方が得策だと考え直した。早速スタッフの肩をポンと叩く。
「調査は終了。疲れているのは分かるが、まず殉職した者の葬儀を丁重に行うことにしよう。済まないがもう一踏ん張りしてもらえないか?」
ほっとした息が室内に充満する。
*
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徳川はすぐさま次の手を打った。意外にもチェンと鈴木を釈放したのだ。
ここは徳川会の大会議室。徳川の豹変した態度にチェンのあとを引き継いだ大統領が異議を申し立てる。大統領だけではない。トリプル・テンに目がくらんだ主要国の大統領や首相、グローバル企業の会長や社長、大資産家などが徳川に攻め寄る。
徳川はそれらの意見を黙って聞く。以前の徳川ならすぐに押さえ込んで自分の意見を通そうとしたが、今回は不気味なほど沈黙を守る。その態度に恐怖感を覚える者が多いなか、大国でありながら絶大な権力を誇る一部の大統領や世界中に影響力を持つ企業経営者などが、歯に衣を着せぬ態度で徳川の責任を問う。
莫大な資金を徳川会に献上していたから、当然と言えば当然だろう。ストップ細胞のお陰で寿命を大幅に伸ばしたが、欲望が留まることはない。
「永遠の命を保証すると言った約束はいったいどうなったんだ」
それでも徳川はしゃべらない。やがてガスが抜けるように発言が少なくなったとき、徳川は過激な意見を発した者を順番に睨みつける。今まで威勢よく発言していた者の顔色が真っ青になる。やっと徳川が言葉を発する。
「皆さんの気持ち、よく分かりました。それでは今後の計画について説明しましょう」
どすの利いた低い声が大会議室を支配する。今度は出席者が沈黙する。
「生命永遠保持手術にはトリプル・テンが必要なことに変わりがない」
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一同が黙って頷くのを確認すると徳川は続ける。
「トリプル・テンを自由に操ることができる人間がいる。そう、ノロだ」
続く頷きの反応に徳川の声のトーンが上がるが、ゆっくりとした間合いは変わらない。
「ノロが信頼している人間はふたりしかいない」
これ以上説明することはないので徳川は地球連邦政府の大統領を見つめる。大統領は当惑して視線を外す。
「安心しろ。チェンと鈴木を大統領に復帰させることはない」
しかし、大統領は黙ったままだ。
「とりあえず地球連邦政府の参与という地位を与えてトリプル・テン回収に協力してもらう」
全員、徳川の意図が読み取れない。表向きは地球連邦議会がチェンと鈴木を解任したことになっているが、実際は徳川の指示だった。あのふたりがその事実を知らないわけがない。
「私の考えは変わった。今や地球の人口は爆発的に増加している……」
*
太陽からのエネルギーを月で捕らえてマイクロウエーブとして宇宙ステーションに送る。そして宇宙ステーションを中継して地球に二十四時間マイクロウエーブを届ける。各企業や家庭に受け皿さえあれば電気を湯水のように使える。装置がなくてもわずかな送電設備や送電網を整備すれば誰でも同じように電気をほぼ無料で利用できる。もちろん既存の送電網があれば即
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時に利用可能だ。
エネルギーが無尽蔵にしかも極めてローコストで使えるということは、オール電化の贅沢な生活ができる。雪が降り積もる地域でさえ蓄電した装置を使うと暖められた屋根や送電線や道路に雪が付着することもない。常夏の国や灼熱の土地に住む者もエアコンで快適な生活を送っている。
さらには自動車はすべて電気自動車となり天井に備え付けられたマイクロウエーブ受電装置で燃料補給から解放される。太陽光を利用するのではなくマイクロウエーブだから雨の日でも問題ない。そして技術革新が起きて自動車はエアカーに置き換わる。高速道路は不要になり、荒れた天候でなければ水上でのドライブも可能になった。
このように今や先進国、発展途上国の区別なく人々は豊かな生活を楽しむことができるようになった。
しかし、物事がすべていい方向に向かうのかというとそうではない。
旧発展途上国の人口が爆発的に増加して食糧事情が急速に悪化した。誰もが美味しい食べ物を求めるようになる。今度はエネルギーに代わって食糧の奪い合いが始まる。
さらに電化製品が大量に消費されてリサイクルを上回る産業廃棄物が発生する。
食糧と産業廃棄物問題以外にもっと深刻な問題が浮上した。それは感染症だった。衛生状態がよくなればなるほど免疫力が低下する。つまり抵抗力が落ちる。撲滅したウイルスや細菌が
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復活する一方、新種のウイルスなどが出現して混乱する。
最新の医療設備も製薬技術も新しい感染症に対応できない。新種のウイルスに対応できないので医療ミスも多くなる。
もちろん、チェンや鈴木は対策を怠らなかったが、贅沢な生活が蔓延して清潔な生活が浸透すればするほど免疫力が低下してちょっとした風邪で死亡に至ることが多くなった。
そこに目をつけたのが徳川だった。ストップ細胞を使った治療方法を確立したのだ。徳川はその技術でのし上がって地球連邦政府まで動かすようになった。はじめは表舞台に立つことを避けたが今や実質的な最高権力者まで登り詰めた。
そして権力者になれば誰もが手に入れようとするのが不老不死だ。これまでに現れた強力な権力者あるいは独裁者とは異なり、徳川には自ら不老不死の手術方法を開発するだけの力量があった。しかも金に不自由しない者は誰もが徳川に期待を寄せる。永久的に感染しなくなる身体、つまり永遠の命を徳川に求めた。
さて徳川はそれまでのダーティなイメージを払拭するためにチェンと鈴木を地球連邦政府に復帰させた。言動は謙虚になって人が変わったように振る舞う。チェンと鈴木の信頼を勝ち取るためにはあらゆる手段を使う。
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