第十三話 コンピュータ調査と背任


 今からお話しする会社の調査の立ち会いをなぜしなければならなくなったのかの説明は後でするとして、調査を受ける方にもする方も問題がある案件である。特に税務署の調査能力に問題がある。

 

 この会社の決算は大赤字だった。赤字なら調査はないのではと思われる方が多いだろうが、そうは行かない。なぜならこのような場合、消費税の還付が高額になるケースが多いからだ。

 

 この会社は申告書を提出してから二ヶ月後のある日に調査を受けた。五人もの調査官が二手に分かれて早朝社長の自宅に、そして始業直後の会社に踏み込んだ。まるで査察の調査のようだが、入ったのは大阪市内の税務署の法人機動班(通常法人税第二部門のこと。以下単に機動班という)だった。大袈裟だがあくまでも任意調査だ。

 

 経緯はともかくとして数日後の調査から私が立会することになった。このような調査の場合、初日に会社や社長個人のコンピュータのデータを吸い上げるのが調査の基本である。しかし、機動班はまったくコンピュータのデータに手を付けていなかった。会社でどんな調査をしているのかというとあくまでも帳票関係の精査だった。色々な帳票に付箋を貼ることに専念するだけでコンピュータには目もくれなかった。

 

 手持ち無沙汰なので私は消費税の申告書の内容を分析した。問題点がすぐに浮上する。多額の仕入を二社からしていた。この二社からの仕入にかかる消費税が還付の大半を占めていた。

 

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一社は「京都エステート」でもう一社は「エステート神戸」という株式会社だった。

 

 ノートパソコンを持参していたので暇に任せてインターネットでこの二社の登記簿謄本を閲覧した。すると驚くべき事実が判明した。調査を受けている会社の社長は「兼六公男」という名前だが京都エステートの社長は同じ「兼六公男」だった。他の役員の姓はすべて「兼六」だった。

 

 一方「エステート神戸」の社長は「京都エステート」の役員にもなっている「兼六太郎」だった。いずれの会社の資本金も十万円だった。要は両社は調査を受けている会社の社長の関連会社なのだ。つまりこの二社から多額の仕入をしているのだ。

 

 調査を受けている会社の株主は社長ではなく投資好きの大資産家(オーナー)で、調査が入ったとき、顧問税理士が入院中だったのでツテを頼って私に立会を求めてきたのだ。私はすぐさまオーナーに連絡を取ってこの事実を知っているのか尋ねた。「知らない」と言うことなのでことの重大性を告げた。つまりこの会社の社長は株主に対して特別背任をしていることになると。私はこの調査の進展に興味を持った。

 

 午後機動班は付箋を貼った帳票のコピーを要求する。そしてさらなる帳票を精査する。コンピュータに手を付けることはなかったが、帳票はすべてコンピュータで作成されている。機動班のチーフは間抜けにもデータの吸上げ作業を翌日行っていいか社長の了解を求める。社長はパソコンに関してはずぶの素人だが、意外にも抵抗せず了承する。

 

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***

 

 翌日も早朝から調査が入るが、機動班は帳票の精査を続ける。ところが会社に見かけぬ人間がしきりにパソコンをいじっている。この会社には社員は四人しかいない。いぶかしく思って近づくと入力作業ではなくマウスでしきりにファイル操作をしている。

 

「どちらの方ですか?」

 

 横顔が社長に似ている。

 

「下請けの者です」

 

 すぐさま私は隣の部屋に向かい機動班のチーフに告げる。

 

「部外者の者がパソコンを操作しています。排除しなくてもいいのですか?」

 

 税務調査中は余程のことがない限り部外者を社内に入れないのが原則だ。会社の方も税務調査中の状況を部外者に見せたくないものだ。しかし、チーフは顔を上げるだけで返事をしない。

 

「排除が原則でしょ」

 

 調査時関係者以外の者がいるか確かめるとともに、そのような者がいれば私は社長に必ず所払いを指示したものだ。やっと返事が返ってくる。

 

「それは私が判断します」

 

「この会社のパソコンを操作しているのですよ」

 

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 ことの重要性を繰り返すが視線を書類に落として応えなかった。仕方なく元の部屋に戻ると下請けの者と称した人間はいなかった。社長を睨み付けると視線を外す。間を置かずに若い女性の経理担当者に尋ねる。

 

「さっきまでいた人は誰ですか?」

 

「社長の息子さんです」

 

 ウソはつけないものだ。

 

「社長どういうことですか?」

 

「申し上げたとおり我が社は人手がない。手伝わせているだけです」

 

「息子さんは取引先のエステート神戸の社長ですよね」

 

 社長の表情が急変するが即座に取り繕う。

 

「社長と言っても名ばかり。手伝わせないと会社が持たない」

 

 調査の立会をしているといっても背任している以上同調できない。すぐさま隣の部屋のチーフに告げる。

 

「さっきの部外者ですが、社長の息子で神戸エステートの社長です」

 

 チーフはもちろん機動班全員が手を止めて私を見つめる。

 

「本当に調査する気があるんですか」

 

 調査の立会を任されてこんなことを言わなければならない税理士はいないだろう。それでも反応は緩慢だ。

 

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「午前の調査が終わったら署に帰ってコピー用のハードディスクを持って来ます」

 

 やっとデータのコピーにかかるというのだ。税務署の調査を担当する中でも機動班というのは秀逸な調査グループだ。しかし、実態はこの程度かと苦笑いしてしまう。

 

「重要なファイルが消去されていたら意味ありませんね」

 

 気骨のある返事はなかった。

 

「とにかく午後はデータをコピーします」

 

***

 

 午後からハードディスクを持参した機動班が付箋を貼った帳票のコピーを要求する一方、社長にパソコンのデータのコピーの準備にかかる。社長は余裕を持って対応する。パソコンに詳しい息子にファイルを消去させたのだろう。

 

 さて機動班の中にパソコンに詳しい調査官がいたが、つぶさに観察するとパソコンが趣味だという程度のレベルだった。

 

 この会社は外付けのハードディスクをファイルサーバーとしてLANケーブルで接続された社長と社員のパソコンを端末として利用していた。つまり本格的なサーバーを利用していなかった。

 

 機動班は経理のパソコンからデータをコピーする作業を開始する。私なら社長の息子が操作していたパソコンを利用する。そしてそのパソコンの使用履歴も吸い上げる。いわゆるログファイルだ。

 

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どのような作業をそのパソコンでしたのかを記録したファイルだ。もし重要な資料を消去したとしても記録がすべて残る。それを頼りにファイル復活ソフトを使って消去されたファイルを復元する。ただしこの作業はできるだけ時間をおかずに行うのが原則だ。

 

 機動班が経理のパソコンに釘付けになったのを幸いに社長の息子が使っていたパソコンに持参した大容量のポータブルハードディスクを接続してログファイルを吸い上げる。USBメモリでは容量が少ないし転送速度が遅いからだ。まだ誰も私がパソコンに詳しいとは思っていない。

 

 経理担当者がIDとパスワードを入力してファイルサーバーに接続すると調査官はデータのコピーを開始する。いずれにしても吸上げ作業は調査に入った日に行うものですでに手遅れかも知れない。

 

 しかし、社長の息子が操作していたパソコンなら何とかなる。削除されたファイルがゴミ箱に入ったままであれば復元は簡単だ。しかし、ゴミ箱のファイルがクリーンアップされていたら、ファイル復活ソフトをインストールしなければ復活は不可能だ。

 

 ログファイルを見ると最後の行にクリーンアップされた記録が残っていた。その数分前から数十分前の間に約百以上のファイルが消去された記録も残っている。パソコンを使い慣れていることがよく分かるが、ファイル復活ソフトまで意識していたかまでは分からない。

 

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ここで持参していたファイル復活ソフトをインストールするか躊躇する。なぜなら社長の許可なしにフ

ァイルを復活するのは問題だからだ。社長が息子に消去を指示した以上復活を拒否するだろう。黙って復活させなくてもこれまでの私の行動はすべてログファイルに残されている。ただしIDで私を特定できないが、現実にパソコンを操作しているので言い逃れはできない。それに何しろ私はこの会社に頼まれて調査の立会をしているのであって税務署の味方ではない。

 

***

 

「はっきり言って特別背任です」

 

 オーナーが電話の向こう側で応える。

 

「それは先ほどお聞きしましたが」

 

「弁護士には相談しましたか?」

 

「一応伝えました。それなら税務署も厳しく対応するはずで様子を見ようと言うことでした」

 

「管轄税務署は最強の機動班という調査班を投入していますが……私も驚いていますが、調査能力が非常に低いのです。前にも言ったようにいきなり調査に入ったまではよかったのですが、すぐさまパソコンを押さえませんでした。やっと今データを吸い上げていますが、重要なデータはすでに消去されています」

 

「もう一度弁護士に相談します」

 

 結局は様子見と言うことになった。しかし、機動班はログファイルまで吸い上げなかった。

 

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私はファイルの復活を断念して社長の近くの棚にファイリングされずに置かれている書類に目を通す。するといくつかの重要な書類が見つかった。

 

 相変わらずデータのコピー作業を継続している調査官以外の機動班はファイル綴りを丹念に調べている。重要な書類はすでに破棄あるいは抜かれているにもかかわらずだ。つまりペーパーについては社長が徹夜で抜き取って別保管するか破棄しているはずだ。

 

「なぜこのファイル綴りはスカスカなのですか」

 

 特別背任までする社長だ。機動班のチーフの質問を軽くいなす。

 

「綴りはパンパンでなければならないのですか」

 

「不自然だと思いませんか?」

 

「不自然?私は少人数でこの会社を経営しています。たえずファイル綴りの分厚さまでチェックしろというのですか?」

 

 息子が会社内にいたことをとがめなかった機動班を社長はなめきっていた。

 

***

 

 急にファイルサーバー代わりのハードディスクの電源が落ちる。端末からのアクセスができなくなった。データをコピーしていた調査官が狼狽える。

 

「私は何もしていません」

 

 原因は分からないが、対処方法はある。

 

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「すべての端末の電源を落としてコンセントを抜いてください」

 

 すぐさま私が指示する。その調査官が私を見つめる。

 

「ルーターの電源を切ってください」

 

 切ると言ってもルーターに電源ボタンはない。

 

「電源コードを外してください」

 

 調査官は私しか頼れる者がいないと思ったのか素直に従う。

 

「ファイルサーバーの電源を入れ直します」

 

 私は腕時計の秒針を見つめる。一分たったの確認してからファイルサーバーの電源を入れる。

 

アクセスランプが点滅しやがて点灯する。

 

「端末、いやパソコンの電源ボタンを数回押してください」

 

 調査官はもちろんのこと社員が首をひねる。

 

「電源コードを繋いでからでしょ」

 

「繋ぐ前にしてください。パソコン内のコンデンサーという部品に貯まっている電気を逃すためです。そのあと電源コードを繋いでください」

 

 私はこの会社のシステムをすべて初期状態に戻した。

 

「まず経理のパソコンを立ち上げましょう」

 

 順調に立ち上がるとファイルサーバーにアクセスする。問題なくすべてのファイルにアクセス可能となった。

 

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「すごいですね」

 

 機動班のチーフが感心しながら先ほどの調査官にデータコピー作業の再開を指示すると安堵のため息を漏らして隣の部屋に消える。再び他の調査官とともに書類の精査を続ける。

 

 社長が用を足しに廊下に出たとき隣の部屋におもむく。

 

「何か重要な資料でもありましたか」

 

「それが……」

 

 取引関係の書類がほとんど見つからないのだ。初日に押さえるべき書類を調査しなかったのが原因だ。事前に通告することもなく踏み込んだまではよかったが、その後の詰めが非常に甘かったのだ。平気で背任する社長だ。関係書類の破棄など躊躇するような人間ではない。

 

「全データをコピーしても重要なデータが残っているとは限りませんよ」

 

「それは見るまでなんとも言えません」

 

「そうでしょうか。ログファイルを見ましたが、かなりのデータが削除されています。社長の息子をなぜ排除しなかったのですか。恐らく彼は社長のIDとパスワードを使ってファイルサーバーに侵入してデータを消去したのでしょう。データよりログファイルの方が大事です」

 

「こちらにはこちらのやり方がある」

 

 調査に「泳がす」というやり方があるが、そんな高度な調査能力がこのチーフにあるとは思えない。

 

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「先生に指示されるいわれはありません。それに先生は会社側の人でしょ」

 

「調査に協力してくださいと言っていたのは誰でしたっけ」

 

***

 

 社長が戻ってきた。さすがにチーフは今までになく強く説明を求める。

 

「なぜ取引に関する契約書がないのですか」

 

 黙って見つめる私に社長がくってかかる。

 

「先生はどちらの味方なんですか」

 

「悪いことをしていなければあなたの味方です。一方税務調査には協力しなければなりません。

 

キチンとした書類がなければかばいようがありません」

 

「少人数で仕事しなければならないので細かい書類のことなど分かりません」

 

「細かい書類じゃなくて重要な契約書類のことです」

 

 私は社長からチーフに視線を移す。

 

「ふたりで詰めてください」

 

 私はまだデータをコピーしている調査官のところに行く。

 

「どうです。作業は順調に進んでいますか?」

 

「先生のおかげで順調です」

 

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「ログファイルもコピーした方がいいですよ」

 

「コピーの仕方がよく分かりません」

 

「えっ!それじゃ調査にならない」

 

「仮にコピーできたとしても内容を分析できません」

 

「署に持ち帰ってパソコンに精通している人に教えてもらったら?」

 

「そうですね。先生、ログファイルのコピーの仕方を教えてください」

 

「そこまではできません。社長にお願いして許可が出ればしますが」

 

 調査官が隣の部屋に行ってチーフに耳打ちするとチーフが社長に要求する。

 

「社長。ログファイルをコピーしてもいいでしょうか?」

 

「ログファイル?」

 

 また不用なことを調査官に吹き込んだと社長は私を睨み付ける。

 

「ログファイルというのは……」

 

 先ほどの調査官を遮って私が説明する。

 

「このファイルを見れば誰がファイルサーバーに接続してどういう作業をしたのかすべて分かります。積極的に消去しない限り数年分ものログファイルが残ります。紙は破棄すればそれまでですがパソコン内のログファイルは残ります。場合によっては消去されたデータも復元可能です。データの消去というのは一時的に見えなくするだけの作業ですから、その障害を取り除けば元に戻ります。ここまではいいですか?」

 

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 社長の表情は変わらないが指先は震えている。ここで社長は究極の選択をする。株主から立会を依頼された私を外すというのだ。株主に楯突いても自分を守らなければならないと判断したのだ。

 

***

 

 以後この調査がどのようになったのかは知らない。ただ言えるのは精鋭の機動班ですらこの程度の調査しかできないという事実だ。

 

 国際租税専門官もしかり、資産評価専門官もしかり、実に頼りない。今や為替差益や仮想通貨の課税はもちろん土地の評価事務は余程の努力をしなければ適正に行えない。もっともらしいポストを作っても魂を入れなければ機能しない。ましてやコンピュータを使った書類管理などの仕組みが分からなければ、調査自体が意味をなさない。

 

 国を挙げてデータの改ざんや破棄をして国民をないがしろにする影響が、こんな所、つまり現場に与えていると言わざるを得ない。

 

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