【時】永久0255年(前章より約155年後)
【空】生命永遠保持機構の本部の手術室と室長の部屋
【人】瞬示 真美 ホーリー サーチ 住職 ケンタ 忍者 Rv26
***
サーチのクーデターの話が終わる。
「この部屋で……」
瞬示が深く息を吸いこむ。
「あれがキャミの部屋へのドアなの?」
真美が奥のドアを指差すと隣のサーチが横顔のままうなずく。
「キャミは今どうしているの?」
続けてサーチの横顔に問いかける。
「今は未来だから、わからないわ」
「キャミは今でも将軍なのかしら?でも男ってひどいわ」
今度は真向かいの瞬示に口をとがらす。
[448]
「しかし、影丸が女の味方だったのはなぜなんだ」
真美の険しい視線から逃れようと瞬示が斜め向かいのお松に尋ねる。
「私どもはよき指導者にお仕えするだけ」
佐助がお松に強く同意する。
「別世界へ放りこまれても価値観は変わらんものじゃ」
住職が一息おく。
「忍者とは、『刀』に熱を加えて昇華した『刃』に、耐えるという『心』を注入した粘り強い精神を持った者じゃ。彼らの本質はどこにいても変わることはない」
住職が佐助の心の言葉を翻訳すると、お松が深い感銘を覚えて目をうるませる。
「当時、キャミ副理事長は私どもを暖かく見守ってくださいました」
お松の言葉にサーチが言葉を付け加える。
「そう、キャミはクーデターの成否を忍者にかけていたわ」
サーチの唇の血袋が破れる。
「待ってくれ!」
住職がテーブルを叩いて叫ぶ。
「おかしい!」
ホーリーもほぼ同時に叫ぶと口元をぬぐうサーチを直視する。サーチの記憶の因果律が先ほ
[449]
どから完全に逆転していることに気付いた住職とホーリーが興奮する。瞬示も真美もサーチを見つめて最大級の驚きを浮かべる。ホーリーが血が止まらないサーチの口元を気にするが、今はそれどころではない。
「サーチ!因果が!」
言葉を続けようとするがホーリーは立ち上がったまま氷のように固まる。
サーチのクーデターの話に引きずりこまれて誰も気付かなかったが、それまで絡みもせずにただダラッとしていたサーチの記憶の糸が、今、完全にピーンと張っている。
忍者を知らないと言っていたサーチがクーデターの話の中で忍者のことを詳しく語っていた。ここにいるサーチは忍者と関わったことがないはずなのに、生命永遠保持機構の本部で忍者に蘇生手術を指導したサーチの記憶を共有している。しかも忍者がクーデターで大活躍したことも完璧に記憶していた。このことにサーチ自身が最も驚き、そして戸惑う。
「なぜ私が忍者のことを知っているの!でも知っている」
サーチがテーブルに両手を投げだして、そのまま両腕の中に顔を埋める。
「因果律を超えておる」
住職が静かな口調で言葉を吐きだしたとき、ホーリーが羅生門での出来事を思い出す。
「あのとき、サーチは気絶した」
「あのとき?」
[450]
「羅生門でサーチが倒れたでしょ」
真美の言葉に住職も羅生門での出来事を思い出してホーリーと同じことを考える。
「そうじゃ!あのとき瞬示や真美の身体から出たピンクの輝きがサーチを包みこんだぞ」
「そのあとサーチは時間島にのみこまれたわ」
羅生門で自分たちが、あるいは時間島がサーチに何らかの影響を与えたことを瞬示と真美が素直に認める。
【でも、その結果、なぜサーチがこんな状態になったのか……】
【まったく心当たりがないわ】
「瞬示と真美か……それとも時間島かはわからないが因果律に介入することができるんだ」
「サーチの記憶に介入した覚えはないわ」
すぐさま真美がホーリーに反論する。サーチがおずおずと顔をあげて真美を横目で見る。
「私は神様に戦いを挑んだのかしら」
サーチが横目の視線を真美からまっすぐホーリーに向ける。ホーリーはうなずくと立派なテーブルを回って反対側にいるサーチにゆっくりと近づく。
「時間という世界を自由に瞬時に移動できるということはじゃ、因果律も自由に操れるということじゃ。これは間違いのない真実じゃ」
住職が瞬示と真美を交互に見つめたあと目を閉じて合掌する。
[451]
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
【なぜ、ぼくらがそんな能力を持っているんだ!】
【怖い!】
住職が薄目を開けて瞬示と真美をもう一度交互に見つめる。
「わしは生きながらにして、仏様に出会えたようじゃ」
瞬示は住職の言葉を片耳に閉じこめて、サーチの後ろに立つホーリーにあえぐような眼差しを向ける。
「ぼくらと同じようにホーリーもアンドロイドも時空間を移動できるじゃないか?」
「俺達は因果律に逆らうことはないし、破ることもできない」
ホーリーが天井を仰ぐ。理事長室を沈黙が支配する。ため息すら聞こえなくなる。
「サーチ……」
ホーリーが弱々しく立ち上がろうとするサーチを背中から抱きしめる。
***
サーチの横に座るとホーリーが重々しい雰囲気を破る。
「なぜ、ここから誰もいなくなったかだ」
ホーリーの言葉に目が覚めたようにサーチが応える。
[452]
「この建物のどこかにそのヒントがあるはずだわ」
ホーリーはサーチが精神的に安定したのを確かめるように話題を変える。
「サーチは医者だったのに、なぜ兵士になったんだ」
「クーデターが起こったから」
ホーリーはそうは思わない。それは医師と兵士ではスタンスがまったく違うからだ。
「本当に?」
ホーリーはあの人なつっこい表情で見つめるとサーチが素直に応える。
「白状するわ。本当は壁にぶち当たって医者をやめたの」
「壁?」
「生命永遠保持手術の限界を知ってしまった」
「限界?」
ホーリーがサーチの表情の変化を注意深く観察する。
「うまく言えないわ」
すかさず住職が口をはさむ。
「生命永遠保持手術という高度な技術を持っているのに子供をつくれんのじゃ」
「当然じゃないですか」
ホーリーが不満そうに声をあげる。
[453]
「ちょっと意味が違うのじゃ。生殖機能というのは原始的な生物でもごく自然に行われるし、人間は動植物の生殖機能を利用して様々な品種改良をいとも簡単にしてきた。ところが自分たちの生殖機能を回復させることができないのじゃ。それほど生命永遠保持手術は神、いや仏をも恐れぬ人類始まって以来の断トツ一位の技術なのじゃ」
住職がため息をついて続ける。
「因果じゃ」
「また、因果ですか」
ホーリーがうんざりするとサーチが住職の前にポツンと言葉を置く。
「私は元々産婦人科の医師でした」
住職がサーチを見すえてゆっくりと大きくうなずいたとき、ドアの側にいたEX4が場違いの声を出す。
「手術室ニ異様ナモノガ多数存在スルトイウ報告ガ入リマシタ」
サーチはこの建物のほとんどが無傷なのに、ある部屋だけが損傷しているというRv26の最初の報告を鮮明に思い出す。そのことを言っているのかもしれないとすぐさま席を立つ。
「行きましょう!」
ホーリーの手を強く握りしめる。ホーリーが驚いてサーチの手を強く握り返す。
「何かほかに変わったことはないか?」
[454]
ホーリーがEX4に尋ねる。
「今ノトコロ、アリマセン」
アンドロイドがこの生命永遠保持機構の本部はもちろんのこと、ほかのシェルター内の施設もくまなく調査している。サーチとホーリーが手をしっかりと握りあって理事長室を出る。ほかの者も慌てて立ち上がって追いかける。
サーチとホーリーを先頭に全員、キャミが昔使っていた副理事長室前を通りすぎて特別検査室前も素通りして手術室の前にたどり着くと、サーチはためらうことなく中に入る。
手術室の様子は瞬示と真美がかつて見たものとはまったく異なっていた。手術台の数が激減しているだけではなく、ひとつひとつの手術台が直径三メートルほどのガラス製のドームのケースに囲まれている。サーチもその変化に気付く。
「無重力ケースの中で手術できるように改良されているわ」
「この部屋でわたしたちは手術を受けました」
お松の言葉に佐助が部屋を見渡しながら大股で進む。
「私がいたころより手術装置が格段に進歩している」
サーチが感動を隠さずにホーリーの手を解放して両手を少し広げる。住職やケンタは珍しそうに手術台や装置をキョロキョロ見ながらゆっくりと歩く。
「異様なものがある場所はどこなの?」
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サーチがEX4に確かめると、EX4が奥で手を上げたアンドロイドを見つける。
「奥デス」
そこは高さ二メートルぐらいのパーティションで区切られている。サーチが走りだすと、ホーリーはもちろんのこと瞬示、真美、そしてEX4がサーチに遅れまいと追従する。
パーティションを少し超えたところでサーチが立ち止まる。そして真美がサーチの背中で叫び声をあげる。サーチはここがEX4の報告にあった損傷した場所でないことに期待を裏切られるが、ゆっくりと歩きだす。
アングルで組まれた棚に円筒形のガラス容器が整然と置かれている。その前で立ち止まったのは真美だけではなく瞬示もそうだ。
透明の液体に満たされた円筒形のガラス容器には胎児が一体ずつ入っている。容器の上の方に少しだけ空気のすき間がある。ひょっとすると胎児は死亡する前にこの容器に入れられたのかもしれない。すぐにサーチはこれらの胎児が単なる標本ではないことに気付いてガラスの容器をひとつひとつ丹念に確認しながら前に進む。
容器の上には小さなサイコロの形をした三次元バーコードが置かれている。恐らく、この胎児一体一体の詳しいデータがコンピュータに保存されているはずだとサーチが確信する。
【瞬ちゃん、あの胎内の】
よく見ると透明な細い管が胎児の身体から数百本は出ている。まさしく瞬示と真美が巨大土
[456]
偶の胎内で見たものと同じ胎児だ。
【落ち着け】
瞬示が真美にというよりは自分自身に信号を送る。
一千体はある。住職やケンタそして忍者は胎児にただ驚くだけで声すらあげない。すでにサーチとホーリーが一番奥にいる。真美が我慢できなくなってパーティションの外へ出て瞬示に信号を送る。
【どういう事!】
【わからない】
瞬示もパーティションの外へ出る。
【あの胎児がここへ運ばれてきたなんて】
【そうとは限らない】
【胎児を見ると悲しくて悲しくて】
すぐさま瞬示は慰めの言葉を探すのを諦める。そのときパーティションの奥からサーチの声がする。
「EX4!」
EX4がサーチのもとに駆けよる。
「理事長室のコンピュータが使えるか調べて」
[457]
「ハイ」
「生命永遠保持機構の中央コンピュータのデータも使えるか調べてください」
今度は即答せずにEX4が両耳を盛んに赤く輝かせる。
「Rv26ガココニ来マス」
EX4がサーチとの会話を中断して全員に向かって宣言する。
「月ハ安全デス。人間ニ危害ヲ加エル要因ハ存在シマセン」
今までEX4の横にいたアンドロイドがRv26を迎えに行くために手術室から出ていく。
「サーチサンノ命令ヲスベテ実行シマス」
EX4がやっとサーチに応える。
「命令?」
サーチが距離をつめてEX4を見上げる。
「コノ建物デハサーチサンノスベテノ命令ニ従ウヨウニトRv26カラノ命令ヲ受ケマシタ」
EX4がサーチに敬礼をする。すぐさまホーリーも敬礼する。
「俺もだ」
サーチが戸惑いながら笑顔を見せるとホーリーが敬礼したまま同じく笑顔で応える。
「役に立つぜ」
「ありがとう」
[458]
***
理事長室でサーチとホーリーが並んで端末の前に座っている。
「ほんの九年ほど前の出来事だわ」
サーチが執念を抱く。横でホーリーが端末を使えるようにログインパスワードの解除をするとサーチの要求を器用にこなす。
「やっぱり、サーチの言うとおり胎児に生命永遠保持手術をしたデータが残っている」
「人事リストから妊娠した経歴のある人がいるかどうか調べて」
「妊娠?そんなこと!」
ホーリーがモニターからサーチに視線を移す。
「忘れたの?」
サーチが笑みを浮かべてホーリーを見つめる。
「命令よ」
すぐさまホーリーが透過キーボード上ですべての指を踊らせる。
「ほんとだっ!妊娠した女がいる!」
サーチの表情が険しくなる。
「次の命令は!」
[459]
ホーリーもサーチ以上に興奮する。そのとき、理事長室のドアが開いてRv26がEX4とともに入ってくる。
「今、S3ノデータヲ中央コンピュータニ転送シマシタ」
生命永遠保持機構の本部前で倒れていたアンドロイドBS3から取り出された記憶装置のデータを、再稼働した生命永遠保持機構の中央コンピュータにRv26が転送したのだ。この事情を簡単に説明したあとRv26がサーチに質問する。
「何ガアッタノデスカ?EX4ノ報告ガ混乱シテイテ状況ガ把握デキナイノデス」
ホーリーがアンドロイドも混乱するのかと思いながらうわずった声を出す。
「胎児が見つかった」
「胎児?胎児トハ何デスカ?」
Rv26には胎児という概念が理解できない。
「人間の子です」
「胎児トイウモノハ、人間ガ製造シタ人間ナノデスカ?」
Rv26の質問自体が混乱する。無理もない。アンドロイドがアンドロイドを製造するときは自分たちとほぼ寸分違わないアンドロイドを製造する。昔、人間の男と女が人間をつくっていたという伝説をアンドロイドは知っていた。しかし、アンドロイドが製造されたころ、人間はすべて永遠の命を持つ存在だった。アンドロイドには人間がつぶれたり、壊れたりしても修
[460]
繕すれば元に戻るアンドロイドと同じ存在だと理解されてきた。それどころか人間は故障しても自己回復能力で修繕するから人間は人間を造らないと理解していた。
胎児というもの、そしてその胎児がどのようにして人間になるのかはアンドロイドの理解をはるかに超えている。Rv26には「人間はなぜ人間を造ろうとしたのか」まったく理解できない。
ホーリーとサーチにはRv26が混乱しているのがよくわかる。しかし、自分たちも混乱している。
「Rv26、住職に聞いてくれないか」
「そうね。こういうことは住職がうまく説明するわ」
ホーリーとサーチはBS3のデータやほかのデータを詳しく分析したいので、ていよくRv26を理事長室から追いだす。
***
「成長じゃ」
多数の胎児を封印したガラス容器が並んだ棚の前で住職がRv26の質問に答える。
「我々モ成長シマス」
「それは改良じゃ」
[461]
「オッシャルトオリデス」
アンドロイドは豊臣時空間移動工業で開発されたロボットが原型だった。時空間移動装置の製造を自動化するためにロボットを導入した。やがて優秀だが少し気まぐれな男によってそのロボットがアンドロイドに改造された。男に改造されたためか、それとも人間並みの大きさにできなかったためか、男の姿をしている。
その後、女のクーデターで人間は男と女に分かれて戦うようになって豊臣時空間移動工業の月面本社工場は女の支配下に置かれたが、カーンがアンドロイドの設計図を含む豊臣時空間移動工業が保有していた機密情報をすべて持ち去ったので、女の軍隊ではしばらくの間アンドロイドを製造できなかった。
しかし、優位に戦争を進めていた女の軍隊は男の軍隊の支配下にあった完成コロニーを手に入れるとそのコロニーの豊臣時空間移動工業の支社工場でアンドロイドの製造技術を手に入れた。すぐさまアンドロイドの製造に着手したが、アンドロイドの姿を女にするほどの余裕はなかった。それは早急にアンドロイドを兵士に改造する必要があったからだ。もちろん大型のアンドロイドの方が相手を威圧するには都合が良かった。
いずれにしてもアンドロイドも参戦することになった。しかし、アンドロイドには人間の男と女の区別がつかない。例えば男の軍隊が製造したアンドロイドが男の兵士を殺すというような事故が多発した。
[462]
そんなころ、誰かがアンドロイドに進化のプログラムを組み込んだらしく、アンドロイドは自らを製造するときに従前より改良を加えた新しいタイプのアンドロイドを製造するようになった。アンドロイドの進化の第一歩がはじまった。もちろん、前線コロニーにはアンドロイドを統括する中央コンピュータを設置していたが、戦争に明け暮れていた人間にとって前線コロニーに対する監視はなおざりだった。各前線コロニーの中央コンピュータの裁量の範囲が徐々に広がって、前線コロニーは中央コンピュータとアンドロイドが支配する独立惑星になってしまう。あるいは軍隊に入ることを好まない人間の隠れ家になった前線コロニーもあった。
「人間は成長することをやめたのじゃ」
「人間ガ人間ヲ製造シタトイウ記録ハアリマセンガ、伝説ハアリマス」
「元来、人間は男と女の共同作業で女が子を産んでその子を男と女が協力して育てて一人前の人間にするもんじゃ」
「産ムトハ?一人前トハ?」
住職がRv26の質問にどう応えたらいいものかと頭をさする。
「女の身体の中に人間の元となるものが、男の助けを借りて生成されるとでもいうか」
「男ガ女ヲ助ケル事ガアルノハ皆サント、出会ッテ理解デキマシタ」
住職はRv26との会話を通じて、性という概念を持たないアンドロイドにこの問題を理解させることが難しいと悟る。根気よくRv26の相手を務める住職を横で見ていたケンタや忍
[463]
者は苦笑しながらも真剣に耳を傾ける。
「胎児はやがて人間により近い形になって女の身体から離れるのじゃ」
「少シ理解デキルヨウニナリマシタ」
「ところがじゃ、ここの胎児は女の身体から離れる前に死んだようなのじゃ」
住職が胎児にまとわりつく糸のようなものをふしぎそうに眺める。Rv26も住職の横に立ってマネをするように首を傾げながら胎児を見つめる。
***
ホーリーとサーチが顔を見合わせる。
「退化した卵子に捕虜の男の精子で無理矢理受精させて、生まれてきた子に生命永遠保持手術を施したなんて」
生命永遠保持手術を受けた女がまったく妊娠しないかというとそうでもない。
「しかし、よくもまあ、そんな手術をしたものだ」
「でも誰がしたのかしら。ひょっとして……」
サーチは「リンメイ」と入力して検索する。
「リンメイだわ!」
サーチが立ち上がってホーリーの手を取ると理事長室から廊下に出て手術室に向かう。
[464]
「どうした!」
黙ったままサーチは手術室から大昔自分が使っていた手術室長の部屋を目指す。ドアを開けて部屋の中を見渡す。自分が使っていたときとは一変している。サーチが一気にしゃべり出す。
「特命を受けてあの民宿へ行ったころは確かリンメイが室長だったわ」
薄く目を閉じて記憶をたどる。
「リンメイの専門は考古学だったけれど、生命永遠保持手術の腕はすごかったわ」
サーチはリンメイのデータを探そうと机の前に座る。
「リンメイならあれだけの手術をこなすだけの力量があったかもしれない」
端末のスイッチを入れる。
「やっぱり、リンメイが室長だわ」
モニターにはリンメイのログインをうながす画面が表示される。
「私にはログインできないわ」
「かわろう」
横に立っていたホーリーがサーチと入れ替わる。
「端末番号0811か」
ホーリーが机上に浮かぶ透過キーボードに触れる。
「よし!これが生体認証の代わりになるログインパスワードだ」
[465]
ホーリーが透過キーボードでパスワードを打ちこむとサーチに席を譲る。ホーリーと入れ替わったサーチは直ちにリンメイが残したデータを調べる。
モニターにリンメイのデータが現れる。サーチは息をつめてデータを頭にたたきこむ。横でホーリーが辛抱強く待つ。やっとサーチが一声あげる。
「やっぱり、リンメイが犯人だわ」
「?」
「リンメイが子供を望む女に妊娠させたのよ」
「えっ?」
「リンメイは私の後任者。でもうまくいかなかったようだわ」
「詳しく説明してくれないか」
サーチが再びモニターをのぞきこむ。
「胎児は生まれることなく死んでしまった」
「なぜ?」
「受精後の卵子はあるところまで分割して成長すると、つまり原始胎児まで成長すると、残念なことに体内に老化をつかさどる遺伝子が現れるの」
「これから成長するはずの胎児になぜそんな遺伝子が……」
「それはあとで説明するわ。それより、胎児に絡まっていた糸のようなものに気が付いた?」
[466]
「イヤでも気が付く。あの無数の糸はいったい何だ?」
「あれは生命永遠保持手術のときに使う細い管なの」
「管?」
「管といってもクモの糸のように細くて強い管で、リンメイの資料によれば胎児の主要な細胞に老化防止成分と活性化成分を送るためのもの」
「それで老化をつかさどる遺伝子の働きを停止させるのか」
「それと活性化成分で身体の活性力を高めるの。簡単に言えばね」
「さっきの質問だけど、胎児になぜ老化をつかさどる遺伝子が現れるんだ?」
「それは人間だけの特別な現象ではなくて、すべての生物に共通する現象なの。生物は誕生したときに『いずれ死ぬ』という宿命を持って生まれてくるものなのよ」
「子孫を造れば死ぬという宿命。誰がそんなルールを」
「そうね。でもこのルールが遺伝子に埋めこまれている。それを中途半端に断ち切ったのが生命永遠保持手術なの。住職の言葉がきっかけでこう理解したんだけれど分かる?」
「わかった。いや、わかったことにしよう」
ホーリーが徐々に専門化するサーチの説明に全神経を集中させる。
「生命永遠保持手術は一言でいえば、老化をつかさどる遺伝子を破壊する手術なの」
「そこまでは理解できた。でもそれは成人の場合だろ?」
[467]
「そうよ。今回のリンメイの手術は胎児に施すの」
ホーリーが言葉をはさもうとするが、サーチは無視する。
「生命永遠保持手術で老化をつかさどる遺伝子をすでに失った母体は、自分の胎内に老化をつかさどる遺伝子を持つ胎児を抱えこむと、悲しいことにその胎児を排除するの」
「母体の中で成長しようとする自分の子を異物のように扱かうとは!」
ホーリーが細い目を丸くして驚くと、生命永遠保持手術の本質を初めて根本から理解できたような気分になる。
「親子とはいえ、遺伝的には異なる基盤を持つ細胞が混ざりあって休むこともなく、胎児に栄養を与え、胎児から排泄物を受けとる作業をする。その関わりを切断するために、胎内から衰弱した胎児を取り出して生命永遠保持手術で救命しようというアイデアが生まれたと思うの」
「でも、少年や少女でも無理な生命永遠保持手術を胎児にするなんて無茶苦茶じゃないか」
「母胎から取り出した胎児に老化防止成分と活性化成分を送りこむ新しい方法を開発したのかもしれない。つまり、あの管がポイントだわ」
「なぜ、うまくいかなかった?」
「胎児の場合は細胞分裂の速度がとにかく速すぎるの。手術をコントロールするのは大変な作業になるわ」
「次々と管を刺していかなければならないということか?」
[468]
「それは胎児が人間として成長しようと様々な器官を造ろうとしているのに邪魔をしているようなもの」
「それじゃ、ほかの方法を採るべきじゃないか」
「でも受精した直後から、母胎から胎児に老化をつかさどる遺伝子を排除する因子が送りこまれている」
「胎児には老化をつかさどる遺伝子は成長の妨げにはならないのでは」
「そのとおりよ」
サーチが大きなため息をつく。
「でも、母胎からの因子が、胎児が先天的に持っている老化をつかさどる遺伝子を排除しようとする行為そのものが、胎児の成長を邪魔するの」
理解の限界が訪れたのかホーリーがここで言葉を切る。
「でも、これだけの数の手術をしたのだから、リンメイには勝算があったのだわ」
「多すぎるんじゃないか」
「ここを乗り越えればというところまで到達したんだわ。だから何十回も何百回も挑戦した」
ホーリーは質問を差しひかえてこれまでの会話を整理して単純な質問をする。
「サーチ、今までの説明と月から人間が消えたことと関係があるのか?」
サーチが激しく首を横に振る。ホーリーが苦笑いしながら質問を変更する。
[469]
「ところで胎児の性別は?」
「もちろん、すべて女よ」
***
理事長室にいると思っていた瞬示や真美達全員がサーチとホーリーがいる手術室長の部屋に移動する。
「やっぱり、ここにいた」
「何かわかったことがあった?」
瞬示と真美がサーチとホーリーに声をかける。
「サーチは忙しいから俺から説明しよう」
ホーリーが瞬示達をドアに近いミーティングテーブルに誘導する。全員サーチに気遣って、できるだけ音をたてないように座る。しかし、瞬示が部屋の奥にあるサイドボードを見つめて大きな声を出す。
「マミ!」
「あれは!」
真美も我を忘れて大きな声をあげて驚く。そんなふたりを見てホーリーが首を傾げる。
サイドボードの上に高さ三十センチほどの遮光器土偶が置かれている。瞬示と真美がサイド
[470]
ボードに近づく。遮光器土偶だけではなく埴輪や縄文土器が所狭しと置かれている。
「この部屋の主は考古学が趣味だったらしい」
ホーリーを無視して、ふたりが遮光器土偶を手にすると食い入るように見つめる。
「レプリカだ」
瞬示が少しがっかりしたような表情を浮かべる。ホーリーは遮光器土偶を丹念に観察するふたりを見て奇異に感じる。
「どうした?」
瞬示と真美は遮光器土偶をサイドボードに戻すと、一心不乱にリンメイのデータを分析するサーチの横をとおりぬけてミーティングテーブルに近づく。
「あれの巨大なものと戦ったことがある」
「どこで?」
「ぼくらの家の近くの古墳で」
「戦った?古墳?」
ホーリーが疑問の数だけ首をひねる。
「それだけじゃなくて、その胎内に入ったこともあるわ」
端末のモニターを見つめるサーチと部屋の入り口付近で立つRv26とEX4を除く全員がわけがわからないという表情をふたりに向ける。そんな視線を気にしながらふたりはミーティ
[471]
ングテーブルの椅子に腰をかける。
「先にホーリーの話を聞こう」
ふたりは今こそ摩周クレーターに眠る巨大土偶の話をする時期だと感じるが、あえて後回しにする。
「何がわかったの」
重ねて真美がホーリーに尋ねる。Rv26とEX4も立ったままホーリーの言葉を待つ。ホーリーがサーチの受け売りの話をしゃべりはじめる。一同は驚いたり、ため息を漏らしたり、ありとあらゆる表情をして熱心に聞く。
ホーリーの説明が一段落したとき、タイミングよくサーチの声がする。
「リンメイの詳しい報告書が見つかったわ」
バタバタと立ち上がる音がして、全員がサーチの後ろに集まろうとする。
「そこにいて」
かつてこの部屋の主だったサーチが全員を制して机のわきにあるスイッチを押す。
「アンドロイドが残したデータよ」
すぐミーティングテーブル横の壁に浮遊透過スクリーンが浮かびあがると、立派な椅子に座った将軍キャミが映しだされる。一同は浮遊透過スクリーンが見やすい場所に椅子を調整するように少しずつ移動する。
[472]
それは永久0246年にBS3が保存したデータだった。
[473]
[474]