14 役者


「……ということで、なんとかストップ細胞にトリプル・テンを組み込んで人類の滅亡の危機を回避しなければなりません。いかがでしょうか」


 地球連邦政府の迎賓質で徳川のていねいな説明を黙って頷きながら聞いていたチェンと鈴木だが、最後は頷かなかった。ふたりは初めて直接会う徳川に違和感を抱く。チェンは天井を、鈴木は徳川を見つめる。長い沈黙を破って鈴木が尋ねる。


「生命永遠保持手術のことですね?」


「そうです」


 徳川に視線を戻したチェンが続く。


「私たちは医療に関してはまったくの素人ですが……」


 徳川がすぐさま言葉を挟む。

 

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「素人も玄人もありません。忌憚のないご意見を聞きたいのです」


 この言葉にふたりは騙されまいと脇を締める。チェンが緊張しながら言葉を続ける。


「感染症に関しては生命永遠保持手術に頼らなくても免疫力を高めれば……つまり不衛生な環境にすれば免疫力が高まるのでは?抵抗力さえつければ感染症にかからないのでは?」


 チェンは断定を避けて疑問符を並べる。


「おっしゃるとおりです。たとえば昔の子供はよく砂遊びをしたものです。指先には細かな傷ができてそこからほどよい数の細菌が体内に侵入します。遊びを通じて子供は知らず知らずのうちに免疫力を高めます」


「でも今の子供は外に出ずに家の中でゲームに熱中している」


「そうです。でも子供だけではありません。大人もです」


 ここで徳川、チェン、鈴木が苦笑すると和んだ雰囲気が広がる。


「人間はワクチンという加工品を使って新しい感染症に対応するしかないのです。ワクチンの開発が遅れたり失敗すると人類は滅亡します。一方、ワクチンの開発が成功し続ければ人口は増え続きます。そこで究極の方法をとるのです。つまり生命永遠保持手術です」


 目の前にいる徳川は噂で聞いていたイメージとはまったく異なることにチェンと鈴木が戸惑う。何とか言葉を発したのはチェンだ。


「ところで我々を釈放したのはなぜ?」

 

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「現大統領が余りにも横暴なので連邦各国の首脳と相談してとりあえず前大統領のあなた方を釈放するよう要望しました」


 今度は鈴木が発言する。


「待ってください。失礼な言い方かも知れないが、私たちを解任したのは徳川さんでは?」


「それは誤解です。各国首脳が連邦議会で解任を採択したのです。私は一介の医者……」


「ストップ細胞でノーベル賞を授与されたあなたは世界最高峰の医者、いえ科学者です」


 言葉を遮られた徳川は特に不満な表情もせずに応じる。


「ストップ細胞は私のスタッフの努力によって陽の目を見たのです。ノーベル賞も代表として授与されたもので私のものではありません」


 ふたりは首を傾げようとするが思いとどまる。


「釈放してもらったのに失礼なことを言って申しわけありませんでした」


 チェンが頭を下げると鈴木も深く下げる。先に頭を上げた鈴木が言葉を選ぶように尋ねる。


「ところで、お招きいただいた目的を伺いたいのですが」


「先ほどから説明していますように生命永遠保持手術にはトリプル・テンが必要です」


 ふたりがそろって頷く。


「トリプル・テンはやっかいな物質です。硬度はダイアモンドの一〇を遙かに上まわり比重は金の一〇倍もあるのに流動性比重が一〇で水のような滑らかさを持つ摩訶不思議な物質。だが、

 

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それは表面的な特徴で実態は不明です。メキシコ湾の底からトリプル・テンを回収したノロは次々と驚くべき事件を起こしました」


 ここで徳川は目の前のお茶を飲もうとするが冷えていた。


「これは失礼しました。入れ直しましょう」


 徳川が湯飲みを置いてテーブルの受話器を取ろうとする。


「お構いなく」


 チェンがやんわりと断る。徳川は再び湯飲みを手にすると一口飲む。


「そろそろ本論というか、お願いしたいことを申し上げます」


 ゆっくりと湯飲みを置く。


「ノロという男のことでお願いがあります」


 急にふたりが身構える。


「『ノロ』というのは愛称ですか?それとも本名?」

 

 鈴木が少し顔をあげて目を閉じる。


「確か、本名です」


「そうですか。そうすると軽々しく『ノロ』と呼び捨てにするような方ではありませんね」


 鈴木が驚いてかっと目を開く。よく考えれば徳川の言うとおり、気楽に「ノロ」と呼んでいたが、ノーベル賞を総ナメしてもおかしくない男を呼び捨てにしていたことに初めて気付く。

 

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チェンも同じ事を感じたのだろう、首を横に振って苦笑する。そのふたりの表情見て徳川が追い打ちをかけるような言葉を発する。


「おふたりは彼のことをどのように呼んでいるのですか」


 思わず鈴木が素直に応える。


「『ノロ』です」


「やはりそうですか。かなり親しい間柄なのですね」


 鈴木はしまったと思うが、素直に追加する。


「旧友とまではいかないが、少し付き合えば誰でもそう呼ぶし、彼も気にしない」


「そうですか。私はまだまだですが、彼のように呼び捨てで呼ばれるような気さくな人間になりたい」


 一本取られたと思った鈴木がすかさず話題を戻す。


「ところで『お願い』とは?」


 しかし、徳川は動ずることなく応える。


「私はノロ先生と会った事はありませんが、先生は偉大な方です。宇宙ステーションを建設して常時無料で電力を供給しました。核兵器を地球からなくして原子力発電所や軍艦の原子炉も廃炉しました。さらにはエアカーはもちろん空間移動装置を開発しました。そして宇宙に飛び出しました。しかも第二の地球を造ろうと『ノロの方舟』という途方もない宇宙船も開発しま

 

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した」


 ふたりはただ頷くだけでじっと徳川を見つめる。


「さてよく考えれば、今申し上げたノロ先生の業績は先生自身が永遠の命を持っているからだと確信しています」


「?!」


 ふたりはまったく答えを持ち合わせていない。徳川が念を押す。


「そう思いませんか?」


 やっとチェンが声を絞り出す。


「宇宙に出て再び地球に戻って地球の生物を積み込むような離れ業をするには、もちろん私は物理学者ではありませんが、光でも太陽から地球に向かうのに八分以上もかかるのに、ノロ先生はいとも簡単に宇宙を移動している」


「徳川さんに指摘されてやっと気付きました。つまりノロのやっていることは永遠の命を持っていないとできない芸当だと」


「さすがチェンさんですね。いや、鈴木さんも同じ意見でしょうか?」


 鈴木は応えずに首を縦に振る。会話の主導権を完全に徳川が握る。


「ノロ先生はどのようにして永遠の命を手に入れられたのか。それには間違いなくトリプル・テンが関わっているはずです」

 

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 チェンと鈴木の顔がこわばる。


「無理をお願いするつもりはありません。ただ一度だけでいいからノロ先生とお目にかかりたいのです」


 ふたりが迎賓館を出ると目の前にエアカーが駐車している。


「これに乗れということか」


 直前に徳川から身分証明書と決済無制限のクレジットカード、それにエアカーのキーが与えられた。チェンは返事もせずにそれらを丹念に調べる。


「盗聴器は仕掛けられていないようだ」


「問題はエアカーか?」


 鈴木がチェンの用心深さに苦笑する。そんな鈴木にチェンが囁く。


「何かある」


「あそこまで言って、もし盗聴器を仕掛けるとは思えない」


「確かに。盗聴器を仕掛けたことがわかればノロに会わすわけにはいかない。しかし、徳川の変身はにわかに信じがたい」


「そうだな。ついこの間までの徳川のうわさを知っているから、今回はサプライズの連続だった」

 

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「期限は切られていない。それに地球連邦政府の参与としての義務も特にない。形式的には私たちは自由だ。でも違和感を感じて仕方がない」


 鈴木がカードを手のひらで弄びながら苦笑する。


「自由?決済無制限のクレジットカードをくれたが、どこで使うんだ?私たちは有名人だ。この敷地を出たとたん、マスコミが追いかけてくる」


「そのとおりだ!すっかり忘れていた。盗聴器など仕掛けなくても私たちの挙動は絶えずマスコミに監視される」


「結局、地球連邦政府内に留まらなければならないことになる」


「考えたな、徳川は。でも連邦政府内の宿泊設備に留まれば私たちの会話は筒抜けだ」


「これじゃ、釈放されたと言っても拘束されているのと同じだ」


「やられたな」


 自棄になったチェンがエアカーのキーを思い切り空に向けて投げる。かなりの高さまで達した後、キーは思いもよらない方角に飛んでいく。つむじ風のような風が吹くと芝生の間から砂が舞い上がる。白っぽい球体が現れるとやがてグレーに変わり回転速度を落とす。


「空間移動装置!」


 回転が停止するとドアが跳ね上がる。しかし、降りてくる者はいない。急にサイレンが鳴ると本能的にふたりは空間移動装置に向かって一歩踏み出すとすぐ全力疾走に変える。連邦政府

 

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警備隊のパトカーが近づいてくる。


 ふたりが乗り込むと自動的にドアが閉まる。すぐ回転が始まったらしくふたりは立っていられなくなってなりふり構わず何かにしがみつこうとするが叶わない。


 ドアが開くと眩しい光が飛び込んでくる。ドア越しにスーパーマリン・スピットファイアーの優雅な翼が見える。その奥にはゼロ式戦闘機の雄志が見える。


「スミス博物館?」


「ほっほっほっ」


 聞き覚えのある笑い声にふたりは安心して降りる。


「スミス!」


「お元気そうで何より」


 スミスがチェンと鈴木を交互に抱擁する。鈴木はいつかノロがスミスに抱擁されて「苦しい」と足をバタバタさせていた光景を思い出して納得する。


「スミス。助かった」


「いや、私は何もしていない」


「えー?」


「どういうことだ!」

 

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 スミスは笑顔のまま黙っている。ふたりは顔を見合わせて同時に叫ぶ。


「ノロか!」


 スミスは真顔で首を横に振る。


「この場所は私の博物館で一番有名な場所です」


 スミスのお気に入りのクラシック戦闘機が展示されているこの大部屋は広々としている。空間移動装置の強い回転からの風を受けても展示物は微動だりしていなかった。


「それじゃ、誰が空間移動装置を……」


 スミスは空間移動装置のドアに近づいてある場所に手を当てる。


「このシリアル番号はご存じかな」


「あっ!それは私専用の……この空間移動装置は私が月と地球を往復するための……」


 狼狽える鈴木にスミスが応える。


「月の地球連邦政府大統領専用の空間移動装置だ」


 鈴木は狼狽えたままだが、チェンがスミスに迫る。


「なぜシリアル番号の意味を知っているんだ。それになぜ私たちがここに来ることが分かっていたんだ?」


「まず、シリアル番号の件ですが、実は私も一基、時空間……いえ、空間移動装置を所有して、います」

 

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「?」


「ノロからのプレゼントです」


 ふたりは異議を述べることなく納得する。


「後半の疑問には的確に応えることはできません。なぜならこの場所は私が一番好きな場所だからです。少なくとも一日一回はスピットファイアーの操縦席に座ります。スピッツ……スピットファイアーの愛称ですが、彼は私が操縦席に座ることを迷惑だと思っている。でも私にとって操縦席で居眠りをするのが最大の幸せ」


「たまたま、ここに居合わせたとでも」


「ほっほっほっ」


 ふたりは茶化されているのではと思うが、状況が状況だけに真剣に受け取る。


「それでは徳川が仕組んだとでも?」


「ストップ細胞を造りだした男だ。しかし、それを上回る男がいる」


「ノロ」


「トリプル・テンに目を奪われていた徳川はここに来て初めてノロの存在の大きさに気付いたのだ」


「なぜ今ごろ?」

 

「理由はひとつ」

 

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「トリプル・テン」


「ほっほっほっ」


 ふたりは首を捻る。


「私の言い方が悪かったのかな?意外にも彼は地球を騒がせたノロのことをほとんど知らなかった」


 鈴木が改めてスミスに疑問符を投げかける。


「徳川が世間知らずだとでも?そんなバカな」


「そのとおり。徳川は世間知らずの大馬鹿者だったのだ」


「分かりません。教えてください」


「それほど彼はストップ細胞の研究に没頭していた。なにしろ不老不死に繋がる大研究だから」


 ふたりは半分納得する。


「確かにストップ細胞は画期的です」


 チェンが鈴木に続く。


「でも、釈放してくれた徳川には失礼だが、かたわのような気がする」


「そうとも言えない」


 スミスが否定すると例の笑い声を上げる。

 

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「ほっほっほっ」


「トリプル・テンに気づいてやっとノロの存在の大きさを知ったとでも」


「そのとおり。初めはトリプル・テンなんか簡単に入手できると思っていたが、そうではなかった」


「しかもノロは遠い宇宙にいる」


「彼と接触できるのはあなた方ふたりだけ。特に鈴木だ。当然あなた方を親切に扱わなければならないと考えた」


「空間移動装置まで与えてくれた」


「あのていねいな態度をどう考えればいいんでしょうか」


「ほっほっほっ。あなた方が悩む必要はない。いずれノロが答えるはずだ」

 

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