第三話 納税者のためにならない調査


 私が顧問をしているすべての会社や個人の納税意識が高いとは限らない。自由業とは言え断り切れない紹介もありお付き合いせざるを得ないこともある。


 一番引き受けたくない顧問先は粉飾する会社だ。どの業界でも中小企業は大企業の下請け、孫請けという立場が多くそれで飯を食っている。仕事を分けてもらうには決算は黒字で滞納せずに税金をキチッと支払っているかが条件になる。


 かといって安くしなければそっぽを向かれるし、接待も強要される。要は独自の商品や技術がないと経営は苦しい。しかし、生き延びている会社は結構多い。なぜだろうか?


 それは景気のいいときに夢のようなことが起こるからだ。そんなとき大企業は下請けや孫請けの会社を囲い込む。先ほどの条件が撤廃されて、逆にいい条件を提示して中小企業の尻を叩く。大企業はもちろんのこと中小企業もぼろ儲けする。利益が上がるのはいいが決算日を向かえると多額の税金がかかることに気付く。


 いいときばかりではない。不景気に備えて少しでも手元に現金を残したいというのは人情だ。税務調査で多額の脱税を摘発された経営者の言い訳はすべてと言っていいほど同じだ。


「不景気に備えるため悪いことだと知りながら脱税しました」


 そしてこんなことを言うことがある。


「すべて顧問税理士に任せていました」


 さて、皆さん、どう思います?

 

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 帳簿を会社が作成しているケースではまったく内容を知らずに税理士が申告書を作成する場合がある。


「先生。儲かっていると思いましたが、このとおり余り利益が上がっていません」


「そうですか。残念ですね」


 反対に税理士が会社の帳簿を作成している場合。


「こんなに儲かっていたのですか。なんとかなりませんかね」


 そこで親切な税理士がこんなことを言う場合がある。


「漏れている領収書とか、ありませんか?」


 いわゆる過剰サービスだ。私は決してこのようなサービスはしない。だが何も言わなくても、しばらくして怪しげな領収書が送りつけられることがある。特に接待交際費や決算期末に大量に購入したとする消耗品の領収書や改ざんされた棚卸一覧表が送られてくることもある。棚卸の額は通常の年の半分以下だ。見えすぎている。


 もちろん紹介者に告げ口するが申告期限が迫っているので大人の対応が必要となる。すべての書類をコピーしておいて、社長の言質を取る。


「社長を信用します。でも調査が入れば答弁してくださいね」


「税理士が説明するのが筋でしょ」


「私はこの費用を使った現場にいません」

 

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「それはともかく、一部売上を間違っていました」


「どういうことですか」


「先方からクレームが付いて手直ししなければならなくなったのです」


「どんなクレームですか。クレームの通知書はありますか」


「口頭でのクレームなので書類はありません」


「今までは少々のクレームでも売上にあげていたのにどうしてですか」


 結局、経費はともかく売上の減額には応じなかった。


***


 案の定、税務調査が入った。担当者は高齢の調査官だった。持っている革鞄は年季が入っている。取り出した電卓もかなりの年代物でペンケースは汚くヨレヨレだった。いわゆる再雇用された職員だった。退職して税理士をする自信がないか、子供がまだ学生で働き続ける必要があるのか分からないが、いずれにしても調査に関しては超ベテランだろうと思われた。


 まず業務内容を尋ねてくる。当然社長が説明する。そして売上の計上基準を確認してくる。売上除外は犯罪に近いから、私は期末の売上には目を光らせて決算を組むに当たって妥協しなかったので安心して調査の進行を見守った。


 売上の調査が終了したところで十二時になった。


「昼休みを取らせていただきます。一時前には戻ってきます」

 

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 そう言い残すと調査官が席を立ち出て行く。


「売上をきちんと上げておいてよかったでしょ」


「そうですね。こちらも食事に行きましょう」


 私に頑張ってもらわなければならないからそれなりの料亭に出向く。よく使っているらしく従業員の対応が丁寧だ。


「昼からは何を調べるのでしょうね」


「仕入や棚卸そして人件費、交際費。そして金額が大きな経費関係になります。決算時にも言いましたが交際費や消耗品費を突かれたら答弁は社長がしてくださいね」


「そんな」


「やましいことがなければ問題ないでしょ」


「しかし、頼りなさそうな調査官ですな。それに歳を取っている」


「油断はできません。ぼーっとしているように見えて鋭い調査官もいます。ましてやあの調査官は経験豊かです」


 高そうな料理が運ばれてくる。食べながら税務署の再雇用制度について説明する。


「年金の受給年齢が上がっているので救済措置みたいなものです」


「一旦退職しているのなら、手柄をあげても出世に影響ないのでは?」


「再雇用契約は一年ごとに見直されます。成績が悪ければ更新されません」

 

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 実際は本人が望めば六十五歳まで更新されるが、少し脅かしておかなければ気が済まない。


***


 午後の調査から社長は嫌がる奥さんを同席させる。一応経理担当者と言うことだが、社長の魂胆は目に見えている。何か不具合な事実が出てきたら奥さんに答弁させるのだろう。


「会社の入り口にもう一つの会社の看板が上がっていますが、どういう会社ですか」


「息子の会社です」


「取引はあるのですか」


「ありません」


「この建物はこの会社のものですか」


「いえ、息子の会社のものです」


「じゃあ家賃は?」


「支払っています」


「月いくらですか」


 ここは私が答える。


「「二十万円です。科目内訳書に書いてあるでしょ」


「何坪借りているのですか」


 今度は奥さんが答える。

 

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「十坪です」


「坪二万円!高過ぎはしませんか」


 調査官が何やら書類を取り出す。いわゆる不動産の登記簿謄本だ。


 さて元々この建物と土地は社長の会社のものだったが、大きな赤字を出したとき息子の会社に売却してその利益で赤字を埋めて黒字化したのだった。そのとき私は顧問ではなかったから詳しい事情は知らない。


「ほぼ六年前にこの建物と土地を息子さんの会社に売却していますね」


 それと家賃がどう関係するのか、私は少し不安を抱く。


「売買契約書と賃貸契約書、それにそのころの申告書と決算書を見せてもらえませんか」


「契約書はともかくわざわざ見せろとはどういうことですか。申告書や決算書は税務署にあるじゃないですか」


 すぐさま問いただす。


「持ち出し禁止なのです。それがないと調査ができないのです」


 そう言えば調査とは言え申告書類を持ち出して紛失するという事件がよく報道されていたことを思い出す。翌日直接調査先に向かうために申告書や関連書類を鞄に詰めて持ち帰るが、帰宅途中居酒屋で呑んで鞄を忘れたとか、電車に置き忘れたという不祥事が多発した。そのため関係書類の持ち出しを禁止したのだ。非常に短絡的な措置だ。

 

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 ことの根幹は権限を持った調査官ひとりひとりのモラルの問題なのに、国税庁長官は非難されるのを嫌って持ち出し禁止とした。職員の調査に対するモチベーションが低下している原因を徹底的に解明することなく小手先の対策で凌ごうとした。もし組織が腐っているのならそれは長官の責任で徹底的に組織改革をすべきなのだが、長官の任期は大概一年だ。無難に任期を全うすることだけしか眼中にないから末端の組織の税務署員の不祥事が起こる。もともと長官は職員を信用していない。


「もう六年前のことなのに今回の調査にどんな関係があるのですか。具体的に説明してください」


 一応釘を刺す。


「だから申告書がないと説明できないのです」


「でも六年前の売買と家賃の関係というか――何がおかしいのかぐらいは説明してください。調査と言っても任意調査です。いくら調査官に裁量があるといっても、理不尽な要求は営業妨害ではありませんか?場合によっては署長に直訴します」


 ここで初めて元税務職員であったことを告げる。調査官は内情に詳しそうな私に狼狽える。


「何も調査を妨害しているのではありません。筋を通してください。こちらには調査の受忍義務があるのは承知しています。それに納税者に書類の保存義務があるのも。しかし、税務署にも保管義務がありますよね。ひょっとして紛失したということでは?」

 

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 急に調査官が黙り込む。税務署の書類の保管はずさんでその期間も短い。でもそれを納税者に言うわけにはいかない。何を調べたいのか不明だが、この一言は相当効いたようだ。


「この件は後回しにして、仕入れや棚卸し、そして経費の確認をさせてください」


 調査官が矛先を変える。


「まず仕入先元帳を見せてください。棚卸表や見積書や請求書も用意してください」


 私は仕入れの過大計上や棚卸し金額の過小を指摘されると腹をくくった。社長の表情も変わる。申告した期末前の一ヶ月間の仕入と一ヶ月後の仕入を照査して棚卸に不正がないか見つけるのはさほど難しい作業ではない。この会社の規模なら一時間程度あれば確認できる。しかし、質問はなく三時頃になると調査官がポツリと漏らす。


「大体合っているようですね」


 私は呆れる。


***


 奥さんが立ち上がる。


「一息入れませんか?コーヒーでも?」


 通常は断る。税務調査の際に出される飲み物には不思議なルールがある。出前のコーヒーはダメだがインスタントコーヒーならOKだとか、日本茶でも高級なものがあるのにコーヒー、紅茶はダメだが日本茶はOKだとか……。現職時代私は気にすることなく飲んだ。ルールがあるからと押し問答する方が調査の妨げになる。社長と同じコーヒーを飲んで数分談笑する方が調査の雰囲気がよくなる。バカげたルールだ。この調査官も私と同じだった。

 

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「ありがとうございます」


 コーヒーが運ばれてくるとざっくばらんに尋ねる。


「なぜ定年で退職して税理士事務所を開業しなかったのですか」


「開業は厳しいです。先生のように才能があれば若い内にやめて税理士で飯を食えるでしょうが、私には無理です。それに結婚が遅かったので子供はまだ学生です」


「お子さんは何人おられるのですか」


「ふたりです。上が大学生、下が高校生」


「それは大変ですね」


 話を変えるわけではなかったが、気になっていた調査官の手元にある古い電卓に視線を移す。


「失礼を承知でお伺いしますが、かなり古い電卓ですね」


「使い慣れていますので。千円も出せばいい電卓が手に入りますが、千円といえども今さら投資しする気になれません」


 自嘲気味に調査官が笑う。


「おいしいですね。久しぶりに美味いコーヒーを飲ませていただきました」


 通常数分のコーヒーブレークが十数分も続いた。

 

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「じゃあ、経費を調べさせていただきます」


 調査官が本業に戻ると経費関係の元帳を調べ始める。過大に計上されているはずの交際費、消耗品費はすぐバレると思った。


 ところがだ。四時前に調査が終了した。


「非違(間違い)はないようですね」


「今日で終わりですか」


「ええ。先生がきちんと申告書を作成されているのがよく分かりました」


 私は呆気にとられる。人件費や源泉税の調査や印紙税の調査もせずに終了したのだ。


***


 調査官が帰ると社長がうそぶく。


「絶対やられると言ってたのに何もなかった。どちらが税務署員で税理士か分からない」


 その言葉に私はムッとするとすかさず奥さんが社長をたしなめる。


「何を言ってるの!先生が上手に対応してくれたから助かったんじゃない!」


 社長は黙り込む。


「とにかく無事に済んでよかった。というより運がよかった」


 私はスマホで事務所に電話を入れる。


「分かった。すぐ戻る」

 

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 紅茶に手を付けず席を立つ。奥さんに促されて社長も席を立つ。


「先生、事務所まで送ります」


「助かります」


 その後税務署から「調査をしたが問題はなかった」旨の「是認通知書」が送付されてきたのを確認してから紹介者に調査顛末を報告して顧問を降りた。


 このような甘い調査をされると納税者のためにならない。再び不正経理するのは目に見えている。情けないことだ。

 

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