第九話 秘密主義


 相続人との信頼関係は別として相続税の申告で一番難しいのは評価だ。土地の評価と株式(同族会社)の評価を筆頭に難易度が高い。税務署の資産税担当者でも悩むケースが多い。株式評価は法人税の知識が要るのでなおさらだ。かと言って法人税担当者がきちんと株価を算定できるのかと言えばそうでもない。財産評価基本通達(評価通達)に詳しく定められていると言っても、ひとつとして同じ土地や会社は存在しない。


 さて評価通達を見ると土地の評価方法だけでも膨大な定めがある。例えば路線価方式。これは道路(路線)に一㎡当たりの単価を定めて土地の面積をかけるという評価方式で単純そうに見えるが結構複雑怪奇だ。同じ道路に面していても角地もあれば反対側で道路に面している土地もある。正方形に近い土地もあればウナギの寝床と揶揄される細長い土地もある。形状が歪な土地もある。間口が狭い土地や奥行きが短い土地もある。道路より高い土地や逆に低い土地もある。崖地にへばりついたような土地もある。


 自ら所有する土地だけではない。借地もある。貸主が他人の場合もあるし身内の場合もある。逆に貸地もある。土地の貸し借りは単純ではない。上に高圧電線が通っている土地や下に地下鉄が走っている土地もある。宅地だけではない。農地や山林やため池もある。雑種地という評価しづらい土地もある。


 前話(第八話「ピンチヒッター」)で登場した長女の夫の父親の相続税の申告前に大もめにもめた土地の評価の案件を披露しよう。これは税務調査の実話から少し逸脱するが、財産評価がいかに難しいか理解していただくのに格好の話だ。

 

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 被相続人は高級住宅街に約五千㎡の土地を所有していた。それを約五百㎡ほどに区分(十区画)してそれぞれに豪華な家屋を建築して一戸当たり月百万円を超える家賃を得ていた。しかしながら区分されたほとんどの区画は道路に面していないので進入路を施設したが、私道なので税務署(国税局)は路線価が付けない。


 このような場合税務署に申請してこの私道に路線価(特定路線価)の設定をお願いすることになる。このとき参考になるのは市町村が設定している路線価だ。市町村は固定資産税を徴収するために公道、私道に関係なく税務署より事細かく路線価を設定している。


 公示地価格(国土交通省が決める)や基準地価格(都道府県が決める)というものがある。その地域を代表するような土地にピンポイントで一㎡当たりの価格をそれぞえれ毎年一回発表する。この価格は一般的に時価と認識されている。税務署が定める路線価は評価の安全性を考慮してこれらの価格を参考におおよそ八〇パーセント目途に、市町村は七十パーセントを目途に毎年路線価を発表する。市町村の路線価は税務署の路線価の約十パーセント引きだ。


 市役所はこの私道に一㎡当たり十万円の路線価を付していた。だから税務署は十パーセントアップの十一万円程度の特定路線価を設定すると私は推測した。ところが何と十五万円という考えられない路線価を設定した。この私道に面する区画(八区画)は約四千㎡である。貸家を建てた土地ではあるがかなり高く評価されてしまう。

 

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 私はすぐさま異議を申し立てたが当然却下される。なぜなら特定路線価の設定自体が課税処分ではないからだ。さらに一旦設定したものを軽々しく変えないという意地のようなものがある。しかも余分な仕事にもなる。税務署にいる後輩に尋ねても一旦設定した特定路線価を変更した事例は皆無だという。そこでなぜ十五万円なのか根拠を示して欲しいと要望した。資産評価専門官という担当者は次のように答えた。


「カラー舗装の私道でしかも幅員が八メートルもあります。そんな立派な私道に面している土地ですから評価額が高くなるのは当然です」


「あくまでも私道です。砂利舗装なら価値が下がるのですか?算定根拠を教えてください」


 しかし、決定した価格は変更できないの一点張りで平行線を辿った。そこで算定課程の情報開示を請求した。これは行政内部の判断過程を示す文書の開示を求めるもので税務上だけではなく行政一般に対して請求できる制度だ。


 その結果、税務署は近隣の同じような高級住宅街で建築規制の緩い区域に存在する土地の路線価をもとに申請した私道に路線価を設定したことが明らかになった。被相続人の土地は同じく高級住宅街の一角にあるが、景観を損なうような家屋の建築できないという規制が強い風致区域内に存在していた。すぐさま特定路線価の算定誤りを指摘した。算定が根本的に誤っていたので税務署は特定路線価を再設定した。

 

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その価額は一㎡当たり十一万円だった。


 情報開示請求をしなければ多額の相続税を納付することになるところだった。何でもそうだが、官庁や大企業のすることは一見正しく見えるが、いい加減なものだと鵜呑みにしないことだ。


 路線価の算定は税務署から委嘱を受けた不動産鑑定士の意見を参考にして定められる。税務職員の中には不動産鑑定士の資格を持つ者もいるが、残念ながら適材適所の人事は行われてはいない。もし資格を持った職員が特定路線価の設定をすればこのような単純なミスは起きなかっただろう。


 最後に評価専門官が釈明する。


「余りにも私道が立派でしたから」


「だから何度も言ったでしょ!砂利道にしておけば評価は下がるのですか?と」


 評価専門官は黙ってしまう。そして最後まで謝罪はなかった。むしろ特定路線価を下げたから何の文句があるのかという態度だった。


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 第五話「医療費控除の調査はあるのか」でも述べたように役所内部の文書はきちんと管理されているのかというとそうではない。いい加減だということは「森友学園」の財務省の改ざん事件を見れば明らかだろう。本来国会が官僚に目を光らせるのが筋なのに与党は官僚をかばう。

 

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それは自分たちに忖度させるためだ。官僚はそれによって内部の情報を秘密にできるし仕事がやりやすくなる。


 ところが情報開示制度が風穴を開けた。高級官僚(キャリア)は実務を知らないからこの制度が行政にどう関わるか余り深く考えない。そして実務をこなすノンキャリアの公務員も旧態依然のままの意識で仕事をする。間違ったことをしても隠そうとする。それがバレても白を切る。

 


 時代は変わった。ところが開示請求されると行政内部の業務は不透明だから書類を改ざんして凌ごうとする。手書きの書類なら破棄して新たに作り直せばいいのだが、電子化されているからそうは行かないので結果的に大胆なことをする。


 問題の文書を削除して一から作り直せばいいのに、それすら邪魔臭がって都合の悪いところだけを削除したり、辻褄の合わないところを書き直したりする。しかし、ファイルサーバーやパソコンにはそのファイルへのアクセス日時とアクセス者のIDが記録される。改ざんされた文書にはその行政組織の最高責任者の電子印も必要となる。何時再決裁されたのかという日時も当然残る。


 このように文書が電子化されると、紙の時代のように破棄したという理屈は成り立たない。


仮にサーバーに自動破棄機能があったとしてもどの文書が破棄されたかの記録は残るし記憶装置にはその文書そのものは残っている。つまり通常の方法では見えないだけで復元は可能だ。

 

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完全に消すにはサーバーとそのバックアップ記憶装置を破壊するしかない。


 時の高級官僚、つまりキャリアの官僚が国会答弁で「文書は破棄した」とか「「自動消去された」と言ったのはコンピュータに詳しくないからだ。コンピュータの扱いは全員とは言わないが現場のノンキャリアのほうが高級官僚や政治家よりはるかに詳しい。


 ノンキャリアの人数は公務員の九十九パーセント以上占めると言われている。その中にはコンピュータにかけてはプロ級の者もいる。それは公務員でありながらオリンピックに出場する者もいれば芸術の分野で世界的な賞を受ける者もいることからしても明らかだ。


 結局自分の正当性を維持しながら頭を下げて何とかやり過ごそうとする無責任な行政に立ち向かう必要がある。だから私は前代未聞の特定路線価の変更に成功した。しかし、大方の税理士は黙って当局に従う。いい加減な申告書を作成しているから自信がないのだ。


 繰り返しになるが、税務の問題に立ち返る。間違った申告をすれば罰則があるが、間違った調査や指導をしても余程のことがない限り賠償や謝罪はない。だから隠そうとする。つまり秘密主義だ。納税者の秘密は暴こうとするが自らの秘密は隠す。これは税務署に限ったことではなく政府を始め行政機関すべてに存在することだと肝に銘じて欲しい。

 

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