第二十二章 生体内生命永遠保持手術


【時】永久0246年
   永久0255年
【空】生命永遠保持機構の本部の保育装置室
【人】キャミ リンメイ 瞬示 真美 ホーリー サーチ 住職 ケンタ 忍者 Rv26


永久0246年


***

「リンメイ、もう中止にしましょう」


 キャミが月の生命永遠保持機構の本部のかつて理事長室だった部屋の机の前でうつむくリンメイにきっぱりと言い放つ。


「将軍、もう一度だけ」


「これ以上犠牲者を出すことはできません。それにもう希望者はいないのよ」


「います」


 キャミが顔をあげたリンメイのやつれた顔を見て驚く。


「誰ですか?」


[476]



「私です」


「リンメイ!」


 キャミがリンメイの執念に驚く。


「誰が手術をするのですか?」


「部下にさせます。将軍、お願いです。もう一度だけ」


 キャミが改めてリンメイを見つめる。生命永遠保持手術を受けた者は歳を取るはずがないのにリンメイはやつれて初老の顔つきをしている。過労でここまで老けるはずがない。何か特別な理由があると確信する。しかし、今そのことをリンメイに問いただすべきかについては迷う。


 リンメイは胎児を母胎から取り出さずに母胎の中で胎児に生命永遠保持手術を施す手法を開発した。この手術方法は「生体内生命永遠保持手術」と命名された。


 結論から言うと手術自体は成功するが、しばらくするとふしぎなことに妊婦も胎児も、もがき苦しむ。まるで永遠の命を持つ妊婦と永遠の命を得ようとする胎児が戦っているような混乱が生じる。


 そして母体が犠牲になる。母体が急速に土に帰るような死を迎えるため、胎児は十分発育しない状態で母胎から取り出される。それはまるで芋を土の中から掘りだすようなとても正視できない作業だった。胎児はすぐ洗浄されて保育装置に移される。その後は胎児そのものが持つ生命力と生命永遠保持手術の効果が現れて通常よりも早く成長する。


[477]



 しかし、これでは人口を増やすことはできない。この生体内生命永遠保持手術を八回実施したがいずれも失敗に終わった。


 母胎から胎児を取り出して生命永遠保持手術を施すこれまでの方法では、胎児はほとんど成長することなく死亡してしまうが、母体は安全なので被験者をある程度確保できた。いや、ある程度どころか手術を希望する者がかなりいた。女の全人口から見れば微々たる数だがそれでも千人以上の希望者がいた。母性が薄れたというものの少なからず子供を望む者がいた。


 ところが、先に述べたように一回目の生体内生命永遠保持手術で母親が死亡したことで、被験を希望する者が激減した。それでも手術を希望した残り七人の被験者に対して生体内生命永遠保持手術を試みた。いずれも胎児は無事だったが母親なるはずの妊婦はすべて死亡した。しかし、妊婦の誰もが手術を受けたことを後悔するような表情を見せることなく、むしろ満足したような表情を残して息を引きとった。少なくともリンメイにはそう見えた。そのことがリンメイに感銘と強い意志を与えた。


「リンメイ、ほかの方法を考えてください」


 キャミも子供をつくることに異論はなかった。なぜなら男と女の戦争で失った人口を増やすことは戦略的に重要だったから。しかもそれは女にしかできない。


「それにあなたは生体内生命永遠保持手術をしている途中で、被験者のお腹から出た黄色い光を浴びて気を失うという報告を受けているわ」


[478]



 キャミがやっと核心に触れる言葉を口にする。


「あれは無重力状態で手術をしているからです」


「単なる貧血とでも言いたいの」


「ええ」


「生命永遠保持手術を受けた私達の身体はそんなヤワじゃないわ」


 そのときリンメイを呼び出す館内放送が聞こえる。


「リンメイ手術室長。急いで保育装置室まで来てください」


 リンメイがキャミに軽く頭を下げて部屋を出ると保育装置室へ走りだす。不安そうに後ろ姿を見つめたあと、キャミは腕時計を確認して受話器を取りあげる。


「キャミです。予定を変更します」


 キャミは完成第一コロニーへ戻る予定だった。


「ミトに伝えなさい」


 リンメイが気がかりなのだ。


「これから地球連邦軍司令部に移動します」


***


「どうしたの?」


[479]



 リンメイが保育装置室で待機する医師に声をかける。その医師が黙って保育装置を指差すとリンメイがガラス越しに保育装置の中を覗いて絶句する。最初に手術をした胎児の皮膚が茶色に変化している。しかもその体型はとても人間の胎児とは思えない奇妙な姿をしている。


「監視装置に任せず張りついて観察するように」


 リンメイはそう言い残して手術室長室に向かう。そして肩で息をしながら机の前に座ると血相を変えて透過キーボードを操作する。


「これは」


 目の前のモニターに遮光器土偶が立体的に映しだされる。リンメイの脳裏に先ほどのキャミの言葉が響く。


「被験者のお腹のあたりから出てくる黄色い光を浴びて……」


 リンメイは生体内生命永遠保持手術中になぜか気を失って毎回同じ夢を見た。それはリンメイが地球の第五生命永遠保持センターにいたとき経験した不思議な光景だった。


 リンメイは激しい雨がたたきつける第五生命永遠保持センターの窓から古墳を眺めている。青白い雷光のほかにピンクや黄色の光が飛びかう合間に幻想的な巨大な遮光器土偶が浮かんでは消える。そしてリンメイは窓越しに巨大遮光器土偶からの黄色い光を浴びて気を失う。気が付くと手術をしている。この繰り返しだった。


 リンメイが冷えた手で受話器を取りあげる。


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「私は月面生命永遠保持機構本部の手術室長リンメイ。遮光器土偶の本体、いいえレプリカでいいから今すぐ転送してください」


 リンメイが地球の生命永遠保持機構調査本部に要請する。


「リンメイ、声紋認証チェック。確認完了」


 モニターはダウンロードをうながす画面に変わる。


「先に関連データを送ります」


 リンメイはダウンロードしてデータを取り出すと音声に変換して耳を傾ける。


「遮光器土偶とは……」


 データが読みあげられる。リンメイが椅子に座ったまま目を閉じて聞きいる。


「確かにあのとき私は……」


 ドアをノックする音にリンメイは思考を停止して目を開ける。


「室長宛ニ物質転送装置ガ受ケ取ッタ荷物デス」


 胸にBS3と書かれた茶色の作業服を着たアンドロイドが大事そうに遮光器土偶のレプリカを両手で抱えて立っている。


「奥のサイドボードに置いてください」


 BS3が遮光器土偶をサイドボードの縄文土器の横に置く。

 

「私が第五生命永遠保持センターで見たのは確かにこれの巨大なものだった。それにあの胎児


[481]



も……」


 リンメイは遮光器土偶のレプリカをじっと見つめると弱々しく首を横に振ってからBS3に声をかける。


「あなたの仕事の状態は?」


「アイドル状態デス」


「報告書を入力する時間がないの。お願いできますか」


「ハイ」


 BS3がリンメイに近づくと肩からコードを出してリンメイの端末のジャックにつなぐ。


「同期完了」


 BS3がコードを肩に戻す。BS3の耳の赤い輝きと端末のジャック横のLEDが歩調を合わせて点滅する。そのときインターホンからリンメイを呼ぶ声がする。


「室長!」


 リンメイは返事もせずに部屋を飛びだしてまっしぐらに保育装置室に向かう。すぐさまBS3がリンメイのあとを追う。


「電圧降下!電圧降下!」


 本部の建物全体にけたたましい警報が響きわたるとすぐ廊下が薄暗くなる。


「緊急事態発生!全員退避セヨ!」


[482]

 


補助灯が点灯する。


「時空間移動装置準備中!百%準備完了マデ五分!」


 月からの離脱をうながす究極の警報が発令された。驚きながらもまっしぐらにリンメイが保育装置室に入る。


「生体維持液を大量に吸収しています!」


 医師のひとりが絶叫する。


「予備の生体維持液までも吸いこんでます」


 電気配線がショートしてあちこちで青白い光がスパークする。誰かが大声を出しながら部屋を出る。


「この部屋が月のすべての電気を食っているみたいだ!」


 問題の保育器が正視できないぐらいの黄色の光を放っている。ためらうことなくリンメイがその保育器に近づく。


「緊急事態発生!全員退避セヨ!スベテノ扉ヲ開放!」


「室長!退避しましょう」


 リンメイはその声を無視して保育器のそばから離れようとしない。しかし、目は閉じている。目を閉じても眩しいぐらいの光がリンメイを襲う。目を開ければ間違いなく失明するだろう。そのとき一番離れた保育器のガラスが割れる。青白い光の中で、その音の方向から黄色に輝く


[483]

 


ものが顔をそらしたリンメイの視線に飛びこんでくる。


「遮光器土偶?」


 今のリンメイの視力では判断することが出来ない。ちょうどレプリカと同じぐらいの大きさの遮光器土偶そっくりな胎児、いや急成長したらしくもはや胎児とは言えない幼児が保育器から立ち上がってまわりを見渡している。そしてトンと床に飛び降りる。


 すべての扉が開放されたせいか、外から時空間移動装置が回転する音が聞こえる。


 突然、遮光器土偶ような幼児の目から鋭い黄色い光が発射されて部屋から逃げようとする何人かの背中に命中する。その黄色い光を浴びた人間は瞬間的に蒸発する。それを見たリンメイが後ずさりしながら幼児、いや、土偶に向かって叫ぶ。


「教えて!なぜ、そんな身体になるの!」


 土偶の目が開いて黄色に輝く。BS3が土偶とリンメイの間に割りこむ。BS3が蹴りあげると土偶の身体が宙に浮いたあとドーンという音をたてて床に倒れる。


「やめて!」


 絶叫を無視してBS3がリンメイを抱きあげると素早く出口に向かう。土偶が立ち上がるとBS3の背中に向けて目から黄色い光線を発射する。黄色い光線がBS3右肩をかすめる。右肩から配線の一部が露出して青白く輝くが、構わずリンメイを抱いたまま保育装置室から脱出する。


[484]

 


 残りの保育器もすべて黄色に輝く。BS3を見失った土偶が眩しそうに目を閉じて保育器に近づくとガラスケースに頬づりする。


永久0255年


***

 不気味な映像が停止する。サーチが立ち上がるとドアに向かいながらRv26に尋ねる。


「保育装置室はどこにあるの?」


 もちろんサーチが手術室長だったころには保育装置室はなかった。


「サーチ!」


 瞬示がサーチを呼び止めると真美がサーチの腕を取る。


「大事な話があるの!」


 立ち上がるホーリーにも瞬示が声をかける。


「リンメイが夢ではなく本当に地球の第五生命永遠保持センターで遮光器土偶に似た巨大土偶を目撃していたとしたら、それは永久0012年8月だ」


 サーチの身体が硬直する。


「そのとき御陵でわたしたちが巨大土偶と戦ったことを、スクリーンに映っていたリンメイは知るよしもないはずなのに、どうやって知ったのかしら?」


[485]

 


 真美と瞬示の言葉に住職がポンと理事長室の立派なテーブルを叩く。


「リンメイの因果律が狂っておる!」


 ホーリーの後方の、今は何も映されていない浮遊透過スクリーンをサーチが見つめる。


「リンメイは過労でやつれたんじゃなくて、何かほかの原因で老化したんだわ!」


 一同が浮遊透過スクリーン上のリンメイの顔立ちを思い出して、サーチの言葉に驚きの表情をまじえながら同意する。


「ぼくらが巨大土偶と戦っていたのを第五生命永遠保持センターで見ていたリンメイは、スクリーンに映っていたリンメイではない」


「瞬ちゃん!」


 真美はサーチの腕を握っていた手を離して指を折って数える仕草をする。


「わたしたち、あの巨大土偶と戦ってからまだ二日もたっていないわ!」


 瞬示が瞑想するように目を閉じる。


 洞窟で、山門で、老婆の部屋で、摩周クレーターで、羅生門で、月で、前線第四コロニーでと様々な事件に遭遇したが、時間的には真美の言うとおり、巨大土偶と戦ってからまだ二日もたっていない


「前線第四コロニーの時間島で眠るように半年いたのを除けば、確かにあのときから二日もたっていない」


[486]

 


 瞬示と真美の肉声を吸収したホーリーがサーチを強く抱きよせる。


「誰がリンメイの因果律に介入したんだ?」


「多分、リンメイが手術した母胎から出た黄色い光だわ」


 真美はサーチと同じように抱きしめられたいと瞬示に手を差し出す。


「母胎じゃなくて胎児から出た光だわ」


「マミの言うとおり!その光は時間島と同じ効果を持っているに違いない!」


 瞬示が真美の手を握ると真美は涙ぐむ。


「その光を浴びたリンメイの因果律が逆転して、それから……」


 サーチが真美の言葉を遮る。


「やっぱりリンメイは生命永遠保持手術の効果を失って歳をとったんだわ」


 サーチがホーリーの胸のなかに顔を埋める。真美が言葉を続けようとしたとき顔をあげてホーリーの手を引いてドアに向かう。


「とにかく、保育装置室を調べましょう」


「情報ガ混乱シテイテ、報告ガ遅レマシタガ、保育装置室ハカナリ損傷シテイマス」


 やっとサーチの欲しかった情報がRv26から伝えられる。しかし、今やサーチはそのことを十分に知りつくしている。ただ保育装置室の場所がわからなかっただけだ。


「アンドロイドが混乱するなんて」


[487]

 


 サーチが苦笑いしながら脂汗を浮かべるRv26を見つめる。もちろん、そんなことはない。サビ止めオイルで顔がテカっているだけだ。そのRv26が先頭に立って歩きだす。異様な雰囲気のなか一同は黙ったまま追従する。


 Rv26が「保育装置室」と書かれたドアの前に立つとドアが横にスライドする。待ちきれないサーチがRv26の横をすり抜けて中に駆けこむ。ガラスの破片があちこちに散乱している。


 サーチがガラス製のフタが割れた保育装置をひとつひとつ指で確認しながら奥に進む。


「痛っ!」


 サーチは割れた保育装置のガラスで右手の人差し指を切る。ホーリーが驚いてすぐさまサーチの指を手に取る。


「大丈夫か!」


「ええ」


 サーチの指から血が流れ出す。サーチはホーリーの異常なまでの反応に気付くことなく、そのまま最後の保育装置に向かう。その保育装置は壊れていない。サーチが中を覗く。その保育器には遮光器土偶そっくりの胎児が眠るように横たわっている。ホーリーは黄色い粉に包まれた胎児を見つめて立ちすくむ。


「死んでいる」


[488]

 


 真美と瞬示が信号を送りあう。


【生まれてきた子供が遮光器土偶にそっくりだなんて】
【土偶に変態したように見える】
 住職が両手を合わせて目を閉じる。忍者はお互い顔を見合わせる。ケンタは呆然と胎児を見つめる。


 サーチは立っているのが苦痛になって保育装置のガラスの上に手を置く。サーチの指の血がガラスに付着する。


「サーチ!」


 ホーリーが再びサーチの右手を握る。サーチの右手の人差し指の出血が止まらない。


「生命回復機能が!」


 ホーリーが手を離すと床に落ちているガラスの破片を拾う。


「何をするの」


「サーチ、よく見るんだ」


 ホーリーがガラス片で自分の指先を切る。しかし、すぐに止まるはずの血が止まらない。傷口は開いたままだ。


「サーチ、わかるか?」


[489]

 


***

 戦艦ほど大きくはないが前線第四コロニーの旗艦セント・テラを中心に総勢二百艦船から構成される大がかりな船団が摩周クレーターの上空に空間移動する。


 セント・テラの艦長Rv26の命令で船団の大半がそれぞれ地球のしかるべき場所に移動するために離れていく。Rv26は艦橋の一番上にある展望室から各艦船に忙しそうに命令を下す。瞬示たち全員がRv26とともに展望室から地上を興味深げに眺める。


 調査船の報告どおり地球には人間がひとりもいないことが確認された。さらに瞬示と真美が発見した巨大土偶が摩周クレーター湖の島にいることも確認された。保育装置内の胎児とは大きさがあまりにも違いすぎる。アンドロイドの調査では摩周クレーターにいる巨大土偶にも生体反応がない。


 瞬示と真美はその報告に意外な気持ちを抱くがRv26やホーリーに何も伝えようとはしない。それは強制的に摩周クレーターから前線第四コロニーへ空間移動させられた謎が解けないからだ。


 地球ではすべての生命永遠保持センターが破壊されていた。それは月と違って地球では壮烈な戦闘が繰り広げられていたことを物語っている。当事者の一方は間違いなく女。もう一方は男でないこともわかっている。女は誰と戦って地球から消えてしまったのか。


 また、約三千万体以上と推定される動かなくなったアンドロイドが発見された。エネルギー

 

[490]

 


補給が止まったためアンドロイドのコンピュータシステムが休止状態になったのだ。しかし、BS3のようにほとんど損傷のないアンドロイドは皆無に近かった。九年もの歳月を経た結果、錆ついて動かなくなった。月と違って地球の環境はアンドロイドにとって過酷だ。その原因はもちろん酸素だ。


 ところで動かなくなったアンドロイドにはBS3と同じように記憶装置が無傷で残されていた。Rv26はまずその記憶装置の回収を優先したが、その個数が百個を超えたところで回収作業が打ち切られる。記憶装置に保存されていたデータの内容がすべて同じだったからだ。


「地球気象制御管理局へ」


 セント・テラはRv26の命令にしたがって地球気象制御管理局に向かう。Rv26はそこに貴重なデータが存在していることを突きとめていた。セント・テラが地球気象制御管理局に到着すると、瞬示たち全員が誰もいない局長室に移動する。


 Rv26のそつのない準備のもと、アンドロイドが収集したデータや地球気象制御管理局に保存された永久0246年の貴重なデータが整然と編集されて浮遊透過スクリーンに映される。


 まず、月の生命永遠保持機構本部とそのほかの組織に属する女全員が時空間移動装置で地球に逃れた場面が映しだされる。シェルター内の急激な電圧降下が原因で緊急脱出したのだ。


 そして、遅れて月を脱出したリンメイがBS3を残してきたことを気にしながら、地球連邦軍司令部の司令官室に出頭する場面に替わる。


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