第十二章 羅生門


 第九章から前章(第十一章)までのあらすじ


 瞬示と真美が時間島で黄金城の上空に現れる。光秀が忍者を乗せた真っ赤な大凧を時間島に向かわせるがのみこまれる。続けてふたつ目の大凧を時間島に向かわせるが今度はのみこまれる前に大筒の玉を撃ちこむ。しかし時間島に変化はない。


 ふたりは異常な世界にいることに戸惑うも老婆の正体を見極めるために黄金城から民宿に時空間移動する。老婆は完成第十二コロニーで出会ったサーチだった。逃げるサーチを追跡すると青い時空間移動装置が現れるが時間島からの光線で消滅する。


 老婆の部屋のコンピュータが自爆して民宿は跡形もなく吹っ飛ぶ。ケンタの車で摩周クレーターに到着するとホーリーの時空間移動装置が現れる。ホーリーの心の中を覗いて瞬示と真美はホーリーやサーチの目的を知る。ホーリーはふたりの超能力と時間島そしてふたりが因果律に介入できることに驚く。


 瞬示と真美は時間島で摩周クレーターから消える。ホーリーはサーチを捜すためにケンタと残ることにするが、ふたりの移動先の時空間座標のデータを手に入れる。


【時】永久0070年4月(前章より約60年後)


[256]

 



【空】京都(羅生門)
【人】瞬示真美住職忍者


***

 時間島の中で真美は巨大土偶からのメッセージの意味を考える。


【子供が生まれる前に死んでいく】
【何万、何億、何兆と死んでいく】
【永遠に生きるために死んでいく】
【子供のいない永遠の世界】
【男女のいない永遠の世界】


 やがて真美が意識を時間島に移す。瞬示の意識はずーっと時間島に預けたままだ。真美は時間島のゆらぎに合わせて瞬示と同じく黄色い液体に漂う。真美もいつの間にか心地よい眠りにつく。時間島はふたりに枕を与えると消滅する。


***

 瞬示と真美は樹齢数百年の桜の大木が地表に張りめぐらせた根の一部を枕にして仰向けで


[257]

 


 眠っている。ひらひらと落ちてきた桜の花びらがまぶたに留まると真美がパッチリと目を開ける。そして気持ちいい夢を見たあとのような笑顔をつくる。


【瞬ちゃん】


 瞬示も真美の信号に気持ちよく目を覚ます。


【ここは?】
【桜の木の下よ】


「暴挙じゃ!」


 遠くで誰かが叫んでいる。


 真美が左腕を上げて腕時計を見る。


【E0070・04ということは永久0070年4月】


 土に帰ったコーマが持っていた腕時計だ。真美は何とか年月だけを理解できるようになった。時空間移動しても正確に年月を表示するふしぎな時計だ。


【ということは、摩周クレーターにいたときが0011年だったから、59(70-11)年も先の世界にやってきたのか】


 桜の木の下でずーっと寝ていたわけでもないのに、ふたりはほこりを払うように服をポンポンと叩く。そして背筋を伸ばして大あくびをしたとき再び声が聞こえてくる。


「もうこの寺は住職のものではありません」


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「わかった、わかった」
 ショッキングピンクの背広を着た若い男と年老いた僧侶が近づいてくると、ふたりは慌てて桜の大木の影に隠れる。


「この世も終わりじゃ」


「住職が終わりなだけです」


「人間という人間がみんな欲望の塊になってしもうたわい」


「住職もよく色町へ繰りだしていたそうじゃないですか」


「アホ、それは昔の話じゃ」


「お坊さんはもちろん、みんな生命永遠保持手術を受けましたよ」


「永遠の命というのは日ごろの修行、お勤めで手に入れるものじゃ」


「そんなお坊さんはもうどこを探してもいませんよ」


「確かに修行したからといって不老不死になれるわけじゃないが」


「住職も生命永遠保持手術を受けられたらいかがですか?今なら相当安くなってますよ」


「バカもん!金の問題じゃないわい」


 住職がカッと目を見開いて一喝すると、ひるむように若い男が一歩下がる。


「人間は昔から不老不死にあこがれていた。しかし、人間というものは歴史という過去から未来へと永遠に続く鎖のようなものじゃ。たかが鎖の一部だとしても、命を粗末にせず、一所懸


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命生きようとするところに意味があるのじゃ。そこが人間の素晴らしさなのじゃ」
 男は住職の説教をいなすように口をはさむ。


「まあ、気が向いたらいつでも言ってください。腕のいい医者を紹介しますよ」


「今日生まれてくる子供が最後か、子供をつくる自由ぐらい残しておけばいいものを」


「住職はもう無理ですよ」


「アホ、わしのことじゃない」


 若い男は腕時計を見ながら、いかにも忙しそうな仕草をする。


「とにかく、この寺を立派に立て直してみせますよ」


「説法のない寺なんぞ立派になるものか」


「『ラッキーセブン花丸祭り』の準備がありますので、この辺で」


「なんじゃ?そのラッキー何とかというのは」


「七〇年春の大花祭りのことです」


 逃げるように男が立ち去ると、住職が桜の大木から顔を覗かせる瞬示と真美に気が付く。


「おいおい、どこから入ってきたんじゃ?まあいいか、もうわしの寺じゃない」


「子供をつくっちゃダメなんですか」


 真美が興味深そうに尋ねる。


「そうじゃ。二年前に法律ができたじゃろ」


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「へー」


「地球連邦法第九三一号、できたときからクサイ法律じゃと思っておったが」


 真美が大笑いする。


「早いものじゃ、今日がその期限じゃ」


「どういうことですか?」


「あんたら何にも知らんのじゃなあ。最近の若いもんはなっとらんのー」


 説法の相手になってくれるのがうれしいのか、住職ひとりが盛り上がる。


「生命永遠保持手術を全人類が受けなければならんようになったからじゃ。永遠の命を持てば子供はいらない。子供ができると人口が増えるだけじゃ。だから子供をつくってはならんということになるのじゃ」


 住職が桜の大木の横にある薄緑の平たい岩に腰かける。


「それに生命永遠保持手術を受けるとふしぎなことに女は不妊になってしまうらしいのじゃ」


「えっ」


「ところがじゃ、男の生殖機能は生命永遠保持手術を受けても衰えることがない」


 ふたりは住職にうながされて座ると薄緑の岩が鮮やかな透明感のある緑に変化するが、ふたりはもちろん住職も気が付かない。


「結論から言うと男は欲求不満の塊と化すのじゃ」


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 住職が目尻を下げてニタリと真美を見つめると真美は顔を背ける。瞬示が民宿で読んだ週刊誌の「セックスを拒否する女性が増加」と題された記事を思い出す。


「もうこの数か月前から一件も出産がないと聞いておる」


 住職が真美から視線を瞬示に向けてため息をつく。


「それにじゃ……」


 真美は再び住職の言葉を受ける体勢をとる。


「まず、自殺者が増えはじめた」


「どうしてですか?せっかく永遠の命を手に入れたのに」


「それはじゃ、永遠の命が手に入れば、生きることへの執着心が希薄になるからじゃ」


「変なの。自殺するぐらいなら、生命永遠保持手術を受ける意味がないわ」


「生命というものは『生』があって『死』があるのものじゃ」


「『生』があって『死』があるのに、『死』がなくなると本来の因果を守ろうとして自殺するのだとわしは考えておる」


「それじゃ子供ができないと人口が減ってしまうわ」


 真美は先ほどの不快さを忘れて住職の顔をのぞきこむ。


「そう、永遠の命を手に入れても自ら命を絶つことはできるのじゃ。自殺願望の相談がこの半年で随分増えたわい」


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 住職が残念そうな表情を浮かべる。この寺を追いだされると、そういう相談に応えられなくなるのを心配しているようだ。


「自殺だけが問題じゃない。憎いとか、我慢ならんとか……」


 住職の言葉を引き継いで瞬示も会話に参加する。


「殺人はどうなんですか?」


「そうだわ。永遠の命を手に入れたからといっても自殺や殺人が増えると人口が減るのに、子供をつくったらいけないなんて絶対におかしいわ!」


「人はみんな永遠の命を欲しがるものなのじゃ」


「女性がみんな不妊になるって、どうしてかしら」


「さっき言ったのを聞いとらんのか。要は永遠の命を得てみんな仲良く暮らせるのなら子供は必要ないのじゃ」


「変なの。でも仲良く暮らせないんでしょ」


 住職は大きく頷いてから続ける。


「その子供じゃが、子供は生命永遠保持手術を受けられないのじゃ」


「なぜですか」


「本当に何も知らんのか?こんな大事なことを」


 住職が軽蔑に近い苦笑いをふたりに向ける。瞬示と真美が恐縮して背中を丸める。


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「子供は生命力が強いのでな、手術がうまくいかんらしい」


「それはそうでしょ。成長過程にあるのに生命永遠保持手術を受ける必要はないんじゃ?」


「明日死ぬかもしれない年寄りほど生命永遠保持手術が必要だわ」


「なるほど。ふたりの言うとおりじゃ」


「子供は大人になってから受けるんですか?」


「そうじゃ、早い者では一七、八歳で手術を受けるらしい」


住職が急に立ち上がる。


「『永遠』とはずーっと時間が続くことではない。『永遠』というものは時間が存在しない世界のことを言うのじゃ。そんな世界に身を置いて何になると言うのじゃ」


 住職がフーと息を吐きだす。


「ところで、わしはもうここにはおれんのじゃ」


「これから、どうするのですか」


「ゆくところはいくらでもある」


「ついていってもいいでしょうか?」


「珍しい人もいるもんじゃ。しかし、あんたらは自殺志願者には見えんがのう」


「いえ、もっとほかの悩みがあります」


「情けないことに、仏の教えはもう通用せん」


[264]

 


***

 寺を出ると土産物屋が並ぶ狭い石だたみの坂道を、住職を先頭に瞬示と真美が一列になって下る。一方、寺を目指す観光客がひしめきあって登ってくる。人の流れと逆に進もうとする三人はなかなか進めない。


「若い人ばかりだ」


「みんな生命永遠保持手術を受けた者ばかりじゃ」


 圧倒的に若い女が多い。花祭りのイベント会場に向かっているのだ。しかし、アベックの姿はほとんどない。陽気のせいか、軽装の女たちがはしゃぎながら土産物屋を覗きながら歩く。胸元が大きくあいた服やヘソ丸出しの股上の短いスラックス姿の女に瞬示が興奮する。なかには水着と見間違えるような服装の女もいる。


【瞬ちゃん、鼻の下、長くなってるんじゃない?】


 背中からの信号に瞬示が口元を引きしめる。


【わたし、あんな服着て、こんなところ歩けないわ】


 よく見ると若い男も結構いる。ぞろぞろと歩きながら近くの女に手当たり次第声をかける男の姿を何度か見かける。


突然、雑踏の中で大きな悲鳴が行く手の方から響く。


[265]



「やめて!痴漢!」


「いいじゃないか。付あえよ」


「いやよ!警察呼ぶわよ」


「男を欲しそうな格好をして、何がやめてだ」


 人混みの中で瞬示と真美には声しか聞こえない。


「やめてぇ!」


 再び金切り声がする。住職が人混みをかきわけるとふたりの目の前から消える。しばらくすると住職の大きな声が聞こえる。


「やめんかい!」


「珍しい。老いぼれがいるぞ」


「まだ生命永遠保持手術を受けてない人間がいるなんて」


「人間国宝か?」


 瞬示が輪になった人垣をくぐり抜けて、やっと住職が数人の若い男と向きあう場所に出る。その輪の真ん中でハチの巣を水に入れてふやかしてからそのまま乾燥させたようなヘアースタイルに厚化粧をしてセパレートの水着のような服を着ている若い女がふたり、大きな胸に手を当てて地面にしゃがみこんでいる。住職が女の前に立ちはだかっている。そのまわりを数人の若い男がにやにやしながら立っている。


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「こんな人混みの中でそんな服を着て、何がやめてだ」


ひとりの男が住職の横手から女の腕をつかむ。


「やめて!どんな服を着ようと私らの自由だわ」


 女が抵抗する。


「やめろと言ったら、やめるんじゃ!」


 住職がその男の手をつかむ。男は簡単に住職の手を払いのけて素早くポケットからジャックナイフを取り出すと住職の腹目がけて刺そうとする。あまりに性急的で異常な行動に瞬示は反射的にピンクの光線を発射する。ジャックナイフが蒸発するように消滅するが、男の拳がそのまま住職の腹に勢いよくくいこむ。住職は声を出すことなく腹を抱えてその場に倒れる。すぐさま瞬示が住職を抱きおこす。


「住職!」


「きゃあー」「わあ!」


 まわりの誰もが住職がジャックナイフで刺されたと思って悲鳴をあげる。


「警察が来た!」


 やっと瞬示と住職が見えるところまで来た真美が大声を張りあげる。急に男たちが「どけどけ!」と大声をあげながら人混みの中に突入する。野次馬の群衆がクモの子を散らすように男達に逃げ道を提供する。


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「住職!」


 瞬示が住職のほほを軽く叩いたとき、難を逃れたふたりの女がその場から立ち去ろうとする。


「待って!助けようとした人をほっとくの?」


 真美が両腕を広げて立ちふさがる。しかし、ふたりの女は真美の細い腕を払うと何も言わずに男たちが逃げた同じ方向の人混みの中に消える。


 いたたまれない気持ちで真美は住職を抱える瞬示に向かってトボトボと歩きだす。


「この辺に病院か医院はありませんか」


 瞬示の言葉に反応はないし、手を貸す者さえいない。仕方なく肩を露出させ濃い化粧をした土産物屋の女の店員に真美が同じことを尋ねるが、返事の代わりに罵声が返ってくる。


「商売の邪魔よ。その老いぼれ坊主をどこかへ連れていって!」


 真美の目に涙があふれる。瞬示も目をうるませながら住職をしっかりと抱きかかえると身体をピンクに輝かせる。


【マミ、行こう】


 瞬示の弱々しい信号を受けると真美もピンクに輝く。瞬示が住職を抱えたまま一気に地上数十メートルまで上昇する。真美も追うように上昇する。


 驚きの声が地上でまきおこる。しかし、ふたりの耳にはそんなどよめきは聞こえない。瞬示が住職の意識の中に入ると、大きな山門を見上げる住職の姿が浮かぶ。真美もその住職の意識


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を共有する。真美が空中で身体を回転させながらはるか彼方を見つめる。


【瞬ちゃん、あれ】


 真美の信号が示す方向に顔を向けると、瞬示は遠くに先ほどの住職のイメージと寸分違わない大きな山門を見つける。ふたりはその山門に向かって移動する。


***

 立派な山門の上空に住職を抱えた瞬示と真美が到着する。徐々に高度を下げると正面中央に「羅生門」と墨書きされているのが見える。あの逆流していた川の小径にあった山門と比べものにならないほど巨大で威厳に満ちている。高さは二〇メートル以上、幅も三〇メートルはある。花見の季節特有の曇り空ににじんだように見える山門の片方の屋根の端に絡まった赤い布のようなものが吹く風にはためく。


 瞬示と真美はその赤い布をふしぎそうに見ながらゆっくりと地上に降りる。上空の印象よりも大きく見える山門の下に住職を寝かせようと瞬示が慎重に片ひざをつくと住職の目がうっすらと開く。住職は自分が山門の真下にいて瞬示に抱えられているのに気付かないどころか、じっとして動かない。そのときふたりは山門の上の方で警戒に満ちた人の気配を感じる。


【気をつけた方がいい】


瞬示が真美に信号を送る。


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「……迷惑かけたようじゃな」


 住職がなんとか言葉を絞りだす。


「良かった。気分は?」


 返事がないので瞬示と真美が住職の心の中を覗く。住職の意識は混乱しているが、心の中では純粋な青年が持つ澄みきったさわやかな風が吹いている。先ほどまでの若者とはまったく違う、すがすがしい印象を受ける。


【修行の賜物なのかしら】

 

 住職が羅生門の下にいることに気付くと腹のあたりに手を当てながら頭を下げる。


「よくぞ、ここまで連れてきてくれたものじゃ」


「大丈夫ですか?」


 住職がうなずくと、ゆっくり立ち上がる。


「どうして、わしが来たいところがわかったのじゃ」


 住職がふしぎそうに瞬示と真美を見つめる。ふたりは顔を見合わせるだけで黙りこむ。住職はそれ以上尋ねることはなく遠くに見える古寺を指差す。


「あれが、わしの新しい住みかになる庫裏じゃ」


 七〇歳ぐらいに見える住職が痛みを感じさせないしっかりとした足取りで歩きだす。


「京都の、いや京都だけではない、みんなこんな荒れ寺だらけになってしもうた。ここの坊主


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どもは仏教界で一番早く生命永遠保持手術を受けたのじゃ」


 住職がさびしそうに首を横に振る。


「仏に仕える者がさっさと手術を受けてここから出てゆきよった。生命永遠保持手術のおかげで人間の心も仏の心も砂漠のようにカラカラに乾いたものになってしもうた」


 瞬示は住職が普段の調子に戻ったのを素直に喜ぶ。 


「あの参道にいた人はみんな若者だったけれど、今はみんな若者ばかりなんですか?」


 住職の顔が少し曇る。


「そうじゃ、わしみたいな年寄りはもうおらんじゃろう。わしも生命永遠保持手術を受ければかっこいい若者になるのはわかっておるのじゃが」


 一転して住職が晴れがましい表情をする。それを見て真美は想像するのをやめて微笑む。


「じゃが、永遠の命を手に入れればなかなか死ねんのじゃ」


 瞬示も真美もまた自殺の話かとうんざりする。


「これが簡単にいかなくてな、難しい問題なのじゃ。首をつったぐらいじゃ死なん。すぐ息を
吹きかえす。毒をあおっても死なん」


 完全に体調が戻ったのか、住職は鉄砲玉のようにしゃべりだす。


「簡単に死なんから殺し合いは凄惨じゃ。相手を切りきざむのじゃ」


「イヤ!」


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 真美が住職から顔を背ける。


「どのパーツも息を吹きかえせないほどに細かく切りきざむのじゃ」


「パーツ?」


「坊主が英語を使ったらあかんか」


 瞬示は笑うが真美は不愉快な表情をする。


「近ごろはこれを飲めば一発であの世へってな薬が開発されたというのじゃ」


「分子破壊粒子のことですか?」


 住職が急に怒りだす。


「そうじゃ!何を考えとるんじゃ!生命永遠保持手術をどうぞと勧めておきながら強力な自殺薬をどうぞじゃ」


 満開の桜に囲まれたボロボロの寺の前に着くと突然その桜の木々の間から突然忍者が三人現れる。


【あの大凧忍者だわ】


 すぐさま真美が瞬示に信号を送る。瞬示の脳裏に黄金城が浮かぶ。


【まさか】


 送り返した信号とは反対に瞬示が納得顔で真美を見つめたとき住職が手を挙げる。


「心配せんでもいい」


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 しかし、忍者は独特の構えを崩さない。


【あの山門の赤い布!】
【大凧の一部よ!】


 ふたりはすべてを理解する。


 よく見ると忍者は手足に添え木をしている。ひとりは松葉杖で身体を支える者もいる。その後ろにふたりの小柄な忍者がいる。羅生門で瞬示と真美が気配を感じたのはこの後方の忍者だった。そのうちのひとりが住職に耳打ちする。


「この者たちは空を飛んできました」


「凧に乗ってか?」


 住職が笑いながら応える。


「いや、身体を宙に浮かして羅生門にやってきた。われらの頭領といえどもできぬ浮遊術を心得ている使い手。用心のほど……」


「わかった、わかった。じゃが大事な客人じゃ」


 住職がふたりの忍者に寺の中へ瞬示と真美を案内するよう大きな声を上げると、小柄なふたりの忍者がそろって住職に平伏する。そんな忍者を見て瞬示が真美に信号を送る。


【このふたりは女の忍者だ。忍者はこの五人だけなのか】
【あとの四人はいったい……】


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「もうひと月前だったか、この辺を徘徊していた時じゃ」


 住職が先に古寺に入ると背中でふたりの疑問に応える。


「あの羅生門に赤い大きな凧が引っかかっておったのじゃ」


 住職が土間に腰を下ろす。


「わしは時代劇の撮影だと思ったのじゃ」


 ふたりは住職の心を読みとると血を流してうめく忍者やすでに息絶えた忍者が羅生門の下に転がっている情景を共有する。


「いたのは九人の本物の忍者だった」


【やっぱり九人だわ】


「どうして本物と……」


 住職が瞬示の中途半端な質問に即答する。


「いきなり手裏剣を投げてきよったのじゃ」


 住職は大笑いしながらスニーカーを脱ぐ。


「わあ、住職がスニーカーをはいている」


 ふたりは住職よりもっと大きな声で笑う。


「まあ手裏剣は冗談じゃが、とにかく何とかしなければならんという状況だったのじゃ」


 ふたりもスニーカーを脱いで住職のあとを追う。


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「残りの四人は?」


「四人はすでに死んでいて三人が骨折しておったのじゃ」


 廊下に出てふたりは小さなため息をもらす。


「本業は後回しじゃ。とにかくケガをしている者の治療が最優先じゃ」


「本業?」


「葬儀じゃ」


「あっ、そうか」


 ふたりは悲しそうな表情を維持したまま咳こみながら笑う。こんな会話が続くとそのうちふたりは顔面神経痛になるかもしれない。


「この寺にはいろんなモンが残されていて、わしは寺を追いだされたらここに住もうと前から狙っておったのじゃ」


 廊下は縁側に続く。


「わしらは慈悲を授ける仏の使いじゃからして、結構、薬とか食料を備蓄しておるのじゃ」


 住職が縁側に腰を下ろす。本堂は荒れているが、小さな池を持つ広い庭の桜が満開だ。


「ここからの桜の眺めは最高じゃ」


 瞬示と真美が満開の桜に圧倒されながら住職の両脇に座る。


「廃墟になったとはいえ、わしの寺じゃない」


[275]



 ふたりには住職の話が楽しくて仕方がない。


「じゃが、忍者が困っとるのじゃ」


 住職が数珠を絡めて両手を合わせる。


「しばらく借りるぞ、とこの寺に願をかけたのじゃ」


「住職がみんなを助けてあげたんだ!」


 真美が満面の笑みをたたえたとき、覆面を取り外した女の忍者がお茶を持ってくる。


「おい、その服、何とかならんのか」


 女の忍者が茶碗を差し出す。どっしりとした大きな茶碗からいい香りがする。


「われらの制服ですから」


 忍者の言い訳に瞬示も真美も口に含んだお茶をプッと吹きだす。

 

「袈裟でも着てろ」


 もう我慢できないと真美が縁側から降りて笑いだす。


「このひと月というものはやつらの心のケアで忙しかったのじゃ」


「心のケア?」


瞬示も縁側に降りると真美と一緒になって笑い転げる。


「何しろ話が突拍子なのじゃ」


真美がやっと笑いをこらえて真剣な表情をする。


[276]



「大坂城から来たとでも言ったんですか?」


「そのとおりじゃ!なぜわかるのじゃ!」


 住職が茶碗を落としそうになるほど驚いてふたりを見すえる。


「明智光秀に仕えていたとか」


 瞬示の言葉に女の忍者のお盆がピクッと動く。瞬示は忍者の反応を見逃さない。


「そうじゃ!」


 住職が目をカッと見開く。


「あんたら、こいつらのことを知っとるのか?」


 瞬示が急に神妙になる。


「直接、知っているというわけではないんですが……」


 住職は瞬示が途中で言葉を切ったのを気にするが、それ以上質問はせずに残ったお茶をぐっと飲みほす。


「ところで、ふたりの名前を聞いてなかったのう」


 まず、真美が住職に近づく。


「わたしは真美」


 瞬示も同じようにもとの場所に戻る。


「ぼくは瞬示」


[277]



「そうか。いい名前じゃ。ところで、ふたりは異性の双子かな?よく似ておるな」


 瞬示と真美が同時に首を横に振る。いつの間にか女の忍者の姿がない。


 住職は目を閉じて呪文でも唱えるように両手で数珠をもみはじめる。ふたりは住職の名前を聞きそびれてしまう。


***

 女の忍者がほかの忍者を連れて瞬示と真美の前に現れる。もちろん、ふたりに大坂城の明智光秀のことを尋ねるためだ。満開の桜の庭先でふたりと忍者の会話がはじまる。


 彼らはひとつ目の大凧の忍者だった。時間島に飛びこんだとたん、目の前に羅生門が迫ってきて屋根に衝突して全員、地面にたたき落とされた。そして四人が即死した。生き残ったのは男が三人、女がふたり。ふしぎなことに女ふたりは軽傷だった。偶然、羅生門を通りがかった住職に救助されて死亡した四人は丁重に葬られた。


「ふたりの話も、忍者の話もわしにはさっぱりわからん」


 住職が両手を広げて首を横に振る。そんな住職を無視して瞬示が真美に指を二本立てる。


「ふたつ目の大凧の行方が気になる」


「時間島に何かヒントが残ってないのかしら」


「そう言えば時間島は?」


[278]

 


 すでにふたつ目の大凧で時間島に向かった仲間のことを聞かされていたので、忍者が心配そうにふたりを見つめる。


 会話が途切れたところで住職が男の忍者に命令口調で言う。


「佐助、才蔵、半蔵、添え木はとっていいぞ。もう骨はくっついとるじゃろ」


 住職の言葉に驚く瞬示を見つめながら、三人の忍者が無言で首を縦に振る。


「佐助?猿飛佐助?」


 住職が瞬示の疑問に大きな声で答える。


「そうじゃ、霧隠才蔵、服部半蔵」


「すごい!」


「わしがつけた名前じゃ」


「ハア?」


「こいつら名乗らんのじゃ」


 ふたりがあきれ返ると、住職が女の忍者に指示する。


「アケミ、エリカ、昼飯の用意じゃ」


 今度は瞬示も真美も首をひねる。


「昔、よく通ったスナックのネエちゃんの名前じゃ」


「えー」


[279]

 


 瞬示と真美が相好を崩す。しかし、急にふたりの表情が険しくなる。


【あっ!】


 ハラハラと落ちる一枚の桜の花びらが強く輝く。


「この庭に到着していたのか」


 瞬示が住職に向かって大声を出す。


「驚かないでください!」


 桜の花びらほどの大きさから直径五メートルほどに膨張した時間島が現れると住職が目をこする。忍者も一様に驚く。黄金城上空にあったときと比べようがないくらいに小さいが、色はまさしく忍者の記憶にある透明感のある黄色だ。瞬示と真美は裸足のまま庭に降りる。


「残りの忍者を捜しにいきます」


「おーい」


 住職が時間島に吸いこまれて透きとおった桜の花びらと同じ色の裸体となった瞬示と真美を呼ぶが返事はない。時間島は地上から一メートル程度浮いたまま微動だりしない。すぐに時間島の中のふたりが溶けるように消える。


 住職には桜の花びらが光そのものになったように見えた。


[280]