第二十四章 婚約


【時】永久0255年
【空】摩周クレーター
【人】瞬示 真美 ホーリー サーチ 住職 Rv26


***

 地球気象制御管理局から旗艦セント・テラの展望室に戻っても、誰もが長編映画を見終わったあとに感じるような脱力感に支配されてうつろな眼差しで地上を眺めてはため息をつく。


「今の地球は人間がいなくなって動物の天国になっているわ」


 真美の感想を軽く否定してから住職もため息をついて言葉を続ける。


「人間にはそう見えるが動物たちは子孫を残すために厳しい生存競争を繰り返しているのじゃ」


 瞬示もミトの活躍の余韻にどっぷりとひたっていたが、住職の言葉に目が覚める。


「残念ながら、人間は子孫を残そうとして戦っているんじゃない」


 住職が瞬示の反応に強い刺激を受ける。


「そのとおり!永遠の命を持った男と女が戦うということはじゃ、男が娘や母親を殺すことで


[532]

 


あり、女が息子をそして父親を殺すことじゃ」


 ホーリーはふと妻や娘のことを思い出してやりきれないような涙をうっすらと浮かべる。


「生命永遠保持手術を受けた者は老人でも中年でもすべて二十歳代の若さを保つことができる。七十歳の老婆のおふくろが二十歳の娘になったら、やはり二十歳になった元中年の息子はその娘を『お母さん』と呼べるかな?」


 住職の言葉にサーチが切なく応える。


「『お母さん』と呼べないし、呼ばれることを拒否すると思うわ」


「恐らくサーチの言うとおりじゃと思う。しかし、なぜそんな気持ちになるのか、わかるかな」


「それは……」


 サーチは何とか答を探そうとするが、あきらめて首を横に弱々しく振る。


「それはじゃ、血のつながりが不要になったからじゃ。永遠の命が手に入れば祖父母も両親も息子も娘も孫もひ孫もすべて意味がなくなってしまう。生体内生命永遠保持手術の悲劇をよく考えてみることじゃ。再び血のつながりを求めたが、結果は散々たるものじゃった」


 サーチが電気ショックを受けたように上体をピンと張る。


「母親の命を奪うようにして子供が生まれてきた……」


「母親を殺して、土になった母親そのものを母乳がわりにして成長した。そこには血というも


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のが存在せん!だから土に帰ってしまうのかも知れん」


 誰もが住職の言葉に打ちひしがれて声も出せない。


「すべての男を殺したあと、どうするつもりだったのじゃ?」


 いつもそうだが、住職は言葉の鋭さに似合わないやさしい表情でサーチを見つめる。そのままホーリーにも尋ねる。


「すべての女を殺したあと、どうするつもりだったのじゃ?」


 サーチもホーリーも無言のままだ。


「戦争が終わっても人口は必ず減り続けるのじゃ」


 サーチはリンメイが必死になって子供を生まれさせようと生命永遠保持手術を繰り返したこと、そして生体内生命永遠保持手術を開発したことを思い出す。


「男と女、どちらが残っても、やがて人類は滅亡してしまうのじゃ。仮に出産の特権を持った女の方が生き残って子供を造っても、その子供が目から殺人光線を発射してその女を殺してしまうのじゃ」


 サーチが何とか声を出す。


「リンメイは子供をつくろうと必死になっていた……」


 サーチは後任のリンメイがひとつの壁を突破しようとあらゆる可能性に挑戦したことを強く意識する。リンメイは命を落とすことを恐れずに母親になろうとした八人の女の意志を成就さ


[534]

 


せようと前へ前へと走った。一方、サーチはといえば手術室長を辞任して軍の幹部に転身した。


「子供は必要なのじゃ」


 サーチがはにかむようにうつむく。


「私、普通の女に戻りました」


 ホーリーを除いて誰も反応しない。


「サーチ」


 ホーリーが今までで一番やさしい声をかける。


「俺も生命回復機能を失った」

 

 真美が瞬示に信号を送る。


【生命永遠保持手術の効果を失ったということなの?】
【永遠の命を持つ身体ではなくなったんだ!】
【そうか。わたしも普通の人間に戻れるのかしら】


 瞬示が返事をせずにサーチのうなじを見る。よく見ると若い張りがある肌ではない。しかもそのうなじに白いものが混じっている。


 おもむろにホーリーがガラス片で切った指の出血が止まらなかったことを説明する。そしてその説明が終わると真美がサーチをなぐさめる。


「生命永遠保持センターがすべて破壊されたから、もう生命永遠保持手術を受けることができ


[535]

 


ないわね」


「いいえ、完成コロニーには手術ができる施設がいくらでもあるだわ」


 サーチが顔をあげて真美に微笑む。


「でも、二度と受けるつもりはないわ」


 サーチが微笑んだままの顔をホーリーに向ける。ホーリーがうなずくと急にうつむいて涙ぐむサーチに近づいてたくましい腕で力一杯抱きしめる。


***

 Rv26が展望室に現れる。抱き合って唇を重ねるホーリーとサーチに気付くとまるで人間のように視線をそらすが、出した言葉は無骨だ。


「コノ地球ニ存在スル巨大土偶ハ、アノ摩周クレーターノ一体ダケデス」


 ホーリーとサーチが照れながら離れてRv26と向きあう。


「ところで八体の胎児のうち一体は生命永遠保持機構の本部の保育器の中で死んでいた。結局七体の胎児が成長してミトと壮烈な戦闘を繰り広げた。そうすると摩周クレーターにいる巨大土偶は保育器で死んだ胎児が復活したと考えられないか?」


 ホーリーがRv26に質問する。


「生命永遠保持機構本部ノ保育器デ死亡シタ胎児ノ状況ニツイテハ確認ガ取レテイマセン。ホ


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ーリーサンノ意見ハ推測ニ過ギマセン」


 今度は真美がRv26に尋ねる。


「ミトと戦った巨大土偶が月で生まれた胎児だと、なぜ断定できるの」


「地球ノ上空ニハ様々ナ人工衛星ガ存在シマス」


 Rv26が真美の方に身体を向ける。


「イクツカノ人工衛星ガ巨大土偶ト地球連邦軍ノ戦闘ニ至ルマデノ様子ヲ記録シテイマシタ」


「ミトも活用していたようだ」


 ホーリーが付け加える。


「一体ノ巨大土偶ハ摩周クレーターデ動カナクナッタノデスガ、他ノ六体ハアノ戦闘以後、人工衛星ノ記録ニハ残ッテイマセン」


 瞬示の身体がRv26の言葉に反応して薄くピンクに輝く。


【マミ!まだ摩周クレーターにいる巨大土偶のところへ移動するぞ】
【もちろん!なぜ、あそこから強制的に移動させられたのか、確かめなくっちゃ】


 真美が瞬示よりも強く身体を輝かせて大きな声を出す。


「わたしたち、摩周クレーターの巨大土偶のところへ行きます」


 瞬示が真美の手をとる。


「お願い!私も連れていって」


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 サーチもホーリーの手を取ってすぐさま追従する。ホーリーは言葉にしないが真美を直視する。


【瞬ちゃん、どうする?】


 瞬示が首を横に振ると、真美はホーリーとサーチににこやかに声をかける。


「少しゆっくりしたら。ふたりだけで」


***

 巨大土偶が摩周クレーター中央の丸い島の、さらにその中央の丸い黄色い池に浮かんでいる。その真上に瞬示と真美が現れる。


【教えて!】


 真美の強力な信号が巨大土偶の頭部を直撃する。


【教えてください!】


 少し遅れて瞬示も信号を発する。


【わたしたちをなぜここから強制的に移動させたの?】


 しかし、巨大土偶は反応しない。仕方なく瞬示と真美が交互に信号を発する。


【それじゃ、せめてあのふしぎな言葉の意味を教えて】
【子供が生まれる前に死んでいく】


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【何万、何億、何兆と死んでいく】
【永遠に生きるために死んでいく】
【子供のいない永遠の世界】
【男女のいない永遠の世界】


 巨大土偶の丸い輪郭を持った目がうっすらと開くと、ふたりは黄色い光線が発射されるのではと身構える。しかし、目からは光線ではなく黄色い涙があふれだす。そして鼓動がはっきりとふたりに届く。


 ふたりが巨大土偶の誇張された抽象的な乳房にゆっくりと降りる。そのわずかな時間のなかで巨大土偶の目の輪郭が自ら流した涙に溶けて崩れる。


【溶けてる】


 瞬示と真美の足が巨大土偶の胸に接触する。しかし、ふたりの足は胸を通りぬけてさらに降下する。巨大土偶の表面が濡れた薄い紙のような感覚をふたりに与える。ふたりは慌てて身体を浮かせて様子をうかがう。目はおろか顔も溶けだす。胸もふたりが足をつけたところから溶けはじめる。


 鼓動の音が直接ふたりの意識の中で展開する。まるでバッハのカノンのような心地よい鼓動の音が繰り返し繰り返しふたりの身体に伝わる。そして共鳴しながら巨大土偶の全身が溶けていく。やがて黄色い池の水に同化して消えてしまうが弱々しい鼓動の音だけが残る。しばらく


[539]

 


すると丸い黄色い池の真ん中あたりがゆっくりと少しだけ盛り上がると鼓動の音が消える。


【これは時間島じゃないか】


 ふたりは慎重に降下して黄色い池の真ん中に侵入する。やがて衣服が溶けるように消えると身体も見えなくなる。


***

【瞬ちゃん】


 気持ちよさそうに真美が瞬示に信号を送る。


【どういうこと?】
【わからない】
【時間島はいくつもある?】
【いくつ、あるのかしら】
【御陵で戦った巨大土偶は、今溶けて消えた巨大土偶とどんな関係があるんだろう】


 真美が瞬示の信号を無視する。


【瞬ちゃん!聞こえる!】
【えっ】
【聞こえるわ】


[540]

 


 真美が繰り返す。


【あれよ】


 瞬示にも聞こえてくる。


【子供が生まれる前に死んでいく】
【何万、何億、何兆と死んでいく】
【永遠に生きるために死んでいく】
【子供のいない永遠の世界】
【男女のいない永遠の世界】


 しかし、すぐに途切れる。


【教えてください】


 真美はやさしいが強い信号を発する。


【ダメだわ】
【自分で考えろということか】
【『子供が生まれる前に死んでいく』って、生命永遠保持機構の本部で見たガラス容器に入れられた胎児のことなのかしら】

【リンメイが必死に手術しても、子供は母親の身体から生きて出てくることはなかった】
【『何万、何億、何兆』回、努力しても死産になってしまう、悲しいことだわ】


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【『永遠に生きるために死んでいく』はよくわからないなあ】
【住職、それにサーチやホーリーが言っていたように、人間が永遠の生命を持ったから子供は必要ないという意味なのかしら?】


【永遠の命を持つ人間が誕生しようとする子供を殺してしまうということかもしれない】


 瞬示の少し過激な考え方に真美は返事をためらうが、すぐに残念そうな信号を流す。


【そうなのかしら。そうだとしたらむごいわ。いえ、むごすぎるわ】


 瞬示は真美に遠慮することなく信号を続ける。


【でも生体内生命永遠保持手術ではまったく逆だった。あの手術で生まれてきた子供は母親どころか、巨大土偶に成長して女を次々と殺した】
【どっちにしてもむごいわ!】
【次の『子供のいない永遠の世界』は何となくわかる】


 真美は瞬示が話題を変えてくれたことで幾分気が軽くなる。


【そうね、最後の『男女のいない永遠の世界』は?】
【男も女もみんな殺しあっていなくなる。それでも世界は永遠に時を刻むということでは】
【そうじゃないと思う。でもよくわからないわ】


 ここでふたりは住職とサーチの会話を思い出す。


【住職に聞いてみよう】


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 真美がうなずくと、このふしぎな黙示的な言葉をみんなに伝える時期が来たとふたりは決心する。


【サーチとホーリー、お似合いね】


 真美が打って変わってうれしそうな信号を発する。


【サーチはあんなにホーリーを毛嫌いしていたのになあ】
【ホーリーみたいな包容力のある人なら、わたしも抱きしめられたいわ】


 瞬示が少しむくれたような信号を送る。


【そんな物好きはいないと思うけれど】


 今度は真美がムッとした感情を信号に変えて送る。


【絶対に瞬ちゃんより早く結婚するわ】


 瞬示は感情を白紙に戻す。


【水を差すようだけど、ぼくら結婚できる身体なんだろうか】
【いい人が現れても子供ができないかもしれない】
【ホーリーやサーチより強烈な生命永遠保持手術を受けたようなもんだ】
【なぜ、時間島は生命永遠保持手術の効果を消滅させるのかしら】
【Rv26の言葉を覚えているか】
【ええ、ホーリーとお松が生命永遠保持手術を受けた人間だと言ってたことでしょ】


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【サーチは除外されていた】
【サーチは羅生門で時間島に包みこまれたから、効果が消えたんだわ】
【ホーリーとお松はいつ効果を失ったんだろう】
【時間島が前線第四コロニーを包みこんだときじゃ?】
【そのときにホーリーもお松も時間島に包まれたことになるのか】
【やっぱり、時間島が生命永遠保持手術の効果を無効にしてしまうんだわ】
【そのとおり……そうとしか考えられない】


 瞬示も真美も時間島の人間に対するはっきりとした影響力を共有する。


【でも、ひとつ気になることがある】
【なに?】
【お松は羅生門から時空間移動するときに、なぜか時間島に入るのを拒否された】
【あのとき、わたし、ものすごく焦ったわ】
【そうだ!こう考えればつじつまが合うんじゃ?】
【何に気が付いたの】
【あのとき、お松は傷ついた身体を生命回復機能で修復している最中だったんだ】
【そうか。あのまま時間島に入ったら、生命回復機能が消滅してお松は死んでしまうところだったんだわ】


[544]

 


【それで時間島が拒否したんだ】
【時間島ってやさしいのね】


 ふたりは時間島のふしぎな行為に改めて驚く。


【逆にぼくらは時間島からとてつもない超能力を与えられている。おかしいと思わないか】


 真美はハッとして瞬示に鋭い信号を送る。


【時間島はホーリーやサーチから永遠生命保持能力を奪ったのに、わたしたちには超能力を与えている】


 ふたりは時間島の矛盾を発見する。


【戻るぞ!】
【ええ】
 ふたりは大きなヒントをたずさえてあっさりと巨大土偶が変身して生成された時間島から消える。


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